第八話


 斎藤に別れを告げ、怪夷の討伐現場から離れた雪那と猛はそのまま御堂筋みどうすじを北上し、道頓堀橋どうとんぼりを渡って心斎橋しんさいばしの方に向けて歩き出す。

「この辺は暫く怪夷は出そうにないね」

「ランクCを倒した後だからな...もう少し北の方を当たってみるか」

 何かを確認するような会話が二人の間で交わされる。

「そうだね。天満宮てんまんぐうとかの辺りで情報収集してみようか」

 猛の提案に頷き、方向を決めた雪那は目的地に定めた地区に爪先を向ける。

 心斎橋の辺りに差し掛かると、人の数が増えて歩くのもやっとになってきた。

 人込みを避ける様に、人気の少ない路地裏に雪那と猛は入った。

 再び目的地に向けて暫く歩き、大通りから響いていた人々の声が遠ざかった時、雪那の身体は猛の逞しい腕に引き寄せられた。


「⁉」

 バシンっと、石畳を穿つ低い音が路地裏に反響する。

 驚きながら猛の傍に引き寄せられた雪那は、目を見張った。先程まで自分がいた場所の地面が抉れている。

「な、なに...」

 突然抉れた地面を見て雪那は顔を青くする。猛の反応が遅れていたら大怪我をしていただろう。明らかに自分を狙った攻撃。

「まったく、またお前達かっ」

 雪那を護る形で腕に抱いたまま猛は頭上へと声を張り上げ、建物の屋根を睨みつける。

 猛の視線の先、屋根の上に3人分の人影がある。それぞれが、敵意を剥き出しにして雪那達を見下ろしていた。

「ちぇ、避けられた。今回は行けると思ってたのに」

「お前の詰めが甘いんだよ」

「いや、あのノーキンいたろ、そりゃ無理でしょ」

 屋根の上から雪那達の様子を伺いながら三人は口々に会話を交わす。

 そんな三人の人影を猛はまるで猛獣のように睨みつけて威嚇した。

「なんだよ秋津川、今日はお守付きで命拾いしたな」

「うわあ...なんで毎度凝りもせずくるかなあ...」

 威嚇している猛とは裏腹に建物の上から自分達を見下ろしている三人を雪那は呆れ顔で見上げる。

「そんな処から覗いてないで降りて来い!」

 猛の一括に、三人は顔を見合わせて、相槌を打つと、屋根の上から身軽に雪那達から少し離れた場所に飛び降りた。

 降りてきたのは十代後半の年若い少年達。

 きちんと横一列に並んだ三人は、左から一番背の低い金髪でフード付きの虎柄の羽織を着た少年。

 中央には薄い藤色の癖毛の黒い薄手の長袖を着込んだワイシャツに近年米国から輸入された炭鉱夫愛用のジーンズを穿いた少年。

 そして、右側には鶯色の襟足までの髪に暗めの色合いの小袖と袴姿の少年。

 雨と左程変わらない彼等は、各々手に武器を持っていた。

 背格好はバラバラだが、その左腕に付けた腕章が彼等が同じチームである事を表している。

 狼の横顔に燃え盛る炎のシルエットがあしらわれた文様は、赤羽志狼が率いる『赤羽情報屋事務所』の社章。

「お前達、毎度毎度飽きもせず」

 雪那を庇いながら猛は三人の少年達のしつこさに睥睨した。

 彼等との攻防は今に始まったことではない。雪那がまだ莉桜と二人だけで情報屋をしていた時から、志狼の所とは事あるごとに衝突をしてきた。

 同じ小規模な事務所同士、事務所設立直後は獲物を奪い合い、衝突しあう日々を続けいてた。

 雪那と莉桜が孤児であった雨を拾い、軍人であった猛が軍を退役して事務所に参入した二年前には赤羽事務所の方が人員を増やし、雪那達よりは所属の多い事務所になり、事務所の規模自体は中堅事業を拡大していた。

