第五十五話

 買い出しに行くと雪那に告げ、猛が向かったのは、中之島の軍警本部だった。

 そろそろ、尋問が終る頃。

 今日は莉桜が尋問に立ち会っている。

 彼女と接触するのを避けるように、猛はこっそりと裏側から軍警本部の庁舎に入った。

(誰にも見つからなかったな)

 ホッと、胸を撫で下ろすと、地下へ繋がる階段から土方と斎藤、莉桜が上がって来た。

 咄嗟に、猛は物陰に隠れると、彼等の会話に耳をそばだてた。

「帰れますか?」

 斎藤の気遣わしげな声が聴こえて来る。

「大丈夫です。今日はあさかに帰るので」

「気を付けて帰れよ」

 土方にそう言われ頷く莉桜。

 二人に頭を下げて、彼女は真っ直ぐに庁舎のロビーへ向かい、本部から出て行った。

「...で、そこでこそこそ何やってやがる」

 莉桜の背中を見つめていた猛は、鋭い指摘の声に肩を揺らし、渋々物陰から姿を現した。

「魚住...君は何をしているんです?」

「すみません...別にこそこそしていた訳では...」

「元軍警だろ、この中くらい胸張れ、で、俺に用か?」

 物陰から現れた猛に、土方はまるでその訪問を知っていたかのように声を掛けた。

「はい...土方さんに聞いておきたい事があって...」

 躊躇いながらも、まるでようやく決心がついたという口調で猛は土方に目的を告げた。

「...分かった。ついて来い」

 土方に促され、猛は元上司の後をついて行く。

 土方がやって来たのは、軍警庁舎の横だった。

 建物の壁に寄り掛かり、懐から煙管を出して煙草を吸い始める。

 一息それを吐き出したから、土方は猛を横目に見遣った。

「...土方さん、俺はずっとこれまで貴方の命令で雪那さんの監視をしていました。けど、その理由を俺は詳しく聞いていません。教えて下さい。彼女を監視している理由は?彼女が秋津川公爵の令嬢で、先の斎王の忘れ形見意外に、何か理由があるんじゃないですか?」

 猛の問いかけに、土方は直ぐには答えずに煙をふかした。

 思えば、猛を雪那の護衛兼監視役に抜擢したのは、猛が雪那に惚れてたからだ。

 二年前、執行人としてようやく実力の付いてきた莉桜と雪那の二人。彼女達が今後の怪夷戦で中心になるだろうことは、執行人試験で坂本が特別枠に二人を推薦して来た時から予期していた。

 それが、いざ素性を調べてみたら関係が濃すぎて何かの呪いかと当時の土方は感じた。

 特に、雪那については、あまりにも予想外の人物だった。

「秋津川の嬢ちゃんの正体か...別に俺は嘘は伝えてねえよ...ただ、一つ黙っていただけで」

「それは、なんですか?」

 これまでの猛なら、軍人らしく上官が話す事以外は疑問があっても訊ねる事はなかっただろう。

 それを、今は自分から知ろうとしている。

(随分男前になったな、こいつも)

 名古屋戦線で初々しく前線に出ていた頃の猛を思い出しながら、土方は苦笑した。

「...十五年前、江戸で何があったのかは、お前も知っているな?」

「...江戸城の地下に設置された最新式の蒸気炉が暴走して爆発した事が、大災厄の始まりだった...」

「そうだ。だが、それは表向き。本当は江戸城ではある実験が行われていた...その起動に必要だったのが、“陰の鍵”と呼ばれる言わば生贄みたいなものだった」

 過去を思い出しながら、土方は虚空を見上げる。

「それが...秋津川雪那...あの嬢ちゃんだ」

「雪那さんが...生贄?」

「実験の過程で、何らかの事故が起きた。それがあの大災厄に繋がった。けど、それがどうしてそうなったのかは、俺も知らねえ。見てねえからな。そして、陰の鍵である嬢ちゃんは軍警の間では最重要人物だったんだよ。お前も見ただろ、あの仮面のペテン師」

