第五十四話
大阪城の西の丸。
先の作戦において結界の陣の大元であるその場所には、執行人達を統括する組合『天王会』の本部がある。
五人掛けの円卓を囲み、三人の人物が顔を突き合わせていた。
「やはり...そろそろ限界が近いという事か...」
眉根を寄せた渋面で、沈黙を破ったのは、天王会の幹部を束ねる会長であり、執行人達の頂点に立つ土御門晴義だった。
「辻斬りを一人捕らえたとは言え、メルクリウスが動いている以上、次に襲撃を受ければこの逢坂の護りは瓦解するだろうな...」
土御門の言葉を受け、渋い顔で勘解由小路憲経も呻くように呟いた。
「やっぱり、俺の所を出しときゃ良かっただ。水原の姉御の所じゃ荷が重かったんじゃねんのか?」
土御門と勘解由小路が顔を曇らせる中、二人を見据えて意見したのは、二人の息子程の年齢の男。
平安の御世より、この国の暗部に名を馳せたもう一つの術師の一族。その時期当主であり、自身も執行人として現役である人物。
「それについては、作戦の執行前に随分説明しただろう。貴殿が我々の中では一番若い。いずれは情報屋達の統括をするトップになるべき貴殿を温存する事が重要だったんだ」
当惑気味に勘解由小路は自身の斜め前に座る芦屋を見遣った。
「その結果がこれだろ。まあ、済んだ事をとやかくいうのも俺は好きじゃねえからな...」
胸の前で腕を組み、芦屋は椅子の背もたれに身体を預けた。
「それより、このままだと、執行人達にあの秘密がバレるのも時間の問題だぞ」
チラッと、芦屋が送った鋭い視線に、土御門は溜息を吐いた。
「...メルクリウスが怪夷を従えていた時点で、核心はあったが...奴はこの逢坂のシステムに恐らく気づいているだろうな...そうだなければ、あんな短時間で大量の怪夷を投入できるわけがないのだ」
額を押さえ、土御門は唇を引き結んだ。
「水原殿が指揮を取って行っていた怪夷の研究...それが露見すれば、現政府が転覆しかねない」
「次は、それを防ぐ必要もあるんだろ...」
「その前に、メルクリウスを押さえる方が早いだろう」
「だったら、俺が吐かしてやるよ」
勢いよく席を立ち、今にも軍警本部に向かおうとする芦屋を、土御門と勘解由小路は慌てて引き留めた。
「落ち着け、それは土方殿と坂本殿に任せると決めたであろうが」
「そうだ、儂らに出来るのは、次の一手を講じるのみ。アジトを奇襲するにも、襲撃に備えるにも、貴殿の力が次は必要だという事は言わずとも分かる筈だ」
二人に押し込められ、芦屋は舌打ちしつつ、座席に付いた。
「大分煮詰まっているようだな」
不意に、入口から響いた声に、三人は同時に視線を向ける。
そこに立っていた人物の来訪に三人は少しだけ驚いたから、真顔で彼を出迎えた。
「久方の帰還だな。高杉殿」
「どうも。相変わらず議論ばっかでつまんなくないか?」
軽く手を上げて挨拶をした高杉は、部屋に入り、三人の傍へ歩み寄った。
「貴殿がここに顔を出すという事は、何かあったのか?」
高杉は普段、この天王会の指令を受け、日ノ本各地を渡り歩きながら情報収集をするスパイをしていた。
先の作戦で彼が率いていた奇兵隊もその諜報員の集団である。
「ああ、二つばかり朗報だ」
ニヤリと、指を二本立てて、高杉は不敵な笑みを浮かべる。
「朗報だって?」
「一つは、神戸の秋津川公爵に接触を試みていたエスパニョーラ政府の外交官だが、どうやら彼等も目的は我らと同じ、あのペテン師の討伐らしい。そして、日ノ本同様に大災厄で生み出された怪夷と同等の妖かしの殲滅の足掛かりを付ける事。その為なら、武器の支援は惜しまんという事だ。この間の作戦でもそちらから少し支援があってな。ここは、エスパニョーラ政府の申し出を受けてみないか?」
高杉が齎した情報を聞き、土御門と勘解由小路は顔を見合わせた。エスパニョーラと言えば大災厄後、英国に代わって西の国の中で威勢を発揮する怪夷の被害が少ない国だ。
そんな国からの支援は、この十五年、怪夷の討伐に労力を費やし、徐々に疲弊しつつある日ノ本にとっては、喉から手が出る程願ってもないものだ。
だが、それを受けるという事は、何かしら見返りが必要という事だ。
