第十章ー辻斬り捕り物帖
第四十二話
莉桜が辻斬りに襲われた夜から三日。
軍警より各情報屋事務所へ辻斬りに関する新たなお触れが通達された。
情報屋事務所の一つであり、多くの執行人、案内人を抱えた
社長室で軍警から送られてきた書状に目を通しながら、
「母さん」
眉間に皺を寄せ、難しい顔で書面を睨みつけていた水原は、自分を呼ぶ声に顔を上げた。
「
書面を見据えていたのとは違う穏やかな表情で水原は執務卓の前に立つ二人を見上げた。
二人が自分を“母”と呼ぶのは、この水原事務所の特徴のようなものだ。
この事務所に在籍する執行人達の多くは先の大災厄の時や怪夷によって親や兄弟、家族を失った孤児が多い。
その親代わりであるのが水原だった。
「軍警からの通達についてです」
事務所のエースであり、水原にとって最も付き合いの長い
「社長はどうするの?今回の作戦に参加するの?」
「そうね...
情報屋事務所の組合の頂点でもある天王会の会議での出来事を思い出しながら、水原は小さく溜息をつく。
「大手の事務所であり、天王会の幹部である私が参加しない訳にはいかないわ。あまり調子は良くないけどね」
自身の膝に触れ、憂いを帯びた表情で水原は自身の考えを唇に乗せる。
「母さんも作戦の時は現場に出るの?」
食い入るように訊ねて来る誉に水原は口元を扇子で隠した。
「僕等が作戦に参加するのは構わない。でも、貴方が出るとなると話は別だ。そんな身体の貴方を出したくないよ」
悲痛な表情でそう訴える誉に水原は困ったように笑いかけた。
水原は、
つい先日、
そんな彼女の身を、誉も焔も案じていた。
「誉、貴方の気持ちは重々理解しているけれど、建前や示しというものも、時には必要なのよ」
「それでも、俺も母さんが前線に出るのは見過ごせない...」
それまで、兄の傍で静かに佇んでいた焔がポツリと切り出した。
「焔...貴方までそういうのね」
身を乗り出し、息子達の顔を見つめて水原は苦笑する。
この事務所を立ち上げた時から共にいる二人だ。
他のどの子供達より思い入れは深い。
(私も老いたな...)
時の移ろいに苦笑を滲ませ、水原は肩を竦めた。
「危険な事はしない。私はあくまで作戦の指揮に回るだけだよ。それより、お前達が護ってくれると、嬉しい」
「母さん...」
二人の視線を受け、水原は強く首を縦に振る。
「頼りにしているよ。お前達は私の自慢の息子だもの」
二人を包み込むように両手を前に突き出し水原は優しく微笑みかける。
それに誘われるように誉と焔は幼子のように姿勢を傾けた。
くしゃりと、頭を撫でる手から変わらない温もりが伝わってくる。
例え、どれ程年月が経とうと、この温もりだけはあの頃となんら変わらない。
その事実が嬉しくて、誉と焔は目を閉じてその柔らかな動きに身を委ねた。
護らなくてはならない。
やっとの思いで手に入れたこの居場所を。
二人の決意は胸の中でジワリと燃え上がった。
「お前の刀、やっぱりなんかあったんだな」
作戦が軍警から各事務所に伝わったその一時間後。
嵐の如く
「君等さ、うちに来る暇あったら作戦所の読み込みとかしたらどうなん?」
『旅籠あさか』から一先ず秋津川事務所に戻ってきた莉桜は、駆けこんできた志狼と拓馬の姿に呆れて対応した。
「すみませんね。志狼が貴方が負傷したと聞いて動揺したもので。あ、これお見舞いです」
「拓馬っそんなんじゃねえだろ!」
携えてきた果物の入った籠を差し出しながらいう拓馬の言葉に、志狼は噛み付くように否定する。
「俺はだな、無様なお前の姿を拝みに来てやったんだっ。なんなら俺がエースの座を奪ったもいいんだぜ」
胸の前で腕を組み、ふんぞり返る志狼を莉桜は「はいはい」と軽くあしらった。
(素直に心配だったっていえばいいのに...)
