55話 英雄たち(後)

「うそ、ちょっとシャレになってないよ!」

「アレクサンドル、私は先に行くわ! 無理はしちゃ駄目よ!」


 ついに境壁が見えるところまで帰ってきたサシャと天人族のダーシャ。

 彼らが目にしたものは、その境壁に雲霞のごとく死蟲が押し寄せている光景だった。


 多重結界による誘導は未だ働いているようで、それはまだいい。


 けれどもそのお陰で谷あいの防衛区画がとんでもない事になっており、何が酷いかと言って山と押し寄せていったと思われる巨岩蟲、その残骸が境壁の前を埋め尽くし、境壁上へ死蟲がなだれ込む進入路となってしまっているのだ。


 ここまで届く怒声や喊声の中、イグナーツの神剣による灰白色の防壁が境壁の上端に展開されているのも見えるし、ヴィオラの緑白色に輝く斬撃が断続的に死蟲をまとめて屠っているのも見える。イグナーツの灰白色の防壁を乗り越える死蟲の波の向こうで、時おり青い光が瞬いているのはシルヴィエが愛槍を振るっているのだろうか。


「くっそ!」


 矢のように飛び去った月姫を追いかけるように、サシャは全力で走り始めた。

 残り少ない青の力で両手の双剣を鮮やかに輝かせ、進路上にいる邪魔な死蟲を片端から斬り飛ばし、怒れる暴風のように死蟲の海に突っ込んでいく。


 巨岩蟲はヴィオラが頑張って既に全滅させてあるようで、そして序盤に強襲してきた飛行蟲はシルヴィエと兵たちがどうにか撃退したようで、この戦場にいるのはおびただしい数の死蟲だけだ。


 境壁から飛び出したサシャの決死の突入と、その後の引き寄せが役に立っていたなら良いのだが、それは今考えることではない。あのまま境壁から飛び出さなければ確実に押し切られていただろうし、今、この時まで境壁が保っている事実だけが大切だ。


 幸か不幸か今の死蟲の戦意は全て境壁攻略に向けられており、サシャの強引な敵中突破を積極的に邪魔するものはいない。サシャは仲間たちの元に合流すべく、さらにスピードを上げて突進していく。



 ……前方で兵たちの大歓声が上がった。



 おそらくあの空飛ぶ少女が、圧倒的な殲滅力をもって前線に乱入したのであろう。

 それで少しは安心も出来るが、防護区域のほぼ全域に亘って死蟲がなだれ込む寸前だったはず。まず絶対的に手が足りていない。サシャも早くそこに加わるべきだった。


 そんな彼の焦る背中を押すように、さっきから不思議な感覚がサシャを包んでいる。


 気のせいではない。

 今の大歓声のタイミングで一段と強くなったそれ。


 こうして境壁に近づけば近づくほど、なんだか力が回復していくようなのだ。


 底をつきかけていた体力も、そして何より、魔獣の血を啜らなければ補充できないはずの青の力も。


 サシャはそれに勇気づけられ、ますます突進の速度を上げていく。

 深く考えている暇はない。回復したならそれ幸い、今はあればあるだけ使ってしまうべき場面。そしてその回復していく量は、一歩足を踏み出すごとに加速度的に増えてきているのだ。


「うおおおおお」


 疾駆するサシャの足が、ついに境壁前に山と積み重なった巨岩蟲の残骸を踏み締めた。

 そのまま駆け上がっていく彼の全身は、今や眩いほどの聖光を放っている。みるみるうちに満たされていく青の力を、その片端から解放しているからだ。


 眩い聖光を放っているのはサシャの身体だけではない。演武のごとく軽やかに乱舞する双剣もまた直視できないほどの輝きに包まれており、その一振り一振りが群がる死蟲を当たる端から消滅・・させていく。


