第十九話

 

 反射的に莉桜は太刀の峰を向けて振り下ろされた猛の拳を受け止める。ズシリと重い拳圧に石畳の地面が音を立てて陥没する。

「ぐ...なんなんよ」

 歯を食いしばり莉桜は、腰を僅かに屈めると、その反動を利用して拳を押し返し、猛の脛に蹴りをかました。

 衝撃に猛の身体が僅かに揺らぐ。

 拳の圧が一瞬和らいだ隙をついて莉桜はその場から身を引いた。

「莉桜さん!」

 突然莉桜に襲い掛かった猛に驚きつつ、雨は莉桜を助けようと銃を猛に向ける。

「雨、待って」

 それを、雪那の鋭い制止の声が止める。

「雪那さん...」

 ビルの上。横に並んで立つ雪那の固い表情に雨は困惑する。

「雪那っ一体あれは何なのよ!」

 まるで飢えた獣が獲物を狙うような眼光を仲間に向けてくる猛を指差しながら莉桜は声を上げる。

「僕も知らないよ。でも、ここは...」

 すっと、雪那の髪の色が藍色交じりの黒から赤に変わり、瞳が金色から妖艶な紫色に変わる。

「オレの出番だな」

 ニヤリと、不敵な笑みを滲ませ雪那は何処からともなく一本の真っ直ぐな杖をだした。

「莉桜、そのノーキンの相手変われよ」

 ビルの上から飛び降り、地上に降りて来た雪那を莉桜は溜息と共に迎える。

刹那せつなか...了解。援護はする」

 口調と雰囲気の変わった雪那を莉桜は刹那と呼ぶ。 

 戦闘時、切り札としてその意識を顕す刹那は雪那の持つもう一つの人格だった。

 くるくると杖を器用に回転させ、ピっと刹那はその先端を狂戦士と化した猛に向けた。

「まさか久し振りの戦闘の相手が仲間とはね」

 やれやれと肩を竦める刹那にも猛は問答無用で迫って来る。

 杖を構えた先に淡い球が浮かび上がる。

 それを刹那は欧州より渡ってきた撞球ビリヤードの要領で突くと、球を猛目掛けて打ち付けた。

 刹那が突いた球が猛に当たる。

 一瞬よろめいた猛だったが、身体に当たった珠はそのまま吸い込まれた。

 直後、猛の身体が更に一回り大きくなる。

「なあるほど。聞いてたのと全然違うじゃん」

 まるで、何かの確証を得たような呟きを零した刹那は、次はズボンのベルトの括り付けていたポーチから、先程猛の身体に吸い込まれた物によく似た球を取り出した。

「じゃあ、物理だな」

 呟いた刹那の前に猛は猛スピードで迫る。

「危ないっ」

 眼前に迫った猛を莉桜は刹那との間に割って入りその拳を神刀三日月で受け止める。

「莉桜、暫く引き付けて。オレが合図したらそこから離れろ」

 莉桜の背中に隠れてそれだけ告げて刹那は後方へと退いていく。

「はいはい、分かってますよ」

 受けとめた拳を受け止めながら、吐き捨てるように了解した莉桜は重く殴り下ろされる拳を太刀で受け止め続ける。

 猛と莉桜から十分に距離をとった刹那は、壁伝いに空中へ飛びあがる。

「いまだ莉桜」

 刹那の声を合図に莉桜は拳が振り上げられた瞬間を狙って身体を捻ると、猛の前から逃れる。

 正面から消えた莉桜を追うように身体を横に向けた猛の腹に、刹那が放った球が撃ち込まれる。

 それは、砲弾のような衝撃で猛の身体を震わせた。

「ぐはあっ」

 喉の奥から唾と共に血が吐き出され、衝撃と共に猛の身体が後方へ吹き飛ばされる。

 更に、二発、刹那は迷うことなく恋人の腹部と下肢の中心に球を叩き込んだ。

 下肢の中心の一撃が猛の全身に激痛を走らせ、白目を剥いて狂戦士は沈黙した。

「ふう」

 一仕事終えたとばかりに刹那は額に滲んだ汗をぬぐう。

 突然始まった仲間割れを見守っていた他の執行人達、特に男達は自身の下肢を隠すように押さえながらいたたまれない気持になった。

「あれ、無能になったりしないの?」

 球の撃ち込まれた場所が場所だけに莉桜は呆れた様子で刹南の元に戻って来る。

「大丈夫だろ。あんなんでくたばる軟チンじゃ雪那の相手は務まんねし」

「......」

 仮にも恋人だというのに辛辣な言葉を向けられて莉桜は少しだけ猛が哀れになった。

「さて、さっさとあの馬鹿回収して帰ろう。雨、下りて来な」

 刹那に呼ばれて雨はするすると建物の上から降りてくる。

「刹那、アイツどうしちゃったの?なんか知ってる感じだったけど」

 地面に倒れた猛の傍に寄りながら莉桜は刹那に問いかける。

「オレの見解が正しければ。恐らく猛は霊力を取り込んで肉体を強化する体質なんだろう。ただ、どういう訳か肉体を強化させるだけじゃなくて異形化して、しかも暴走までした。多分、特異体質だな」

