第四話



「あの、旅の方ですか?」


 少し躊躇いながら莉桜は男に声を掛けた。案内人をやっていて一番苦手な仕事がこの顧客獲得の為に声を掛けることだ。


 唐突に声を掛けられ、それまで女中と話をしていた男は、会話を中断して身体を横に向けて後ろを振り返った.


「ええ…まぁ…」


 突然声を掛けられて男は頷く。


 振り返った男の手元を莉桜はチラッと覗き見る。そこには案内所で手渡されたであろう案内人紹介のパンフレットが広げられていた。


「もしかして、案内人をお捜しですか?」


「はい、実はまだ何処にしようか決めかねていまして…逢坂は初めてだからどうしたものかと…」


 優しげな容貌の整った眉を困ったように垂らした男の話に莉桜は内心ガッツポーズを決めた。


(よしっ、なんだかいけそうな気がする)


「あの、もしよかったら私と」


「よう旦那、よかったらうちを雇わないか?」


 莉桜が自分を売り込むべく口を開いた瞬間、莉桜の肩が後ろから強い力で引っ張られた。


 肩を引っ張られるままに莉桜の身体は後ろへと下がる。代わりに一人の男が莉桜の前へ押し出てきた。


「はぁ⁉ちょ、なにすんの!」


 交渉に割り込んできた第三者を莉桜は反射的に睨み付ける。その人物は自分がよく知る同業者だった。


「よう、九頭竜。悪いな、この旦那は俺が先に目を付けてたんだ」


「はぁ?割り込んできて何をアホなこというてんの?その人は私が先に声掛けたんよっ!」


 莉桜の前に立ち塞がったのは、燃えるような赤い髪を襟足だけ尻尾のように伸ばした長髪の男。黒い瞳に鋭く伸びた犬歯を剥き出しにして赤羽志狼あかばねしろうは勝ち誇ったような笑みを浮かべた。


「そっちが割り込んできたんだろ?ほら、フリーはさっさと他に行けよ。と言っても、あと何人残ってるかな?」


「ぐ…相変わらず…その人は私が契約するんやから邪魔せんといてっ」


 いつもなら引き下がるところだが、何故か引き下がろうとは思わなかった。引き下がりたくなかったのだ。

 自分でも分からないがどうしても、その人と契約を結びたい。その思いがどうしてか強かった。


「へえ、秋津川の所の忠犬にしては今日は随分と噛みついてくるな…いつもならさっさと引き下がるのにな」


 普段と違う莉桜の反応に志狼は眉を顰める。だが、その様子が面白かったのか、犬歯を覗かせ、口端を吊り上げた。


「いいぜ、この旦那との契約をかけて勝負しろよ?そんで、勝った方が旦那と案内人契約を結ぶってのはどうだ?」


「望むところ。絶対に負けへんよ」


 志狼からの提案に莉桜は同意する。


「そうこなくっちゃな」


 互いに互いを睨み付け、莉桜と志狼は同時に歩き出し酒場を出て外へ向かう。


「え、あの…」


 突如として自分を巡って始まった攻防に、男❘悠生は当惑した。


(一体どうしてこうなったんだ…?)


