第二話
淀川をはじめ、幾つもの河が流れ込む
先の大災厄により、かつての最大交流国であった
人工島には海に突き出すようにして船舶を停泊させる港があり、その港を除いた島全体を囲むように十メートルを超える城壁がそびえ、港に向いた方にだけ鉄の門が設けられている。
逢坂を、強いては帝都を護るための人工島は堅い側面を持ちながら、逢坂を訪れる旅人や商人を優しく迎え入れる為の関所でもあった。
よく晴れた風の穏やかな朝。赤地に獅子のエンブレムが施された国旗を帆先に掲げた一隻の蒸気帆船が茅渟の海から港へ入港する。
甲板には水兵服を身に着けた屈強な男達が停泊の準備の為、野太い声を荒げて忙しなく働いていた。
そんな男達の中、一羽の鷹が止まる船の縁の傍から逢坂港を見つめる二つの人影があった。
国旗と同じ真紅のコートを羽織るのは二人の西洋人の男だ。
「やっと着いたな」
「あぁ。今回も無事に着いて良かったよ」
真紅のコート姿の男のうち、ザンバラに切った金髪の細身の男が、ホッとした様子で隣に立つ男へ声を掛ける。
もう一人、薄い茶色の髪に濃い緑の瞳を持つ長身で肩幅のがっちりとした男は、柔らかな笑みで仲間の言葉に頷いた。
「しかし、ここが噂に聞くオウサカか…あのでかい壁と門以外は他の港とあまり変わらないな…」
港の奥、島の沿岸を囲むように作られた城壁を甲板から眺め、金髪の男は顎に指を添えて首を傾げた。
「首都である帝都に一番近い都市だからだと思うよ。日ノ本は先の大災厄の時にかつての中心地だった江戸が壊滅した後、古来よりの都に中心を移してる。もう15年前の話だし。この『逢坂』は首都の防衛拠点でもあるからね」
「お、流石半分はジャポーネの血を受け継いでるだけはあるな。そういや、フェルはジャポーネ生まれだっけか」
「うん。大災厄が起きた時には日ノ本にいたよ。俺が当時いたのは九州の方だったから怪夷の脅威は本州より大きくなかったんだ。逢坂の街が出来た時には父親の船で日ノ本を離れていたから十四年ぶりになるかな」
「じゃあ、今回はある意味里帰りだな」
金髪の男の言葉に茶髪の男ー
スパニッシュと日ノ本の民のハーフである悠生の面立ちは、どちらかというと東洋人寄りの容貌をしている。柔和な顔立ちが笑うと少し子供っぽさを滲ませた。
「それで、ここからはどうする?俺は神戸の方へ行く」
「俺は予定通り逢坂へ。何かあれば連絡するし、定時の連絡は忘れないよ」
船の縁に停まる鷹の喉元を撫でながら悠生は応える。
「お互いスパニッシュの栄光と繁栄の為に死力を尽くそう」
「うん」
スッと、仲間が差し出して来た手を悠生はしっかりと握り返す。
「さて、下船の準備をしよう。これから忙しくなるぞ」
「そうだね」
縁を離れて二人は下の階にあるそれぞれの部屋へと戻った。
「日ノ本か…」
自室でトランクに必要な物を詰めながら悠生はふと、独り言を零した。
大災厄の後、商人だった父のつてで混乱極まる日ノ本を離れた日から、いつかは戻ってきたいと願い続けた国。
仕事とはいえ、願いが叶ったことに悠生は胸の高鳴りを抑えられずにいた。
「お前も嬉しいだろ?
室内に用意した止まり木に停まる鷹の名前を呼び、悠生は笑いかける。
飼い主の問いかけに朔月は低く喉を鳴らした。
朔月の顔をしばらく見つめた後、悠生はトランクと山登りに行くようなリュックと、弦のない弓が入った布袋を背負う。更に腰には一振りの剣を携えた。
朔月を連れ、悠生は蒸気帆船を降り、港の背後にそびえ立つ門へ向かった。
仲間達と別れ、船から離れて門の前へと悠生がやって来ると、そこには詰襟のカーキ色の軍服を身に纏った若い憲兵が二人、立っていた。
手には槍を持ち、門を護る為に立つ憲兵に悠生は気さくに笑いかけた。
懐から革製のパスケースを取出し、二つ折りになったそれを広げる。
「スペイン政府より認可を受けた貿易商です。逢坂への滞在許可をお願いしたいのですが」
流暢な日ノ本の言葉を使い、悠生は憲兵達に問いかける。
西洋人の面影がある悠生に少し戸惑ったものの、悠生が持つパスケースに刻印されたスパニッシュのエンブレムと、悠生の身分を表す証明書を確認すると、憲兵達は互いに頷き合った。
「遠路遥々ようこそ『逢坂』へ。」
一糸乱れぬ動きで憲兵は悠生に敬礼する。
「この門の先に案内所がありますのでご案内致します。どうぞこちらへ」
悠生から受け取ったパスケースを返却し、二人の憲兵のうち、一人が悠生へ門の中に入るよう促した。
憲兵の後に続いて悠生は門の中へ入る。
五十メートルはありそうな長い門の中を進むと、丁度中間地点に藁で編まれた注連縄の輪が設置されている。注連縄には鎖と札が巻き付けられていた。
憲兵に促され、悠生はその注連縄の輪を潜る。輪を潜る瞬間、腰に携えた剣が微かに熱を帯びたが、特に何も起こらなかった。
「あの、これは結界ですか?」
前を歩く憲兵に悠生は訊ねた。
「はい。怪夷避けのモノです。奴等は暗がりを好みますので、門に侵入された時の予防策です」
「なるほど」
