第十一話

蒸気の通り道であるパイプの張り巡らされた裏路地を雪那は慣れた様子で駆け抜けて行く。だが、もともと体力がないため、走り続けて息があがり、家と家の間にある狭い空間に雪那は身を潜めてしゃがみ込んだ。

 猛には大通りに出ろと言われたが、この辺りは住宅地が密集していて、大通りへ出ようにも大分先にいかなくてはならない。

 もしかしたら、虎之介達はそれを見越してあの位置で襲撃してきたのかもしれない。

(けど、あのアホ三人組にそんな高等な作戦立てられるかな...)

 乱れた呼吸を整えながら雪那は内心眉を顰めた。

『大丈夫か?』

 一緒に走ってきた刹那が足元から見上げてくる。心配げな刹那の頭を雪那は優しく撫でた。

「大丈夫、ちょっと息が上がっただけ。やっぱり僕ももう少し体力つけないとダメかも」

 苦笑を浮かべながら雪那は深呼吸をして息をした。

「取り合えず、莉桜が来るまでここで待機」

 念の為にと懐から二枚の札を取り出し、雪那は呪文を唱えた。詠唱に合わせ札が淡い光を帯びる。ふわりと浮き上がった札が雪那と刹那のいる空間を包み込んだ。

 目くらましの結界を張り、一先ずはこれで良し。

『しかし、志狼(あいつ)の所もしつこいな』

 尻尾を垂らして溜息をつく刹那に雪那は同感だとばかりに頷く。

「たまたま開業時期が同じで、互いに二人組から始めたってだけでやたら目の敵にされてるからね...ホント、イヤになるよ...」

 志狼達との浅からぬ因縁を思い出しながら雪那は思わず毒づいた。


「すみませんね、うちの社長がワガママなばかりに」

「⁉」

 突如頭上から聴こえてきた声に雪那と刹那は同時に宙を見上げる。

 三階建てのビルの上、一人と一匹を見下ろすように空色の長い髪を風に靡かせたスーツ姿の男がしゃがみ込んでいる。

 その男を見た途端、それまでの雪那の表情が一瞬で凍り付いた。自身の中で警告音がけたたましく鳴り響く。目の前にいるのは一人の時は絶対に遭いたくない人物だ。

「どうしてあんたまで出て来るのかな...」

 苦笑いを浮かべ、雪那は思わず現れた相手に向かって愚痴を零した。そうでもしないと平静を保っていられそうになかったから。

 狭い路地、雪那達が隠れた隙間に立ち塞がるように、踵をトンっと鳴らした身軽に地面に降り立つなり、東海林拓馬(しょうじたくま)は柔和な笑みを向け、恭しく頭を垂れた。

「ご無沙汰しています、秋津川さん。いつもうちの部下達がお世話になっているようで」

「そっちが勝手に突っかってくるだけですけど...」

 低姿勢な挨拶だが、その銀縁眼鏡の奥に光る眼光は冷ややかで、まるで刃のような鋭さを隠しきれてはいなかった。

覚悟を決め、隙間から雪那は隙間から出て拓馬と対峙する。目晦ましの結界を張ってもも見破られている時点で、術式に意味はない。

ここは、意地でも救援が来るまで持たせるしかない。

「まさかとは思うけど、あんたも報奨金目当て?」

「察しが良くて助かります。早速ですが、渡してもらえます?」

 人の良さそうな笑みを浮かべ拓馬は流れる動作で雪那の前に手を差し出した。

「ヤダよ、これは僕等の報酬だし」

 懐に入れてある札を押さえる様にして雪那は頑なに拓馬の要求を拒む。

「そう言うと思ってました。ですが、我が社も収入がないと困りますので、強引ですが横取りさせて頂きますね」

 拓馬の氷のような瞳に、一瞬鋭い光が宿る。

 直後、雪那と刹那の横を一筋の光が横切った。

「なっ」

 ほぼ反射的に雪那は自分がいた場所から身を引く。

 地面を抉る衝撃が足元を震わせる。

 恐怖に息を飲みながら雪那が地面を見ると、そこには青白く光る一本のナイフが突き刺させり、そこから三十センチの範囲が凍り付いていた。

「わっ」

 慌てて雪那と刹那はその場から更に離れる。あと一歩行動が遅れていたら脚が凍り付いていただろう。

「危な...」

「避けられてしまいましたか。ですが、次は外しませんよ」

 何処からともなく、投げられたものと同じサイズのナイフを両手に三本ずつ持ち、拓馬は獲物を狙う狩人の眼で雪那を見据えた。

(ヤバい…これ、殺されるかも...)

