第四十三話


 軍警によって伝えられた雪那の作戦に集まった執行人事務所の面々は、日没と共に軍警本部に集まった。

 中之島に集った執行人達の様子は、かつて、江戸から溢れ出た怪夷を討伐する為に駆けつけた討伐軍の様相に似通ったものがあった。

 軍警の第一訓練場に整列した執行人の面々を、正面の台座の上から見つめて土方と斎藤は感慨深げに息を吐きだした。

「似ているな。あの時と」

「そうですね...あの日も、こんな景色でした」

 二人の目に映るのは、十五年前の京を発つ日の風景。

 それが今、目の前の光景と重なる。

「今度こそ、ケリをつける。総司の仇も俺達がとらねえとな」

 決意を固めたその言葉に、斎藤は静かに頷いた。

 互いに言葉を交わし合い、台座の上で斎藤は一歩前に出た。

 今の軍警のトップは斎藤だ。

 その座を既に退いた土方は一歩後ろから後継者の勇姿を見つめる事に徹した。


「諸君、今回の作戦に集ってくれた事、感謝します」

 執行人の面々の前に立ち、斎藤は淡々と斎藤は謝辞を告げる。

「今回の作戦は、事前に伝えてある通り、天王会の幹部と我々軍警の指揮の下、辻斬り犯の捕縛を目的とします。辻斬りは一筋縄ではいかないでしょう。ましてや、現状では辻斬りが何人いるのかも判明していません。それでも、今回の作戦に踏み切ったのは、この好機を生かす為です。状況としては万全とは言えません。恐らく、犠牲も出ると思います。それでも、この作戦に参加すると表明してくれた諸君には、全力で任務に当たって欲しい」

 淡々と、だがこれから作戦に臨む執行人や軍警の面々を案じて斎藤は言葉を紡ぐ。

 かつて、背後に佇む男が討伐軍を、新選組を案じたように。

 斎藤の言葉の後に、士気を高めるような歓声が上がる。

 官民混合で行われる作戦が、今宵行われる。

 作戦に参加する執行人達は事前に渡された布陣を形成する為にその場から移動を開始する。

「斎藤、俺達も行くぞ」

「はい」

 土方に促されて斎藤も作戦地点へと向かった。





 軍警の要請で行われる作戦を行うにも関わらず、逢坂の街は普段以上に静まり帰っていた。

 その暗い霧の街を、莉桜は一人歩いていた。

 いつもなら、何処かしこで他の執行人の気配を感じるが、今は全くそれを感じない。

 街自体が死んでしまったような不気味な空気が漂っていた。

『莉桜、大丈夫?』

 肩にいつも通り乗っているハリネズミの三日月が莉桜の傷を心配して訪ねてくる。

「大丈夫。もう傷口塞がってるし、痛みも無いよ」

『それなら、いいけど...』

 前を向き、少しだけ不満げに三日月は鼻を震わせる。

 小さな頭を撫でて莉桜は逢坂の街を進んで行く。

 莉桜の視界の先には、蒸気の霧に包まれた暗き逢坂の路地が浮かんでいる。

 莉桜の纏う衣の帯に付けられた鈴が、彼女が歩く度、シャラン、シャランと音を立てた。

 その音は、何かを呼ぶような哀しい音色を奏でている。

 シャラン。シャラン。

 莉桜の足の運びは緩やかで左右に揺れていた。

 路地と路地の境。

 辻と辻が交わる道の中央。

 四辻と呼ばれるその場所は、古の時代百鬼夜行の妖かしが練り歩いた場所とされる。

 異界へ通じるとも言われるその通りの狭間に辿り着いた時、不意に空気が変化した。

(来た...)

 背筋を逆撫でするようなヒヤリとした悪寒に莉桜は、ぴたりと歩みを止めた。

 ガサっと、砂を蹴って人影がひらりと近づいてくる。

 その気配に莉桜は腰に佩いた神刀三日月の鍔に指を掛けた。

 暗闇の中から現れたのは、網代笠を目深に被り、黒の小袖に黒の袴を纏う浪人風の男。

(ソウジとか名乗ってた辻斬りじゃない...)