莉桜に突っかかる志狼を見て、雪那は内心そんな感想を零した。
『あの志狼とかいう若造、莉桜はんに気でもあるんかいな?』
『ライバルだから気になるだけだよ...』
押しかけてきた志狼を興味深々で観察していた
それに三日月は呆れた様子で答えた。
『流石我らの莉桜はんやわ』
パチンと、何処からか扇子を出して打ち鳴らす弦月を三日月は冷めた様子で見据えてから、再び来訪者へ視線を戻した。
「それで、軍警から降りて来た作戦ですが、そんな身体で大丈夫なんですか?」
ソファに半身を起こした状態で自分達の応対をしている莉桜に、拓馬は問いかけた。
心配をしているというより、不安視をしているといった様子だ。
「まあ、やるしかないって感じだよ。でも、今ここでどうにかしないと今度は更に犠牲者が増える気がする」
それには、雪那も志狼も賛同した。
「お前だけが狙いだとしても、お前をおびき出す為に連中も同じ手を使ってくる可能性はあるだろうな」
「多少のリスクは仕方ないという事ですか」
肩を竦める志狼と拓馬に莉桜は苦笑する。
この二人とは、あの執行人試験で出逢って以来、ずっと切磋琢磨し合ってきた。
他の事務所よりもずっと付き合いが長いだけあって、いざという時は協力的だった。
いつもはいがみ合ってばかりだが、こういう時は実に心強いと莉桜と雪那は思っていた。
「まあ、辻斬りは野放しに出来ないからな。今回はお前らのサポートに回ってやるよ」
「素直に協力すると言えないのが志狼の難点ですね。今日だってそれを伝えに来たのに」
「だから!違うってのっ」
拓馬のツッコミにムキになる志狼。
その様子を莉桜と雪那は呆れながら見つめた。
「つかっ。さっさとその傷治しやがれよ、九頭竜。お前がいないと張り合いがねえんだからな」
「心配しなくてもちゃっちゃと治したるわ」
身を乗り出し、莉桜も志狼に喰ってかかろうとする。が、急に動いた事で脇腹に痛みが走り、莉桜は顔を歪めた。
「馬鹿っ無理してんじゃねえよ!」
慌てて志狼は莉桜に横になるように促した。
「お前な...少しは自分の身を大事にしろよな」
「分かってるわよ」
莉桜と志狼が互いに荒い言葉を投げ合っていると、外に出かけていた悠生と猛が帰って来た。
「ただいま戻りました」
「あれ?お客さん?」
事務所に悠生が入って来るなり、志狼は目を大きく見開いて驚愕した。
「あんた、この間の」
「ああ、貴方は...その節はどうも。今日はどのような御用ですか?」
わなわなと唇を震わせて驚いている志狼とは対照的に朗らかに微笑んで悠生は問い掛ける。
「今日は軍警からの作戦の確認と、九頭竜さんのお見舞いに来ました。貴方が、この間うちの社長と取り合った異邦人の方ですね。その節は社長がお世話になりました」
驚いたまま固まっている志狼を押しのけて拓馬は律儀に悠生に挨拶をする。
「ご丁寧にどうも。莉桜さんのお見舞いありがとうございます」
恭しく頭を垂れて悠生は志狼と拓馬に礼を述べた。
「あんた、なんでここに居るんだよ」
悠生がここにいる理由が理解できず単刀直入に志狼は質問を投げかけた。
「悠生さんがうちのスポンサーになったからだよ」
志狼の質問に答えたのは、雪那だった。
「うちの事務所の経済的支援者を申し出てくれたのさ」
ふふん、と胸を張り、雪那は勝ち誇った表情で志狼を牽制した。
「はああ?意味分かんねぇー」
「俺は商人なので。投資も大事ですから」
雪那と並んでニコリと笑う悠生。
その二人の笑顔に気圧されて志狼はギリリと奥歯を鳴らした。
「まさか、あんたも今度の作戦参加するんじゃねえよな?」