 それは殴り倒すでも、斬り殺すでもない。

 サシャの輝く双剣に触れた死蟲が、次の瞬間には蒼い焔に包まれて霞のように消滅していくのだ。


「サシャさまっ!」

「使徒殿!」

「サシャ!」


 ついに巨岩蟲の残骸を登りきったサシャを迎えたのは、仲間たちの懐かしい声だった。

 見れば随分と傷つき、疲労の色を隠せていない。サシャは裂帛の気合いと共に双剣を足元に叩きつけ、皆が戦う境壁上へと一気に跳躍した。


「ごめん! 大丈夫だった!?」


 背後で死蟲の侵入路となっていた巨岩蟲の残骸が蒼い焔に包まれ消滅していく中、軽やかに境壁上に着地するサシャ。そしてその溢れんばかりの聖光で、手近にいる兵たちも含めた全員に触れてまわって癒しを贈っていく。


「サシャ! 心配したぞ!」

「サシャさま、よくぞご無事で!」

「さすがは使徒殿だ! これでまだ守れる!」

「勝手をしちゃってみんな本当にごめん! それとここまで頑張ってくれて本当にありがとう!」


 片端から傷ついた兵たちを癒しつつ、そして、侵入している死蟲を片端から蒼の焔で消滅させながらサシャが叫ぶ。その背後では癒しの聖光に包まれた兵たちが口々に歓声を上げ、以前に増した勢いで戦いに戻っている。


 そう。サシャの癒しには、元々一時的な身体能力底上げの効果もあるのだ。

 身体に流れ込んでくる膨大な力を惜しげもなく全開放出している今のサシャの癒しの場合、その底上げはとんでもないことになっている。


 後から後からなだれ込んでくる死蟲の大群、その数の暴力に押されがちになっていた戦況が、大歓声と共に一気に盛り返されていく。


 そしてその大歓声に比例して天井知らずに増加していくのは、サシャに流れ込んでくる青の力、それもまた同様。


「何を言っているんですかサシャさま! サシャさまが巨岩蟲を足止めしてくれたからこそ今があるのです!」

「そうだぞサシャ! お前が奴らを引き連れていってくれたからこそ、集中して飛行蟲を殲滅することができたのだ!」


 そうサシャに叫び返してくれたのは、一番負担をかけたであろうヴィオラとシルヴィエだ。あちこちに負っていた傷やら打撲やらは、最前の癒しで後も残らず綺麗に消えたようだ。


 サシャが何か言い返そうとした、その時。


 いつの間にかその漆黒の翼で上空へと舞い上がっていた天人族の小さな英雄が、幼いながらも良く通る声で高らかに叫んだ。



「皆の者、よくぞここまで耐えた! 機は熟した! 時は今! これより天人族に伝わる秘術を使う! 反撃の刻だ――――【ゾーン】っ!」



 そんな言葉が響き渡った次の瞬間、サシャの全身を異様な感覚が押し包んだ。

 どこに移動した訳でもないのに、まるで見知らぬ他人の家に突如として放り込まれたような、そんな不思議な感覚。だがそれから起こった周囲の反応はサシャとは全く別の、想像を凌駕したものだった。


 まず、戦場を埋め尽くすおびただしい数の死蟲の大群が、一斉に動きを止めた。

 それは戸惑っているようでもあり、初めて感じた恐怖という感情に怯えているようでもあり――



「術は成った! さあ、今なら奈落の先兵にも剣が通じるわ! 期限は一刻! ザヴジェルの勇士たちよ、今こそ存分に戦えっ!」



 続いて告げられた英雄の言葉に、兵士たちまでもが動きを止めた。

 まさか奈落の先兵相手にそんなことが出来るとは思ってもいなかったのだ。だが、そう高らかに宣言したのはかつてのカラミタ禍の英雄、最後の天人族の月姫だ。


 これまでの鬱憤を全て返すような、潮のような大歓声が境壁全域で湧き起こっていく。


 傷つき、奮闘虚しく倒れていった数多の戦友たち。その敵討ちが自らの手で出来るのだ。期限が一刻しかないとはいえ、これ以上の朗報はない。そしてそんな兵たちの盛り上がりは――