 辻の間から唐突に現れた幽鬼のような浪人に莉桜は眉を顰めた。

『莉桜...気を付けて...この人から、この間のソウジって奴と同じ臭いがする...』

 肩に乗っている三日月が警告のように告げて来る。

(じゃあ。コイツは辻斬りの一人ってことか)

 まるで、こちらの出方を伺うように立ち尽くす浪人と莉桜は静かに向かい合った。

「...こんな夜更けに女子が一人で出歩くとは感心せんな...」

 緊迫した空気を孕んだまま、最初に口を開いたのは浪人の方だった。

 突然の身を案じるような発言に莉桜は一瞬、虚を突かれて目を見張る。

「だが...ここで出逢ってしまったのも、運命じゃろう...貴殿が持つその刀、奪わせてもらう」

 チャキっと、鍔の擦れる音が夜闇に響く。

 一閃の黒銀が刹那の合間、空に弧を描く。

 それは、容赦なく莉桜の眼前へと迫った。




 カキーン。

 刃のぶつかり合う音が、夜闇の中に響き渡る。

「ひゃはははっまさか、聖剣持ちがこんなところにいるとか俺様強運!」

 猛が振り上げた神刀暁月しんとうあかつきの銀色の刃が迫りくる黒銀の刃を受け止める。

「くっ」

(なんて重い太刀筋だ...!)

 莉桜とは別に囮として行動をしていた猛が遭遇したのは、老人の如き白髪の髪を逆立てた、右目に眼帯をした青年剣士だった。

「おらおら、どうした!聖剣使いはこんなもんなのか?噂じゃ、この逢坂一の剣士だって聞いてたのに、情けねなっ」

 力任せに真横に振られた一閃を猛は打刀の逆刃にして受け止める。

 相手は自分より小柄なのに、刀を振る力は強く重く、力任せにしては度を越えた強さだった。

 普通、こんな使い方をすれば直ぐに刃毀れを起こしそうなだが、白髪の青年が使う黒刃は刃毀れを起こしてはいなかった。

『猛殿、もっと相手から距離を取らないと』

 刀に宿ったペンギンの暁月が脳裏に警告を響かせる。

 それは、猛とて分かっていた。

 ここで自分が倒されては意味がないのである。

(出来るだけ長く...この場に奴を留めなくては...)

 作戦の開始時の雪那の言葉を思い出していた。



 それは、軍警による決起集会が始まる少し前。

「いいかい?莉桜は勿論囮だけど、それだけじゃ何人いるかも分からない辻斬りを全員おびき出すには不十分だと思う。そこで、猛と悠生さん、雨にも同時に囮になってもらうよ」

 雪那からの唐突な言葉に、その場に呼ばれた秋津川情報屋事務所の面々はごくりと息を飲んだ。

「雪那...私一人でどうにかなるよ」

「ダーメ。いい?これまでの辻斬りの特徴は幾つか共通はあっても、複数いるとされているの。莉桜が出逢ったそのソウジって奴単独とは限らないんだよ」

 辻斬り事件が表沙汰になってから、軍警に寄せられた辻斬りの情報は千差万別だった。だが、その中でも幾つか共通点や同一人物と思われる証言も出ていた。

 そこから、斎藤や天王会の面々は辻斬りが複数犯であると判断していたのだ。

「複数犯人がいる場合、全員をおびき出す必要がある。じゃないと一網打尽に出来ないからね」

「雪那さんの意見はもっともだけど、俺は聖剣を持つ俺達を分散させるのは危険だと思う」

 雪那の作戦に悠生は意を唱えた。

「莉桜の傍についていたいって悠生さんの気持ちは分かるけど、ここは僕の作戦に乗ってほしい。大丈夫、莉桜の護衛には強いのを選出しといたから」

 強いのという雪那の言葉に悠生は少し不満げながらも納得した。

「いいかな?これから指定した場所で君達には辻斬りをおびき出して欲しい。この鈴には悪しきものを引き寄せる呪いが掛けてあるから、後は聖剣の気配を垂れ流してくれれば敵を釣れると思う」

