第十四章ー希望が生まれた地へ

第六十七話



 もうずっと忘れていた事だ。

 どうして忘れていたのか、今となっては覚えていない。

 それでも、とても大切な記憶だった。



 奥出雲。

 青々と繁る山の裾野にその里はひっそりと存在していた。

 遥か昔。この日ノ本に製鉄の技術が伝わったその頃から続く、刀工の一族。

 彼等は、魔を祓う刀を拵え、日ノ本の裏を支える者達の一角であった。


「莉桜、莉桜―もう、どこ行っちゃたのかしら…」

 母の呼び声を遠くに聞きながら、莉桜は森の中を親友と共に散策していた。

 その時は、丁度神戸に住む雪那が訪ねてきていたのだ。

「いいのりおう、お母さま呼んでるよ?」

「平気だよ。里の直ぐ近くだもん」

 連れだって歩く雪那を振り返り、莉桜はにやりと笑うと、また何処かを目指して歩いていく。

「どこ行くの?」

「この先に大きな洞窟があるの。ゆきなが来たら探検しようと思ってたんだ」

 ニヤリと肩越しに笑う莉桜の様子に、雪那は小さな肩を竦めた。

 やがて二人がやってきたのは、里から少し出たところにある、大きな洞窟。

「昔、神様が暮らしてた場所なんだって、父さんが言ってた」

「いいの?入って」

 自信満々に語る莉桜をよそに、雪那は眉を顰めた。神様が暮らしていた、と伝わる場所なら、そこは神域である。そんな場所に儀式や祭事でもないのに入っていい物か。

 疑問符を雪那が浮かべていると、莉桜は親友の手を取り、洞窟の中へずかずかと入っていく。

「ちょっと、りおう」

「ゆきなだって、気になるでしょ?こんなワクワクする場所」

「そりゃ、気になるけど…暗い所あんま好きじゃないよ…」

 莉桜に引っ張られるまま、雪那は自分の意思に反して洞窟の中を進んでいく。

 やがて、開けた場所に出ると、そこには注連縄の撒かれた巨大な巌が現れた。

「わあ、これが星の巌」

「ほんとにあったんだ…」

 目の前にある巨大な巌を前に、莉桜と雪那は目を見張った。

 その岩に、一振りの太刀が突き刺さっている。

「あれ、何だろう…」

「え?莉桜…?」

 ふらふらと、まるで何かに吸い寄せられるように進んでいく莉桜に、雪那は困惑した。

「まずいよ、近づいたら」

 慌てて止める雪那をよそに、莉桜は巌の方へと進んでいく。

 注連縄を切らないように、岩に登り、割れ目に突き刺さった太刀に、小さな手が触れる。

「っ⁉」

 バチンと、弾けるような衝撃と共に、巌の割れ目から刃がするりと浮かび上がる。

 遠くで見ていた雪那には、岩に突き刺さった刀を莉桜が引き抜いたように見えた。

「取れた…」

 手の中にある太刀を茫然と見つめてから、莉桜は雪那の方を振り返った。

「凄い…抜けちゃった」

「わあ、さっきまで突き刺さってたよね?」

 巌から降りてきて太刀を見せる莉桜に、雪那は首を傾げて尋ねた。

「キラキラしてる。お月様みたいだね」

「岩に突き刺さってた剣を抜くって、前にお父様がお土産にくれた本の中にそんなお話があったよ。エクスカリバーって、いうの」

「じゃあ、これは、エクスカリバーだね」

 巌から抜けた太刀を前に、莉桜と雪那は無邪気に笑い合った。


 それが、聖剣・神刀三日月との出逢い。

 雪那が魔術炉に放り込まれ、聖剣・神刀刹月の刃が失われた一年後の事であった。





 帝都での一件を終え、莉桜達が逢坂へと戻ってくると、出発の時にはまだ闊歩していた怪夷の姿はなくなっていた。

 けれども、大阪城の蒸気炉爆発と怪夷の襲撃の爪痕は未だ色濃く、逢坂の中心部は焼け野原と化していた。

 変わり果てた逢坂の街を横目に歩き、五人は人工島に設置された軍警仮本部へと舞い戻った。

「怪夷の襲撃は貴方達が御所での魔術炉を止めた後、完全に停止しました」

「じゃあ、やっぱりあの怪夷達はメルクリウスが仕掛けてたってことですね」

 帝都から逢坂へ雪那を連れて戻って来た莉桜は、斎藤から聞いた様子に相槌を打った。

「恐らくはそうでしょうね…」

 莉桜の見解に斎藤は渋い顔をしながら頷く。

「メルクリウスが消えた事で、一先ず逢坂の街から怪夷は消えた。まあ、蒸気炉がないからどこまで復興できるかは分からないが、やるしかないだろう」

「だが、このまま奴を野放しには出来ねえ…」

 齋藤を初め、永倉と土方が難しい顔を突き合わせているのを、莉桜と雪那は横から見つめる。

「あの、一つ提案なんですけど」

「なんだ?」

 胸の前で手を上げて発言をしようとしている莉桜を、土方は肩越しに振り返る。

「聖剣が揃った今、江戸城にあるとされる魔術炉が怪夷を生み出している元凶なら、帝都でやったみたいに、魔術炉を破壊すれば日ノ本から怪夷を一掃できるのかなって思うんですけど…」

