第九章ー聖剣の行方

第三十七話



 ゴロゴロと、逢坂の街を覆う黒い雲から、時折稲光が迸る。

 ぽつり、ぽつりと夕立が降り出した街の中。

 猛は重い足を引きずりながら中之島にある軍警本部を訪れていた。

 門の前に立ち、思わず溜息が零れる。

 だが、ここでうじうじしていても仕方ないと自らを奮い立たせて猛は古巣の門戸を潜った。

「おや、魚住さんじゃないですか」

 受付にいたのはかつての同僚だった。

伊澤いざわさん、お元気そうですね」

「そういう貴方も。今日はどのようなご用件ですか?」

「ああ...その、落とし物の相談なんだが...」

 ちらちらと辺りを気にしながら、猛は伊澤の傍に顔を寄せると、言い難そうに切り出した。

「落とし物ですか?どのようなモノでしょう?お財布ですか?」

「あ、いや...実は...」

「おう、魚住じゃねえか」

 伊澤に内容を伝えようとした猛は、自身を呼ぶ声にびくりと肩を震わせ、反射的に背後を振り返った。

「あ、なんで...」

「ああ?なんだその、幽霊見ましたみてえな顔は?」

 猛が振り返った先。軍警本部の正面玄関にいたのは、帝都で近衛隊に属するものが纏う黒の詰襟の軍服に身を包んだ、かつての上司。

「土方隊長!お戻りになったんですね」

 口をわななかせて驚いている猛とは対照的に上官の帰還を素直に喜ぶ伊澤が声を張り上げた。

「おう、伊澤。元気そうだな。なあ、このでくの坊は何固まってるか理由知らねえか?」

 受付に大股で近付きざま、土方は眉を顰めて猛を指差した。

「ああ、今その理由を聞こうとしていた所だったんですが...なんでも、落とし物の相談みたいで」

「ば、伊澤さんっ」

 今一番会いたくなかった人物に話された内容に猛は、焦った様子で口留めをしようとする。が、事は既に遅かった。

「落とし物...ねえ。魚住、お前何を失くしたって?」

 伊澤に向けていた笑みを消し、土方は鬼の副長と呼ばれていた頃の片鱗を滲ませながら、顔を覗き込んで来る。

「実は...その...」

 土方からやや視線を逸らし、猛は震える唇を持ち上げる。だが、一向に話しだす気配がない。

 怪訝に眉を顰めた土方が、猛の全身をまるで検問をするかのように見渡した。

 チッと、舌打ちが零れた後、突如として猛の襟首が掴まれた。

「っ⁉」

 突然の事に驚く猛を、有無を言わさずに土方は引き摺りだした。

「伊澤、こいつ借りてくぞ」

「あ、はい」

 反射的に返事をした伊澤の目の前から土方は抵抗する事も忘れた猛を引きずり、本部の奥へと入っていった。

 土方に引きずられて連行される猛を伊澤は複雑な思いで見送った。



 猛が土方によって連れて来られたのは、軍警の隊長室。

 そこには丁度、土方の訪れを待っていた斎藤と永倉がいた。

「お帰りなさい土方さん。って、なんで魚住まで?」

 土方が襟首を掴んで引き摺って連れて来られた魚住の姿に、開口一番永倉は疑問を放った。

「エントランスで見つけた。で、魚住、お前、何を落したって?」

 永倉の疑問に答えながら土方は襟首を掴まれて猫のように身体を縮めている猛を見下ろした。

 鋭い視線を感じながら、ごくりと息を飲んで猛はゆっくりと顔を上げた。

「...申し訳ありません...軍警に移動した時の祝いに土方さんから頂戴した刀を失くしました...」

 いつもの猛からは想像もつかない弱弱しい声で、素直に白状する。

 直後、猛の頭上に拳が振り下ろされた。

「~~~っ」

 星が散り、ズキズキと痛む頭を押さえて猛は床に蹲る。

 その様子を斎藤と永倉は哀れむように見つめ、鉄拳制裁を加えた土方本人は、赤くなった拳を撫でながら大仰に溜息を吐いた。

「お前なあ...分かってんのか?折れたならまだしも、武士の魂たる刀失くすた、どういう神経してやがんだ?」

「も...申し訳ありません...」

 目元に涙を浮かべながら声を絞り出す猛を一瞥し、土方は懐から煙草を取り出して火を点けた。

「たくっ、江戸の世なら局中法度適用で切腹だからな」

(って...刀失くす方がイレギュラーだよね)