「そして我が友よ! 出番だ!」



 ――英雄の声に応じるように彼方から戦場に突撃してきた一団、その存在に気付くや否や、更に天をも揺るがすばかりに高まっていく。




「うおらあああ! 退け退け退けぇ! よくも好き勝手に暴れてくれたなぁあ!」




 月姫の合図に合わせ、死蟲ひしめく戦場を暴嵐のごとき凄まじい勢いで突撃してくるのは、屈強無比なケンタウロスだけで構成された一団だ。その先頭でひと際たくましい偉丈夫が青く輝く長大な神槍を頭上に高々と掲げ、裂帛の雄叫びを上げて鬼神さながらに疾駆してくる。


 立ちふさがる死蟲を片端から叩き斬り、突き殺し、跳ね飛ばし。


 そんな豪傑を先頭においたケンタウロスの精兵たちもまた、鋭利な三角形の突撃陣形を見事に維持しながらも暴れ回り、広大な戦場を瞬く間に縦断してくる。


「ち、父上……父上が、来てくれた…………」


 シルヴィエがぽつりと呟いた。

 その声には万感の想いが込められており、その感動が周囲の兵たちにも伝染していく。


「フーゴだ! <神槍>が青光傭兵団を引き連れて救援に来てくれたぞ!」

「<暴れ馬>だ! あのカラミタ禍の英雄がもう一人!」

「これで勝てる! 常勝奔馬がやってきた!」

「我らも打って出るぞ! まずは壁上の死蟲を駆逐しろ!」


 サシャの癒しで身体能力を倍加され、士気の面でも最高潮に燃え上がった兵たちの働きは凄まじい。元々がザヴジェルを守る誇り高き精鋭たちなのだ。この機を逃すかとサシャもまた戦いと癒しを再開し、死蟲の侵入路となっている巨岩蟲の残骸を見つけては片端から蒼き焔で燃え上がらせていく。


 サシャの中のあの不思議な力の流入はいつしか止まってしまっていたが、そのことに文句をつけるつもりはない。ましてや、あれが何だったのかなどと考えたりするのは今この場でやるべきことではない。


 今するべきこと。


 それはこの好機に乗り、徹底的に奈落の先兵を叩くことだ。体内の泉はいつしか七割方まで回復している。サシャは境壁上を所狭しと駆けまわりながら、更にそのギアを上げて戦いに没入していく。


 青の力の流入が止まり、その垂れ流しを止めた今、サシャの攻撃後に即座に死蟲が蒼き焔で消滅していくことはない。だがコツは分かった。要は力加減なのだ。サシャは死蟲の進入路となっている巨岩蟲には遠慮なく青の力を叩き込んで蒼く燃え上がらせ、なだれ込んでくる死蟲には状況に応じて青の力を使ったり使わなかったりで臨機応変に対応していく。


 そう。


 今は月姫のお陰でサシャが攻撃しなくとも兵たちの攻撃が普通に通じるし、その兵たちは憤怒に燃えて憎き奈落の先兵に猛攻撃を仕掛けていっているのだ。サシャの双剣だって普通に死蟲を切り裂ける。今こそ徹底攻撃の時なのだ。そして。


「伝令! 伝令! 西側第三通路からヘルベルト卿と近衛騎士団が打って出るぞ! 総攻撃だ! 出撃路外部の鎮圧急げ! 今なら矢が通じるぞ!」

「大盾隊刺又隊は手が空いた小隊から随時解散、元の所属に戻って出撃準備を整えろ!」


 幾人もの伝令兵が大声で叫びながら境壁上を駆け抜けていく。

 どうやらこの防衛戦の司令官もまた、この好機が最大の勝負どころだと判断したらしい。境壁上になだれ込んできた死蟲を撃退するだけでなく、野に満ちる大本を直接叩く方針に出たようだ。


「使徒殿! ここはもう私一人で充分! シルヴィエ殿、ヴィオラ姫と共に出撃を!」


 目まぐるしく境壁上を駆けまわるサシャに、イグナーツが叫びかけてきた。


 見れば死蟲の侵入路となっていた巨岩蟲の残骸はあらかた蒼き焔で燃え上がっており、境壁上の戦況も圧倒的有利な状況へと転じている。完全制圧も時間の問題だ。冷静な樹人族剣士もまた敏感にそんな戦況を察知し、この場に最適な判断を下したのだろう。