「彼の国が我が国に求めるモノは?」
「それは、交渉の場を設けてきちんと話をするべきだろう。どっちにしろ、あっちはこの国の現状を公爵から聞いているだろうしな...」
高杉の言葉に、年長者二人はどうしたものかと眉を顰めた。
「いいじゃねねか、困った時はお互い様だろ?この際、体裁を取り繕ってどうすんだよ...高杉さん、その申し出、アンタはどう思うの?」
突然問いを振られ、高杉は面食らった顔をした後、ニヤリと笑った。
「俺も、芦屋殿と同じ意見だな。俺の師匠も生きていたら同じように言うだろう」
「なら、協力を受けるべきだな」
ニヤリと笑い、詰め寄ってくる芦屋の行動力に土御門は肩を竦めた。
「その話は早急に公爵と連絡を取って、上に掛け合いましょう。それより、そのもう一つの朗報とは?」
話題を切り替えるように、土御門は高杉を見遣った。そちらの方が本題な様だった。
「あの作戦、何も損害ばかりじゃなかったみたいだな。見つけたぜ、ずっと捜していた最後の切り札。陰の鍵の対たる陽の鍵を」
「なんだとっそれは、一体誰だっ」
頬を強張らせ勘解由小路は身を乗り出して高杉の言葉の先を待つ。
ゆっくりと高杉が唇に乗せた名前に、三人は大きく目を見開いた。
夕暮れの迫る逢坂の街。
夏場とあってまだ日のあるその街は悠生が初めて足を踏み入れた時よりも、活気に満ちていた。
数日前、大阪城に押し寄せた怪夷の襲撃や多くの執行人や軍警に犠牲の出た作戦の事をこの街の人々は知らない。
台風の接近による蒸気機関の故障が原因だと新聞にはあの出来事が記載されていた。
何も知らない人々と、一線を画する自分。
その事実に悠生は複雑な思いを抱いていた。
(誰にも知られずに多くの執行人達が街を護っているのか...)
改めて知ったこの逢坂の真実。
莉桜を追いかけて知りえた情報を、悠生は仲間に伝える必要があった。
何故なら、自分は逢坂の街を探るいわばスパイなのだから。
『あさか』に戻った悠生は自室に置いていた荷物の中から、小さなトランクサイズの箱を取り出して、蓋を開いた。
日ノ本に渡る前、親友から渡された通信機。そのダイヤルを回して悠生は波長を合わせた。
ジリジリと、ノイズが鼓膜を震わせる。
数分の後、ベルが鳴る音が響いた。
「もしもし、レオ?俺だけど」
『おお、フェル!数日連絡寄越さねえから心配したんだぞ。こっちからはそれには繋げないからさ』
聴きなれた陽気な声が、受話器の向こうから聞こえて来る。懐かしい母国の言葉に、悠生は安堵した。
「少し厄介な事が起きた。順を追って話すから良く聞いてくれ」
それから悠生は、この数日の逢坂での事をレオへと話して聞かせた。
『...なるほど...辻斬りに全部読まれてたのか...その作戦実行の事は俺も知ってたから...秋津川公爵も奇兵隊や高杉殿を通じて支援をしていたしな』
「俺が遭遇したソウジとう辻斬りの一人が、計画がどうとか言っていた。軍警の元トップの土方隊長や斎藤隊長もまるで誰かが裏にいるような話をしていた」
『...裏で糸を引いている人物...それは、やっぱりメルクリウスかもしれない』
レオが出した名前に悠生は眉を顰めた。
「メルクリウス?」
『欧羅巴で暗躍していた錬金術師、マッドサイエンティストだ。エスパニョーラ政府もずっと行方を追っていたんだが...最後にその姿を確認されたのが日ノ本なんだ』
「なら、辻斬りの背後にいるのがそのメルクリウスという人物って可能性は」
『大ありだな。そこまで出て来たなら、いよいよ俺達も動く時が来たな』
「動くのか?」
『今公爵を説得中。あの人にいい加減全部話してもらわないとな。そっちにいる公爵の娘が怪夷の討伐には必要な存在だ』
「雪那さんが秋津川公爵のご令嬢なのは分かったが、彼女は一体何者なんだ?」
ずっと疑問に感じていた事を悠生はレオに問いかけた。
彼女と共に数日過ごして、どれだけ周りがその言動や動きに注視しているのかを感じ取れた。
彼女の恋人だという魚住猛も、彼女を監視しているような節があった。
『彼女は、大災厄の時に討伐戦の実質的な指揮を取っていた現帝の姉君、先代斎王のご息女だ。ああ、斎王ってのは本来は伊勢神宮の祭司に当たる役職なんだが、霊力の高い女性が選ばれるらしい』
