第九話


 書類を書き終えてもらった莉桜は悠生を伴って人工島の案内所に戻ってきた。

 受付カウンターで登録の処理をしていた鈴蘭の元に、二人は揃ってやってきた。

「あら、やっぱり莉桜さんを選んだのね」

 二人で戻って来るなり、鈴蘭は嬉しそうに微笑んだ。

「鈴蘭さん?なして、私を選ぶと思ってたん?」

 まるで預言者のような鈴蘭の口振りに莉桜は小首を傾げた。

「ふふ、最初に見た時にね、カルーノさんはなんとなあく、莉桜さんに合いそうだなって思ってたの」

 上品に笑いながら頬に手を添えて鈴蘭は自分が思った事を穏やかに口にした。

「さあ、書類を出して。早速登録をしちゃいましょう」

 座っていた椅子から立ち上がり、ふわりと優雅に鈴蘭は手を差し出す。

 それに促される形で悠生は記入した書類を手渡した。


 待合室の長椅子で待っていると、二十分程して悠生と莉桜は受付に呼ばれた。

「はい、こちらが登録証になります。表はカルーノさんがここに来た時の登録情報です。そして、裏側には、保証人である案内人の所属と氏名、案内人登録番号が記載されています。これで、貴方も晴れて逢坂に入れますね」

 説明をしながら鈴蘭が差し出したのは、名刺サイズのパンチカード。真鍮で加工された黄土色に輝くそれは、薄く小さいながらも様々な情報が記録されている。

 登録証を受け取り、悠生はそれをまじまじと見下ろした。

「ありがとうございます」

 口元に笑みを浮かべ、悠生は鈴蘭に礼を言う。

「それでは、良い旅を。この先の詳しい事は案内人にお尋ねください。それから...」

 口元に指を添え、まるで内緒話をするように、突然鈴蘭は声の大きさを落として言葉を続ける。

「どうぞ、夜はお気を付けて」

 鈴蘭の意味深な忠告に、悠生は妙な引っ掛かりを覚えて一瞬眉を顰めたが、直ぐに笑みを浮かべて頷いた。

「それじゃ、鈴蘭さん、またね」

「ええ、莉桜さんも頑張ってね」

 顔見知りらしく、莉桜は鈴蘭に手を振って別れの挨拶を交わすと、「行きましょう」と、悠生を促して出入り口の方へ踵を返して歩き出す。

 鈴蘭に会釈をして悠生は莉桜の背中を追うように案内所を後にした。



「いやあ~登録出来て良かった」

 案内所の階段を降りながら莉桜は空に腕を大きく上げて歓喜に声を漏らした。

 その喜び様を横で見つめて悠生も自然と笑みを零した。

「これで、ようやく逢坂の街に入れるんだね」

 鈴蘭から渡されたくすんだ金色のパンチカードを改めて眺めて悠生はホッと安堵の息を零した。

 案内所で規則を聞いた時はどうなる事かと思ったが、一先ずは第一関門クリアのようだ。

「外からの旅人さんってめんどいよね。観光業唄ってる割に、色々重要な側面を担う街だから、規則も厳しいし」

 案内所を離れ、人工島と逢坂本土を唯一繋ぐ橋へ向かいながら莉桜はこの特殊な都市の事を思う。

「でも、この街に居住権持つのもなかなかしんどいけど」

 莉桜の話に耳を傾けなら、パスケースに登録証を仕舞った悠生は改めて礼を口にした。

「ありがとう。貴方がいなかったらどうなっていた事か。お陰で仕事が出来るよ」

「お礼を言われる程の事じゃないよ。感謝してるのは私の方。お陰でお仕事にありつけました」

 くるりと悠生の方に向き直り、莉桜は深々と頭を下げる。

「えっと、なんて呼べばいいですか?あ、私の事は気軽に莉桜って呼んで下さい」

 改めてそう言われて悠生はしばし考え込む。故郷の仲間達からの愛称はあるが、ここはもう一つのふるさと。せっかくならと、ある事を決めて莉桜の問いに答えた。

「ユウと、呼んでほしいな。俺は半分はスパニッシュで国籍もそうだけど、生まれはこの日ノ本で、半分は日ノ本に血を受け継いでいるから」

 ずっと願い続けてきた生まれた場所への帰省。それは、悠生の人生において意味のある事っだった。

 だから、この国の文字と音を使う名前で呼んで欲しくなった。

「あと、敬語もいらないよ。これから、俺達はビジネスパートナーだし、対等の立場でいたいから」

 親しみを込めてそう告げる悠生に莉桜はこくりと頷いた。

「分かった。でも、年上を呼びつけにするのはなんか落ち着かないから、ユウさんって呼ぶね」

 自分の中に折り合いをつけた莉桜の精いっぱいの敬意に悠生は首を縦に振って承諾した。今日出逢ったばかりの関係だ。親しくなるには時間が必要だ。それは悠生本人にも言える事なので、莉桜の妥協はむしろ

