第六話


 

 莉桜が案内人の仕事を捜しに事務所から出かけた後、雪那は猛、雨と共に猛が用意してくれた朝ご飯を取り、情報収集に出かける為の身支度を整えた。


『雪那、君が行くのか?』


 雪那の耳に、ベッドの方から声が響く。

 チラッと雪那はシャツのボタンを留めながらベッドの方へ視線を向ける。そこには整った青みのかかった銀色の毛並みを持つ猫が、ちょこんと座っていた。


 口を開き刹那は、尻尾をゆらゆらと優雅に揺らしながら、雪那にと問いかけた。


「たまには僕も街の様子を見たいからね」


『無茶はするなよ。なんならボクが代わってもいいし』


 ごろりとベッドで身体を伸ばした刹那の提案に雪那は苦笑した。


「いざとなったら君に代わるよ。その時は助けてね」


『はいはい。まあ、トラブルを引き寄せないように注意することだな』


「何それ、皮肉?」


『事実を言ったまでだ』


 澄ました顔で尻尾を揺らしている刹那を振り返り雪那は「もう…」と、肩を竦めて溜息を漏らした。

 そんな雪那を刹那は、猫にしては珍しい紫の瞳で不敵に笑いながら見つめた。


『支度澄んだなら行くぞ』


 身体を起こし、ベッドからストンと身軽に床に降りる。


「あ、待って」


 スタスタと先に行ってしまおうとする刹那を追いかけるように、鞄を引っ掴んで足早に部屋を出た。



「お待たせ、猛」


 刹那を肩に乗せてビルの一階にある雑貨店へと雪那は刹那と共に降りてきた。


 一階では、雑貨店の店番と事務所の留守番を兼任する雨が開店準備をするのを手伝いながら、猛が待っていた。


「早かったですね」


 雑貨店の軒先に看板を出しながら猛は降りてきた雪那を出迎えた。

 そんな猛に苦笑いを浮かべながら雪那は肩を竦める。


「たまには、ね」


「今日は雨が降るかな?」


 ニヤリと笑う猛に雪那は「ヒドイなぁ」と頬を膨らませた。


「雨、後は任せるよ。何かあったら連絡して」


「了解です。店番は俺がしっかりしておきますので、任せて下さい」


 胸をトンと叩いて自信満々に答える雨に雪那は笑みを零した。


「お二人も気を付けて。最近、物騒な噂も聞きますから」


「雨、それって、例の執行人を狙った辻斬りの話?」


 雨が口に出した“噂”に雪那は首を傾げて聞き返す。


「それです。あくまでまだ噂ですし、怪夷退治に失敗しただけってことかもしれないですけど」


「まことしやかに流れてるだけだし…でも、用心に越したことはないか」


 顎に手を添えて考え込みながら雪那は雨の話を念頭に入れた。


「まぁ、僕らが用心しないといけないのは他にもいるけどね…」


 何処か遠くを眺めていう雪那に、猛は小さく頷いた。この業界は敵も多い。


「それじゃ、行ってくるね」


「はい、いってらっしゃい」


 考えるのを後回しにして雪那は猛を伴って事務所兼自宅のビルを後にする。

 その後ろを、家の塀伝いに刹那も付いて歩き出した。




「雪那、今日はどうする予定なんだ?」


 事務所を離れ、二人きりになった猛は、雪那へ予定を問いかけた。その口調はそれまでの畏まったものから、砕けた柔らかなものに変わっている。莉桜や雨がいる時とは違う猛の一面。


 彼は雪那と二人の時は恋人らし親しみの籠った口調で話すようにしていた。

 恋人の問いかけに、横を歩く猛を振り返りながら雪那は問いに答える。


「昨日の怪夷の現場に向かって、核の査定お願いするのと、軍警と報奨金の交渉に行こうかなと。連絡入れたからそろそろ調査に入ってるだろうし」


「報酬の回収をしないと収入にならないからな。ランクCの怪夷なら報奨金もでかいだろうし。同時に倒したランクDの分と合わせて今回はそれなりに稼げてるだろう」


 雪那の予定を聞いて猛は納得する。


「ましてや、ランクC倒したのは、莉桜の三日月だよ。純度の高い核が精製されているに違いない。これはなかなかでかいぞ」


 ふふふ、と雪那は不敵に笑う。その愉しそうな笑いに猛も笑みを零した。


 雪那が営む情報屋は外部からの旅人の案内人をしているが、本来は副業のようなもので、逢坂の都市が整備されて暫くして、政府が後付けした役職だ。

 

 情報屋の本来の顔。それは、怪夷を討伐する事を生業とする『執行人』


 大災厄の後、怪夷の討伐は暫くは政府が組織した討伐軍が行っていたが、徴兵や防衛の意味で人々も小さな怪夷なら討伐出来る様になっていた。


 逢坂の都市が整備された頃、街の中で発生する怪夷を祓う為に成り立ったのが執行人だった。


 十五年前、日ノ本を襲った怪夷にはその大きさや能力に幾つかのランク付けがされている。


 小さな子どサイズで最も頻繁に現れるランクEの怪夷は初歩的な術式で退治が可能なため、札や道具などで一般人でも撃退する事が出来る。


 このランクEが成長し、人の背丈と同じくらいになったランクDの怪夷が、先の大災厄で人々を苦しめた。人間と同じサイズで群れを成して襲って来るのが先の大災厄時に確認されている。統制が取れた動きをし、一介の訓練された軍隊にも等しい動きは、情報が少なかった当時、多くの犠牲をだした。