 それは、先の作戦の折り、二の丸を襲撃した辻斬りを従えていた男。

「アイツと嬢ちゃんが接触しないようにするために、お前を付けた。まあ、お前が嬢ちゃんに惚れてたのを利用したけどな」

 ニヤリと笑う土方の視線から猛は顔を逸らした。

「その陰の鍵って何なんですか?」

「それが分かればもう少しあのペテン師の目的も分かるんだけどな...」

 土方でも分からない事があるのかと、猛には意外に感じられた。

「陰の鍵に聖剣...これが何か関係が...」

 推測をしていた猛は、視界の端に見えた人影に思わず目を見張った。

「魚住?」

 突然強張った猛の表情に眉を顰め、土方がその視線の方を向く。

 そこに立っていた人物に土方は舌打ちした。

「...雪那さん...」

「帰りが遅いから様子見に来てみたら...今の話何?猛は僕の事好きになってくれたから、軍警を辞めたんじゃなかったの?」

 勘ぐるような視線が猛に突き刺さる。

「あ...それは...」

「僕の事、騙してたの?」

「違っ」

 鋭い追及に猛は狼狽えて視線を右往左往させる。どう言葉を紡いだらいいか、言葉が出てこない。

 混乱する猛に溜息を零し、雪那は土方をすっと睨みつけた。

 無言のまま睨みつけた後、雪那はゆっくりと後退る。

「...信じてたのに」

 それは、裏切りに対する批難だった。

 ぼそりと、吐き出すと雪那は暮れ始めた逢坂の街へ向かって軍機本部から走り出した。

「雪那さんっ待って」

 咄嗟に追いかけようとするが、足が止まる。

 雪那に隠し事をしていた事実を知られ、猛はそれ以上進めなくなった。

 部下の様子を、土方は黙って見守っていた。

 追いかけろとも言わずに、猛の意思に任せる事にした土方は、ふと、庁舎の中が騒がしくなっているのに気づいて視線を向けた。

「魚住、どうしたいかはお前が決めろ」

 ポンと、肩を叩き土方は庁舎の方へ戻って行く。

 独り残された猛は、自身の足元を見つめながら拳を握る。

『ご主人...』

 猛の足元に寄り添っていた暁月は心配そうにその顔を覗き込んんだ。

 西の空に沈んでいく夕日。

 その斜陽はいつかの炎のように不気味に紅く燃えていた。

 


 逢坂での辻斬り捕縛作戦の一報は、神戸にいるレオ達の元にも届いていた。

 外交官であり、雪那の父親である秋津川公爵を通じてと、レオの悠生との個人的なやり取りによって。

「やはり、動きだしたか...」

 電報を受け取り、秋津川公爵は眉を細めて低く呻いた。

 辻斬りの捕縛作戦には賛成していたし、坂本や高杉を通じて武器の支援もしていた。

 だが、まさかその場所に本丸が出て来るとは予想していなかった。

「どうやら、奴らも本気をだして来たようですね。例の聖剣が揃った今、こそこそする必要もないでしょうから」

 レオの指摘に秋津川公爵は険しい表情で頷いた。

「このままでは、次に襲撃された時、逢坂が持ちこたえられるか分かりませんよ」

「貴殿の言いたい事はわかったいる。だが、帝の意向も聞かず、動くのは私の本意ではない」

 拳を握り、眉間に皺を寄せたまま秋津川公爵は呻くように吐き出した。

「しかし、このまま貴方は真実を話さずにいていいのですか?」

 眉を顰め、諫めるようにレオは秋津川公爵を見据えた。

 辻斬りの大阪城襲撃の報が飛び込んできてから既に五日。

 レオ達はずっとこの問答を繰り返していた。

「貴方が過去に何をしていたのか。その事実は変えられない。けど、今その過去の遺物に向き合おうとしているのは貴方のお嬢さん達だ。彼女達が何故、聖剣に選ばれたのか、辻斬りが何故聖剣を探していたのか、それを話す時が来ているんじゃないですか?五本揃った今なら、奴等を倒せるというのに...真実を伝えるのが過去への清算ではないのですかっ」