かなりいい方だった。

 そんな風に他愛ない会話を交わして歩いていると、二人の前に二メートルを超える扉が現れた。

 それは、人工島と逢坂の都市を結ぶ唯一の橋。

 悠生が人工島に入る時と同じく、門を構えた橋の前には警備の憲兵が二人立っていた。

「さっきの登録証だしといた方がええよ。これから二回、必要だから」

 門の近づきながら莉桜は悠生に助言をする。

莉桜の助言に従って悠生はパスケースから登録証を取り出した。

「案内人、九頭竜莉桜。旅人を伴い逢坂に帰還します。門の開錠許可を」

 自身の登録証を取り出して莉桜は人工島に入ってきた時の気楽さとは打って変る慎重な調子で門番を務める憲兵に訊ねた。

「了解した。登録証を」

 一歩、莉桜達の前に出た一人の憲兵が登録証を求めた。求めに応じて莉桜は登録証を手渡す。

 受け取った登録証のパンチカードを憲兵は門の詰め所にある小型の解析機関に通す。

「認証を確認。九頭竜殿、お勤めご苦労様です。それでは、新たに入京を許可された旅人殿の登録証を」

 莉桜に敬礼をて、登録証を返却した憲兵は今度は悠生に登録証の提示を求めた。

 憲兵の申し出に従い、悠生は登録証を手渡す。

 登録証を受け取った憲兵は莉桜の時と同じように解析機関にパンチカードを通した。

「認証を確認しました。悠生・フェルディナンド・カルーノ様。太陽の国スパニッシュよりようこそおいで下さいました。我々は貴殿を歓迎いたします」

 登録証を悠生に返し、憲兵は敬意を込めた敬礼を示す。

「ありがとうございます」

「逢坂での旅をどうぞお楽しみください」

 穏やかに微笑みかけた後憲兵は、固く閉ざしている堅牢なる門の錠を解く。

 鈍い轟音を響かせて、門は内側に静かに開いた。

「どうぞお通り下さい。ここを抜ければそこは蒸気都市の入口です」

 二人の憲兵が一糸乱れぬ動きで槍を振り、切っ先を門の内側に翳して悠生達を門の中へと誘う。

 深呼吸をして気持ちを切り替え、悠生は促しに従って門の中に一歩、足を踏み入れた。

 悠生に続いて莉桜は通いなれた門を潜る。

 門の中に入ると、人工島の港から町に入る時に抜けた道より二倍はあるあろう橋が架かっていた。足早に橋を進んで行くと、中央に結界だろう、注連縄の輪っかが結ばれていた。

 通り抜ける瞬間、腰に帯びた剣が僅かに熱を持つ。ずっと肩に停まっている朔月が僅かに首を振った。

 悠生の肩にずっと停まっていた鷹と同じく莉桜に肩にずっと乗っていた三日月はじっと見つめ、ひくひくと鼻を震わせた。


 橋を渡り切る手前で、再び検問があり、憲兵が立っていた。

「ユウさん、今度は登録証翳すだけでいいから。こう、この紋所が目に入らぬかーって、印籠みたいに」

 ぐっと、胸の前に登録証を突き出して莉桜はニヤリと笑う。

「インロウ?」

「あれ?知らない?水戸黄門。冒険小説の」

 首を捻る悠生にを前に莉桜はキョトンと目を丸くする。

 そうか知らないかあ...と肩を落としながら莉桜は自分の登録証を仕舞った。

 莉桜の落胆ぶりに困惑しながら悠生は、取り合えず謝った。

「暇があったら読んでみて、今流行りの立川文庫やから」

 迫り来る勢いで奨めてくる莉桜に悠生は苦笑する。

「滞在中に読んでみるよ」

 莉桜の圧に半ば押され悠生は頷いた。

 そうこうしているうちに、橋のたもとに辿り着いた悠生は関所で登録証を憲兵に見せた。

 今度は登録証の表面に記載された内容を確認するだけで、登録証は返された。ここまで橋を渡ってくるのは、案内所も、最初の門も、橋の結界も全て突破した者だけだからだろうか、今までで一番確認が早く終わった。

「ようこそ、蒸気都市逢坂へ。良い旅を」

 これまでの門番同様穏やかに歓迎の言葉と敬礼を受けた悠生はようやく橋を渡り切り、逢坂の街に足を踏み入れた。 

「わあ...」

 橋を渡り切り、少し進んだ先で悠生は思わず感嘆の声を零して立ち止まった。

悠生の目の前に広がっていたのは近代的な煉瓦とコンクリートを使った昨今主流になりつつある建築物と昔ながらの木製の低い建物。

その街々の間から蒸気が噴き出し、陽光を反射して白く輝ている。

「凄い、ここが逢坂...」

 目の前に広がる独特の街並みに悠生はまるで子供のように興奮気味に声を上擦らせた。

「そんなに、スパニッシュとは違う?」

「うん。ここまで独特なのは初めて見たよ」

 目を細め、蒸気が噴き出す逢坂の街並みを悠生はゆっくりと見渡した。

「気に入ってもらえて良かった」

感動している悠生を莉桜は笑みを浮かべ、胸を撫で下ろす。

 案内人には観光客を案内する役目も勿論ある。だからこそ、訪れる人には少しでも楽しんでもらいたいと思うのが本音だった。

「さて、これから逢坂の中心部に向かいます。この先はもう都市のなかだから登録証を見せるような関所はないから安心して」

 莉桜の言葉に悠生は登録証をいれたパスケースをコートの内側にしまい込んだ。

「それでは、これより逢坂の街へご案内します。私に付いてきて」

 職業名に沿うようなガイドよろしく、莉桜は坂道を下って行く。

 その後を心を躍らせながら悠生は着いて行った。

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