 何処か不敵な笑みを零しながら、雪那は中央で一枚の地図を広げた。

「このポイントに辻斬りを引き付けてほしい。後は僕等に任せて」

 そう言って不敵に笑う雪那はまさしく策士の顔だった。

「雪那さん、俺達を囮にして何をするつもりなんですか?」

 猛の率直な質問に雪那は頷いてから語り始めた。

「全員が辻斬りに遭遇、かつ、この四隅のポイントに入った瞬間、僕が他の術師達と一緒に結界を展開する。これは怪夷封じの強力な物だ。辻斬りが莉桜の見立て通り怪夷だとすれば、多少は効果がある。もしただの人なら、結界を張ったと同時に各隊で動けば問題ないと思う」

 雪那が考えた作戦にその場の四人はそれぞれ複雑な表情を見せた。

「やるしかねえんだよ」

「土方さん...」

 バサッと、テントの中に入って来るなり土方は決意に満ちた言葉を五人へと掛けた。

「奴等はずっと俺達も探して来たんだ。ここでどうにか出来なきゃ、また何年も逃ししちまう。九頭竜、お前も分かってんだろう?」

 土方にそう問われ、莉桜は俯きながら小さく頷いた。

「莉桜さん?」

 前髪に隠れた表情がやけに険しいのに気づき、心配そうに悠生は名前を呼ぶ。

「大丈夫です。私も逃がしたりしません」

「お前がその気なら俺達もしっかり協力してやるよ」

 言外にある二人だけにしか分からない言葉のやり取りに、悠生を始め、猛や雨は小首を傾げて会話を聞く。

 唯一、二人の会話に眉根を寄せて雪那は小さく息をついた。

「軍警や他の執行人の準備は?」

「出来てるぜ。いつでも行ける」

「分かりました。では、始めましょうか」

 雪那のその一言に、秋津川情報屋事務所の面々は力強く頷いた。

 



 猛は迫りくる辻斬りの黒き刃を受け流す。

「ははは、もっと、もっと、楽しませろよ!」

 狂人と呼ぶに相応しい白髪の青年は猛に容赦なく刀を振り下ろす。

 寸での所で受け止めた猛は相手の力に合わせて力任せに押し返した。

 後方に跳んで相手との距離を取り、正眼で刀を構える。

(覚醒したとは言っても、莉桜さんみたいに使いこなすまでには行っていないのか...)

 先日、莉桜が持つ三日月と悠生が持つ朔月によって、聖剣が覚醒をしたとは言え、猛はまだ自身の聖剣の力を引き出せてはいなかった。

 莉桜にコツを聞いても、感覚だというし。悠生に聞いたら自然とだというし。

(あの二人みたいになるにはどうしたら...)

 黒光る刀の峰舌で舐め、次の動きを起こす気配を伺う白髪の青年を見据えて猛は奥歯を噛み締める。

『猛殿、僕の力必要ですか?』

 猛の脳裏に、愛らしい声音で暁月は問いかける。

(ああ、雪那さんの為にも、俺はこいつに負ける訳にはいかないんだ)

 暁月の問いかけに答えた猛は、柄を強く握り締める。

 柄を握る手から、暁月にジワリと熱が伝わる。

『ご主人様の強い思い、暁月にしかと伝わりました』

 ニコリと、柔らかに笑う飛べない鳥が悠生には見えた気がした。

 直後、柄を握る手から強く熱い何かが流れ込んだ。

 それが、暁月の中に蓄積された霊力だと気づくのに時間は掛からなかった。

『主を渡り歩いてきた僕だけが持つ技、猛殿とは相性がいいようですね』

 ニコリと、愛らしく笑い暁月は猛の中に霊力を流し込む。

 これまで、一族の異端児として霊力を取り込むと暴走していた筈の猛の身体が、注ぎ込まれる霊力を受け入れて行く。

 それは、強烈な光の帯となって彼の内から溢れ出し、聖剣を包み込んだ。

「なんだっ」

 間合いを見計らっていた白髪の青年は、突如として猛から漲り出した霊力に驚愕した。

「行ける」

 神刀暁月が白銀の光を纏い、蒸気の闇を照らし出す。

 大地を蹴り、猛は狼狽する白髪の青年の間合いに一気に踏み込んだ。


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