 大災厄は江戸城に建設された魔術炉が暴走した事により、引き起こされた。

 その副産物である怪夷の発生を食い止めるには、発生源とされる魔術炉を破壊すればいいのでは、と莉桜は考えていた。

 莉桜の提案に、その場にいた誰もが手を打った。

 だが、土方は1人渋い顔をして莉桜を見据えた。

「理屈は分かる。だが、江戸は怪夷の巣窟、そうやすやすと入れねえぜ。それでも行くのか?」

「やってみる価値はあるかと。それに、いつまでもこんな化物に脅えて暮らすよりはずっといいと思うんです」

「確かに、聖剣には怪夷を祓う力があります。本来の数である五本が揃った今なら、魔術炉を浄化できるかもしれませんね」

 莉桜の提案を受け、土方や斎藤はそれぞれの意見を口にする。

「…理論は間違っていない。だが、聖剣だけでは不十分だ」

 莉桜達が話している部屋へ、レオと共に秋津川公爵が入ってくる。

「不十分って、父さんそれ、どういう意味?」

 父親の発現に眉を顰め、雪那は疑問を投げかけて。

「確かに持ち主を定め、核が意思を持った姿で顕現しているとは言え、今だその聖剣は真価を発揮できる状態ではないという事だ」

 秋津川公爵の発現に、その場の誰もが目を見張り、莉桜を初め聖剣を携えた全員が、各々の動物たちに目を向けた。

「そうなん?三日月?」

『ああ、えっと…僕、それ、詳しく知らない…』

 すすす、と、莉桜から逃げるように主の首の後ろに三日月は隠れる。

『オレがそうだったように、現在聖剣にはそれぞれ制約がされているんだ』

 三日月に助け船を出したのは、雪那の肩に飛び乗った刹那だった。

「どういう事?刹那に制約がかかってたのは、僕の魂と融合してたからでしょ?」

 キョトンと小首を傾げる雪那の疑問に、刹那は小さく首を振る。

『確かに、オレの場合は雪那と身体や魂を共有していたから、刃が失われてたけど、元々聖剣はその力を抑え込んで帝に献上されたんだよ』

 とんと、地面に降り立ち、ゆらりと尻尾を揺らしながら刹那は朔月、暁月、弦月の三匹を見やる。

『そうなんですわ。まあ、理由としては、主が定まらん状態のうちらを誰か分からんヒトが使っても、問題ないようにされとったんですわ』

 ポンと、尻尾を叩いて弦月は刹那の説明の後に続く。

『だけど、ようやく主様が定まったことで、私達もその真価を発揮できる状態にあるって訳ですわ』

『俺はその辺の話、もう覚えていないけど、力を完全には出し切れてないのは確かかな』

 三匹の発現に、莉桜と雪那は二人揃って考え込む。

「じゃあ、その制約を解かなきゃならないのか…」

「でも、どうやって解くん?雪那の時みたいに三日月で刺すとか?」

 雪那から刹那を引き離した時の事を思い出し、莉桜は眉を顰める。

「方法はともかく、その話だと三日月も刹那もまだ全力出せる状態じゃないってことでしょ?この先本気で元凶を断ちに行くなら万全の体制ではいたいよね」

「朔月達はその方法は知らないのか?」

 悠生の問いに、朔月を初め聖剣の核達は互いに顔を見合わせる。どうやら、本人たちもその方法は知らないらしい。

「まずは、その制約の解除からか…何か手がかりは…」

 五人と五匹の話を聞いていた土方は、眉間に皺を寄せて顔を俯ける。

 その場の誰もが頭を悩ませていると、コンコンと、ノックの音が響いた。

