56話 再会(前)

「おお、シルヴィエじゃねえか! 見てたぞ、立派になったなあ!」

「ち、父上……わた、私は誇れる娘に、な、なれたのだろうか――」

「ジルヴィエェ、よがったねえ……おどうざんがジルヴィエのごど、立派だって……」


 戦勝に沸くザヴジェル独立領南部境壁の、南方駐留部隊本部にある一室で。


「おうとも! お前はよく頑張った。父さんは誇りに思うぞ」

「ち、父上――」

「ジルヴィエェ、おどうざんがジルヴィエのごど、誇りに思うって……」


 戦後処理と今後の方針策定で忙しい騎士団の重鎮たちから暇をもらったサシャたちは、救援に駆けつけたカラミタ禍の英雄、<月姫>ダーシャと<神槍>フーゴらと改めて別室で顔合わせをしていた。


「……ちょっとサシャあんた、せっかくの親子の再開が台無しじゃないかい。解説はいいから二人にしてやんなよ」

「だってジルヴィエがあ……あんなに慕っていたおどうざんにぃ……」

「はああ、駄目だこりゃ。とりあえず英雄様たちにこっちの自己紹介を済ませちまおうか」


 盛大に溜息を零すのは、もはやサシャのお目付け役となりつつある<幻灯弧>のオルガである。


 この場にいる彼女側の人間はサシャとシルヴィエ、そして神剣使いのヴィオラとイグナーツ。バルトロメイも来る予定だったが、例によって顔見知りの騎士団幹部に引きとめられ、今頃は<連撃の戦矛>の戦士たちの夜警割り当てについて折衝している頃だろう。


 そんな顔ぶれのうち、幾人かは天人族のダーシャとケンタウロスのフーゴとはほぼ初対面である。オルガの話の口切りに乗った双方ともに面識を持つヴィオラが、サシャの様子に微笑みながらも会話の流れを誘導していく。


「うふふふ、サシャさまったら。……ダーシャさま、ご無沙汰しております。この度は無理な救援ありがとうございました。自己紹介といっても、この場にいる中でお二人の面識がないのは――」


 ヴィオラが上品に微笑んで、該当する当人に順に視線を送った。


「あたいはオルガ。見てのとおりダークエルフで、<幻灯弧>っていうハンター系魔法使いクランの代表さ」

「私は大地神UbboSathlaの神剣を護る樹人族の禰宜イグナーツ。以後お見知りおきを」


 オルガとイグナーツの二人が順番に口を開き、英雄二人も同様に自己紹介を返していく。


「私はダーシャ。天人族ヤーヒムの娘というだけの、英雄でも何でもないただの子供よ。そんなにかしこまらないでくれると嬉しいわ。よろしくね」

「俺はフーゴだ。やっぱり英雄なんて柄じゃねえから気楽に話してくれ。それと、お前さんたちは俺の娘、シルヴィエの仲間ってことか? この子をここまで立派に導いてくれて感謝の言葉もねえ。俺に出来ることがあったら遠慮なく言ってくれな」

「父上……」


 シルヴィエが言葉を詰まらせているが、まずは滞りなく挨拶が交わされていく。そして。


 残ったもう一人、ある意味で一番重要な神父姿の少年は。


 未だケンタウロス親子の再会の感動の余韻に浸り、心ここにあらずといった態でカーヴィを抱き締め、ぐずぐずと鼻をすすっている。そんなサシャの様子にちらりと目を遣ったヴィオラが、気遣わしげに天人族のダーシャに向き直った。


「ダーシャさま、それでその、サシャさまのことは……?」

「ああヴィオラ、よく連絡をくれたわ。間違いない、彼が神隠しにあった件の赤子よ」


 ダーシャが力強く頷き、事情を知らされていたヴィオラ以外の面々が一斉に息を飲んだ。大陸南方出身のイグナーツですら目を丸くしている。それだけ今の発言の衝撃が大きかったのだ。


 まさか。

 そんなことが。

 二十年を経た今になって。


 オルガ、シルヴィエ、イグナーツの三人の顔に、言葉にならない同じ驚愕が浮かんでいる。


 けれどもダーシャの隣のもう一人の英雄、フーゴがその野趣溢れるひげ面をがりがりとしごきながら、あっさりと追認の言葉を連ねてしまった。


「だな。瞳の色がどうこう言う前に、そもそもがリーディアの奴に生き写しじゃねえか。ローベルトの爺さんに会わせたら大喜びするだろうな。それに尋常じゃない青の力の持ち主なんだろ? それで決まりだ。なんでそんなけったいな神父の格好をしてるのかは分からねえが、間違えようがないぐらいに――」






 俺たちの無二の仲間、ヤーヒムとリーディアの忘れ形見だ。






 最後はそう静かに言い切ったフーゴに、一同は止まっていた呼吸を喘ぐように再開して口々に驚きの声を漏らした。


「ちょ、ちょっと待っておくれ。あんたたち、本気でサシャが例の神隠しの赤子だって言ってるのかい!?」

「ま、まさかヤーヒムとリーディアってのは――」

「そうよシルヴィエ、カラミタ禍の四英雄の残りの二人ね。この子は間違いなく初代天人族のヤーヒム父さんと、ハイエルフの血を汲む名族シェダの直系、ケイオスの巫女ことリーディア母さんの息子よ」


