第六十八話
逢坂を立ち、神戸から岡山、鳥取を経由し、松江にて汽車を降りた莉桜達五人は、高杉の先導の下、出雲国の奥地へと進んだ。
甲斐川を遡り、山間部を超えていくと、そこは古より神々が住まう幽世と呼ぶに相応しい世界が広がっていた。
山々を覆う木々は青々と繁り、立ち込める白い霧が、外界との境界線を引くかのように漂っている。その様子は、見る者にその場所の幽玄さを物語っていた。
ひんやりと張りつめた空気が全身を見たし、奥へ奥へと進む度、何かに試されているような感覚が襲ってくる。
やがて、山と山の間にひっそりと隠れるようにして、開けた土地が現れた。
「あれが、刀工の里…」
霧の合間に見えてきたその場所を前に、悠生がぽつりと独り言ちた。
「出雲は昔からたたら場、大陸から伝わった鉄の生成技術の発達した土地だったんよ。鉄の産出量も多かったし、ここは、日ノ本における刀剣の始まりの地。今は各地に名匠が生み出した流派の工房がいくつもあるけど、いまだに刀剣を作る玉鋼はこの出雲の地から各地に送られているんよ」
悠生に説明をして莉桜は、身軽に岩肌の坂道を下っていく。
その後を、雪那や悠生達も足元を気にしながらついていく。
「景色は昔と変わらないね…」
幼い頃の記憶をたどるように、馬に乗った雪那が辺りを見渡して呟くと、莉桜も小さく頷いた。
メルクリウスが仕掛けたソウジ達の襲撃で里は見る影もなくなってしまっただろうが、その周りを包む山々や自然は今も変わらぬ姿を残していた。
それだけでも莉桜にとっては心の拠り所だった。
「ほら、ついたぞ」
高杉の声に、坂を下り切った一行が目にしたのは、石の積みあがった門のようなものだった。
それが、里への入り口だという事は、一目でわかる。
「あれ…」
ふと、懐かしさに目を細めていた莉桜は、門の柱を繋ぐようにつけられた真新しい注連縄と紙垂(しで)に、首を傾げた。
「莉桜?」
「あの注連縄…まだ新しい…」
茫然と門を見上げている莉桜を、高杉は背中を叩いて先に進むよう促す。
それに押される形で莉桜はゆっくりと門を潜った。
莉桜と高杉に続きて、雪那達も門を潜る。
しばらく長い一本道を歩いていくと、視界が一気に開けた。
そこは、かつて里があった事を思わせる開けた場所だった。
田んぼや畑はもう何年も人の手が加えられていない為か、雑草が生い茂り、荒れ果てている。
至る所に炭となった木材が転がり、火事の痕を色濃く残した黒い焼け跡や、崩れかけた家屋が点在していた。
「ここが、莉桜さんの故郷」
「かつて、魔を祓う刀剣を打ち出すと言われた刀工の里…」
五年経った今尚、生々しく残る火の痕に、悠生や猛、雨は息を飲んだ。
「莉桜さん…」
あまりの悲惨さの残る現状に、雨は気遣うように莉桜を見上げた。
雨の視線の先には、久しぶりに帰ってきた里の惨状を前に、ぐっと唇を引き結ぶ莉桜の姿があった。
拳を握り締め、感情を押し殺している莉桜の肩を、悠生はそっと寄り添って肩を抱き締める。
「大丈夫ですか?」
心配げに莉桜の顔を覗き込んだ悠生は、莉桜が何かに驚いているのを見て、彼女が見つめる方へ視線を向けた。
「おかしい、私が故郷から逃げる時は、この辺りに沢山屍が転がってたのに…それが何処にもない…」
自分が思っていた光景と違う景色に莉桜はきょろきょろと辺りを見渡した。
「莉桜、たたら場の方から煙が上がってる。あれ、どう見ても炉の火をくべてる時の煙じゃない?」
周囲を注意深く見渡していた雪那は、里の奥、炭と化した家屋の向こうに真新しい白い煙が上がっているのを見つけ、莉桜へ報せた。
「あそこは、鍛冶の工房がある辺り…なんでそんな所から煙が…」
予想外の光景に驚いていると、先に進んでいた高杉が、笑みを浮かべながら莉桜達を振り返った。
「なあ嬢ちゃん、聖剣があったにしろ、逢坂で執行人達が使っている武器が、どうして怪夷専用のものなのか、疑問に思わなかったか?」
たたら場から昇る白い糸のような煙を見つめ、高杉は淡々と語りだす。
「怪夷討伐を目的とした刀剣や武器を作れたのは、この奥出雲の刀工一族だけだった。その彼等がもし滅んでいたなら、怪夷を倒せる武器なんてとっくになくなってたんだよ」
「あっ」
高杉が示す言葉。それをまるで確かめるように莉桜は立ち昇る白い煙を目印に、駆け出した。
「莉桜」
唐突に駆け出した莉桜を、雪那を含めた四人が追いかける。