 紫煙を燻らせながら猛に説教をする土方に永倉は胸中で思わずツッコミを入れた。

「というか、魚住、なんでまた刀失くしたの?お前、あれは肌身離さず持ってたじゃん」

 床に座り込んだ自分を覗き込むようにしゃがんだ永倉に訊かれ、猛は重たい口を開いた。

「実は...昨日祭りで賑わう市中に出かけまして...そこで男とぶつかった後に、ない事に気づいて...」

 悄然と肩を落としながら猛が話した内容に、土方を含め、残りの二人も眉を顰めた。

「魚住、それは失くしたというより、盗まれたのではないですか?」

 斎藤に聞かれ、猛はキョトンと目を円くする。

 だが、昨日の状況を思い出して段々そんな気がしてきて、猛は土方達の前で床に頭を擦り付けた。

「申し訳ございません!少将から賜った刀を失くした事、どんな処罰も受ける所存です!なんなら切腹でも」

「あーそうだな...取り合えす、これ書いとけ」

 溜息と共に差し出されたのは、一枚の紙きれだった。

「始末書でしょうか?」

「阿保、被害届だ。新選組や軍じゃねえんだ。きちんと公務として受理してやるから、届け書いとけ」

 渡された紙に目を通すと、そこには氏名や住所、被害状況の詳細欄などの文字が並んでいた。

「...たく、切腹なんてさせたら誰が秋津川の嬢ちゃんの監視すんだよ。お前意外に適任いねえだろ」

 隊長室にあるソファに腰を下ろし、煙草を大きく吸い込む土方を、猛は大きく目を見張って見つめた。

「あ、ありがとうございます!」

 被害届の紙を握り締め、猛は感極まった様子で深々と、額が擦れる程に頭を下げた。

「そういや、どうなんだ?嬢ちゃんの様子は?」

「今の所、以前と変わりません。莉桜さんが事務所から出て行った時は少し不安定でしたが、今は落ち着いています」

「九頭竜、戻せねのかよ?あの嬢ちゃんの安定剤だろ?」

「それが...どうにも意志が固くて...」

 猛の報告を聞き、土方は眉根を寄せた。

「まあ、近くにいるなら別に構わねえよ。だが、そっちもしっかり見張れよ」

「承知しました」

 土方からの指示を受け、猛は今度は顔を上げて立ち上がり、綺麗に敬礼をした。




 軍警本部を辞して、秋津川事務所のある玉造に足早に戻って来た猛は、玄関の前で息を飲んだ。

「な...なんで...」

 玄関先に立てかけてあったモノを前に、耐猛は言葉を失った。

 そこにあったもの、それは。

 猛の盗まれた愛刀だった。

 自身の愛刀を反射的に猛は拾い上げる。

 その無事を確かめたと同時に、猛の脳裏には嫌な予感が浮かんでいた。

 軍警の本部を辞する間際に聞いた報せといい、ぐにゃりと視界が揺らぐ。

 夕立が過ぎ去った後の逢坂の街は、蒸気の雲と煤が洗い流され、珍しく星空が見えていた。

 だが、まるで何かを告げるように西の空は血が飛び散ったような赤に染まっていた。




 悠生との夏祭りを楽しんだ後。

 時刻は午後十一時。

 その晩も莉桜は一人で夜警へと向かっていた。

 雪那には出なくていいと言われていたが、どうしても辻斬りと遭遇したかったのだ。

 五年前の真実を確かめる為、辻斬りに遭わなければならない。

 彼、または彼等が里を襲った者達と同一人物かはまだ、分からない。

