第十六話
逢坂の中心地、左右を川に挟まれた中洲にこの街の政府の中心は位置している。
これまでの研究で怪夷が水の中では動きが鈍るという事が判明し、逢坂の街が整備され始めた頃、この中之島と呼ばれる中洲に政府の重要な建物が建設された。
ここへは怪夷の侵入を防ぐために舟でしか渡る事が出ず、雪那も渡し船に乗って中之島に渡った。
庁舎街の一角、逢坂に入るための関門である人工島と同じくルネッサンス様式の趣ある建物に雪那は足を踏み入れた。
その表には『軍警本部』と看板が掲げられていた。
「こんにちは」
エントランスに入ると早速雪那は受付へ歩み寄る。
受付には年若い青年が一人受付台の向こうで立っていた。
「斎藤隊長から怪夷の報酬を受け取りに来るよう言われた者ですけど、どちらに?」
雪那の問いかけに青年は受付台の中に仕舞っていた台帳を取り出して何やら確認をしている。
(まだかなあ...)
受付台に寄り掛かり待っていると、庁舎の奥から自分を呼ぶ声が聞こえて雪那はそちらに視線を向けた。
「よう、秋津川じゃねか」
「あ、永倉さん」
気さくな様子で手を振りながら近づいて来たのは、赤交じりの茶色の髪の小柄な男。漆黒のダブルブレストの軍服を身に着けた男は人懐っこい笑みを浮かべた。
「こんにちは」
「ここにいるって事は、怪夷の報酬を受け取りに来たんだな。一から話は聞いてるぜ。ついでだから取りに行くの着いて行ってやるよ」
ぐっと、庁舎の奥を親指で指さして
「助かります」
「おい、新米。こいつに入館証出してやんな。心配しなくても、こいつは列記とした執行人ぜ」
受付を任されていた青年は永倉に言われておろおろしながら、雪那に入館証を差し出した。
「しっかりやれよ。昔の新選組だったら土方さんにどやされてるぞ」
受付の青年を叱咤激励した永倉は「こっちだ」と、雪那を手招きする。
渡された入館証を首から下げて雪那は永倉の後に続いた。
「お元気そうですね」
永倉の成人男性にしては少し低い背中に雪那は話しかける。
「まあな」
「最近姿を見ないからどうしてるのかと思いました」
「この間まで福岡に出張だったんだよ。他の都市の調査も軍警の仕事だからな」
「そうだったんですね」
永倉の後をついて歩き、雪那は庁舎の中をチラリと見つめた。
中庭を囲むように四角形に配置された軍警庁舎で働く面々は、かつて京と呼ばれていた都を護っていた『新選組』の面々が殆どだ。
誠の旗を掲げ、お上に仇名す狼藉者を取り締まっていた彼等は、江戸の崩壊後、帝都の護りを任された。
当時の局長であった近藤勇は先の戦時中に戦死。隊長クラスであった隊士達も命を落としている。それでも彼等が今軍警として新たに活動をしているのは副長であった土方歳三や各隊を纏めていた斎藤一や永倉新八等隊長達の功績でもある。
斎藤同様に永倉とも雪那はこの逢坂に来て執行人として活動するようになってからの付き合いで何かと世話になっていた。
「そういうお前等こそ元気にやってんのか?九頭竜の奴が事務所抜けたって話聞いて驚いたぞ」
「いや...あれはまあ、案内人としてうちにいないだけで、執行人としてはしっかり協力してくれてますよ」
永倉から視線を逸らして雪那は苦笑いを浮かべる。
「怪夷殺しの聖剣使いがいるからお前等みたいな小さな事務所がやっていけてんだからな、仲良くしないとだめだぞ」
「別に喧嘩した訳じゃないですよ」
永倉の忠告に雪那は頬を膨らませて反発する。永倉には自分と同じくらいの子供がいるからなのか、やたらと莉桜との仲を心配される。心配してくれるのは有り難いが、こちらにも色々事情があるのでそっとしておいてほしい。
「そういや、昨日天満宮の付近で“角付き”の怪夷が出たらしいぞ」
廊下を進みながら永倉は不意にそんな話を切り出した。
「やっぱり出たんですか?」
「ああ、ここ数日は確証のない話ばっかだったが、ついに姿を見せたようだな」
雪那も昨日天満宮の方に聞き込みに行ったが、まだ噂程度だった。
猛に夜間の巡回を頼んだが、それも結局はなにも掴めなかった。
「誰か交戦したんですか?」
状況を聞き出そうと雪那は永倉に訊ねた。
「水原の連中がたまたま遭遇したらしいが、流石の角付きに手も足も出なかったとさ。まあ、遭遇した連中がまだ執行人になりたてのひよっこばかりだったらしいから仕方ないのかもしんねえが...深手を負わされたのは確かだ」
水原とは、この逢坂で活動する情報屋の中でも大手に入る事務所だ。社員数も多く、案内人としても、執行人としてもその実績はトップクラスである。
そんな事務所の新人とはいえ、執行人が深手を負う程の怪夷。
元々角付きはランクBであるためかなりの強敵だが、これは交戦するにはそれなりに準備が必要かもしれない。
「情報ありがとうございます」
「あんまり張り切り過ぎるなよ。嫁入りまえなんだからな。魚住が泣くぞ」
元軍警である猛の事を知っている永倉は当然雪那との関係も知っている。
そこを指摘されて急に恥ずかしくなり雪那は「余計なお世話です」と抗議した。
他愛のない世間話をしながら永倉が雪那を連れてきたのは、部屋の前の表示に『怪夷研究室』と書かれた場所だった。
「ちょっと待ってろ。今貰ってきてやるから」
扉の前に雪那を待たせ、永倉は部屋に入って行く。
いつもなら受付で報酬をもらって帰るのだが、今日はどうやらまだ受付に報酬が運ばれていなかったらしい。
(こんな奥まで入るの初めてだな)
普段は入口までしか入らない軍警の庁舎内を見学出来て、今日は思いの外幸運だった。
「悪い、待たせたな」
時間にしておよそ十五分後。麻で出来た巾着袋を三つばかり抱えた永倉が部屋から出てきた。
「なんですか、その重そうな袋」
「こっちが聞きてえよ。お前さん等、話には聞いてたが随分とでかい獲物仕留めたんだな。こりゃ、受付に伝達言ってねえ訳だ」
驚きを隠さないまま、永倉はズシリと重い麻の巾着を雪那に手渡す。その重みに雪那は思わずふら付いた。
「重...これ、いくらですか?」
そこに入っていたのは今は使われていない小判だった。
「札束で用意出来なかったんだろ。現物支給って事で承知してくれとさ。両替商に持ち込んだら換金してくれるぞ」
「これ...持って帰るのしんどいんですけど...」
「今日は魚住の奴はいないのか...うーん。お前さんトラブル吸引で有名だしな。折角の報酬失うのも嫌だろうし...分かった。一袋は持って行ってくれ。残りは俺が後で届けてやるよ」
「そうして貰えると有り難いです...」
思わぬ永倉の申し出を雪那は素直に受け入れる事にした。
小判の詰まった巾着を一袋だけ持ち、雪那は再び庁舎の入口へ戻ってきた。
「気を付けて帰れよ。九頭竜にもよろしくな」
返事をして雪那は永倉に会釈をして軍警庁舎を後にする。
そのまま雪那は再び乗合馬車に飛び乗って四天王寺を目指した。
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