第三十九話
帝都から戻った雪那は事務所に誰もいない事に溜息を吐いた。
「やれやれ、僕が戻ったのに出迎えないとはね...う~ん、出発の時はあんなに熱烈だったのに」
かれこれ二日前とのギャップに雪那は肩を竦めた。
「雪那さん、お帰りなさい」
裏口からひょこっと現れた雨の存在がせめてもの慰めだった。
「ただいま。猛がいないとか珍しいんだけど。あいつ何処行った?」
食堂の椅子に腰を下ろして雪那は何げなく雨に訊ねた。
だが、いつもなら直ぐに返って来る少年独特の甲高い声は、直ぐには答えを紡がない。
それどころか、何故か気まずそうに雨は雪那から視線を逸らした。
「雨?」
「あ~猛さんなら、夕飯の買い出しに...」
不審に思った雪那が雨の方を見ると、どういう訳か雨は忍び足でその場から立ち去ろうとしている。
「雨、君さなんか隠してるでしょ?」
「え?そんな事無いですよ?」
眉を顰めて問いかけてくる雪那から身体ごと逸らして雨はゆっくりと裏口の方へと向かう。
「刹那」
名を呼ばれた猫が、ひょいっとしなやかに雨の行く手を阻むように躍り出た。
「あ、刹那、酷い」
「なんで逃げるのさ?まさか、僕が帰って来たのを祝うサプライズを計画してたとか?」
雪那の予想に雨は「それは違います」と、一言で否定して、雨は深い溜息を吐いた。
「猛さんなら、落とし物をしたから軍警に届いていないかを確認に行きました」
「落とし物?珍しい事もあるもんだね。それならそうと早く言えばいいじゃん。別に隠すようなことないでしょ?」
首を傾げている雪那から視線を外したまま、雨は頬を引き攣らせた。
「で、何を落したって?財布?」
「あ~それが...」
これ以上の追及は逃れられないと、雨は雪那が留守にしていた間の事を話し出した。
猛が軍警隊長の執務室を辞そうとしていた時、コンコンコンと、扉がノックされた。
その音には焦るような気配が滲んでいた。
「斎藤隊長、失礼致します。早急にお耳に入れたい事が」
「入りなさい」
斎藤の促しに、扉が勢いよく開かれる。
転がり込むように入って来た部下は部屋にいた土方や永倉に敬礼をしてから斎藤の傍に駆け寄った。
「どうしました?」
「は、昨夜例の辻斬りが出たそうです」
部下が告げた内容に、その場にいた誰もが頬を強張らせた。
「場所と状況を報告しなさい」
「はっ。場所は南船場付近。目撃者はいませんが、今朝地面に出血の後と怪夷の残骸が見つかったとのことです」
「被害者は?」
「遺体などは見つかっていませんが、これが現場に落ちてい居ました」
そう言って部下が差し出したのは、桜を象ったピアスの一部だった。
「あっ」
部下が差し出して来たそれを見た瞬間、猛は思わず声を上げて驚いた。
「魚住?どうかしましたか?」
頬を強張らせてピアスを凝視している猛に疑問を抱き、斎藤は声を掛けた。
「それは...莉桜さんの...九頭竜のピアスです」
「ちょっと待て、じゃあ、辻斬りの被害者は⁉」
ハッと、永倉は猛の顔を凝視して息を飲み込んだ。
「直ぐに捜索隊を編成してください。まだどこかに痕跡があるかもしれません。被害者の安否確認も急ぎなさい」
「了解致しました」
斎藤の指示に、部下は足早に執務室を出て行く。
「魚住、秋津川の嬢ちゃんがもう帰っているだろうから、お前も帰れ。この事、少しあの嬢ちゃんに知られないようにしてくれ」
「分かりました...では、俺はこれで失礼します」
土方含め、かつての上司達に一礼をして、猛は足早にその場を後にした。
「あの猛が珍しい...」
雨から聞いた一部始終に雪那は呆れを通り越して憐れみを感じた。
猛が愛用している刀は、彼が名古屋戦線の討伐軍から逢坂の軍警に移動した時に尊敬する土方から送られたものだと聞いている。
そんな大切な物を失くしたとあっては、本人も気が気でないだろう。
「猛さん、かなり落ち込んでいたので、あんまり怒らないでくださいね」
「うん、まあ、怒らないけど...」
雨に念押しをされ、雪那は肩を落とす。
雨の話を聞いてどうしたものかと困惑していると、玄関の扉が開く音がした。
「ただいま戻りました」
「あ、猛お帰り」
上がって来た猛にいつもと変わらずに雪那は出迎える。
雪那の姿を見るなり、猛はびくりと肩を揺らした。
帰り際に土方が言ったいた事が本当だったことに驚きつつ、猛は恋人の顔を真っ直ぐに見られなかった。
「雪那さんも、お帰りなさい...すみません。出迎え出来なくて...」
「それはいいけど...猛、君刀失くしたって...」
単刀直入に指摘を受けて猛は肩を震わせて更に顔を逸らす。
「別に怒らないけど...今後の怪夷討伐に支障が出る前に見つかるといいけどね」
「怪夷討伐は問題ありません。いざとなれば拳で何とか出来ますから」
空元気を振り絞る猛に雪那は苦笑する。
「まあ、無理はしないでよ」
雪那の気遣いに返事をして、猛はようやく雪那を真っ直ぐに見つめた。