憲兵の説明に興味を示し悠生は今潜ったばかりの結界をまじまじと見つめた。
結界を過ぎて更に歩くと、暗がりから一気に視界が開けた。
朝日の眩しさに悠生は思わず目を細める。
悠生の緑の瞳に映ったのは、和洋折衷の衣服を身に纏う故郷の人々の活気に満ちた姿。
逢坂の手前、旅人の為に設けられた人工島の街は、旅人や商人、逢坂の街の住人やこの場を護る憲兵達が行き交う様子に悠生は目を奪われた。
「こちらへどうぞ」
目の前に広がる賑やかな光景を見つめていた悠生は先を歩いていた憲兵に促され、ハッと我に返った。
返事をして悠生は援兵の後を着いて行く。
「逢坂の街に滞在するには幾つか決まりがあります。こちらの案内所で説明がありますのでそれに従って手続きしてください。自分の案内はここまでです。良い旅を」
ここまで案内をしてくれた憲兵の敬礼に悠生も敬礼で返す。
憲兵が案内してくれたのは、赤いレンガ造りの中央にアーチ型の屋根を持つネオ・ルネッサンス様式の建物。
正面の階段を上ると、扉の横に『案内所』と書かれた表札が掲げられていた。
自分の後からこの門の中に入って来た旅人が建物の中に入っていく。建物からは旅人が出てきては、町の中に消えていく。
出入りの激しい建物に悠生も足を踏み入れた。
建物の中に入ると、アーチ状の天井からは陽の光が差し込み、建物の中を照らしている。その奥にはまるで銀行やお役所の様なガラス窓の嵌ったカウンターが左右に伸びる窓口が設けられていた。
その窓の奥には矢絣の振袖に袴姿の女性達が、窓口へ訪れた旅人達とやり取りをしていた。
よく見ると、受付嬢から旅人は何かの説明を受けたり、書類に記入をしたりしている。
受付嬢と話をしているのは旅人だけでなく、腰や背に刀や槍等の武器を携えた用心棒のような出で立ちの者達もいる。
(あの旅人以外の人達はいったい…)
案内所の様子を注意深く見詰めていた悠生を、一人の女性が手招きした。
「そちらの方、こちらへどうぞ」
呼ばれているのが自分だろ分かり悠生は手招きに応じて女性がいる5番の札が下がった窓口へと向かう。
「初めまして。逢坂の街は初めての来訪でしょうか?」
濁りのない英語で話しかけてきた女性に悠生は笑みを浮かべて頷き、口を開いた。
「はい。スペインより参りました。貿易商です」
再びパスケースを取り出して悠生は日ノ本の言葉で女性に告げる。
悠生が出してきた身分証を確認した後、女性はにっこりとほほ笑んだ。
「遠路遥々ようこそ蒸気産業都市逢坂へ。わたくしは受付嬢の
座席から立ち上がり鈴蘭は頭を垂れて一礼する。
それに悠生も会釈を返した。
「悠生・カルーノです。こちらこそよろしくお願いします」
「逢坂では滞在に幾つか規則があります。基本的にはこの街を訪れる方々が安全に滞在するためのものですのでご理解頂ければ幸いです」
「郷に入れば郷に従います」
「ご配慮に感謝します。それではご説明させて頂きます」
そう言って鈴蘭は背後にある書類棚から一冊の冊子を取り出してきた。国外との貿易が盛んな日ノ本は英語やスペイン語等、多国語で書かれた書類が多数あるようで、棚にはそれぞれ納められていた。
その棚の中から彼女が取り出したのは悠生の祖国であるスパニッシュの冊子だった。
「この逢坂は日ノ本に置いて首都防衛の最重要拠点となっております。そのためこの街への滞在には必ず国家資格を持つ“案内人”と呼ばれる者を雇うという義務がございます」
「“案内人”?」
鈴蘭が冊子を広げて説明を始めた中で出た単語に悠生は疑問を投げかける。
「案内人とはいわばこの街における身元保証人の事です。もちろん、観光案内なども行っておりますが、一種の用心棒のようなものと考えて頂いて問題ないかと」
「その案内人を雇わない場合はどうなるのですか?」
悠生の質問に鈴蘭は冊子の対応する文面を示し質問に答える。
「逢坂での活動はおろか、滞在すら出来なくなります。更に申し上げますと、案内人を雇わない限りこの人工島を出て逢坂の街に入ることも出来ません。案内人を付けずに逢坂の街で行動した場合、罪になりますので強制排除、強制送還が実行されます」
半ば脅しのような内容に悠生は「ふむ」と相槌を打つ。
「つまり、何が何でも案内人を雇わなくてはならないのですね」
「はい。案内人は様々な業者がおります。こちらのパンフレットに案内人が所属する情報屋の事務所が掲載されていますので参考になさってください。それから、この島の中の中には案内人と旅人が直接交渉出来る酒場がありますのでご自身で見定められますよ」
地図を示しながら鈴蘭は悠生にアドバイスをする。
「ありがとう。探してみるよ」
「案内人と契約したらまた案内所へ戻って下さい。なお、証明登録は午後5時までとなっていますので。案内人と契約出来ないとこの人工島を出られませんのでご注意下さい」
「分かりました」
鈴蘭に一礼して礼を言い、悠生は冊子を手に案内所を後にした。
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