 そうとなれば。

 サシャは戦いの手を止めずに、自分同様に八面六臂の大活躍をしている二人に腹の底からの大声で呼びかけた。


「シルヴィエ! ヴィオラ! 行ける!?」

「聞かれるまでもない! こんな狭い場所より平原の戦いこそがケンタウロスの真骨頂! 行くぞ!」

「はいサシャさま! 千載一遇のこの好機、共にこの地から奈落を駆逐しましょう!」


 疲労を微塵も感じさせない力強い返事が返ってくる。

 特にシルヴィエの喜びようが凄い。拡張されたとはいえこの狭い境壁上での戦いは彼女に無形のストレスを強いていたのであろう。そこに外の荒野で縦横に暴れ回る同族戦士たちの姿を見、血が騒いでいたに違いない。


「じゃあ行こう! シルヴィエ、お父さんにいいところを見せつけるチャンスだよ! ヴィオラ、一緒に奈落をやっつけよう!」

「応ッ!」

「はいっ!」


 サシャは大きく息を吸ってもう一度境壁上を見渡し、戦況に間違いがないことを確認する。問題はない。ならば今こそ皆で打って出る時だ。


「よし! イグナーツさん、後の守りはお願い! さあ総攻撃だ!」


 サシャたち三人は一気に出撃場所、西側第三通路へと駆けていく。境壁の拡張部分を風のように走り抜け、階段を駆け下りて、大勢の騎士たちが出撃のために集結しているその場所へ――


「開門! 開門! これより総攻撃に移る! 者共、制限時間は一刻だ! それまでに憎き奈落の先兵どもを一匹でも多く地獄に送り返せ!」

「間に合った! ヘルベルトさん、加勢するよ!」

「おお神父殿がた! 共に出撃してくださるか! いいか者共、諸神の加護はまさしく我らの元にあるのだ! クラールの聖光の下に邪な蟲を滅しつくせ! いざ、出撃!」


 ウオオオオオオオオオオッ!


 主戦場から僅かに離れた場所に作られていた堅牢な門扉がゆっくりと開かれ、天を突く大喊声と共にザヴジェルの精鋭たちがなだれ出ていく。


「おおお! 我が剣を喰らえ蟲けらめ!」

「片端から屠れ! 一匹たりとも逃すな!」

「我らがザヴジェルを滅ぼされてたまるか! 思い知らせてくれる!」


 眼前に広がる未だ死蟲に覆いつくされた死の大地を、怒涛の勢いで突き破っていく兵たち。そこに一片の躊躇も慈悲もない。戦友を殺された憤怒を、自らの故郷そしてそこに暮らす民を守るという強い決意を、ようやく通じるようになった己の剣に込めてひたすらに叩きつけていく蹂躙劇だ。


「私も加勢するわよ!」


 そこに天人族の小さな英雄が、上空から嵐のように参戦してきて。


「どけどけどけぇ! 私の前に立ち塞がれると思うなぁあああ!」


 馬蹄の音も高らかに、疾風迅雷の槍捌きを見せるシルヴィエが戦場を鬼神のように疾駆していき。


「ザヴジェルに仇なすものは許しませんっ!」


 緑白の魔剣を無拍子で立て続けに振るうヴィオラが、まるで何人にも分身しているかのように片端から死蟲を斬り飛ばしていて。


「やあああああ!」


 そして全身を神々しき青の聖光で包んだサシャが、その双剣で触れる端から蒼き焔で敵を焼き尽くしていく。


 攻守が入れ替わった戦場の喊声はますます高まり、鬱憤を晴らすかのような猛攻撃は留まるところを知らない。


 そうして乾坤一擲の大逆襲はしばらく続き――






 彼らザヴジェルの精鋭たちは、期限となる一刻をギリギリまで活用し、三度目となる奈落の侵攻を見事粉砕してのけたのである。






 しかも今回は、単に相手を撃退したのみではない。

 屠った奈落の先兵の数、実に万を軽く超える。それはハルバーチュ大陸における奈落との戦いにおいて、史上初となる歴史的な大勝利であった。



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