煤に汚れた里の中を駆け抜け、中心から少し外れたその場所へ、莉桜は記憶を頼りに駆け抜けていく。
やがて、小高い丘の上に建てられた建物の前で、莉桜は思わず足を止めた。
「ああ。ああ…」
茅葺の屋根を有した建物は、かつて己が育った里の象徴だった。
熱い火の粉が舞い、高温に熱せられた鉄が生き物の如くうねる炉を湛えた場所。
鉄を生成し、玉鋼を作り出す聖域であるたたら場の入り口に立っていた人物を見つけるなり、莉桜は口元を押さえてその場に立ち尽くした。
「五年の間に、美しくなられましたな。莉桜様」
たたら場の入り口に立っていたのは、柿色の袖なしの羽織を纏い、白髪交じりの髪を頭の上で結い上げた初老の男。
好々爺といった様子で感極まっている莉桜を見つめ、男は嬉しそうに目を細めた。
「柳楽の小父さん…!?」
「儂の事を覚えておいでだったか」
入り口に立つ男の下に、莉桜は弾かれるように駆け寄った。
「無事だったんやねっ」
駆け寄ってきた莉桜に柳楽と呼ばれた男は優しげに微笑んだ。
「お陰様でな。師匠に生かされた。ようやくその恩を返せる時が来たようじゃな。ほれ、お前もさっさと出てこい」
ちらりと、柳楽はたたら場の中を振り返る。
その声に応じる声が返ってきて、莉桜は薄暗い中を覗き込んだ。
火を焚く蒸気の煙と熱気で霞んだ中から、ゆっくりと、1人の青年が歩いてくる。
肩口まである黒い髪を無造作に束ね、袖のない小袖と裾を絞った袴を身に着けた十代後半の青年。
陽光の下に出てくるなり、彼は翠の双眸でたたら場の前に立つ莉桜達を見つめ、呆れた様子で肩を竦めた。
「嘘…生きて…」
現れた青年を前に、莉桜は唇を震わせ、目元に涙を滲ませてついにその場に座り込んだ。
「相変わらずだな、姉貴は」
肩を竦め、ぶっきらぼうに呟くなり、青年は座り込んだ莉桜の前に腰を屈めた。
「久しぶり、元気そうだな」
「桃夜、あんた生きてたの!」
目の前に突如現れた、死んだと思っていた弟の姿に、莉桜は鼻声なのも気にせずに声を荒らげた。
驚愕と感極まっている姉に、九頭竜桃夜は照れながらも嬉しそうに微笑んだ。
「桃夜君、生きてたんだ」
「雪姉えも久しぶり、相変わらず姉貴共々冴えない顔してるな。男できたの?」
座り込んだ莉桜を支えて立たせながら、桃夜はニヤニヤとしながら雪那を見る。
「うっさい。でも、無事でよかった…」
軽口を叩く桃夜に反発しながら、雪那は馴染の青年の無事を素直に喜んだ。
「莉桜さんの弟さんって僕と同い年じゃなかったの?」
莉桜が感動しているのを見つめ、雨はぽつりと呟いた。以前、莉桜から聞かされていた弟の歳は、自分と同じだと聞いていた。
だが、目の前に現れた青年はどう見ても自分より歳上である。
その現実が雨には腑に落ちなかった。
「あ、それ多分莉桜の勝手な妄想…実際は二つしか離れてなかったし、死んだのが雨と同じ年くらいの頃」
「それって、ただの記憶違いじゃないですかっ」
雪那の補足に、雨は自分でもよく分からず頬を膨らませた。実の弟と他愛ない会話を交わしている莉桜の姿に、何故か寂しさが募り、突然現れた青年に嫉妬のような感情が浮かぶ。
「雪那様も、お変わりないようで安心しましたわ」
「柳楽さんって、莉桜の父君の一番弟子でしたよね?」
「左様。師匠からいずれ莉桜様と雪那様が訪ねてくる事を見越し、儂はこうして生かされたのです。お二人が聖剣を携え、戻ってきたという事は、時が来たという事ですな」
莉桜と雪那が携えたそれぞれの聖剣を見やり、柳楽は深く頷く。
「初めて見るそこな男(おのこ)達は、聖剣の使い手に選ばれた者達でよろしいだろうか?」
「うん。朔月、暁月、弦月。三振りとも主を見つけた。制約がかかっているからそれを解きたくて戻って来たんだけど…」
ここへ来た理由を莉桜は手短に伝える。
「そうか、帝へ献上されてからその行く末を案じてはおりましたが、聖剣自身が選んだ主達なら問題ないでしょうな」
莉桜と雪那の向こうにいる、悠生、猛、雨の三人を順番に見詰め、柳楽は嬉しそうに頬を緩ませた。
「聖剣に施された封を解く前に、皆様に見て頂きたものがある。こちらへ」
そういって柳楽はたたら場の入り口から離れると、更に裏にある山の方へと歩いていく。
柳楽の後をついて、莉桜達は里から少し離れた場所へと向かった。
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