第十七話


「雨、お待たせ」

 診療所に戻ると待合室では検査を終えた雨が待っていた。

「お帰りなさい。雪那さん、その重そうな袋どうしたの?」

 診療所に戻ってきた雪那が手にした麻袋を見遣り、雨は目を丸くする。

「この間の怪夷討伐の報酬。同じ袋があと二つあるよ」

 じゃらっと袋を軽く上下させて雪那は苦笑を浮かべた。

「秋津川さん、戻ってるなら診察室入って」

 雪那と雨の会話が聞こえたのか、診察室から華岡が顔を覗かせた。

「はーい、今行きます」

 華岡に返事をして雪那は雨が立ち上がるのを待ってから診察室に入った。

 診察室では、書類を挟んで板を手にした緒方が待っていた。

「悪かったね、時間かかって」

「いえ、それで、雨の病の進行状況は」

 朝最初にここに入って時と同じ配置で雪那と雨は椅子に腰を下ろす。

「単刀直入に言って、現状は変わらずかな。前に肺に黒い影があったけど、それも大して大きくなってないし。ただ、いつ浸食が進むかは分からないから、服薬の継続と術式の使用には注意する事。分かってると思うけど、この病に完治はいまだない。あくまで浸食を遅らせるのが手一杯。残酷だけど長生きしたかったら無理はしない事。いいわね?」

 緒方の厳しくも自分の事を一心に思う忠告に雨は強く頷く。

「よろしい。では、今日はこれでおしまい。検査お疲れ様。次回はまた状況見ながら検査をするか決めましょう。何かあったらいつでも来なさい。秋津川さんもよ。無理はダメ」

「はい、気を付けます」

 自分まで心配をされて雪那は内心苦笑した。自分に関わってくれる人の中には斎藤や永倉、この緒方医師のように気にかけてくれる人も多い。その現実に気恥ずかしさを感じた。

「はいこれ、一カ月分の薬です。飲み忘れないように」

 診察室から出る前に華岡は雨に紙袋を手渡した。そこには錠剤と粉薬が数種類入っている。

「お大事に」

 緒方と華岡に会釈をして雪那は雨と共に診療所を後にする。

「せっかく出て来たし、なんか甘い物でも食べてから帰ろうか」

 門前町を大通りに向かって歩く傍ら、雪那は雨に提案する。

「やったあ」

 雪那からの思わぬ申しでに雨は大手を振って喜びを露わにした。年相応の反応に満足sたところで、雪那は不意にある事を思い出した。

「あ、そうだ。莉桜に結果報告しないと。今日付添えないから結果分かったら報せて欲しいって頼まれてたんだ」

 昨夜の通信での会話を思いだした雪那は早速術式による通信回線を展開して莉桜に繋いだ。



 逢坂の中心地には幾つもの市場が存在する。

 その中でも、江戸の頃よりかつての大阪を天下の台所と言わしめたのが『堂島どうじま』、『天満てんま』、『雑魚場ざこば』の三大市場である。

 江戸時代はそれぞれが、米、青物、魚と扱うものが分かれていてそれぞれ特徴があったが、今はその名残を残しながら、様々な物を扱って栄えている。

 莉桜が悠生を伴ってやってきたのは堂島にある市場だった。宿のある梅田から一番近く

 かつての大名が構えた蔵屋敷もあったことから、蒸気絡繰りの部品なども取り扱う店が多く、悠生が探しているものもあるかもしれないと踏んだからである。

 川沿いに幾つもの店が軒を連ね、商人や買い物客で市場は大いに賑わっていた。

「これは凄い。流石はかつて天下の台所と謳われただけはあるね」

 人々の行き交う様子を目の当たりにし、悠生は目を輝かせる。

「昔は米がお金と同等だったからね。この沿岸にはかつての藩邸とかも多くて、大名とかお役人さんとかが米を換金したりしていた市場が由来なんやて。いまだに米屋が多いけど、安治川に面してるから逢坂湾から商船も入ってくるし、割と米以外の品物も扱ってるみたいやよ」

