第二十一話


 秋津川邸に転がり込んで一カ月が経った。

 その間莉桜は傷を癒しながら雪那と出かけたり調べ物をしたりして過ごしていた。

 私室にと与えられた和室には、様々な資料や書物が山積みになっていた。

「莉桜、何調べてるの?」

 畳の上で愛猫の刹那と莉桜が連れているハリネズミの三日月とじゃれつきながら雪那は文机に向かっている莉桜に声を掛けた。

 動けるようになって暫くは神戸の街に遊びに出かけたりしていたが、最近は朝・夕の剣の稽古の時間以外、莉桜はずっとこの私室に籠って調べ物をしていた。

「怪夷について」

「里襲ったのが怪夷だから?」

 三日月の喉元を指でくすぐりながら雪那は問いかける。

「まあ...」

 雪那の問いかけに曖昧に答えながら莉桜は資料のページを捲る。

「...やっぱり逢坂か...」

 ぽつりと、呟いた莉桜を見上げ雪那は首を捻る。

「逢坂って、大阪の事?」

「そう、大災厄の後、帝都を護る防衛都市になって名前を改めたあの大阪」

「あそこって確か、今はかなり外界から隔離された場所じゃなかった?蒸気観光都市謳ってるけど、入るのにかなり大変らしいよ」

「でも、怪夷の情報を知るならやっぱりあそこしかないって」

「怪夷の研究所が大阪城にあるって噂の事?」

 こくりと頷き、莉桜はおもむろに腰を上げた。

「そろそろ稽古の時間だから中庭行ってくる」

「じゃあ、僕はお茶菓子持って見学しようかな」

 ごろりと身体を起こした雪那は畳の上で腕を伸ばす。

「ねえ雪那」

「なに?」

「...一緒に、逢坂に行く気ない?」

 唐突な言葉に雪那は目を丸くする。

 返答に困っていると、莉桜は「気にしないで」と、首を横に振り、三日月をひょいっと拾い上げた。

「じゃあ、中庭で」

 部屋の壁に掛けていた太刀を手に莉桜は私室を出て行く。

「......」

 ぱたんと障子戸が閉まるのを雪那は静かに見つめていた。


「逢坂に行きたい?」

 その日の夜。

 秋津川伯爵が久し振りに帰宅したのを見計らい、莉桜は雪那と共に彼の執務室を訪れた。

「はい、こちらでお世話になってばかりでは申し訳ないので、そろそろ自分自身で生きて行こうかと。私ももう十五ですから」

 秋津川伯爵の執務机の前で莉桜は堂々と考えを口にする。

「君の里を襲ったのは間違いなく怪夷だ。それは先日調査に向かった政府関係者からの報告で明らかになった。...だから、かな?」

「それもあります」

 伯爵の問いかけに莉桜は頷く。

(これも時が来たというべきか...)

