第三十八話
ヒュンと、空を切る風の音が莉桜とソウジの間を駆け抜ける。
その風切りの音に咄嗟にソウジは後退る。が、その彼に向かって更に光を帯びた矢が飛来した。
「くそっ誰だよ」
次々に自分を莉桜から遠ざけるように撃ち込まれる矢にソウジはつまらなそうに舌打ちする。
ソウジが莉桜から距離を取った瞬間、地面に倒れた莉桜を護るように人影が現れた。
ソウジの前に立ち塞がった人物に、莉桜は驚愕した。
「...ユウさんっ...どうして」
声も絶え絶えに莉桜は肩越しに悠生を見上げる。
「すまない、ついてきてしまった」
いつもと変わらぬ調子で、少しバツが悪そうにする悠生に莉桜は、わなわなと唇を震わせたが、刺された脇腹の痛みにそれ以上言葉を紡ぐことが叶わない。
「聞きたい事はきっとあるだろうが、今はアイツを退けてからにしよう」
地面に倒れた莉桜を優しく見下ろしてから、悠生は肩に載せていた鷹を腕を上げて舞い上がらせた。
「
主の言葉に、朔月は旋回をして応じると、ソウジ目掛けて一気に飛来した。
「このっ」
自身の周りを縦横無尽に飛び回る鷹をソウジは刃で振り払おうとする。
その隙をついて、悠生は腰に刺していた両刃の細めの剣を鞘から引き抜き、ソウジの間合いに踏み込んだ。
殆ど反射的にソウジは踏み込んできた悠生の剣を受けとめた。
ソウジの漆黒の刃と悠生の剣が交わった刹那、バチンと紫電が散る。
それに呼応するように、悠生が握る剣が熱を帯びる。
『悠生、俺の声が聴こえるか?』
不意に、脳に直接語りかけるような声が響く。
(なんだ...)
ソウジと鍔迫り合いをしている最中、悠生は頭に響く声に応えた。
『俺は朔月だ。お前に俺の力を貸してやる。そのお嬢さんしっかり護り通せよ』
はつらつとした声がそう言い切った瞬間、ソウジの漆黒の刃と交わっていた悠生の剣が銀色に輝きだした。
「なんだって」
目映い光に驚いたのは、悠生ではなくソウジだった。
悠生から距離を取るソウジ。
彼の目の前でそれまで宙を旋回していた鷹が淡い光に包まれたかと思うと、まるで引き寄せられるように悠生が握る剣に吸い込まれた。
朔月が宿った悠生の剣が白銀に染まる。
その光景を見つめていた莉桜は、見慣れた光景に目を見張った。
(今の...まさか)
ずっと握り締めていた太刀が、莉桜の心の声に頷くように熱を帯びる。
白銀に耀く自身の剣に悠生は驚き目を見張る。だが、そこから溢れ出る力に確信を持った。
(これなら)
再び、剣を構え悠生はソウジの懐に踏み込んだ。
悠生の剣の変化に気を取られていたソウジは、踏み込んで来た悠生の動作に反応が遅れた。
振り下ろされた白銀の刃がソウジの腕を肩から切り落とす。
「くっ」
斬られた左肩の傷口から、どす黒い瘴気の如き液体が溢れ出す。
その煙のようなそれは、到底ヒトのそれではなかった。
「覚えてなよ...」
切り落とされた左腕と刀を拾い揚げ、ソウジは忌々し気に悠生を睨みつけたまま、影に紛れるようにしてその場から姿を消した。
「莉桜さんっ」
ソウジの気配が完全に消えたのを確認し、悠生は莉桜の傍に駆け寄った。
衣服が汚れるのも厭わずに悠生は莉桜を抱き起す。
「ユウ...さん...駄目やん...夜に外出ちゃ...」
「それは貴方もでしょう」
自身が纏う上着を脱ぎ、莉桜の斬られた脇腹にきつく巻き付けた悠生は、莉桜の身体を軽々と抱き上げた。
いつもの莉桜なら殿方にこんな風に抱き上げられたら赤面して悲鳴を上げただろう。
だが、それすらできない程に莉桜は痛みに苦悶の表情を浮かべていた。
「ここじゃいつ怪夷に襲われるか分からないから」
一言莉桜の耳元で告げるなり、悠生はそのまま夜の逢坂の街を駈け出した。
蒸気に覆われた逢坂の暗闇の中。