「作戦...ああ、勿論。莉桜さんを危険な目に遭わせるのは嫌なので、参加しますよ」
「執行人でもない奴がでしゃばるな」
噛み付いてくる志狼に悠生は上着のポケットから一枚のカードを取り出し、志狼の前に突き出した。
「軍警から今回の作戦に当たり特例で執行人ライセンスを期限付きで発行してもらいました。今は俺も執行人です」
「なんだって...っ」
目の前に突き付けられた身分証のカードを前に、志狼はぐぬぬと拳を握った。
「なので、莉桜さんのサポートは俺がしますので、ご心配なく」
満面の笑みでそう告げた悠生に、志狼ががくりと肩を落とした。
何処かで、試合終了の鐘が聴こえてきそうな志狼の惨敗に拓馬は、その背中を慰めるように摩った。
「だから、早くアタックすればいいのに」
「うるせえ...」
親友の慰めを志狼はぶっきらぼうに受け止めた。
「それで、どうだったの?軍警の方は?」
悠生と猛が出かけていた先は中之島の軍警本部だった。
作戦の実行に当たり、細かな調整をしてきたのである。
「作戦実行は三日後。配置図はこれです」
そう言って、猛は本部から持ち帰って来た資料を雪那に差し出した。
「各事務所にも同じものが配られますが、まずは雪那さんに目を通してもらった方がいいだろうと、土方さんから預かってきました」
手渡された配置図を眺め、雪那は思案する。
「うん、いいと思う。この陣形で行こうって、土方さん達に伝えて」
「分かりました」
配置図を猛に返した雪那はパンパンと手を鳴らした。
「さて、作戦実行日まで莉桜の調子を戻したいから、申し訳ないけど、お暇願える?」
志狼と拓馬を見遣り雪那は二人を促した。
「そうですね。長居は傷に障りますね。これで私達は失礼します。当日、よろしくお願いします」
「うん、頼りにしてるから」
「お前こそ、俺達が協力するからにはしっかりやれよ!」
ビシッと、指を差してくる志狼に莉桜は「分かってるよ」と短く応答した。
「じゃあな、お大事に」
潔く踵を返し、志狼と拓馬は秋津川事務所を去って行った。
「それじゃ、俺はもう一度軍警本部に言って土方さんにこの件を伝えてきます」
「うん、往復させて悪いけど、よろしく。悠生さん、またついて行ってもらっていい?」
「了解。帰りに何か夕飯を調達してきます」
「じゃあ、お願い」
再び出かけて行く悠生と猛。
二人を見送ってから、莉桜と雪那は同時に息を吐いた。
「三日後か...」
「うん」
互いに顔を見ずに言葉を交わし合い、莉桜と雪那は遠くを見つめた。
三日月から、聖剣について聞かされた後に、莉桜と雪那は三日月から簡単にだが、別な話も聞いていた。
聖剣が作られた
それを聞いた日から、莉桜と雪那はまるで腑に落ちたような気持になっていた。
二人が逢坂に来ることになったのは、決して偶然などではなかったのだ。
「突き止めないとね。全ての理由をさ」
「うん、もしかしたら、怪夷を消せるかもしれないからね」
「辻斬り...必ず取っ捕まえてやらんと」
「意気込むのはいいけど、無理はなしだよ」
溜息を吐く雪那に莉桜は、唇を尖らせた。
「分かってるよ」
「本気で言ってるの。君無茶が十八番なんだから」
「はいはい。気を付けますよ。それより、例の出来たの?」
ぽつりと訪ねて来た莉桜に、雪那は不敵な笑みを滲ませる。
「まあね。当日を楽しみにしてなよ」
ニヤリと悪戯を思いついた子供のような、含みのある笑みを浮かべる雪那に、莉桜は苦笑した。
そして、三日後。作戦の火蓋は日没と共に落とされる。
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