第三話



 逢坂の中心地から少し離れた玉造という地区に、秋津川雪那が構える情報屋の事務所『秋津川事務所あきつがわじむしょ』がある。


 情報屋とは逢坂の街に置いて外部からの人間に案内人を紹介するのを生業としている。元々は案内人が顧客と個別に契約をしていた物が団体化し、会社のような形態となったのが始まりで、大手から小さなものまで様々な情報屋が存在する。


 この情報屋、表向きは旅人への案内人紹介業だが、彼らには裏の顔があった。


 住居兼事務所である五階建てのビルの二階にある事務所へ莉桜は身支度を整えて五階にある自室から降りえ来た。


 そこには雪那をはじめ、猛と雨も集まっていた。

 デスクの椅子に座る雪那を囲むように三人はデスクの前に立つ。

 自分に向けられる三人分の視線を受けて雪那は三人を見渡した。


「三人とも、昨日はご苦労様でした」


 昨夜の怪夷討伐の事を雪那は改めて労った。


「これも執行人の仕事だからね」


 肩を竦めて莉桜は応える。


「いや~我が事務所には心強い執行人がいるから助かるよ。だからこんな小さな事務所でもやっていけるんだけどんね」


「ちょっと待った。雪那、私は今はここの所属じゃないんやけど」


 しみじみと語る雪那の発言に莉桜は待ったを掛ける。


「あれ?でも君、僕の専属でしょ?」


「あれはあくまで用心棒としてやん。衣食住を保証する代わりに、雪那からの依頼は優先的に受ける。更にピンチの時には助けに来るという。せやから、私は実質的にはフリーです」


「莉桜さん、相変わらずそこははっきりなんですね」


 莉桜の話を聞いていた猛が思わず苦笑する。


「それにさ、守役なら猛いう心強いパートナーがいるやん。私はいざという時の切り札」


 ポンッと猛の肩を叩いて莉桜は猛の背中を押して雪那の前に押し出す。


「そういう訳で私は案内人の仕事探しに行ってきます。何かあったら三日月に通信頂戴」


 肩に乗っているハリネズミを突いて莉桜は雪那に告げると、デスクの前から入口の方へ踵を返す。


「莉桜さん、気を付けてね」


 無邪気に見送る雨の頭を莉桜はポンポンと撫でて、莉桜はひらひらと手を振りながら事務所の部屋を出て行った。


「やれやれ、いつも通りだな」


 莉桜のさっぱりとした対応に猛は肩を竦めて雪那へ視線を移す。


「まぁ、あれでいざという時は飛んできてくれるから莉桜は優しいんだよね」


「勿論、実力は認めています。しかし、もう少し雪那さんの傍にいてくれてもいいのに」


「莉桜も言ってたでしょ?僕には猛がいるって。莉桜が頼りにしてるんだから猛も自信をもって僕を護ってね」


 ニコリと笑っていう雪那の言葉に猛は真剣な表情で頷く。


「それは勿論。自分にとって雪那さんは大切な人ですから」


 胸元で拳を握り猛はまるで誓いを立てるように、雪那へ自身の気持ちを伝えた。


「ふふ、お二人さん朝からごちそーさま。それじゃ僕もお店の開店準備してくるね」


 雪那と猛のやり取りをニマニマ眺めていた雨は、ぴょんと身軽に事務所から出て行った。


 雨が事務所を出て行ってから猛は改めて雪那の方を向く。


「雪那さんは今日はどうしますか?」


「朝ごはん食べたら刹那と一緒に情報収集行ってくる。猛も一緒に行く?」


 デスクに頬杖をついて雪那は猛を見上げる。


「貴方がいいというなら。俺は貴方の守役なので」


「じゃあ、決まり。朝ごはんお願いしていい?」


「はい。今作りますね」


 笑顔でそう答えると、猛は雪那に会釈をして踵を返し、事務所の扉から外へ出る。


 一人残された雪那は、その視線をチラッと窓辺に移した。


 窓辺に視線を向けると、一匹の青みがかった毛色の猫がデスクの傍へ歩み寄り、身軽に飛び上ってデスクへ上った。


「刹那」


 傍に寄って来た猫の名前を雪那は呼び、擦り寄って来た猫の喉元を指先で優しく撫でる。


 ゴロゴロと気持ち良さそうに喉を鳴らした猫・刹那はじっと、雪那を見つめた。


「さて、今日も頑張ろうか」


 くすりと、楽しげに笑いながら雪那は刹那の頭を静かに撫でた。




 雪那の事務所がある玉造から逢坂の港までは徒歩で一時間半程の道のりだ。


 戦国時代。太閤秀吉が大阪城を建造した頃、逢坂の街の西側は干潟が広がっていた。その後、先の大災厄前後にかけて急速に埋立てが進み、人工島が三つ浮かぶ現在の形になった。


