第三章 専属用心棒

第十話



 人工島を後にした莉桜と悠生は、天保山を横目に、中心地へと走る路面電車に乗り込んだ。海岸部を抜け、川を遡るように電車は線路の上を進んで行く。

 それまで殺風景だった景色は、やがて建物が密集し始め、蒸気の立ち上る中に入り込だ。 いつもなら屋根伝いに徒歩で逢坂の街を移動する莉桜だが、悠生の荷物の事を考えて徒歩ではなく、路面電車を使用することにした。

 二両編成の木製の骨格に金属の外殻と車輪。蒸気で動くそれは、長距離移動を想定した汽車のさばさばとした動きとは違い、短い距離をゆったりと客を乗せて進む。

 流れていく景色をまじまじと座席から身を乗り出すように見つめ、悠生は静かに吐息を零した。

 人工島からの移動者を乗せた路面電車はやがて終着駅である梅田駅へ辿り着いた。

 プシューと蒸気の噴き出す豪快な空気音を立て、ガコンと振動を車体全体で緩和しながら路面電車はその動きを停止させた。

 荷物をてに悠生はホームへと降り立つ。

 大きなターミナル駅であるのか、梅田駅には幾つものホームがあり、路面電車の他に汽車も停車し、自分のように大きな荷物を持った人々でひしめき合っていた。

「ユウさん、移動するからはぐれんといてね、ここ、めっさ人多いから」

 悠生に続いて電車を降りた莉桜は、ホームの外へと歩き出す。それに悠生も荷物を持ち直して着いて行く。

 梅田駅の駅舎を出て、逢坂の街へ繰り出すと、流石中心地だけあって、そこは様々な商店が軒を連ね、旅人は勿論のことこの街で暮らす人々の行交う様は、他の都市にも負けず劣らず活気づいていた。


 これまで、商人として様々な都市を見てきたが、その中でもここ逢坂は人々の熱気に溢れている。怪夷の恐怖に今も脅かされているとは到底信じがたい程に活き活きとしていた。 

 大通りを南に南下して歩いていく莉桜の背中を見失わないように悠生は往来の激しい通りを進んで行く。

「長旅でお疲れのとこ悪いけど、もう少し歩ける?なんなら馬車拾うけど」

 肩越しに悠生を振り返り、莉桜は気遣うように相手の状態を問いかけた。

「大丈夫。歩くのは好きだから。それに、足腰が弱くちゃ商人は務まらないよ」

 悠生の応えに莉桜は「疲れたら言ってね」と念のため付け加えて、歩みを速めた。

 何処か、目的地があるらしい。

 路面電車に乗り込む際「滞在先を紹介します」と言われて悠生は素直にそれに従う事にした。

 祖国とはいえ、逢坂の街は初めてだ。ここは案内人と呼ばれる彼女に着いて行くのが一番と悠生は判断した。

 自分を気遣いながら時々付いてこれているか確認する莉桜の斜め後ろを悠生は疲れたとも言わずに歩く。

 本音を言えば、長い航海の後で陸地を歩きたかったのだ。

 船旅の疲れは多少あったが、十数年ぶりに戻ってきた郷里の地を、この足で踏みしめたいという思いと、他国とは異なる独特な街並みをじっくりと眺めたいという気持ちが悠生の足取りを軽くしていた。

 逢坂の街に入ってから更に子供のように目を輝かせている悠生の横顔を莉桜はチラッと見遣り、思わず微笑んだ。

(なんだか楽しそうだなあ...)

 悠生の表情から彼がいかにこの街の景色を楽しんでいるかは一目瞭然だった。

 自分も、この逢坂に足を踏み入れた時は驚いたが、それとは違う純粋な視線。

 悠生の姿を見ていた莉桜は、ふと、昔の事を思い出した。

 自分にも、彼のように感動した時があっただろうか。この街に初めて来た時の事をなんとなく回想する。

(あの頃はそんな余裕なかったっけ...)

 心にも、金銭的にも、余裕などなく。ただがむしゃらに走り抜けていた。

 違った形で、この街を訪れていれば、或いはそうだったかもしれない。

(ユウさんも勿論目的があるんやろうけど、私の目的とは全然違うんやろな...)

 かつての自分と悠生を重ねて莉桜は過去の自分を振り返る。

 そんな日々を反芻して莉桜は、自分とは対照的な来訪者を静かに見つめた。

 いまだ、この街に来た目的を果たせてはいない。

 少しずつ情報は集めているが、確証が得られたことは一度もない。

(焦っとる訳でもないけど...早いとこ奴等を見つけないと)