 ごくりと、雪那は唾を飲み込みながら、袖の中に入れている呪符を取り出そうと、そっと指を伸ばす。

「させませんよ」

 雪那の動きに気づくやいなや、手にしたナイフを拓馬は素早く投げつける。

 鋭い切っ先が雪那目掛けて飛来する。

 逃げられないと覚悟をして雪那は咄嗟に身構えて目を閉じた。


 金属音が響き、カランとナイフが地面に落ちる渇いた音が路地裏に木霊する。

「やはり来ましたか」 

 拓馬のどこか愉しそうな声に、恐る恐る雪那が目を開けると、目の前には見慣れた背中が立ち塞がっていた。

 顔を上げて雪那が見た拓馬の表情は、何処か楽しげで、自身の投げたナイフを三日月で叩き落した莉桜を見つめていた。

「毎度毎度モノ好きやね、そんなに報酬が欲しいならもっと怪夷退治に精を出せばええやん」

 楽しがな拓馬とは対照的に莉桜は不機嫌そうに拓馬を見据え、不満を吐き出した。

「だいたい、秋津川みたいな小さな事務所襲ってもなんにもならんやろ。襲うならもっと大手狙いなさいよ」

 呆れた様子の莉桜に拓馬は笑みを浮かべたまま話をする。

「怪夷討伐の報酬を奪うのはまあ、言ってしまえばオマケのようなものですよ。私としては志狼の仮を返したかっただけなので」

「やっぱりそっちなの?ね、これ完全にとばっちりだよね」

莉桜後ろの隠れていた雪那がそれまでずっと思っていた事を吐き出すように声を張り上げる。

「...つまり、私をおびき寄せる為に雪那が犠牲になったと?」

「ねえ、僕って莉桜を誘き寄せるエサなの?」

 莉桜と雪那の見解が一致したところで、莉桜は頭痛のしそうな頭を軽く叩いた。

「で、私に用事なら早いとこやりましょうか」

 三日月の柄を握り直し、莉桜は雪那を背後に庇いながら目を細めて拓馬と対峙した。

「ええ、そのつもりでここに来たので、そう来てくれなくては困ります」

 ニコリと笑った拓馬の手に空気中の水分が集まっていく。それは術式で冷やされた冷気によって固められ、細長い形を形成していく。

僅かな時で、一振りの氷の槍へと変化した。

 姿勢を低くして、槍の切っ先を莉桜に向け、拓馬は一気に地面を蹴って眼前へと飛び込んだ。

 一直線に突き込まれた槍を莉桜は刀の腹で受け止めると、薙ぐように横に払う。槍の横擦れ擦れを一気に突き進み、相手の間合いに踏み込んだ。

 槍を突き出したまま、莉桜の接近から逃れる様に拓馬は横に身体を反転させて躱し、再び槍を引き寄せる。回転した反動を生かして拓馬は莉桜の背後に回り込んだ。

 氷の切っ先が莉桜の背に突き刺さる瞬間、莉桜は地面を強く蹴って飛び上がり、空中で半回転して、拓馬の背後に回り込んだ。

 太刀である三日月の鋭利で長い刃が、拓馬の喉元に据えられる。少しでも動かせば首が簡単に落ちる距離で、莉桜はぴたりと刃を止めた。

「動くと切れるよ」

 背後から聴こえてくる冷ややかな声音に、拓馬は自分が不利な立場にいるにも関わらず、不敵な笑みを浮かべた。

「ふふ...流石、執行人のトップの名は伊達ではありませんね。少し油断していました」

 降参だと伝える様に氷の槍を消し、拓馬は諸手をあげる。

「あんたさ、本当に私の事倒す気あったん?」

「どうでしょう...私は志狼の憂さを晴らしたかっただけですから。それに、私が貴方を倒してしまったら、志狼が張り合う相手がいなくなってしまいますから」

「...いい趣味しとるわ」

「主を思うのはお互い様でしょう?」

 意味深な拓馬の言葉に莉桜はチラッと雪那を見てから、肩を竦めた。

「今回は私の負けです」

 完全に繊維をなくした拓馬を莉桜は静かに開放する。