レオの説明に悠生は、「ふむ」と相槌を打つ。
『先代は先の討伐戦で命を落とした。彼女の力があったから、怪夷の進行を富士の傍で抑えられたらしい』
「という事は...日ノ本政府はその娘である雪那さんをいずれ斎王にして、怪夷討伐の指揮に当たらせるつもりなのか?」
『そこまでは俺も分かんねえよ。ただ、単純に考えたらそうだろうな』
レオの見解に悠生は首を捻った。
『ま、今後日ノ本政府がどう出るかは未知数だな。現帝も姉君を失ってから政治には殆ど手を出してないそうだし...』
それより、とレオは唐突に話題を変えて半ば身を乗り出すように声を張ってきた。
『まさか、フェルの剣が怪夷祓いの聖剣だったとはね...さすがの俺もそれには驚いた』
作戦決行の前、悠生は事の顛末をレオに伝えていた。
聖剣の事、朔月の事、そして。
「それも、案内人を頼んだお嬢さんが逢坂での重要人物の九頭竜だったから、お前幸運すぎだよな」
バシバシと、受話器の向こうからレオが膝を打つ音が聴こえてくる。近くにいたら絶対背中を叩かれていただろう。
『最初はただのスパイだったのになあ、で、どうよ聖剣使い』
「冷やかすなよ...朔月が力を貸してくれているからいいけど、俺はまだまだ莉桜さんには及ばないよ...でも、俺は今は純粋に彼女の力になりたいんだ」
「ふ、惚れたな」
ニヤリと、レオが笑ったのを想像して悠生は「否定しない」と涼しい顔で答えた。
『色男が...本国じゃ女っけなんてなかったのに...』
「別に遊んでないさ...ただ、出逢いがあっただけだよ」
あくまで自然な流れだと強調し、悠生は話題を戻した。
「俺は今後もこちらで調査を続ける。今軍警では莉桜さん達が捕まえた辻斬りの尋問が行われている。いずれ、残りの辻斬りや、そのメルクリウスの居場所も分かると思うが」
『それなんだけどさフェル。一つ懸念があるんだ』
それまでの陽気な様子から、外交官らしいトーンを落とした声音で語りだしたレオに悠生は耳を傾けた。
『メルクリウスの手下と思われる辻斬り達。奴等は怪夷を連れていた...それはつまり、奴が何処かで怪夷を生み出しているってことだと思う』
「怪夷を生み出している?」
オウム返しで聞いてきた悠生の疑問にレオは頷いた応える。
『フェル、あの怪夷を生み出したのは、そもそもはメルクリウスだ。そのメカニズムや方法は未だ分からないが、この間の作戦時に怪夷が大量に発生したのは、奴が怪夷を生み出した張本人だからだ』
思わぬ事実に悠生は息を飲む。
『怪夷を生み出す為には自然発生ではそんな数は産めない。フェル、俺は蒸気炉があり、解析機関の稼働している大阪城が怪しいと踏んでる』
「了解。次は大阪城を調べればいいんだな?」
『その通り。メルクリウスが動いているのが明確化した今、奴は江戸で行った実験と同じことを何処かで行っている筈なんだ。フェル、魔術炉を探してくれ。奴が聖剣を探して動いているなら、恐らく魔術炉が完成に近い状態なんだろう』
「レオ、その魔術炉と聖剣の関係が俺にはさっぱりなんだが...」
『そこは俺も知らん。けど、聖剣が怪夷を祓う刀剣なら、きっと邪魔な筈だ』
「そんなアバウトな...」
親友の雑な推測に悠生は困惑した。
『兎に角、こっちも早急に動く。フェルも愛した女が重要人物ならしっかり護ってやれよ』
「言わらなくても護るさ」
茶化された事に照れを隠して悠生は宣言した。
『では、我らが太陽の国の栄光の為に』
胸元に拳を添え、悠生もまたレオと同じ言葉を口にして、通信を終了した。
「はあ...」
思わず、溜息が零れる。
これからますますスパイらしい活動をしなくてはならない事に苦笑をしながら悠生は徐に腰を上げた。
「...今の話...」
すっと、障子戸が開く音に悠生はハッと肩義肢に後ろを振り返った。
「莉桜さん...」
そこに立っていたのは、驚きに目を見張る莉桜。
悠生もまた、彼女と同じように驚愕しその場で固まった。
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