 ランクDに成長すると、呪符だけでは完全に祓う事が出来ず、その場で祓ったとしても半日もすれば奴等は再生と復活を果たした。

 

 怪夷に喰われた者が怪夷になるのが判明するのは、怪夷との攻防戦が始まって三か月経った頃。倒しても一向に怪夷が減らない事が確認されてからだ。


 江戸を中心に関東平野一帯には怪夷の犠牲となった人々の遺体が葬られる事もなく野晒しにされていた事と、ランクDが呪符だけでは完全に祓えない事が判明した結果だった。


 政府はこれにより強力な呪術を織り込み、神の加護を付与した武器の生産及び使用を手配。これにより戦況は一気に逆転し、名古屋を最前線基地として、現在は怪夷の大幅な侵入を防いでいた。


 しかし、江戸が消えたその日。天高く舞い上がり、今も定期的に流れてくる黒煙の影響は遠く離れた関西を含む他の地方にも影響し、怪夷が発生する事態となっている。


 昨夜、雪那達が倒したランクCの怪夷は人の背丈を遥かに超えた全長を持ち、ランクDが数人の人間を捕食したことで巨大化した姿だ。


 身体が巨大な分動きは鈍いが、ランクDよりも強力な術式が求められ、先の攻防戦の際には数人がかりで討伐をしていた。


 本来ランクEからの小さな発生である怪夷だったが、ランクCはランクDを産み落し、群れの形成を行えるという厄介な性能を有していた。


 その他にも怪夷にはBからSまで六段階ある事が現状解明していたがSランクに関しては情報が少なく、現状未確認な部分が多いといわれている。

 


「怪夷は術式で倒せるけど、それは完全に消滅した事にはならない。ランクEならまでしも、D以上になると核をどうにかしない限り人の怨念が集まれば何回でも増殖するからね」


 昨夜の現場に向かいながら雪那はおもむろに話しをし始めた。


「唯一、その存在を消滅まで追い込めるのが莉桜さんが持ってる聖剣『神刀三日月』か...」


 眉を顰め猛は既に見知った事ではあるが、改めて確認するように呟いた。

 莉桜が愛用する太刀。聖剣と称されるその刀の存在はこの逢坂で活動する執行人なら誰もが知っている。


「莉桜が昔から三日月を持ってるからねえ。僕もどうして莉桜がそんな怪夷退治の刀を持ってるのか、詳しくは知らない。ただ、莉桜の故郷は強い霊力を秘めた刀を打ち出す刀工の一族だった。多分何かしら理由があって三日月が打たれて、それを莉桜が所有する事にはなったと思うけどね」


「その故郷も怪夷に滅ぼされたと言っていましたね」


 以前莉桜本人から聞いた話を猛は思い出す。それに雪那はこくりと頷いた。


「もう五年になるのか。莉桜が三日月だけを持って僕がいた神戸にやってきた時は正直驚いたよ」


 不意に、当時の光景が雪那の脳裏に浮かびあがる。あの日、莉桜は煤まみれで、大事そうに三日月を抱き抱えて神戸まで一人でやってきた。その時の彼女の虚ろな瞳を雪那は今でも忘れられないでいる。


「そういえば、二人は幼馴染だったな」


「まあね。親同士が仲良くしていたから、子供の時から定期的に会っては遊んでたからね」


 怪夷の出現で大変な時代もあったが、そんなことも気にならない程、かつては共に過ごした親友同士だ。

 何も知らなっか無邪気な頃を思い出しながら、雪那は不意に寂し気に笑った。


「五年前、何があったのか莉桜は詳しく教えてくれない。あの日、どうして莉桜だけ逃げてこれたのか。何故、逢坂に行く事を決めたのか...今だに分かんないんだよね」


「親友なののに、話してくれないのか?」


 雪那の話に猛は疑問を抱いた。


「莉桜ってさ、変なとこ話してくれないんだよね。力になりたいのにならせてくれない。一人でなんでも抱え込む。他人の事はこれでもかってくらい心配して気に掛けるのに、自分の領域には入らせてくれないんだよね...」


 何処か不満げに話す雪那の顔を猛は真顔でさりげなく覗き込む。


「それ、雪那にも似たような所があると俺は思うぞ」


「う、うっさい。まあ、ある意味僕等は似た者同士なんだよ」


 猛から目を逸らし、少し速足で雪那は先を歩きだす。


(夫婦喧嘩はなんとやらだな)


 雪那と猛のやり取りを見ていた刹那は内心呟きながら、ふわりと欠伸をする。

 首の後ろを掻いて首を傾げている猛を横目に、刹那は雪那にぴったりとついて行く。


 少し機嫌を損ねたかな、と内心反省しながら猛は恋人の背中を追った。

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