第十二話


 乗合馬車を掴まえて、天満橋まで雪那と莉桜が来ると、橋の袂で猛が待っていた。

「雪那さん。良かった」

 雪那の姿を見つけるなり猛の険しかった表情が少しだけ和らいだ。

「ごめん。心配かけて」

 猛の傍に歩み寄り雪那は猛を安心させようと微笑みかける。それに猛も安堵の息をついて応じた。

「ご無事でなによりです。流石は莉桜さんですね」

 雪那の後ろからついてきた莉桜に猛は頭を下げる。

「あっちも本気じゃなかったから問題ないよ。それより、雪那のこと宜しくね。私はこれで別のとこ行くから」

 猛に雪那を任せ、莉桜は踵を返す。

 身軽に地面を蹴って屋根に飛び乗るなり、莉桜は梅田の方へ駆けて行った。

「莉桜、案内人の仕事入ったんだって。だから、暫くは戻らないかも」

「そういえば、赤羽のガキ共も言っていたな」

赤羽事務所の少年達が雪那を襲撃したそもそもの発端が莉桜と赤羽事務所の社長である志狼との客の奪い合いだった事を思い出し、猛は納得する

「とんだとばっちりだったけど、これはこれで良かったよ」

 うん、うんと相槌を打った雪那は「さて」と、踵を返した。

「僕達も次の獲物の調査開始。莉桜に負けてらんないよ」

「そうだな」

 天満橋を渡り、雪那と猛は大川沿いを歩き出した。



 夕暮れが近づいた頃、雪那は猛と共に玉造にある事務所兼住宅のビルへ帰ってきた。

「あ、雪那さん猛さん、お帰りなさい」

 出掛ける時とは反対に、併設された雑貨店の片づけをしながら、雨が二人を出迎えた。

「ただいま雨、今日はどうだった?」

 店先に戻るなり雪那は今日の売り上げを雨に尋ねた。このやり取りがもう日課になりつつある。

「呪符作成の注文が入った以外はいつも通り暇だったよ」

 帳簿を確認しながら雨は店主でもある雪那に報告をする。

 予想はしていたが、呪符の注文が入っただけでも良しとしなくては。

「そうか、じゃあ今夜はその注文品の作成しないとね」

「怪夷出現の噂は何か情報ありましたか?」

 帳簿を雨から受け取り、注文の確認をしていた雪那は、その問いかけに首を振った。

「今夜は出そうにないかも。ちらっと“角付き”の話を聞いたけど、まだ噂程度でなんとも」

「今夜俺が調査に行ってくる。もしかしたら出現するかもしれないからな」

「じゃあ、僕も連れて行ったください。たまには夜回り行きたいよ」

 猛の腕を引っ張り雨は子供のようにせがむ。だが、それを雪那は赦さなかった。

「雨、君明日診療所の日でしょ。昨日あれだけ術式展開してるから今夜は大人しく寝なさい」

「えー。銃での術式使用なんて大したことないよ!既に弾丸に術式かかってるし」

 頬を膨らませて抗議する雨を雪那は更に窘めた。

「だーめ。黒結病の進行度合いはどんな術式で進むか分からないんだから、明日定期健診済むまでは大人しくしていなさい」

 雪那の忠告に、助けを求める様に雨は猛の方に視線を彷徨わせる。だが、猛も雪那のいう事は良く分かったいるのか、首を横に振った。

「大丈夫だってば...」

 唇を尖らせて雨は雪那と猛を交互に見遣る。

「莉桜だって多分同じこというと思うよ」

 ハッと、ここにはいない莉桜の顔を思い出し、雨はシュンと肩を落として俯いた。

「分かった...」

 ようやく納得した雨の頭を雪那は優しく撫でた。

「そういえば、莉桜さんは?」

 いつもならそろそろ戻って来る莉桜の姿がないことを思い出し、雨は小首を傾げた。

「莉桜なら久し振りに案内人の仕事にありつけたから、暫くは美幸ちゃんとこで寝泊まりするって」

「お客さん確保出来たんだね。良かった」

 思わぬ吉報に雨はホッと 安堵の息を吐いた。

「さて、早いとこ店仕舞いして夕食にしようか」

「そうですね。もう直ぐ日が暮れてしまいますから」

 中断していた店の片づけを雪那達は早々に終わらせ、ビルの中に戻って行った。



 雪那を猛に預け、用心棒の仕事を終えた莉桜は、西の山並みに消えようとしている陽の中を走り、美幸が経営する旅籠屋『あさか』へと戻ってきた。

 莉桜が旅籠の入口に着くと、反対側からこちらに向かって歩いて来る人影を見つけ、大きく手を振った。

「ユウさん」

 あさかの前で悠生と合流した莉桜は何故か売れしくなって彼の元に駆け寄った。

「お帰りなさい」

「ただいま。莉桜さんこそ、お帰りなさい。別の仕事は無事に終わった?」

