第十二章ー逢坂炎上

第五十六話


 雪那に猛との会話を聞かれた事を、土方は少しだけ後悔していた。

(俺とした事が...)

 煙草を咥え、火を付けながら溜息を吐く。

 猛に雪那の事を聞かれた流れは良かったのだ。丁度、話そうとしていた矢先だったから。

 まさか、猛が自分から聞いてくるとは予想外だったが、それでも、彼なりに覚悟を決めて秘密の門戸を叩いたのだ。その行動力は軍警にいた頃にはなかった成長だった。

 だが、猛が自分の命令で動いていた事を雪那に知られたのはまずかった。

 いずれ、時を見て話すつもりでいた。その順番が崩れる事は、彼女に相当の負荷を与える事になるのは、分かっていたのに。

(俺も歳を取って、詰めが甘くなったな...)

 紫煙と共に溜息を吐き出した土方は、ふと軍警本部のエントランスが騒がしくなっているのに気が付いた。

 受付では、水原情報屋事務所の腕章を付けた十代半ばの少年二人が、何かを訴えている。

 彼等の表情は緊迫と不安で強張っているのが、ここからでも見て取れた。

「お願いします。誉さんを探してくださいっ」

「昨日の夕方から行方不明なんです」

「落ち着いて下さい、まずは状況の説明を」

 受付の隊員が少年達の話を聞いている。だが、少年達の必死さに押されて、うまく対応出来ていないようだ。

 やれやれと、溜息を吐き、土方は煙草を消してエントランスへ入った。

「おい、風祭がどうしたって?」

 土方が助け舟を出すより先に、丁度通りかかった永倉が、受付の隊員と少年達の話に首を突っ込んだ。

 それを、土方は本部の入口から眺める事にした。

(風祭が失踪?)

 脳裏に、先の作戦での誉の顔が浮かぶ。親にも等しい存在と血を分けた兄弟、多くの仲間を失った彼が、忽然と姿を消した。

(...何事もなければいいが...)

 胸中で焦燥を感じ、土方は眉を顰めた。




 ぴたりと、思考が停止する。

 目の前で繰り広げられた事実を、莉桜は受け入れる事が出来ずにいた。

 それは、莉桜が凝視する先にいる悠生もまた、同様だった。

 これまでひた隠しにしていた秘密が露見したこの予想外の出来事に、しばし二人は言葉を忘れて見つめ合った。

「…ユウさん、今の会話…」

 最初に口火を切ったのは莉桜だった。その声音には、驚愕と困惑の色が浮かんでいる。

 彼女の問いかけのような言葉に、悠生はどう答えたものかと、視線を彷徨わせてから、ちらっと、止まり木にいる朔月に視線を送った。

 どうしよう、と訴えてくる主に、朔月は嘴をちょいちょい、と莉桜の方に向けた。隠しても仕方がない。真実を話せと言っているような仕草に、悠生も覚悟を決めた。

「莉桜さん、話をしないか?」

 大きく息を吸い込み、真っ直ぐに入り口に立つ乙女を見つめ、悠生は切り出した。

 その真剣な緑の瞳に見詰められ、莉桜は小さく頷くと、後ろ手に障子戸を閉めた。

 悠生の目の前に正座をする。

 悠生もまた、莉桜と向かい合うように彼女の前で胡坐をかいて背筋を正した。

「ずっと、黙っていてすまない。俺は、確かに貿易商ではあるんだが…今回の逢坂への買い付けは表の仕事で、俺には裏の仕事があったんだ」

 静かに話を聞いている莉桜の様子に安堵しながら、悠生はゆっくりと話をする。

「俺には親友がいて、奴は外交官をやっているんだが、俺達はエスパニョーラ政府の特命を受け、この日ノ本の現状と、逢坂がどのような街かを探る任務を預かっていたんだ。決して君達を騙していた訳ではないんだ…黙っていたのはある意味スパイのような事をしていたわけだから心苦しくて…」

 言葉を選びながら、悠生は誠意を込めて言葉を紡ぐ。日ノ本は母国とは言え、その言葉は普段使いしている訳ではない。それでも、彼女に嘘はつきたくなかった。何にも真っ直ぐなこの乙女に偽りを語るなど、どうしてできようか。

「謝らなくてはならないな…。俺は、貴方が夜な夜な外出しているのについて行っていたんだ。執行人や怪夷の実情を確かめたくて」

「だから、私が辻斬りに襲われた時、真っ先に駆け付けてくれたんやね…」

 当時の事を思い出し、尋ねる莉桜に悠生はこくりと頷く。

「はあ、いつから知ってたん?」

「割と最初の方から…貴方と案内人契約を結んだ直ぐ後くらいからかな」

 申し訳なさそうに語る悠生に莉桜はここ三ヶ月の記憶を呼び覚ます。執行人の仕事の為に夜間行動はしていたが、付けられていた事に全く気付いていなかった。

「ユウさんって、忍者?」

「いや、我が家はどちらかというと船乗りだから海賊の方が近いかな…」

 悠生の絶妙な返しに莉桜は思わず苦笑する。

 悠生の話から、嘘偽りは感じられない。言葉を選んでいるのは、恐らく誠意を込めているから。

 それが莉桜には痛いほどよく分かった。

(この人に嘘はつけんのやろな…)