「なるほど。ここから川を遡って帝都にも行ける訳か...なかなか利便性が高いね」

 市場流通の流れを理解し、悠生は楽しそうに市場を見渡す。

「取り合えず、色々回ってみよう。ついでにお昼ご飯も食べたいし」

 腰に佩いた三日月の所在を軽く確認してから莉桜は市場の中に足を踏み入れる。その横を悠生も歩く。

 あちこちを歩きながら見て行くと、幾つかそれらしき店を見つけた。

 目星をつけた所で、莉桜と悠生は休憩を兼ねて昼食をとる事にした。

「何か食べたいものとかありますか?」

「そうだな、寿司とか魚介類が食べたいな。ほら、日ノ本は周りを海に囲まれた島国だから、海産物は上手いだろ」

「お寿司かあ...それなら、もうちょい南に下ったところに船宿があるから、そこでどうですか?」

「そこはお任せするよ」

 ニコリと、悠生は莉桜の提案に頷く。早速店に向かおうとして、肩に乗っていたハリネズミが顔を持ち上げた。

『莉桜、雪那から通信』

「え、雪那から?」

 唐突に入った通信に莉桜は、まさかと息を飲む。

「また、用心棒かな?」

 莉桜の独り言が聞こえていた悠生は昨日の事を思い出して小首を傾げた。

「ごめんなさい、ちょっと出ます」

 悠生に断りを入れて莉桜は三日月に術式を展開させて回線を繋いだ。

『おーい莉桜、今平気?』

「取り合えずは、用件は?」

『ああ、別にトラブルは起きてないよ。じゃなくて、雨の健診結果報告』

 雪那が口にした単語に莉桜はホッと息を吐いたのも束の間、真剣な表情を浮かべた。

「どうだったの?」

『現状問題ないってさ。まあ、今まで通り無茶はするなって。取り合えず今のところは進行もしてないみたいだよ』

「そっか...良かった」

 雪那からの吉報に莉桜は今度は本当に安堵の溜息を吐いた。

 朝からずっと気になっていた事がようやく判明して少しだけ肩の荷が下りた。

『雨に代わる?』

「うん、少し話したい」

 莉桜が頷くと、待ってましたと言わんばかりに自分の名を呼ぶ元気な声が聞こえてきた。

『莉桜さん、僕は大丈夫だから案内人の仕事頑張ってね』

「ありがとう。雨もあんま無茶せんようにね」

『分かってる。気を付けるよ』

 莉桜の言葉に雨は素直に頷くと、雪那に回線を譲った。

『それから莉桜、今夜出れるようにしといて』

 声のトーンを落とした小声での言葉に莉桜は意図を察して応答する。

「了解。また何かあったら連絡して。トラブルには気を付けて」

『はいはい。じゃあ、案内人頑張って』

 短くそう励ましの言葉を言って雪那は通信を閉じた。

「あれ、今回は何もなかったの?」

 通信の間距離を取っていた悠生は莉桜の通信が早く終わった事に少しだけ驚いた。昨日のような切羽詰まった様子もない。

「定期連絡、というか、私の仲間に病を患っているのがいて、その検診が今日だったの。可愛い弟分だから気になってて。それで、その結果を雪那に教えてもらってたんです」

「そうだったのか」

「なので、今のところ用心棒はお休み。今はユウさん専属の案内人やもん」

 えっへんと胸を張る莉桜に悠生は笑いかけた。

「それは頼もしい。それじゃ、お昼ご飯を食べたらさっき目星をつけた店に交渉にあたってみよう」

「はーい。お供します」

 意気揚々と莉桜は昼食場所にと決めた船宿目指して歩きだす。

 悠生はその背中を微笑ましく思いながら人込みの中を颯爽と歩き出した。



 色々と店を回った結果。石灰に関しては取引先を見つける事が出来た。九州の方に採石場を持つ商人に当たりがつき、今後交渉をしてくれるという。

「これで、一つ目は何とかなりそうだ」

 商人と交わした公約文書を手に悠生と莉桜は夕暮れの近づいた逢坂の街を『旅籠あさか』に向かって歩いて行く。

「そういえば、ユウさんはどれくらいの滞在予定なん?」

 本来なら最初に聞くべき事を莉桜はすっかり忘れていた。今頃になって聞くのもどうかと思ったが、流れに乗って問いかける。

「一応、一月くらいの予定だよ。神戸にいる仲間達が船を持って行ってるから、それが戻って来次第出発になるだろうけど。滞在が伸びる事はあっても早まる事はないと思う」

 昨夜、仲間との定期連絡ではあちらもようやく手続きを済ませて神戸の港に停泊出来た状況らしかった。あちらの方がスパニッシュとしてもう少し国家間同士の踏み込んだ遣り取りを要するので、一月以上はかかるだろうと悠生は踏んでいた。

(その間に、もう少し逢坂の現状を調べられればいいけど...)

 少し先を歩く莉桜の小さな背中を見つめ、悠生は不意に眉を顰めた。

 彼女は、この逢坂に着いてもっと何かを知っているような気がする。それは、これまで幾つもの国を旅してきた自分の勘だった。

(この国を脅かす怪夷についてももっと情報が欲しい)

 この国で貿易をする為、交渉に使えそうな情報は調達しておくべきだと考えて悠生は小さく息を吐いた。

「ユウさんの仲間ってどんな人達?」

 莉桜からの質問に、思わず物思いに耽っていた悠生は、今度は自身の仲間達を思い出した。

「皆、陽気で気のいい奴等ばかりかな。祭りが好きだから結構賑やかだけど。スパニッシュは温暖な国だからラテン系の連中が多いから」

「へえ、そうなんだ」

「機会があったら紹介するよ。折角だし、俺達が乗ってきた船にも乗ってみる?」

「船って蒸気船?幕末にペリーが乗ってきた黒船みたいなやつ?」

「あの頃よりはもう少し進歩してるよ。でも、似たようなものかな」

 興味津々と目を輝かせている莉桜の姿に悠生は苦笑する。以外にも莉桜はミーハーらしい。

「私の故郷は少し山奥にあったから海とか航海って憧れなんだよね。だから、蒸気船って浪漫を感じます」

「それなら、今回のお礼に俺が乗せてあげるよ」

「ホント⁉やったあ」

 実に嬉し気に莉桜はくるりと右足を軸にして身体を反転させる。

 ふわりと、艶やかな黒髪と帯が揺れ、その振る舞いは彼女の名を示す花の花弁のように優雅だった。

「楽しみにしてますからね」

 悠生を振り返り、人差し指を顔の前で立てて莉桜はニコリと微笑む。

「約束しよう。必ず君を我が船に招待しよう」

 恭しく、貴族の紳士のように腰を折り、悠生は片目を瞑ってウインクした。


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