 それでも、確かめずにはいられれなかった。


 慣れた夜道を莉桜は一人進んで行く。

 お祭りの時期であっても零時近くになればそこは完全に夜闇に包まれる。

 常と変わらぬ逢坂。

 だが、莉桜は直ぐにそれを見つけた。

「怪夷...」

 暗闇の中で蠢くそれは、怪夷のランクD。

 雑魚であっても、十体程が群れていれば、それは脅威だ。

 だが、怪夷を滅する事の出来る聖剣の所有者である莉桜には、大したことではなかった。

「三日月、結界展開して」

『僕だけじゃ弱らせるのは難しいよ』

「それでもいい、補助くらいになれば」

 主の言葉に三日月は鼻先に陣を展開すると、小さな光を四方へと飛ばした。

「よし、行くわよ」

 莉桜の呼びかけに、三日月の身体が淡い光を放ち、鞘から抜かれた刀身へ吸い込まれる。

 直後、目映い銀色の光が周囲を灯した。

 光に当てられて莉桜の近くにいた怪夷は一瞬にして塵となって消滅する。

 仲間が消えた事に動揺し、身体を揺らす怪夷に向かって、莉桜は容赦なく太刀を振り下ろした。

 銀の刃に切り裂かれた場所から、怪夷の身体は塵となり、影を断末魔のように濃く残して消滅する。

 更に、二体、三体、と莉桜はランクDの怪夷を屠っていく。

 八体目、九体目を倒した矢先、莉桜の前を刃の閃きが掠めた。

 反射的に莉桜はその刃の一閃を後方に退いた回避した。

「へえ、凄いな。私の太刀筋を躱すなんて。君、やるね」

 暗闇の中から、くすくすと笑う声が響き渡る。

 太刀を構え直し、体制を整えて莉桜は暗闇の中に問いかけた。

「あんたが、辻斬り?」

 莉桜の問いかけに、ニヤリと暗闇が笑う。

 莉桜の視界の前に現れたのは、黒く長い髪を頭部の上に結い揚げた若い男。その容姿は美男子と称される程に美しいものだった。

 子供のように無邪気に笑う彼が纏うのは

 白い小袖と黒い袴。肩からは浅黄色の裾の破れた羽織を羽織ってその人物を、莉桜は静かに見つめた。

「だったら、どうする?」

 莉桜の問いをはぐらかすように答えた男が握るのは、漆黒に染まる刃。

「あんた、この間の...」

「あれ?覚えててくれたんだ?じゃあ、ご褒美、私はソウジ。そう、君達がお探しの辻斬りだよ」

 不敵に笑いながら、“ソウジ”と名乗った人物を莉桜は真っ直ぐに見つめる。

「あんたに聞きたい事が沢山ある、でも、まずはお縄についてくれるっ」

 太刀を構え、間合いを見計らうと莉桜は相手よりも一歩先に踏み出した。

 踏み込んで来る太刀をソウジは漆黒に染まった刃で受け止めた。

 夜闇の中で二つの閃光が煌めき、火花が散る。

 数度、常人の目には僅かな残像しか映らなに速さで、二人は刃を交わし合う。

 上段から振り下ろされた莉桜の刃を、ソウジの刀が水平に横を薙いで受け止める。それの勢いのままソウジが刃を振り上げれば、莉桜は一歩引いて正眼で迫りくるソウジの刃を受け流す。

(凄い...逢坂でこんな剣の使い手初めてだ...辻斬りが一太刀で執行人を斬って回っていたのがよく分かる)

 相手の太刀筋を凝視して莉桜は内心関心を寄せる。

 洗練され、研ぎ澄まされて剣の軌道。これは、怪夷相手に剣を振るう執行人とは違う。

 人を斬る事に特化した剣筋。

(この人...一体なんなん?)