 ふむ...と僅かに考え込み、秋津川伯爵は莉桜の後ろにいる雪那に視線を向けた。

「雪那、お前もそろそろ独り立ちをする頃だろう。莉桜君と共に逢坂に行きなさい」

「え?僕も?」

 突然話を振られて雪那は目を見張った。

「いつまでも親元でのうのうと暮らすつもりか?いい機会だ、世間の荒波にもまれてきなさい」

 まるで飛び火のような父親からの指示に雪那は当惑する。

「莉桜君、申し訳ないが娘も連れて行ってはもらえないか?」

「私は構いませんが、本人次第では?」

「それは問題ない。君さえ了承してくれるなら、無理矢理にでも同行させる」

 じろりと、莉桜の背に隠れる様にしている娘を見据え、伯爵は淡々と告げる。

「分かりました。私も雪那がいてくれた方が心強いので、その申し出了承します」

「そういう訳だ雪那、逢坂への居住手続きと街への入場に必要な証明書類、汽車の切符は手配する。用意出来次第出立しなさい」

「...はい」

 父親の有無を言わさぬ要請に雪那は渋々ながらも了解した。


 秋津川伯爵秋津川伯爵執務室を辞した後、莉桜と雪那は風呂の入る事にした。

「雪那、ごめん。さっきの話」

「父さんがああいうなら仕方ないよ。前々から独り立ちしろって言われてたしさ」

 大理石を掘り抜いて造られた湯船の縁に腰を下ろし、雪那はへらっと笑う。

 突然の事だったが、それなりに予測はしていたのか、雪那は納得しているようだった。

「それに、莉桜がいるなら大丈夫だろうし。僕も逢坂には行ってみたかったから、気にしてないよ」

「ならいいけど...」

 湯船の中に浸かりながら自分の肩を抱えて莉桜は申し訳なさそうに肩を落とす。

 波紋を立て、湯に身体を浸けて雪那と莉桜は並んで座る。

「逢坂で、何する気?」

 天井を見上げながら雪那は不意に問いかける。

「逢坂には、『執行人』っていう怪夷討伐の職種があるから、まずはそれを目指す」

 この一ヶ月で調べた内容を反芻し、莉桜は雪那の問いに答える。

「それから先はまだ決めてない...かな」

「行き当たりばったりじゃん。あま、行ってみないと分かんないか」

 湯船の中で伸びをして雪那はやれやれと肩を竦める。

「迷惑かけるよ?」

「それはお互い様じゃない?僕が変なモノ引き寄せる体質なの、知ってるでしょ」

「それいったら、私だって色々面倒くさいでしょ」

「じゃあ、お互い様でいいんじゃない。互いに助け合えばいいよ」

 雪那のさりげない一言に莉桜は思わず目を丸くして、隣にいる雪那を見る。が、直ぐに膝に顎を載せて首まで湯に沈むと、「うん」と相槌を打った。

「...よろしく」

「うん、よろしく」

 どちらからともなく、莉桜と雪那は握手をするように、湯の中で手を繋ぐ。

 静かな夜に、湯船を満たす湯の流れる音がこんこんと響いていた。



 莉桜が逢坂行きを決めて三日目。秋津川伯爵は彼が言った通りに逢坂行きの汽車の切符や書類を揃えてくれた。

「汽車は明日の昼発の物だ。それと、逢坂に着いたら迎えを頼んでおいた。暫くはその者を頼るといい。私は明日から泊まり込みになるから見送りは出来ないが、健闘を祈っているよ」

「色々とお気遣い頂いてありがとうございます」

 秋津川伯爵から封筒を受け取り、莉桜は深々と頭を垂れる。

「雪那も気を付けてな。たまには手紙を送りなさい」

「はーい。近況報告くらいはするよ」

 父親の言葉に雪那は返事をする。そのやり取りに緊張感はなく、まるで直ぐに帰ってくるかのような軽い物だった。

 既に荷造りは済んでいたので、二人は急な出発でもそれ程驚かなかった。

 伯爵の執務室を辞して、二人はそれぞれの部屋に向かい廊下を歩く。

「雪那、後悔しない?」

 渡された切符を手に、莉桜は再び雪那へ問いかける。

 正直、今回の逢坂行きは自ら決めた事だ。一人では少し心細いとは言え、雪那を巻き込んだ事を莉桜は少なからず後悔していた。

「今ならまだ、止めることだって」

「何言ってるのさ、もう決めた事だからいいよ。今更でしょ。だいたい、うじうじ考えてるのは莉桜じゃん。僕はとっくに覚悟決めてるよ。そうじゃなきゃ荷造りとかしてない」

 さらりと言ってのけた雪那の逞しさに莉桜は救われた気がして小さく頷いた。

「なら、いいや...」

 そう自分を納得させた莉桜は、横を歩く雪那の顔を真っ直ぐに見た。

「明日、寝坊しないでね」

「昼発だから大丈夫だよ」

 ふふ、と互いに笑みを浮かべて挨拶を交わし、莉桜と雪那はそれぞれの私室に入る。

(いよいよか...)

 逢坂行きの切符を見つめ、莉桜は湧き上がる高揚感に大きく呼吸をする。

 逢坂に行って、真実を知れるかは分からない。だが、ここでじっとしている訳にはいかない。

 里を襲った者が何者なのか。怪夷を従える事が人間に可能なのか。あるいは、ヒトの形をした怪夷が存在するのか。

 確かめなければならない。

(父さんが私だけを逃がしたのにはきっと理由がある筈。それを突き止めなきゃ...)

 薄暗闇の中、壁に掛けられた神刀三日月を見つめ、莉桜は決意を露わにする。

 神戸での最後の夜が静かに流れていった。

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