切り落とされて腕を抱えてソウジは彷徨うように裏路地を歩く。
ズキズキと痛みながら、ぼたぼたと地面に滴り落ちる黒い液体が、黒煙を上げて蒸発していく。
だが、そんな痛みなど感じない程にソウジは興奮し、歓喜に満ちていた。
「はは、まさか、三日月だけじゃなくて失われていた朔月まで現れるなんて...」
喉を鳴らして笑い、ソウジは煤に煙る夜空を見上げた。
「ははははああああーーー」
その笑い声は、天を突くように暗闇の中に木霊した。
負傷した莉桜を抱えて悠生は真っ直ぐに彼が寝泊まりをしている旅籠屋『あさか』に飛び込んだのは、既に草木も寝静まる頃だった。
「美幸さんっ、美幸さん!」
どんどんと、旅籠屋の横にある母屋の戸を叩く音に、既に休んでいた美幸はゆっくりと目を覚ました。
「悠生さん?」
外から聞こえて来る悠生の常と異なる切迫した声に、ただ事ではない気配を感じた美幸は寝所を抜け出した。
「はい、お待たせしました」
ガラッと、引き戸を開けると、肩で息をした悠生の姿があった。
それに目を見張った後、美幸は彼が腕に抱いている莉桜を見つけるなり息を飲んだ。
「莉桜ちゃん!」
「美幸さん、直ぐにお湯と清潔な布を用意して下さい」
悠生の指示に美幸は強く頷いた。
「直ぐに持っていくから」
「俺の部屋にお願いします」
短く言葉を交わし、美幸は台所へと駆けていく。
その背を見送る事無く、悠生も二階にある自身の客室に駆け込んだ。
莉桜を布団にそっと横たえた悠生は、一言断りを入れて、莉桜の纏う着物を破った。
「悠生さん、お湯と布っ」
部屋に駆けこんで来た美幸はお湯の張られた桶とありったけ運んできた布を畳の上に置く。
「ありがとう」
「私、着替の着物取って来るから」
そう言って美幸は足早に部屋を出て行く。
その足音を聞きながら悠生は肩で呼吸をし、苦痛に顔を歪める莉桜に向き直った。
美幸が持ってきてくれた湯に布を浸けて、悠生は傷口の周りを拭い、汚れを落とす。
いまだ傷口からは血が滲み、布団をジワリと濡らしていく。
その傷口に悠生は布を押し当てて止血を始めた。
「埒が明かない」
彼にしては珍しく人前で舌打ちし、悠生は自身が本国から持ってきた荷物から数枚の護符を取り出した。
異国の文字で呪文の記された護符を、悠生は莉桜の傷口に押し当てる。
それは傷の治りを促進する治癒のまじないが施された物。
「莉桜さん...」
祈るように名を呼び、悠生は護符に自身の霊力を注ぎ込み、莉桜の傷口の傍へ近づけた。
バチンっ。
「つっ」
莉桜の身体に護符を当てた瞬間。見えない壁のような衝撃に護符が弾かれる。
弾かれた護符がボっと音を立てて燃え落ちた。
「なんで...」
まるで、悠生の霊力を拒むような霊力の流れに、悠生は驚愕する。
そこに戻ってきた美幸は悠生の傍に駆け寄るなり理由を口にした。
「莉桜ちゃん、特異体質なの」
「特異体質?」
確認するようにオウム返しをしてきた悠生に頷き、美幸は莉桜の傍に腰を下ろした。
「莉桜ちゃんは他者の霊力を跳ね返しちゃう体質なの。敵の攻撃とか防御系の術なら跳ね返したり無効化したり優位に働くけど、逆に仲間の支援や援護、治療は一切受け付けられない...」
莉桜の傷口の血を拭いながら美幸は淡々と話をする。
「悠生さんだから言うけど、莉桜ちゃんは膨大な霊力を有してるのにそれを制御できないんだって。だから、通信とかは三日月ちゃんが代行してるんだよ」
美幸の話を聞いて、悠生は普段の莉桜の様子を思い出した。
最初に会った時も、パトロンだという親友と通信をする時も莉桜からは霊力を感じなかった。
代わりに、彼女の肩にいつも乗っていた小さな生き物は悠生の目には淡い光の帯を纏っているように映っていた。
そこで、はっと悠生は莉桜が連れているハリネズミの姿が見えない事に気付いた。