 誠実で、真っ直ぐで、太陽のような優しい人。

 黙っていられたのは少し不満だが、自分も執行人という仕事の事を隠していた。

「お互い様か…」

 ぽつりと、独りごちた莉桜に悠生はキョトンと目を見張る。

「一つ聞いてもいい?」

「どうぞ」

「ユウさんは、その朔月とか、聖剣の事は知っとったん?」

 朔月をちらりと見遣っての問いに、悠生は首を左右に振る。

「いや、俺は聖剣を捜していた訳ではないし、朔月が聖剣だと知ったのは、本当にこの間だ。もし知っていたなら、貴方に接触はしなかったよ」

「私が聖剣使いってのも本当に知らんかったんやね…」

 今度は首を縦に振る悠生に莉桜は更に笑みを浮かべる。

「なら、良かった…貴方が味方でいてくれて」

 ホッと、吐息を零すと、それまで無駄に入っていた力が抜けた。

「さっきの通信はその親友さん?」

「うん、定期連絡をする約束になっていてね。向こうは別に今の辻斬りの現状や敵の動向を探っているらしい」

「辻斬りの現状って…もしかして、その親友さんって、例の辻斬りに心当たりあるん?」

 思わぬ問いに悠生は腕を組んで難しい顔をしながら話を続けた。

「どうやら…その通りみたいだ。アイツは、俺よりこの日ノ本で起きている不穏な動きに詳しい…アイツの話によると、この辻斬り以前に、大災厄の元凶がある人物だという事らしいんだ」

「ちょっと、待って、辻斬り犯が大災厄にも関わってるん?」

 思わぬ真実に莉桜は腰を浮かして驚愕した。悠生が何か今回の件に関わっているのも驚いたが、その親友が自分も知らない事を既に知っている事に莉桜は驚きを隠せなかった。

「莉桜さんは、メルクリウスという人物に心当たりは?」

 悠生に聞かれ、莉桜は首を左右に振る。そんな名前は初めて聞いた。

「そうか…なら、このことを知っているのは俺達だけなのか…いや、大災厄以前からこの日ノ本に関わっていたとレオが言っていたから、もしかしたら土方さんや軍警の上の人達は知っているかもしれないな…」

「大災厄以前から政府と関りがある人物か…そうなると、何人か心当たりあるな…」

「そういえば、この間の作戦の時に土方さんが奴の名前を言っていたような…」

「メルクリウス…一体何者なん?」

「詳しくは俺も知らないんだが、江戸や英国、大災厄の憂き目にあった国に技術支援をしていた錬金術師らしい…レオはペテン師とよんでいたけどね」

「それで、そのメルクリウスがこの間の辻斬りに首謀者で、ソウジとか他の辻斬りに指示を出したってことかな」

「恐らくは、そうだろうね…そこで、莉桜さんに一つ協力を仰ぎたいんだが」

 唐突に切り出してきた悠生に、莉桜は背筋を正して耳を傾ける。

「親友が言うには、もしメルクリウスが日ノ本で暗躍しているなら、何処かに江戸城に造ったのと同じ規模の魔術炉を構築しているのではないかというんだ。奴の実験はまだ終わっていない。聖剣を捜していたのはその実験に何かしら関りがあるからじゃないかってね」

「魔術炉…蒸気炉とは違うの?」

「蒸気炉と構造は変わらないらしい。ただ、動力が石炭ではなく、魔力を動力に

 エネルギーを生み出す代物らしい」

 悠生が話す内容がにわかには信じられなかったが、その謎の人物が江戸城に造った物を再現しようとしているなら、また同じことが起こるのではないか。

 そんな不安が莉桜の脳裏を横切った。

「それ、場所の検討はついとるの?」

「親友は大阪城の蒸気炉が怪しいと踏んでいる。こんな結界を張り巡らせた要塞都市に、大量の怪夷が出現するのには、何かしら理由があるのだろうと。蒸気炉が怪夷を生み出している可能性が一番強い」

「なるほど、つまり、その真意を確かめるべく、大阪城に侵入したいって訳ですね?」

「話が早くて助かる」

 莉桜の頭の回転の良さに悠生は心強さを覚えた。

 莉桜もまた、悠生が自身の国の特命だからではなく、この国で起きている、もとい起ころうとしている問題に真剣に向き合ってくれている事に、嬉しさがこみ上げた。

「なら、日が暮れたら出発しましょう。執行人なら、夜間行動は問題ないですよ」

 すくっと立ち上がり、帯の間に収納していた執行人手帳を取り出して、莉桜は意気揚々と口端を釣り上げた。

「流石は、執行人のエースだね」

「私はユウさんの力になりたいだけ。そのメルクリウスが何を企んでるか知らないけど、15年前みたいな事はさせたくないもの」

 莉桜の強い意志に促され、悠生も腰を上げる。足取りは思いのほか軽かった。

 朔月を肩に呼び寄せ、布に包んでいた弦のない弓を悠生は手に取る。そして、聖剣である剣、神刀朔月を腰のベルトに差した。

『莉桜さんが察しの良い人で良かった、良かった』

『悠生は…優しい、いい人』

 それぞれ主の肩に乗る朔月と三日月が互いに顔を見合わせる。

 二人と二匹は、日が完全に落ちるのを待って、旅籠を後にした。



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