「はい。すみませんでした、突然飛び出して行ってしまって...」

 悠生の問いかけに答えてから、莉桜は申し訳なさそうに頭を下げた。

「大丈夫。美幸さんから聞いたけど、色々大変なんだね」

 左右に首を振り、肩を竦めながら悠生は労いをかける。そんな彼の優しさに莉桜は苦笑した。

「まあ、これのせいで結構顧客に断られちゃうんですよね...でも、ユウさんみたいな人は貴重だからホンマ有難いわ」

 照れくさそうにいう莉桜に、悠生は「それはよかった」と笑いかけた。

「そういえば、まだ夕方なのに殆どの店が閉まってしまったんだけど...この街は随分と店仕舞いが早いんだね」

 莉桜が飛び出していった後、散歩を兼ねて街をふら付いてみた悠生は、街を見て回った感想を口にした。母国のスパニッシュでは考えられない街の様子が、悠生には不思議で仕方なかった。

「あ、まだ説明してませんでしたよね。すみません。この逢坂は隣にこの国の首都『帝都』が位置していて、それを守護する防衛拠点でもあるから、警備が厳しくて。外部から来てくれた人の外出は夕方五時以降は制限されるんよ。私達街の住人も七時以降の外出は禁止されてるし。例外として、案内人や憲兵、軍警なんかは認められてるんやけど...」

 莉桜の説明に悠生は納得しつつも微かに引っ掛かりを覚えた。

「そうなのか...それでこんなに明るいのに店が閉まったんだね」

「先の大災厄の後に溢れた怪夷のせいなんよ。この強固な結界のある逢坂にも、野良怪夷が入り込んでたりするから危険なんだ。だからユウさんも五時以降は気を付けて。案内人同伴でなら七時までは移動可能だよ。移動は馬車になるけど」

 莉桜の説明を聞きながら、ふと、案内所で受付嬢の鈴蘭の言葉を思い出した。

『どうぞ、夜はお気をつけて』

(あの言葉には何か意味があるのかもしれないな...)

「分かった。俺も問題は起こしたくないからね。規則には従うよ」

 今後の活動を円滑にするために悠生は莉桜の忠告に素直に頷いた。

「そうだ、これから一緒に夕食でもどうかな?美幸さんのお店でなら、食べられるよね?」

 話題を変える様に悠生は莉桜を食事に誘う。

 悠生からの誘いに莉桜はこくりと頷いた。

「私もそのつもりで急いで帰ってきたの。初日だし、色々説明することもあるから」

 悠生の腕を掴み、莉桜は旅籠の中に入るように促す。それに悠生は素直に従った。



「お帰り。今日は早かったんだ」

 悠生と共に店に戻ってきた莉桜を美幸は温かく出迎えた。

「まあ、お客さんもいる事だし。雪那の事は他の仲間に任せて来たから大丈夫だし」

 飛び出してからの経緯を簡単に説明した。

「莉桜ちゃんもよくやるよね」

 毎度のことで慣れ切ってしまったせいか、美幸は苦笑しながらも感心する。

「腐れ縁だし、約束だからね」

 不意に、何処か決意を滲ませた光が莉桜の瞳に宿る。

 美幸との会話を間近で聞いていた悠生は、一瞬眉を顰め、肩に停まっている朔月に視線を移した。

 無言の悠生の視線を受けて、朔月は莉桜の肩に隠れている三日月をチラリとい一瞥した。

「悠生さん、夕飯の準備が出来るまで少し時間があるので、先にお風呂どうぞ。手拭いはお部屋に用意してありますから」

 莉桜との会話を終えた美幸は、女将の顔で悠生に湯浴みを提案する。

「ありがとう。お言葉に甘えてそうさせてもらいます」

 美幸の奨めに悠生は頷いた。

「莉桜ちゃんは、夕飯の用意手伝ってね。今夜はご馳走作るから」

「はいはい、言うと思った」

「はい、これ」

 ちゃっかりと持っていた割烹着を美幸は莉桜に手渡す。

「まったく、仕方ないなあ...」

 割烹着を受け取りながら莉桜は勝手知ったるとばかりに厨房の中へと入って行く。

「莉桜ちゃんのご飯、美味しいんですよ」

 厨房に入って行く莉桜を見つめていた悠生に美幸は何故かニヤニヤと口許を緩めながら話しかけた。

「へえ、それは楽しみだ」

 厨房の方からは、下拵えをしていた沙耶とから何を作るのかを聞いている莉桜の声が聞こえてくる。

「夕飯用意出来たらお呼びしますね。お風呂はこの通路を右に曲がった突き当りにあります。ゆっくり汗を流してきて下さいね」

「はい、行ってきます」

 美幸に礼を言い、悠生は一先ず手拭いを取りに、2階の宿泊部屋に戻った。


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