「その三日月は...」
キョロキョロと辺りを悠生が見渡すと、朔月が部屋の隅に羽ばたくのが見えた。
その姿を追うと、部屋の陰から小動物が姿を現した。
畳の上に降り立った朔月が、三日月の背中を翼で優しく押す。
促すようなその行為に三日月は、チラッと朔月を見上げてから、とてとてと小さな足を動かして悠生の前に出た。
『悠生。そのお嬢さんを部屋から出してくれ』
再び脳内に響いた朔月らしき声に、悠生は小さく頷いた。
「美幸さん、化膿止めの軟膏はありませんか?それで対応します。それから、痛み止めの薬も」
「分かりました。直ぐにとって来ます」
強く頷き、美幸は再び部屋から出て行く。
美幸が階下に降りたのを確認し、三日月は悠生が差し出した手に飛び乗った。
『聖剣・
「君は朔月を知ってるのか?」
『会うのは初めて。でも、朔月はボクのお兄ちゃんだから...ずっと探してた...』
鼻先を震わせて三日月は悠生の問いに答える。
「俺も、彼女を助けたい。どうしたらいい?」
『ボクが、莉桜の霊力を吸い取っているうちにもう一度さっきの護符を使って...』
『三日月、オレも手伝うよ』
バサッと、羽ばたきを響かせて朔月は悠生の肩に乗る。
『ありがとう、お兄ちゃん...』
肩に停まる朔月を見上げて三日月は小さな頭を下げた。
「分かった」
二匹の協力を受け、悠生は再び先程と同じ護符を取り出した。
莉桜の肩に飛び乗った三日月は、目を閉じて大きく息を吸い込む。
朔月も莉桜の傍に降りて三日月同様に莉桜の垂れ流されている霊力を吸い取り始めた。
それまで、莉桜の周りに膜を張るように取り巻いていた霊力が、流れを変えて三日月と朔月に吸い込まれていく。
その隙をつき、悠生は再び護符に霊力を込めて莉桜の傷口にそれを押し当てた。
「これで様子を見ましょう」
血が止まった傷口に軟膏を塗り、包帯で保護をしてから、悠生は吸い飲みで莉桜に薬を飲ませた。
「止血、出来て良かった」
「しかし、油断はできません。陽が昇ったら医者を呼んで下さい」
莉桜を布団に横たえて悠生はホッと息を吐いた。
「そうね、明日緒方先生に来てもらえるようにちょっと出て来るわ」
「お願いします。俺は逢坂の医者は良く分からないから」
「そうね、莉桜ちゃん頑丈とはいっても、やっぱり黒結病の心配もあるから緒方先生に診てもらった方がいいしね」
ゆっくりと腰を上げて美幸は血が付いた布と桶を抱える。
「美幸さん、少し休んで下さい。莉桜さんは俺が見ていますから」
「そう。じゃあお願い。何かあったら遠慮なく呼んで下さいね」
悠生にそう言って美幸は汚れ物を抱えて階下に降りて行く。
その足音が聞こえなくなった途端、悠生は肩から力を抜いた。
じっと、布団に横たわる莉桜の顔をじっと見つめる。
名前を呼ぼうとして、唇が震えている事に気づいた。
それだけでなく、全身が震えている。
それは、恐怖からくるものだった。
莉桜の身体が貫かれた瞬間、目の前が一瞬真っ暗になった。
怖かった。
彼女を失うのではと思うと、怖くて堪らなかった。
崩れ落ちるように悠生は莉桜を寝かせた布団の端に寝転んだ。
まだ予断は許さない状態だが、一先ずは三日月と朔月の協力であらかた傷を修復する事は出来た。
「貴方が死ななくてよかった...」
莉桜の横顔を見つめ、悠生はそっと額を寄せる。
その手を握り、莉桜の指先を自身の口元に寄せて口づけをする。
唇から伝わる確かな温もりが、強張った悠生の心を解きほぐしていく。
自分でも驚くほど早鐘を打っていた心臓が徐々に落ち着いていく。
それが安堵から来るものだと気づいた時、悠生は自分の気持ちに確信を持った。
(ああ...俺は彼女が好きだ...ずっと傍にいたい...)