 胸中で唇を引き結ぶ。その表情が自然に出ていたのか、不意に悠生に声をかけられた。

「大丈夫?」

「え?あっ」

 唐突に顔を覗き込まれて莉桜は大きく目をしばたかせた。驚きのあまり声が上擦ってしまう。

「何か、難しい顔をしてたから」

 心配そうに見つめてくる悠生の孔雀石のような濃い緑色の瞳を見つめ返し莉桜はしばし動きを停止した。

「...顔に出てた?」

 ようやくそれだけを絞り出して莉桜は僅かに悠生から距離を取る。

 莉桜の問いに近い一言に悠生は頷いた。

「ごめんなさい、ちょっと考え事をしていて...」

「そうか」

 静かに相槌を打ち、それ以上は聞いてこない悠生に莉桜は思わずホッとした。

 別に、聞かれてまずい内容でもないが、出逢って一日も経っていない相手に心配をかけるのは本心ではない。ましてや、この事は親友たる雪那にすら話していないのだ。それを初対面の悠生に話す事ではない。

(それに、話したらこの人、なんかついてきそうな気がする)

 悠生の性格を全て知っている訳ではないが、酒場での志狼との小競り合いに自ら首を突っ込んできた様子を見るに、恐らく彼は困っている人を放っておけない性分な気が、莉桜はしていた。

(無事に目的を達成して、本国に戻れるようこの事は話さないようにしないとね)

 自分に言い聞かせ莉桜はふう、と深呼吸をした。


「さて、この先を曲がると旅籠街だから。そこに私が個人的に紹介するお宿があるので、そこを逢坂の滞在先にしてください」

「案内人は旅人の宿も紹介してくれるのか。それは助かるよ」

 実を言えば、何処に泊まるかを悠生は考えていなかった。巨大な都市だし、宿くらい直ぐに見つかるだろうとかなり呑気に考えていた。

「これも案内人の仕事ですから」

 とんっと胸を張り莉桜は通り沿いに沢山の飲食店や旅籠が軒を連ねる地区へとやってきた。

 その中の一軒の建物の前で立ち止まり、暖簾を莉桜は悠生を伴って潜った。

「いらっしゃいませ。あら、莉桜ちゃん」

「美幸ちゃんこんにちは、今日はお客さん連れてきたよ」

 暖簾を潜った先はテーブル席の備え付けられた食事処。奥から明るい出迎えの声と共に出てきたのは、赤い振袖に青葉色の袴を穿いて、長い黒髪を左右に分けて三つ編みに結った前掛け姿の女性だった。歳は莉桜と同じくらいだ。