「そういえば...猛の生まれた一族は霊力を取り込んで強化する体質のがあるって前に聞いたことあったな」

「じゃあ、猛さんが暴走しちゃったのって...」

 刹那と莉桜の話を聞いていた雨が顔を青くしながら訊ねた。

「今回は雨が誤って撃った弾丸が当たったことで、霊力取り込んだんだな。まあ、不可抗力だから別に雨は悪くないだろ。避けない猛が悪い」

 雨をフォローしながら、刹那は猛の腕をつかんでよいしょと起こす。

「一族の特徴が猛の場合はマイナスに働くみたいだな。ふむ、だから普段から莉桜と同じで術式使わないのか」

 反対側の腕を掴んでいる莉桜を刹那はチラリと見遣る。

 刹那の視線から莉桜は逃れる様に視線を逸らす。

「それより、コイツどうやって連れて帰るのよ。私達だけじゃ抱えていけないやろ」

 いつの間にか本来の体躯に戻ったとはいえ、もともと背丈のあり気絶して更に重量のある猛を女手二人で運ぶのは不可能だった。

「雨、台車借りてきて」

 脚を持とうと奮闘していた雨に刹那は指示を出した。

「はい」

 頷き雨が台車を捜しに行こうとすると、ガラガラと車輪を引く音が聞こえて来た。

「あ、風祭兄弟」

 振り返ると、台車を引いた誉と焔の姿があった。

「良かったら、これ使う?」

「いいんですか?」

 誉の申し出を雨は素直に受け止める。

「なんなら、そいつを載せるのも手伝おう」

「どういう風の吹き回しよ...共闘は終わったやん」

 焔の申し出に莉桜は怪訝に眉を顰めるが、それは直ぐに納得させられた。

「弟達の仇を討ってくれてありがとう。君達がいなければ、きっと、二人じゃ成し遂げられなかったから」

 柔らかくそう礼を口にする誉に莉桜は目を丸くした。

「...報酬はしっかりうちが貰うから」

「うん、勿論どうぞ」

 あっさりとした誉の態度に莉桜達は二人の申し出を素直に受け入れた。



 ランクAの強敵を倒した翌日。

 事務所の中を掃除しながら猛は朝から何度吐いたか分からない溜息を零した。

(昔親父から聞いてはいたが...まさか暴走するとはな...)

 サっ、サっと箒で床を掃く音が室内に虚しく響き渡る。

 昨夜の事を猛はあまり覚えていなかった。

 怪夷と対峙していた所に、肩に銃弾が当たった、までは覚えている。だが、その後身体が熱くなり、意識が遠のいてからの事は今朝目が覚めて雪那に聞いて驚いたぐらいだった。

 その話を肯定するように、全身、特に脇腹と下腹部が妙にずきずきと痛むので自分の犯した過ちを猛は猛省していた。

(仲間に襲いかかるだけでなく、雪那にまで迷惑をかけてしまった)

 意気消沈しながらせめてもの罪滅ぼしと思い朝から事務所や共有スペース、各部屋の掃除をして周っていた。

(しかし、他に詫びになることはないだろうか...)

 自分の行いを悔い改める為には掃除だけでは足りないのではないかと思いながら猛は雪那の私室の掃除を始めた。

 掃除片付け全般の苦手な雪那の部屋は本などが床に散らばり、それを拾い上げながら猛はそれらを本棚に戻していく。

 そこでふと、薄い冊子サイズの書物を見つけて猛はこれだっと、閃きのような感覚に至った。 

 その表紙には前掛け以外何も纏っていない少年の春画が描かれていた。



 怪夷討伐を終え、気絶した猛を事務所まで送り届けた後、美幸の宿に戻っていた莉桜はその日の夕方、事務所を訪れた。

 一階から二階の事務所のスペースの隣にある共有スペース。その台所から美味しそうな匂いを嗅ぎつけて笑みを浮かべた。

(これは、猛が何か作ってるな)

 丁度夕食時。いまなら味見という名の摘まみ食いが出来るかもしれない。

 そんなことを考えながら、莉桜は忍び足で台所へ乗り込んだ。

「あ、雪那さんお帰りさない」

 そこには、確かに猛がいた。

 雪那が帰って来たと勘違いして背後を振り返った猛。

 莉桜と猛、二人の視線が交わる。

 暫しの沈黙が流れたのち、莉桜の絶叫が事務所内に響き渡った。

「いやああーくたばれーっ」

 もはや無意識のうちに鞘ごと抜かれた神刀三日月が猛の上に振り下ろされる。

 あまりに突然な、不意打ちに近い莉桜の攻撃に防御が間に合わず、猛の下肢の中心にこじりが突き刺さり、猛は悶絶してその場に大の字で倒れ込んだ。

「どうした?」

 自室にいた雪那と店の片づけをしていた雨が莉桜の声を聞きつけて駆けつけてきた。

「はあ、はあ、雪那っこの変態どうにかしなさいよっ」

 半ば八つ当たりのように莉桜は威嚇する猫のように肩を震わせて抗議する。

「ん?」

 莉桜が指差す先では、大の字で倒れた裸に前掛けだけを纏った姿の猛がいた。

「わあ...猛さん、なんでそんな恰好を...」

 台所の入口から様子を伺っていた雨は口元に手を添えて困惑気味に疑問を零した。

「裸エプロンって...ああ、僕がほったらかしてた同人誌見たのか」

 自身の部屋にある冊子の事を思い出し、雪那は猛が何故、こんな格好で料理をしていたのかを察して溜息を吐いた。

「こんなんで僕が喜ぶ訳ないじゃん...あれは少年だからいいのに」

「性癖晒す前にきちんと躾けてよね。恋人でしょ」

「って言われてもな...莉桜、これ2回目じゃん...」

「2回目がまさかの裸エプロンとか聞いてない」

 プイっと、莉桜は顔を逸らすと、「あさかに戻る」と、一言吐き捨てて事務所を出ていた。

「...ただの事故なんだけどなあ...はあ、最初はこんなのだとは思わなかったのにな」

 莉桜の背中を見送ってから、雪那は倒れたままの猛に視線を落とす。

 その脳裏には彼と出逢った頃の事が思い出されていた。




 

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