 見た目は確かに人だ。

 だが、ソウジと名乗った男からは人ではなく、怪夷と似た気配を感じる。

 それは、彼が持つ禍々しい漆黒の刀のせいか。

 それとも、本人のものか。

 気配を読み取ろうと神経を研ぎ澄ました瞬間、莉桜の頬を漆黒の刃が掠めた。

「痛っ」

「あは、よそ見してると綺麗な顔に傷がつくよ」

 ニコリと、笑みを浮かべるその表情に莉桜はぞくりと、悪寒を感じた。

(この人...人を斬るのを楽しんでる!)

 美しい容貌に男が浮かべるのは、この状況を純粋に楽しむ邪悪な笑み。

 常人ではありえないその異常な笑みを前に莉桜は息を飲んだ。

「ああ、楽しいなっこんなに人と斬り合うのが楽しいのは久し振りだよ!聖剣使いが弱かったらどうしようかと思った」

 ニヤリと、口端を釣り上げたまま踏み込んだ来たソウジを莉桜は咄嗟に切っ先を下に向けて突き込まれた切っ先を受け止める。

 ぎりりと、鉄の擦れる音がする銀と黒の刃越しに、莉桜とソウジは互いを見据えた。

「聖剣...あんた、この太刀の事知ってるん?」

「知ってるも何も、私達の目的はそれだし、ああ、君の名前教えてよ。覚えといてあげるからさ」

 不敵に笑うソウジ。

 その狂気に満ちた紅い双眸を見つめ、莉桜は鍔迫り合いをしたまま、唇を開いた。

「莉桜...九頭竜莉桜や」

 莉桜が名乗った瞬間。ソウジの表情が不意に感情を消す。

「がはっ」

 莉桜の腹に、ソウジは足を突き出して後方の辻壁へと蹴り飛ばした。

 思わぬ攻撃に反射的に受け身を取るが、莉桜は土壁に背中を打ち付け、ズルズルと地面に滑り落ちた。

「九頭竜...はは、ははははああああっ嘘だろ!偶然にも程があるよ!やっぱり君があの九頭竜莉桜なんてっ」

 顔を掌で覆い、歓喜に満ちた高笑いを虚空に迸らせた。

 肩を震わせてひとしきり笑った後、ゆらりとソウジは莉桜の方へ向き直った。

「はは...じゃあ、君にはここで死んでもらわないと...あの人の計画に邪魔だからね」

 ふらりと、左右に揺れて数歩踏み出した直後、一瞬のうちにソウジは莉桜の前に現れた。

「くっ」

 背中に走る激痛に耐えながら辛うじて立ち上がっていた莉桜は、ほとんど本能的にソウジの刀を受け止めた。

 だが、右往左往と繰り出される剣筋を受け止め切れす、流せなかった僅かな刃が莉桜の腕や足、衣服を切り裂いて行く。

 全身に小さな切り傷が刻まれ、血が滲む。

「そんな状態で私の刀全部受け止めるとか、どんだけだよっでも、そろそろ遊びは終わりだ...名残惜しいけどね」

 それまで笑みの形に歪んでいたソウジの口元から笑みが消える。

 それは、まさしく本気の様相。

 踏み込んできた莉桜を横に躱したソウジは、背後から莉桜の脇腹に刃を突き刺した。

「がはっ」

 肉を抉る刃の冷たい感触と、鮮血に染まる斬られた場所に熱が籠る。

 刃が抜かれ、鮮血が夜の闇の中に飛び散り、地面に滴り落ちる。

「サヨナラ」

 地面に倒れようとする莉桜の頭上に刃を振り下ろすべく、ソウジは漆黒の刀を振り上げた。



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