 再び、しん、と静まり返った室内に、あまりの展開に涙がぴたりと引っ込んだサシャの、最後の名残りとなる鼻をすする音が響く。


 彼の頭の中には、特大の嵐が吹き荒れている。


 少し前からこのダーシャという英雄は自分のことをお姉ちゃんだと言い張っていたが、正直なところそこまで本気にしていなかった。なにせ相手は翼を持つ稀少種族である。サシャには翼がない。この子供姿の英雄が何を言おうと、結局のところそれが全てを物語っていると思っていたのだ。


 が、ここにきてもう一人の英雄、シルヴィエの父親フーゴまでが間違いないと断言しだした。


 そして明かされた両親の名前。まさかそこまで大物っぽい名前が並ぶとは思いもしていなかったが、天人族とエルフ系の混血ということで、サシャの論理が根底から揺さぶられてしまった。翼のない種族との混血ならば、子供に翼が引き継がれない可能性だってあるからだ。


 そして何より、忘れ形見という言葉につきまとう嫌な連想と、それを口にしたシルヴィエの父親フーゴの沈痛な表情。せっかく自分の親かもしれない人の名前が分かったのに、もしかしたらその二人は――



「――この子の本当の名前はアレクサンドルよ。なんでサシャなんて愛称を正式な名乗りにしているのかは分からないけど、ようやく見つけたわ」

「ああ、長かったなあ嬢ちゃん。これでやっとあの二人に顔向けができるってもんだぜ」


 サシャの動揺をよそに、ダーシャとフーゴの二人はどんどん話を進め、しみじみと頷き合っている。そこにひと足早く衝撃から立ち直ったらしきオルガが、世故に長けた彼女らしい気遣いを切り出した。


「お二人とも、事情は分かったよ。とんでもなく驚いたけどね。ここで本当は明日からのことやら何やらを話し合おうと思ってたんだけど、何だったらあたいたちは席を外すから、少しサシャと話すかい?」

「あら嬉しいことを、ありがとうオルガさん。確かにこの子には色々と聞きたいことがあるのよ」

「くくく、やっと見つかった弟だもんなあ。いいぜ、嬢ちゃんはまず二人でゆっくり話せばいいだろ。積もる話もあるだろうしな」


 ひげ面ケンタウロスのフーゴがざっくばらんな笑みを漏らし、それによ、とシルヴィエに向き直って慈しむように笑いかけた。


「ま、俺もシルヴィエともっと話したいし、俺はここで皆と明日からの打ち合わせをしながら待ってるわ。そっちもあんまり遅らせるわけにもいかないし、これだけの人数が集まれる部屋も他に知らないしな。嬢ちゃんは自分の部屋で話してもらってもいいか?」

「そうねフーゴおじさん、それがいいわ。ありがとう。皆さんもそれでいいかしら?」


 口々に賛同の言葉が返され、サシャは気持ちの整理がつかないまま全員の視線に促されて立ち上がった。


 天涯孤独の孤児として育ち、心ひそかにあれだけ憧れていた家族というもの。

 それが唐突にこうして、あれよあれよという間に巡り合ってしまった。正直なところ、サシャは未だ半信半疑である。


 これからダーシャという名の姉らしき英雄と、何を話せばいいかなんてさっぱり分からない。


 さっきチラリと零れた情報によれば、ダーシャどころか両親まで揃って英雄というなんだか雲を掴むような話である。それが本当であればサシャもまた英雄の仲間ということになって、こんなに英雄が大盤振る舞いされてしまっていいのか、そんな頓珍漢なことまで頭に浮かんでは消えていく。


「あー、なんか畏れ多い気しかしないんだけど…………本当に間違いじゃない?」


 サシャ本人は未だ気づいていないが、今日の戦いでサシャの名声はまた確実に高まっており、すでに『クラールが遣わした、<救世の使徒アパスル>』という謳い文句と共に英雄視が始まっていたりする。


 そこに、今この場でなされた話――そんなサシャが前代のカラミタ禍の英雄たちの子供だったという話――が広まれば、ザヴジェル全土が空前絶後のお祭り騒ぎとなるだろう。暗く厳しい話題ばかりが多いこの末世に、久しぶりに降ってわいた人々を勇気づける話なのだ。


「……うふふ、サシャさまったら。その辺りも含めて、お姉さまとゆっくりお話ししてくればいいのですよ。ザヴジェル本家を代表して、わたくしヴィオラが心からお祝いを申し上げますわ」

「サシャ、良かったじゃないか。あれだけ欲しがっていた、本当の家族が出来たんだな」

「本当の、家族…………」


 シルヴィエの言葉に、未だ半信半疑のサシャの中で何かが弾けた。


 本当の、家族。


 胸の奥が勝手にきゅうっと締め付けられ、サシャは恐るおそる自分より随分と背の低い少女の顔を覗き込んだ。なんだか胸がいっぱいになって、今度は違った意味で言葉がうまく出てこない。


「さあ行きましょ、アレクサンドル。お姉ちゃんの後にしっかりついてくるのよ?」


 サシャは無言でこくりと小さく頷いて、翼を畳んだ天人族の英雄の後ろについて皆のいる部屋を後にした。


 その手からカーヴィがするりと抜けだし、先行するダーシャの肩に呼ばれてもいないのに飛び移ってじゃれはじめた、その意味には気づかないままに。





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