「マジで!」

 莉桜の一言に女性ー朝霧美幸あさぎりみゆきはキラキラと蒸し栗色の瞳を輝かせた。

「ああ、ありがとう。これでまたうちは存続の危機を乗り越えた」

「大袈裟な。食事処で十分やってけてるやん。まあ、私が助かってるけどさ」

 声を震わせて喜ぶ美幸に莉桜は苦笑する。

「さて、ユウさん。紹介するね。彼女は旅籠兼食事処『あさか』の女将で店主の朝霧美幸さん。私の友人でもあるんよ」

 莉桜の後ろから前に出て、悠生は恭しく会釈する。

「初めまして、俺は悠生・フェルディナンド・カルーノと言います。暫くお世話になります」

「初めまして、ようこそ逢坂においで下さいました。莉桜ちゃんの連れてきたお客さんは大歓迎ですよ」

「ユウさんはスパニッシュの商人で、今回は物資の買い付けに来たんやって」

「商人さんね。分かった」

 悠生の情報を簡単に莉桜は美幸に説明する。それを聞いて美幸は何かを承知したのか、深く頷いた。

「よろしくお願いします」

 笑みを零しながら悠生は更に深く頭を下げて礼を示す。

「こちらこそどうぞよろしく。お宿『あさか』へようこそ。莉桜ちゃんの契約してるお客さんはしっかりおもてなしさせてもらうよ。お沙耶さや~お客様のお部屋用意して~」

 悠生の荷物を受け取りながら美幸は店の奥に声をかける。すると、美幸と同じ格好の髪を肩口で切り揃えた十四、五歳の少女が姿を見せた。顔立ちが美幸によく似ている。

「お沙耶ちゃんこんにちは」

「莉桜お姉ちゃん、いらっしゃいませ。お客さん連れてきてくれたんだね。ありがとう。今からお部屋用意するから、少しだけ待ってて」

 美幸から悠生の荷物を受け取り、沙耶と呼ばれた少女は莉桜と悠生にぺこりとお辞儀をして、また奥へと入って行った。

「彼女は美幸ちゃんの妹で沙耶ちゃん。この店は姉妹二人で切り盛りしとるんよ」

 沙耶に続いて美幸も悠生の荷物を運んで行く。そんな二人を見やり、莉桜は簡単に店の事を説明した。

「女性二人で...大変な事も多いのでは?」

 悠生の疑問には、丁度戻っていた美幸が答えた。

「色々大変なこともあるけど、両親が残してくれた大事なこの宿を守っていかないとならないからね」

 バンっと胸を叩き、美幸は真っ直ぐな目線で悠生に告げる。その力強い決意の視線に悠生は関心を寄せた。

「素晴らしいですね」

「当たり前の事を褒められるとなんか歯がゆいなあ。まあ、うちらみたいなのは結構いっぱいいるからね、この街は」

 含みのある言い方ではにかんだ後、話題を変える様に美幸は莉桜に視線を移す。

「そういや、莉桜ちゃんお昼は?よかったら食べてかない?」

「うん、そのつもり。あ、でもお代はちゃんと受け取ってよ」

「今日はいいよ。お客紹介の仲介料ってことにしといてくれたら」

「いつも悪いなあ...今度忙しい時は手伝うから言ってよ」

「もちのろんだよ。また厨房入ってもらうからそのつもりで」

「相変わらず抜け目ないなあ...。ま、それくらいお安い御用だけどね」

 莉桜と美幸は親し気に常と変わらない会話を交わす。

 そんな乙女二人のやり取りを悠生は微笑ましく見つめていた。

「さて、座って、座って。食べていもの決まったら声かけてね」

 二人を窓際の四人掛け席に案内した美幸は、そそくさと奥の厨房へと消えていく。

 向かい合わせに悠生の前に腰を下ろした莉桜は、テーブルに置かれているお品書きを広げて悠生の前に差し出した。

「ここの料理は本当に美味しいから、何を頼んでも当たりだよ」

「それは楽しみだ」

 莉桜からお品書きを受け取り、悠生はそこに書かれている料理を一つひとつ目で追っていく。

 契約書を交わす段階で悠生が日本語の読み書きも問題ないと知っているので莉桜はお品書きを見ている悠生を特に心配はしなかった。

 隣の席からもう一冊お品書きを持ってきて何を食べようか考え始めた。


『莉桜』

 注文を決め、悠生に決まったかを確認しようとした矢先、ずっと肩に乗っていた三日月に唐突に名前を呼ばれて莉桜は嫌な予感を感じた。

『通信。雪那から。繋ぐ?』

 淡々と告げてくる三日月がヒクヒクと鼻を震わせる。

「マジか...分かった。繋いで」

 突然独り言を言いだした莉桜に驚き、それまでお品書きを吟味していた悠生は思わず顔を上げた。

「莉桜さん?」

「あ、ごめん。驚かせて。この子、通信機の術式が組み込まれてるの」

 悠生に説明しながら莉桜は三日月をテーブルの上へと下ろす。

 テーブルに下ろされたハリネズミを悠生は珍しい物を見る好奇心に溢れた目で見つめる。

 その熱心な視線に困惑しながらも、三日月は主の命に従って受信した通信の回線を開いた。

 莉桜の目の前に術式の五芒星の円陣が展開される。音声自体は莉桜が左耳にしているピアスから聴こえてきていた。

 雪那の通信の理由には予想がついていたが、取り合えず状況を確認する為に呼びかけた。

「雪那、どないしたん?」

『莉桜ー助けてーまた連中に追い回されてる~』

 聴こえてきたのは、なんとも情けない親友の声だった。

 予想通りの展開に莉桜は呆れた様子で溜息を吐く。

「またアイツ等...相変わらずこりひんなあ...。雪那、猛は?一緒じゃないん?」

 口早に莉桜は雪那に状況を問いかける。通信の端から騒がしい音はしないので恐らく逃げている段階というのは把握できた。

「猛は今連中巻いてる」

「分かった。じゃあ、今からそっち向かうからどっかに隠れといて。座標の位置は三日月が割り出すから。いい?絶対に動くなよ」

 『りょうか~い』と間の抜けた声を最後に一先ず莉桜は通信を切る。

 三日月をささっと横によけ、莉桜はテーブルに額を押し付けんばかりに勢いよく頭を下げた。

「ごめんなさい!最初に伝えてた別件の仕事が入ったので行ってきます!終わったら直ぐに戻って来るので」

 パンと、両手を合わせて真剣な表情で頭を下げてくる莉桜に、悠生は柔らかな笑みを向けてこくりと頷いた。

「うん、いってらっしゃい。俺の方は一人でも大丈夫だから」

 悠生からの願ってもない申し出に莉桜は「ありがとう!」と力強く礼を言う。

「美幸ちゃん、ユウさんの事お願いね」

 丁度二人の元にお茶を持って来ようとしていた美幸に、莉桜はそう告げると、雇い主の許可を貰って早々に店を駆け出して行った。

 嵐の如く店を飛び出して行った莉桜の様子を察したのか、美幸はのんびりと既にいない莉桜に「了解~」と返事をした。

「忙しなくてごめんなさい。いつもの事だからそのうち慣れますよ」

 茫然と店の入り口の方を見ていた悠生の前にお茶の入った湯飲みを置きながら、美幸は苦笑交じりに肩を竦めた。

「あの、詳しくは聞いていないのですが、別件とは、どんな仕事なんですか?もしよろしければ教えてもらえないでしょうか?」

 今に至るまでずっと聞きそびれていた事を悠生は事情を知っていそうな美幸に尋ねた。

「莉桜ちゃんはある人の専属の用心棒もやってるんだ。大事なパトロンみたいな感じかな。彼女がピンチの時に優先的に駆けつけるって契約を結んでるの」

「パトロン...」

「この逢坂に一緒に来た幼馴染なんだけど、彼女逢坂一番のトラブル吸引体質の有名人なんだよね」

「トラブル吸引体質?」

 美幸の話に悠生はきょとんと小首を傾げた。

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