「方法は知らないが、出来る人物に心当たりがある」

 扉を開き、中に入ってきた人物に、その場の誰もが目を見張った。

「高杉さん!」

「戻ってたんですね」

 驚愕と歓喜に満ちた声に、高杉はにやりと笑って挨拶代わりに右手を挙げる。

「お前、今までどこに…」

「武器の手配や人員確保やら色々駆け回ってたんだよ。これから江戸に殴り込みに行くのは予想がついてたからな」

 渋い顔をする土方に、高杉はにやりと口端を釣り上げて答えると、莉桜と雪那の傍へ歩み寄った。

 莉桜の前に立つなり、高杉は真っ直ぐに彼女の翠の瞳を見つめ、静かに唇を持ち上げた。

「奥出雲、九頭竜の故郷に聖剣が生まれた経緯を知る人物がいる。その人に会いに行ってみないか?その間に、江戸での決戦に備えての準備をしてもらう」

 突然の提案に、莉桜は驚いて息を飲む。予想だにしなかった場所の名に、困惑気味に莉桜は顔を曇らせた。

「私の故郷って、焼けて何も残ってないよ…」

 哀しげに目を細め、提案に莉桜は戸惑った様子で視線を彷徨わせる。

 そんな彼女をよそに、高杉はにやりと不敵に笑った。

「それがな、あんたの他にもいたんだよ生き残りが」

「え?」

 高杉の口から出た言葉は、思わぬ朗報だった。

「嘘?生き残りがいた?だって、あそこは怪夷とソウジ達の襲撃で全部燃えて…」

 狼狽する莉桜の脳裏には、かつて見た炎に包まれる故郷の姿が浮かぶ。

 怪夷に喰われる人々。黒き刃の凶弾に倒れる里の者達。

 全てが灰と化したと思い込んでいた莉桜にとって、高杉がもたらした情報は信じがたいものだった。

「会えばわかるんじゃないか?」

 困惑する莉桜に高杉は意味深な言葉を掛ける。

「高杉さんはその人が私の知り合いだって、分かってて言ってるんやよね?」

 混乱する頭を奮い立たせ、莉桜は真っ直ぐに高杉を見上げる。

 自分を見つめる彼の眼差しには一片の曇りもなく、むしろ自分を信じろと強く言っているように感じられた。

「俺も、最近になって知ったからな。まあ、刀工、九頭竜桃真(くずりゅうとうま)が娘に残した最期の贈り物だと思って、行ってみないか?聖剣を生み出したもう一つの始まりの地に」

 優しく、促すように高杉は莉桜の肩に手を添える。

 高杉が出した提案を受け入れるかどうか思案するように、莉桜は雪那や悠生、猛や雨を見やった。

「なるほど、聖剣の生まれた場所か。絶望の始まりが江戸なら、希望の始まりが出雲って訳だね。莉桜、高杉さんについて行ってみようよ」

「雪那…」

「そうですよ、聖剣が生まれた場所なら、何か手がかりが見つかるかと」

「俺も、莉桜さんの故郷を見てみたいな。たとえ悲しい事があった場所でも、貴方にとっては大切な故郷なのだから」

「大丈夫、僕たちがついてるよ、莉桜さん!」

「みんな…」

 雪那を筆頭に、猛、悠生、雨の励ましと促しに莉桜は溢れんばかりに目を見開くと、ぐっと、唇を引き結んだ。

「分かりました。高杉さん、連れて行って下さい。私の故郷、奥出雲の刀工の里へ」

「ああ、任せとけ。必ず送り届ける」

 決意を固めた莉桜の意思を尊重するように、高杉は力強く頷いた。





 


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