逢坂怪夷奇譚

第二章 案内人と執行人

第五話

酒場でパンフレットを広げていた悠生は、案内人紹介の中にふと、気になる人物を見つけて目を留めた。

そこに写っていたのは、黒髪を左右で結った翠の瞳の女だった。紹介文には、フリーランスの案内人と記されていた。

他にもフリーで活動している案内人はいたが、何故か彼女に興味を惹かれた。

彼女に契約を頼めないかと思い始めていた時、突然声を掛けられて振り返って悠生は内心息を飲んだ。　

今まで写真で眺めていた人物が、目の前に現れたのだ。

「旅の方ですか？」と尋ねられ、驚きのあまり反応が遅れ、返事がぎこちなくなっていた。

鈴を転がしたような涼やかな声音。写真よりずっと澄んだ翠の瞳。肩を出した振袖の袷から覗く白い肌とふくよかな胸元。自分より小さな彼女に悠生は知らずに魅入ってしまっていた。

だから、助けに入った。

故郷とはいえ、仕事で来ている異国の地。目的を果たすまでは妙ないざこざには巻き込まれたくない。

頭では分かっていたし、本当はいざという時まで、温存しておきたかった武器を抜いたのは、理性よりも感情が身体を勝手に動かした結果だった。

横から割って入られたのにも実を言えば少しイラついてしまったのもあるが、それ以前に、彼女が傷つくのを放ってはおけなかったのだ。

悠生と共に酒場に戻った莉桜は、テーブル席へ場所を移すと、ウエイターへ飲み物を注文し、ショルダーバックの中から数枚の書類を取り出し、それをテーブルの上に置いた。次に莉桜は、帯の間から一枚の名刺を取り出して悠生に手渡した。

「改めて。初めまして、フリーで案内人をしています九頭竜莉桜と申します。以後お見知り置きを」

　満面の笑みを浮かべて莉桜は悠生の前で深く頭を垂れた。

「早速本題に入らせて貰っても大丈夫ですか？」

「うん。構わないよ」

　悠生の返事を聞いて莉桜は彼の目の前に書類を広げていく。

「案内人って、絶対に情報屋に所属している訳ではないんだね？」

「今では案内人は情報屋所属が当たり前になっとるけど、元々は案内人が個別に顧客を取っていた所に、情報屋は顧客等の紹介や情報を流していたのが、効率重視で一緒になった感じ。でも、元は案内人の方が形式としては先だから、私みたいなフリーが残ってて、活動しとる感じです」

「なるほどね」

　莉桜の説明に悠生は納得する。

「大手に所属してる案内人は大抵はガッツリ旅人に付き添うのが一般的だけど…悠生さんはそれだと困るんじゃないですか？商人ですよね？」

　自分を真っ直ぐ見つめながら告げてきた莉桜の言葉に、悠生は目を円くする。彼女の鋭い指摘に何故か笑みが零れた。

「あれ？どうして俺が商人だって？」

　悠生の疑問に莉桜は悪戯っぽく笑いながら話し出した。

「旅人にしては荷物が少ないし、なんていうか、服装が旅人っぽくない。お国は欧州の方かな？船で来て、一人だけ品物の仕入れ交渉をするために逢坂に来たって感じかなと」

　莉桜は悠生が足元に置いている荷物などを観察しながら自身の推論を披露する。まるで、探偵小説の名探偵のような口調に悠生は苦笑した。なかなか、面白いお嬢さんだ。

「それは、なかなかの観察力だね。そう。確かに俺はスペインの貿易商だ。ここには硫黄と石灰の買い付けに来た」

　莉桜の推論はほぼ正解なので悠生は隠すこともなく目的も含めて答えた。

「硫黄と石灰ね…」

(それって、まさか爆弾の材料じゃないよね…)

悠生の目的を聞いて莉桜は内心勘ぐったが、あえて突っ込むのは止めた。

「お探しの業者を私は詳しくないから自分で探して貰うことになるけど、大丈夫ですか？」

　当たり障りのないように、悠生の事情には踏み込まず、莉桜は確認を取る。

「勿論。仮にも商人だからね、その辺は自分で何とかするさ」

「何か情報があれば私からもお知らせはしますよ」

「そうしてもらえたら助かる」

　莉桜の申し出に悠生は深く感謝した。

「じゃあ、尚更、悠生さんには私みたいなフリーの案内人がお奨めです。案内人はいわばこの逢坂における身元保証人みたいなものだから別に四六時中くっついてる必要はないんですよね。案内人と契約して、案内所で登録して、身分証と案内人の保証書があれば逢坂内は自由に行動できるし。それに、泊まれる宿も紹介するし、いざという時とかは呼んでくれれば駆け付けるよ…ただ…」

　それまで軽快に話していた莉桜が、突然口を噤んだ。

　その様子に悠生は小首を傾げた。何か、言いにくそうな表情の莉桜を悠生は静かに見つめる。

　しばらく言いにくそうに視線を彷徨わせていたが、大きく息をついて莉桜はゆっくりと口を開いた。

「…えっと、ここまで、メリットしか話してなかったので、ここからは、デメリットを話ます。実は私、ある人の用心棒をしていて そっちの仕事を掛け持ちしてまいて…結構頻繁にそちらに行ってるんだけど…大丈夫ですか？割とこの話しをすると断られる事が多くて…」

　少し言いにくそうにしている莉桜に悠生は笑みを浮かべて、首を左右に振った。

「俺は気にしないよ。それに商人という職業上、交渉とかあるから単独行動が出来るのは有難いよ。正直この街のルールを聞いた時は案内人がずっと一緒にいるものかと思ってたからね」

「じゃあ、条件にぴったりってことですね？」

　悠生の発言を聞いた莉桜は、それまで沈んでいた表情をパッと明るくさせて、悠生の顔を見つめた。

「うん。君に出逢えてラッキーだったよ」

　悠生からの承諾の言葉に莉桜は満面の笑みを浮かべて目を輝かせた。

「それじゃあ、この書類にサインをお願いします。この街にいる限りは私が精いっぱいサポートしますから」

　鞄から契約書を取り出して莉桜はそれを机の上に万年筆と一緒に置く。

　莉桜から契約書を受け取り、悠生は文面に目を通してから、強く頷いた。

「ありがとう、よろしく頼むよ」

　そう言ってサインをした契約書を、悠生は莉桜に差し出した。

「はい、こちらこそよろしくお願いします」

　契約書を受け取って莉桜はそれを確認してから、大事そうに鞄に仕舞った。

「それじゃあ、今から案内所に行って、契約完了報告と、登録に行きましょう」

　話に夢中になってすっかり忘れていた注文んした飲み物を一気に飲み干して、莉桜は意気揚々と立ち上がった。

「そうだね」

　自身もグラスの中身を空にして、嬉しそうな莉桜に続いて立ち上がった。

「では、参りましょう」

　悠生が荷物を持ったのを確認してから、軽い足取りで莉桜は歩き出す。

　その後ろを悠生は微笑みながら着いて行った。