 三日月を拓馬から放して、ゆっくりと地面に下ろす。念のため鞘には戻さずに莉桜は自分から距離を取る拓馬と向き合った。

「それではまた。次は正々堂々、怪夷討伐の場で競いましょう」

「そうしてもらえると助かるわ」

 ニコリと笑みを零して拓馬は潔くその場を去って行った。


 拓馬の気配が完全に消えたのを確認し、莉桜は三日月を鞘に納めた。

『ふう、やれやれ、莉桜も毎回忙しいね』

 それまで莉桜の首の後ろに隠れていたハリネズミがちょこんと肩に現れる。

『刹那、君も大変だね。主がトラブル吸引体質だと』

 莉桜の肩の上で溜息を吐いた三日月は雪那の足元にいる刹那に話しかけた。

『仕方ない。雪那の体質は今に始まった事じゃないけど、今回は莉桜のとばっちりだ。疫病神』

 雪那の肩に身軽に飛び乗り刹那はぶらぶらと尻尾を揺らす。

『お互い、厄の振り撒き合いをする主だね』

 動物同士の会話が交わされていることとは気づかず、莉桜は雪那の傍に歩み寄って心配そうに「大丈夫?怪我してない?」と尋ねた。

「怪我はしてないけど。莉桜、志狼の客横取りしたって」

「逆、あっちが割り込んできたの。私の方が最初に声かけたのに割り込んで来たの」

 真実を伝えようと莉桜は頬を膨らませて愚痴を零す。

「久し振りにいい客に巡り合えたから、どうしても取られたくなくて、一勝負したの。あ、仕掛けてきたのはあっちだから。それで、勝負して、ちょっと危なかったところを何故かその旅人さんが助けてくれてさ」

 その時の事を莉桜は雪那に話す。

「なるほど、勝負中に客本人から意思表示されたら、それはちょっと面白くないかもね」

「まさかそれが雪那に仕返しとして還元されるとは...ごめん、迂闊だった」

 自分が発端の原因である事を莉桜は雪那に謝罪する。護るべき相手を危険に晒しては用心棒の意味がない。

「まあ、今回は不可抗力でしょ。莉桜だって、その案内人のお客さんで手一杯だったんだろうし」

「そういうなら、もうちょっと自分んで退けるとかしてよ」

「いや、僕は非戦闘員だし」

 ジト目で見てくる莉桜から眼を逸らし雪那は乾いた笑みを浮かべた。

「でも、良かったね。案内人のお客さんと契約出来て。暫くはそっちにかかり切り?」

 雪那の問いかけに莉桜は頷く。

「昼間はね。暫くは美幸ちゃんのとこでお世話になるから、何かあったら呼んで」

「了解。猛と雨にも伝えておくよ」

「頼んだ。ところで、その猛はまだチビ達相手にしてるのかな?」

「どうだろ?一応合流地点は決めてるけど」

「早く無事を報せてあげなよ。あれで結構心配性じゃん」

「あはは。心配性なのは莉桜と変わらないね」

 楽しげに笑う雪那に莉桜は頬を赤らめて視線を逸らした。

「心配ついでに合流地点まで送ってあげるわよ」

「お。優しい。流石は専属の用心棒だね」

「調子に乗らない」

 路地裏から連れ立って二人は大通りに向けて歩き出す。

「そのお客さんって、どんな人なの?」

 道を歩きながら雪那は莉桜に問いかけた。

「スパニッシュから来た商人さん。なんか、買い付けに来たんだって。逢坂は初めてだって話だから今回は丁寧に案内しようかと思っとる」

「男の人?」

「うん...まあ」

 ニヤリと意味深に雪那は笑う。その視線を莉桜は上向いて躱した。

「変な勘繰りしない」

「はいはい。ま、折角のフリーの仕事なんだし、頑張ってきなよ」

 「うん」と、莉桜は雪那の励ましに頷いた。

 

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