 だが、あくまでそれは人員としての話であり、実際は 怪夷討伐の面で雪那達の方が実力は上だった。

「昨日、大物のランクCを倒しただろ。その報酬俺等に寄越せよ」

 三人の中で最年長、トラ柄の羽織を纏った花村虎之介はなむらとらのすけが中指を立てて八重歯を剥き出しにしてくる。

 虎之介達の目的を聞いて雪那は呆れて溜息を吐いた。

「君等...やっぱり報奨金目当てかい」

「社長は別にあんたの首も取って来いって言ってたぞ。なんか今日はいつもより機嫌悪かったし」

 虎之介の隣にいた、赤羽事務所の最年少、癖毛がトレードマークの純浦羊治すみうらようじは手にした鎖鎌の鎖の部分を振り回しながら無邪気に挑発してくる。

「なんか、あんたらのとこの執行人に案内人の仕事取られたってさ。お陰で今日の収入がないから、襲って来いって」

 羊治の言葉を受けとる形で、小袖袴の少年、支倉貴兎はせくらたかとは淡々と襲撃の理由を口にする。

「それ、ただの八つ当たりじゃん...」

 聞かされた理由に雪那はもはや呆れを通り越して困惑した。

 毎度のことではあったが、流石に八つ当たりは質が悪い。志狼本人が来るならまだしも、自分の所の社員に襲わせるとは。

(というか...うちの執行人って、莉桜か)

 間接的にだが、莉桜が無事に案内人の仕事にありつけたようで良かった。

 そう、内心思いながらも、雪那は現状が穏やかでないのを思い出してやれやれと肩を竦めた。

『おい雪那、どうする?』

 不意に、雪那の耳に術式による音のない声が話しかけてくる。それまで雪那の足元で事態を見守っていた刹那だった。

(さて、どうしようかな...ただのとばっちりで痛い目に遭うのもなあ...)

『ボクが代わってやってもいいけど?』

 刹那の提案に雪那はしばしば考え込む。

(いや、この子達程度なら僕は逃げるよ。猛がお灸を据えてくれるだろうし)

『分かった、じゃあ、逃げよう』

 僅かな会話の後、雪那と刹那は顔を見合わせて示し合わせたように頷いた。

 一人と一匹の視線に気づいた猛は、雪那を更に庇うように背後に寄せて、肩越しに視線だけを寄越す。

「猛、僕は逃げるからここは任せていいかな?」

「勿論。こんな若造三人くらい俺一人でどうにかなる。俺の傍から離れたら、大通りに出てくれ、人込みの中で武器を振り回す馬鹿じゃなければ逃げ切れる」

 小声で雪那の言葉に応じ猛は、ニヤリと不敵に笑う。

 猛の考えている事を理解した 雪那は小さく頷いた。

 雪那と猛が何やら話しているのを、相手の出方を見守るように警戒していた少年達は、待ちくたびれと言わんばかりに声を張り上げた。

「なんだよっ、来ないならこっちから行くぜ!」

 羊治の手にした鎖鎌が、ブンと空を切り、弧を描いて雪那達の方へ飛来する。

 それを猛は、腰に差していた打刀を抜き放って弾き返した。

「しまった」

 猛の反撃で完全に雪那の姿が見えなくなった瞬間、猛の背後から六枚の呪符が投げ込まれ、三人の周りを囲った。

 罠だと気づいた時には、懐から素早く呪符を飛ばした雪那が、術式を展開していた。

「くらえ」

 三人を囲った呪符から煙幕が噴き出し、路地裏を紫色の煙が覆っていく。

「うわっ、やっべ」

「バカ!油断するから」

「前見えねー」

 煙幕に捕らわれながら、虎之介達は必死に煙の中から抜け出そうと藻掻く。

「雪那、今のうちに」

 煙幕の中、猛は雪那に大通りの方を示して走り出すよう指示を出す。

 それに応えるように雪那は、先導する刹那の背中を追って、煙幕の中から直ぐに駆け出した。

「あ、秋津川に逃げられた」

 煙幕の中、僅かに見えた走り去る雪那の姿に貴兎は咄嗟に追いかけようと走り出す。

 だが、その行く手を阻むように、巨大な影が目の前に立ち塞がった。

 それは、パキパキと指を鳴らして仁王立ちをする猛だった。

「お前達の相手はこの俺だ」

 かつての軍人らしい凶悪な表情で成人前の若者達を猛は毅然と見下ろした。

 怪夷の脅威とは別の異様な圧力に、虎之介、羊治、貴兎の三人は、びくりと肩を震わせた。

 それは、まるで山で熊にでも遭遇した時の様だった。

「ひ、怯むな」

 気丈にも年長者の意地を見せる様に虎之介は愛用の双剣を胸の前で十字に構えて、仲間達を鼓舞する。が、その声は微かに震えていた。

「俺達の社長に用があるなら、まずは俺を倒してから行け」

 打刀を鞘に納めた猛の手には軍人時代からの愛用のコンバットナイフが二本握られていた。逆手にナイフを構えて少年達を睨みつけた。


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