 状況の展開の速さに戸惑いつつ、一触即発状態の二人を悠生は慌てて追いかけた。




 悠生が外に出ると、酒場の前は騒然としていた。


 外に出るなり莉桜は太刀・三日月を、志狼は両刃の剣をそれぞれ同時に鞘から引き抜いた。


 石畳の整備された道の上で、莉桜と志狼は抜き放った刃をぶつけ合い、剣戟を交わす。その様は素人ではぶつかり合う刃を追うのがやっとという程の激しい動きだった。


 数度刃を交え、体制を立直そうと志狼は莉桜から距離をとる。


「ふっ、流石は執行人のトップクラスかっ」


 皮肉混じりに呟く志狼に間を与えず、莉桜は踏み込んでくる。その剣捌きに半ば押される形で、志狼は繰り出される刃を受け止める。


 上下左右、縦横無尽に莉桜は愛刀を振るい、志狼の剣を弾き飛ばす勢いで火花を散らす。


 だが、志狼は大きく後ろに跳び退き、間合いを取るなり袖口から4枚の札を取り出した。


「行けっ式神達!」


 札を口許に寄せ、呪文を唱えて息を吹きかけた4枚の札を志狼は莉桜目がけて放つ。

 放たれた札は光りを帯び、四羽の鳥へと変化した。


「くっ」


 高速で飛んできた四羽の鳥の式神が、志狼との距離を詰めようと踏み込んでいた莉桜の行く手を阻む。


 バタバタと飛び交いながら視界を塞ぐ鳥を莉桜は太刀で払うように一羽、一羽切り捨てる。

 切られた式神は札に戻り、はらりと地面へ落ちる。


 式神を二羽倒した所で莉桜は鳥の羽ばたきとは異なる空を切る音に反応し、その場から跳び退いた。


「おっ、やるな」


「あんたの武器くらいようわかっとるわ」


 寸での所で身を引いた莉桜の横を掠めたのは、鞭のようにしなやかに唸る刃。

 志狼の手には左右に刃のついた鞭剣が握られていた。


「次は逃がさないぜ」


 ニヤリと笑い、志狼は莉桜へ放った刃を一度自身の手元へ戻す。


 莉桜も脇を閉めて太刀を握り直し、呼吸を整える。

 初っ端から焦りすぎた。

 顔には出さずに莉桜は唇を噛み締める。


 志狼とはこれまで何度も刃を交えてはいる。相手の攻撃の仕方は熟知している。だが、さっきの式神の妨害からの鞭剣による一撃は正直ギリギリだった。避けられたのは恐らく勘が働いたからだ。そうでなければ脇腹の肉を抉っていただろう。


 自分では気づけない程に莉桜は必死になっていた。


(ダメだ…落ち着け。相手は赤羽なのに、なんでこんなに焦ってるんやろ…)


 太刀を握る手にジワリと汗が滲む。

 ごくりと、思わず息を飲んだ莉桜目がけ、柄を大きく振る志狼が見えた。


(しまった)


 いつの間にか、志狼は莉桜の横へ回り込んでいたのだ。


「よそ見すんなよ!」


 再びしなやかな刃の鞭がしなやかに弧を描き、莉桜へと放たれる。

 咄嗟に跳び退こうとするが、動作が間に合わない。

 莉桜の身体に鞭が巻き付く直前、それは横から飛んできた閃光に弾かれた。


「は?」


「え…」


 予期せぬ事態に、志狼と莉桜は同時に閃光の飛んできた方を振り返る。

 するとそこは酒場の入り口だった。


 入口の前にいたのは、弦の張られていない弓を構えた、二人が取り合っていた例の旅人だった。


「あんた…」


「なんで…?」


 あまりに予想外な介入者に驚き、莉桜と志狼はそれぞれ無意識に武器を下ろした。


 二人が戦意喪失したのを確認し、悠生は手にした弓を下げ、莉桜の元に歩み寄った。


 自分の前に立つ悠生を莉桜はキョトンと見上げる。


 よく見ると、猛より5センチは背が高い。今まで出逢ってきた男よりも背の高い悠生に莉桜は圧倒された。


「あの…どうして、助けてくれたの?」


 突然の悠生の行動が分からず莉桜は困惑する。

 そんな莉桜に悠生は柔らかく笑いかけた。


「俺の名前は悠生・フェルディナンド・カルーノと言います。俺は貴方に案内人を頼みたい」


 悠生からの嬉しい申し出に莉桜は目を輝かせた。


「え?本当?」


 思わず問い返す声が上擦る。まさか本人から言われるとは思わなかった。

 半信半疑の莉桜を納得させるために悠生は深く頷いた。


「俺は、貴方がいい」


 優しく微笑みかけ、手を差し出して来た悠生に莉桜は思わず頬を赤らめた。


「ありがとうございます」


 差し出された手を莉桜は戸惑いながらも握り返した。


「そういう訳だから申し訳ないけど」


 莉桜と握手を交わした悠生は、すっかり蚊帳の外になっていた志狼を振り返り、会釈をする。


 勝負に決着はついていないが、もはや完全に敗北だった。

 顧客本人から断られては案内人同士の勝負など意味がない。


「けっ、なんだよ」


 舌打ちし、志狼は乱暴に鞭剣を鞘へ戻す。


「九頭竜、この落とし前は必ずつけさせるからな」


 指を差してそう吐き捨てると、志狼はぶつくさ文句を零しながら大股でその場から去って行った。


「さてと、契約しなくちゃならないんだよね?」


 今だ茫然としている莉桜へ悠生は問いかける。

 その声に、ハッと我に返った莉桜は悠生を見上げてこくりと頷いた。


「は、はい。案内人の契約を…」


 本来なら自分から切り出すべき話題を持ち掛けられ莉桜は、ぎこちなくそれだけ口にした。

 やらなくてはいけない事は分かっているが、志狼との戦闘からの現在の展開に思考が追い付いてこない。


「それじゃあ、酒場に戻ろうか」


 悠生に酒場の方を示され莉桜は「はい」と、返事をする。

 展開はどうであれ、顧客から選んでもらえた事は喜ばしい。


 気持ちを切り替えるように莉桜は酒場の方へくるりと、長い黒髪を揺らして横行転換する。


「よろしくお願いします。私は九頭竜莉桜と言います」


「よろしく」


 ニコリと笑いかけてくる悠生に莉桜は、ほのかに頬を赤らめて名乗り、悠生へ笑顔を向けた。

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