 人工島へは逢坂の街と行き来出来るよう橋が架けられている。


 逢坂湾は海からの逢坂の街への玄関口であると同時に、海側の最初の防衛ラインでもある。


 そして、莉桜達案内人が顧客を求めて集まる仕事場の1つでもあった。


 屋根を伝ったり、近道を通ったりして、街に慣れた莉桜は一時間ほどで逢坂港のある人工島へ辿り着いた。


 人工島へ通じる橋を渡り、人工島の周囲を囲む壁の中へ入る門を莉桜は潜る。


 その先には小さいながら街が広がっている。

 その街の中心地では既に同業者や旅人、旅人を見送る者や商人達で賑わっていた。


(しまった…出遅れたかも…)


 帯留めの紐に括り付けた懐中時計を取出し、地時間を確認する。時刻は十一時を指そうとしていた。


 時計の針が指し示す時刻に莉桜は溜息をついて眉根を寄せた。


 逢坂を護る門が開くのは午前九時。開門と同時に防壁の内側へは国内、国外問わず様々な旅人が訪れる。


 だいたいの者は門を通った後、案内所へ行き、そこでこの街の規律等の説明を受ける。

 それが終わると旅人は案内人を探して契約を交わし、再び案内所にて登録を行う。


 案内人にとって、顧客である旅人を獲得するゴールデンタイムが十時前後なのである。


(はぁ…今日も空振りかも…)


 顧客捜しの絶好の時間は既に過ぎている。

 懐中時計を仕舞いながら莉桜は肩を落としつつも、ひとまず案内所へ足を運んだ。


「おはようございます。莉桜さん」


 案内所に入り莉桜は顔馴染みの受付嬢の元へ向かう。


「鈴蘭さん、おはようさん。顧客転がってないか捜しに来たんやけど…登録の現状どんな感じ?」


 莉桜の質問に鈴蘭は登録台帳を広げて状況を確認する。

 台帳を見つめ、鈴蘭は渋い顔をした。


「あ~今日はちょっと厳しいかも…もうだいぶ埋まってきてるわ…」


「マジか…はぁ、やっぱり一足遅かったか…」


 鈴蘭の答えに莉桜はがくりと、肩を落とす。


「分かった。ありがとう。自分の足でも捜してみるわ」


「まだ数人登録へいらしてない方もいるので捜してみて」


 鈴蘭の励ましの言葉に頷き、莉桜は案内所の窓口から出入り口へ踵を返した。




 案内所を出て莉桜は望みが薄いと分かっていながら旅人が案内人と直接契約交渉を出来る酒場へと向かった。


 案内所から少し離れた場所に3階建ての煉瓦造りの建物がある。横長に長いそこは、人工島から逢坂に入れなかった旅人が宿泊する宿も兼ねた場所。


 ほぼ毎日のように通うその酒場に莉桜は足を踏み入れた。


 扉を開いて中に入ると、店内は板張りの床が広がり、奥にはカウンター席があり、入口を挟んで左右にはテーブル席が幾つも並んでいる。


 店内はふぉう業者と思しき者達と、旅人とで賑わっていた。


(うぅ…やっぱりもう組が出来上がってる…  )


 周囲を見渡すと、テーブル席では案内人と旅人が契約書を交わしていたり、既に契約を終えて行先の計画を立てている所だった。


 キョロキョロと辺りを見渡していた莉桜はまだ契約をしていない旅人を探す。

 カウンター席の方へ視線を向けた時、カウンターでふと、目を留めた。


 カウンターの端で、酒のグラスを傾けながら給仕の娘と会話を交わしている若い男に思わず目を奪われる。


 襟元で刈り上げられ、さっぱりとした茶色の髪。オレンジ色のコートを纏う広い背中。柔和な面立ちの横顔と眼鏡をかけた知的で優しげな緑の瞳。


 傍らには一羽の鷹を連れている。


(なんだろ…気になる…)


 カウンターで一人グラスを傾けるその男に興味を引かれ、莉桜はふらふらとその男の傍へ近づいた。


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