それは、自身でも驚く程の恋情。
激しくも愛おしい愛おしい感情に悠生は溜息を零した。
気が付くと、悠生はそのまま莉桜の傍で寝落ちしていたようだ。
意識を取り戻した時には、窓の外から陽射しが差し込んでいた。
「朝か...」
鈍く痛む額を押さえて悠生はゆっくりと身体を起こした。
ハッと、莉桜の方に目を向けると、彼女は規則正しい寝息を立てていた。
その姿に何故かホッとして、悠生は胡坐を掻いて畳の上に座ると、深く息をついた。
「良かった」
莉桜が生きているという現実に悠生は昨夜以上に安堵した。
更に視線を部屋の中に巡らすと、部屋の隅に置かれた座布団の上で、寄り添うようにして自身の鷹と莉桜のハリネズミが寝息を立てていた。
(そういえば...二匹は兄弟だといっていたが...)
鷹とハリネズミの兄弟。
俄かには信じられない事実に、悠生は内心眉を顰めた。
(一体...どういう意味なんだろうか...)
そんな事を考えていると、シーツの衣擦れが聴こえて、悠生は弾かれるように莉桜の横たわる布団に視線を向けた。
「ん...」
僅かに身じろぎ、瞼を震わせて、莉桜はゆっくりと目を開く。
ぼんやりと焦点の合わない目で天井を見上げた莉桜は、数度瞬きをしてから顔を横に向けた。
「ユウ...さん?」
枕元にいる悠生の存在に気づき、莉桜は大きく目を見張る。
何故ここに居るのかを問おうと口を開きかけて、脇腹に痛みが走り、莉桜は顔を歪めた。
「いたた...」
「まだ無理はしない方がいい...脇腹を貫かれているんだから」
起き上がろうとする莉桜の肩を押さえて横たえらせ、悠生は現実を告げた。
悠生の話を聞き、昨夜の事を思い出した莉桜は「あっ」と、声を上げた。
「ユウさん...昨日、なんで出歩いてたんですか...?規則違反ですよ」
「そういう莉桜さんだって、どうして怪夷を狩っているんだい?教えてほしいな」
質問したにも関わらず、質問を返され、莉桜はぐっと口を継ぐんだ。
「それは...」
悠生から顔を逸らし、莉桜は言葉を濁す。
暫くの沈黙が二人の間に流れた後、口を開いたのは悠生だった。
「怪夷を討伐する執行人...少しなら俺も既に知っているよ...君は、それなんだね」
悠生の指摘に莉桜はバツが悪そうに眉を寄せながら悠生の方に顔を向けた。
「はあ...もう...」
肩で溜息を吐いて莉桜は悠生にこれまで隠していた事を話しだした。
「なるほど、そういうシステムがあったのか」
莉桜から聞かされた話に悠生は好奇心を刺激された。
「そう...でも、観光都市を謳っている以上、怪夷が出るのを知られたらまずいんよ...だから私達執行人が夜は怪夷を討伐し、昼間は案内人として観光客を相手にするの。観光客が案内人を絶対に雇わなきゃいけない理由はそこにある訳なんよ」
「ふむふむ...」
「だから、ユウさんが夜間外出していたのはとても重罪なんですけど」
じっと、莉桜は悠生を見据えた。
当の悠生は苦笑いを浮かべて頬を掻いた。
「それはすまなかった。でも、莉桜さんも一人で夜警なんてよくないよ。俺で良かったら協力するから」
ニコリと微笑まれ、莉桜はむっと頬を膨らませる。
布団を目深に被り、悠生から視線を逸らして莉桜は溜息を吐いた。
「貴方が無事でよかったよ」
顔を逸らす莉桜に悠生は素直にそう告げる。
「もう...」
悠生ののんびりとした様子に怒る気力を削がれ、莉桜は肩を落とした。
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