 いつの間にか、拳を握り締めて熱く語っていたレオは、仲間に肩を叩かれて口をつぐんだ。

「...全く、いつまでうじうじしてやがんだよ」

 不意に、ノックもされずに応接室の扉が開かれる。と同時に飛び込んで来た声に秋津川公爵とレオ達は弾かれるように声のした方を振り返った。

「高杉殿か...」

「どうも」

 三つ揃えのジャケットに身を包み、ワックスで髪を撫でつけた正装で姿を現した高杉に秋津川公爵は驚いた様子で目を見張る。

「貴方が、奇兵隊の...」

「そうだ。逢坂と神戸、全国を行き来してある情報を集める暗躍部隊。あんたは?」

「お初にお目に掛かります。俺はエスパニョーラ政府より派遣された外交官。レオナルド・レオンハート。リベラベート。貴殿の噂は伺っております」

 恭しく頭を垂れたレオに高杉は苦笑した。

「俺も随分有名になっちまったな...まあいい。公爵、そろそろ潮時だ。嬢ちゃん達に十五年前の事、話してやってくれ、出ないと、恐らくヤバい事になる」

「高杉殿...それはどういうことだ?雪那に何かあったのか?」

 自身の娘の事になった途端、先程よりも食いついてきた秋津川公爵にレオは驚きつつ、高杉に話に耳を傾けた。

「土方に聞いた。雪那の嬢ちゃんが帝に頼まれて御所の地下にアレを拵えている。もしそれが奴等に気づかれたら今度は日ノ本自体が死の灰に飲み込まれる」

 高杉の話に秋津川公爵は思わず息を飲んだ。

「雪那が...いつの間にそんな...あれの構造を知る者はもういない筈だ...帝ですら知らない筈...」

 唐突に告げられた事柄に秋津川公爵は狼狽え唇をわななかせた。

「高杉殿...なんの話を?」

 高杉と秋津川公爵の間で交わされる話が理解できず、レオは思わず問いかけた。

「あんた等は過去にこの日ノ本で起こった事は何処まで知っている?」

 鋭い視線を向けて来る高杉に、レオは自分が知りうる全てを話した。

「...そうか、あのペテン師の事は知ってるんだな。なら、話が早い。今この日ノ本の首都。帝都にはあの時と同じ物が造られている」

「魔術炉が?」

「そして、それを造らせているのは帝であり、造ってるのは次期斎王であり、陰の鍵である秋津川雪那だ。その意味が分かるな?」

 高杉の問いかけにレオは深く頷いた。

「そして、十年もの間沈黙をしてきたペテン師が五年前、出雲の刀工の里を襲ったのは間違いない。全部奴等は気付いてる。聖剣が莉桜の嬢ちゃんの下に揃ったタイミングで俺達の作戦に乗ってきたのは宣戦布告だって事だ」

「やはり、奴等が次に狙うのは...」

「ああ、魔術炉があると分かったら真っ先に狙われるのはあの嬢ちゃん達二人だ。あんたはあの時と同じように自分の愛する者を犠牲にするの気なのか?」

 鋭い高杉の指摘に、秋津川公爵は唇を噛み締めた。

 自分が沈黙を守っていられる時間はとうに過ぎている。

「私は...自分が愚かなのはわかっている。それに、娘に真実を話すのが怖いのだ...」

「そんなの、誰だってそうでしょう。けど、隠されるのはもっと嫌ですよ」

 ぽつりと、ようやく本心を語り出した秋津川公爵にレオは肩を竦めて同調した。

「そうだな...」

 俯けていた顔を上げ、秋津川公爵は高杉とレオ達を真っ直ぐに見つめた。

「行こう。逢坂へ。私はあの子達に話さねばならない」

「ああ、連れて行ってやるさ。二人の元に。その為に俺はここに来たんだからな」

 ニヤリと、不敵に笑う高杉に秋津川公爵は苦笑を浮かべた。

「では、直ぐに出発を」

 二人を促すようにレオが声を掛けた時、その報せは旋風のように飛び込んで来た。





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