「さて、取り合えず莉桜に帰った事報告しないとね」
居間の椅子に腰掛て雪那は刹那を横に置いていつものように通信用の術式を展開する。
魔法陣に雪那は莉桜の通信機へ呼びかけた。
だが、いつもなら直ぐに出るのが、一向に応答がない。
「あれ?」
『雪那、妙だ』
傍にいた刹那が声を潜めてそう言う。
『三日月も応答しない...』
「え?」
刹那の言葉に雪那は目を見開く。
いつもなら、莉桜に通信を繋ぐと、術式の使えない莉桜の代わりに三日月が最初に応答するのだが、それすらない事に刹那は怪訝に眉を顰めた。
「莉桜が応答しないのはともかく、三日月が反応しないのは奇妙だね」
『何かあったのかもしれない』
不穏な予想に雪那は唇を引き結ぶ。
「莉桜...」
咄嗟に雪那は椅子から立ち上がると、猛と雨の方を見遣った。
「二人とも、莉桜の居場所知らない?通信が繋がらないんだけど...」
雪那の質問に雨はふと、昨日の事を思い出す。
「そういえば、昨日案内人の仕事を引き受けている方と一緒でしたよ」
「ああ、例の外国人さんか...最近仲いいよな」
「実際、とても仲睦まじい感じでしたよ。そうだ、確か莉桜さん、昨日も夜警に出ると言っていました」
それは、いつもと変わらなに会話だった。
だから、雪那は普段ならそうか、と納得しただろう。
けれど、その時ばかりは直感のようなものが働いた。
「莉桜、一人で夜警に出たの?」
「そういっていました。あれから僕も会っていないからどうしてかはまだ聞いてないですけど...そういえば、朝方はまだ戻ってきてないです」
雨の話が
何処か遠くの声のように聞こえる。
「雨...莉桜、戻ってないの?」
何かが崩れるような音が、雪那の中で響く。
それに合わせるように、傍を通りかけた猛のポケットから、桜の花びらが落ちた。
「猛さん、何か落ち...あれ、それ莉桜さんの通信機のピアスじゃ?」
床に落ちた物を拾おうとしている猛より早く、雪那は床に落ちた桜を拾う。
「あ...なんで...」
それは、いつも莉桜の左耳で揺れているピアスの一部。
通信機の役割を担うそれを見て、雪那の表情がみるみると青ざめた。
背筋が凍る。
思考が停止するのを防ぐかのように、雪那は彼女にしては珍しく猛に喰ってかかった。
「猛、これ、どうしたの?なんで君が莉桜の持ち物持ってるの?」
「それは...」
雪那に詰め寄られ猛は、内心言葉を詰まらせた。
土方からの忠告が数時間もしないうちに効力を失くす。
「さっき、軍警の本部に行った時に、昨夜辻斬りがあったと思われる場所でこれが発見されたと...」
辻斬り。
そのワードを聞いた瞬間、雪那は猛の胸倉を掴んでいた。
「なんで...一人で行かせたの?僕は、夜警には行かなくていいって言ったよね?」
ぐっと、猛の胸倉を掴みながら、震える声で雪那は詰問する。
「すみません。昨夜は莉桜さんの居場所を知らなくて...」
「それで、莉桜は?」
「すみません...行方不明らしくて、今軍警が捜索を」
「ふざけんな!」
バンっと、雪那は猛をの胸を叩くと、くるりと踵を返した。
「雪那さん、何処に」
「決まってる、莉桜を捜しに行くんだよ!怪我してるかもしれないでしょ!もし、最悪の場合になってたら」
きっと、肩越しに雪那は猛を振り返る。
その眦にはうっすらと涙が浮かんでいた。
「猛、後でお仕置きだから!」
「あ、雪那さん、僕も行きます」
一人飛び出して行く雪那の後を雨は慌てて追いかける。
その後を刹那も付いて行く。
その場に一人残された猛は、暫し躊躇っていたが、拳を握り締めて決意を固めると、大きく一歩を踏み出した。
「俺も行きます」
遅れて猛も雪那達と共に事務所を飛び出した。
事務所を飛び出した雪那達は、まず四天王寺にある緒方診療所へと足を運んだ。
すると、そこには見知った人物がいて雪那は彼女と鉢合わせになった。
「あれ、美幸ちゃん」
「あっ雪那ちゃんっ」
診療所の待合室に駆けこんで来た雪那の姿を見つけるなり、美幸は足早に駆け寄って来た。
「良かった。ごめんね、連絡が遅くなったけど、今莉桜ちゃんうちにいるの」
腕を掴み、美幸は雪那に莉桜の所在を告げる。
「美幸ちゃんの所に⁉」
「うん...でも、怪我してて、今緒方先生達を呼びに来たの」
「莉桜、怪我してるの?え?生きてるの?」
震える声で問いかける雪那に応えようとした美幸の声を遮るように、緒方が話しかけて来た。
「今からそれを確かめに行く。アイツ、術式の治療は出来ないだろう。私が直接治療するしかないだろう」
治療道具を詰め込んだ鞄を手に、緒方は雪那の肩を叩くと、美幸の経営する旅籠へと促す。
「今日は診療は臨時休業だよ。朝霧さん、案内して」
同じく治療道具を詰めた鞄を抱えて華岡も美幸達を促した。
雪那達と合流した美幸は、彼女達を旅籠へと導いた。
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