第一章 黄昏の都市『逢坂』

第一話



 蒸気に煙る闇の中を生温い海からの風が吹き抜ける。


 近年。新しく入って来た建築技術により建てられた石と鉄を組み合わせた五階建ての四角い建物。ビルと呼ばれるその平たい屋上の上から、一人の女が眼下に広がる街を見下ろしていた。


 年の頃は二十代前後。背丈は平均的ながら、袖なしの白い衣に包まれた胸元は手に収まりきらない程の豊満さがある。だが、彼女はそれを隠すことなく、白い袖なしの衣の上から肩を外して纏う濃い翡翠色の振袖は、衣に合わせた藤色の腰帯で胸元を押し上げ、更に大きく前を開いている。


 背丈の半分はありそうな長い振り袖には紫の桔梗の花があしらわれ、その袖に相反する様に、振袖の裾は腿の半分程の短さで、その下には裾に合わせたかのような白く短い袴ミニスカートを穿いている。その袴からは白い脚が伸び、足元は足首からブーツが覆っていた。


 短い袴に包まれた腰元はふっくらとしていて、地面に伸びる足はやや太めだが、安定感がある。


 腰まで伸びるぬばたまの黒髪を肩口で左右に分け、金の輪飾りで束ね、左耳の上には桜の花の髪飾りが髪と共に夜風に揺れていた。


 蝶々結びに締めた帯の左側には組み紐で吊るした漆塗りに金の装飾が施された鞘に収まる一メートル近くある太刀をいていた。


 鍔と鯉口の間に指を掛け、九頭竜莉桜くずりゅうりおうは冬の湖のような、透き通った青い双眸に漆黒の闇に沈む街を映しながら静かに時を待っていた。


『莉桜』


 左肩の方から不意に声がした。その声に視線を肩の方に移すと、一匹のハリネズミが乗っていた。


「三日月、どうしたん?」


 肩に乗り、鼻先を首筋に擦りつけてくるハリネズミの名前を莉桜は優しく呼んで話しかけた。


『通信入った。繋ぐよ』


 鼻をひくひくさせて顔を上げ、三日月と呼ばれたハリネズミは自身の目の前、丁度莉桜の耳元に当たる辺りで五芒星の円陣を展開した。


 淡い光が灯る円陣から、微かなノイズが響いた後、声が聞こえてきた。


『莉桜、そこから南西へ、道頓堀の付近で怪夷出現の徴候を確認。出られる?』


「いつでもええよ。今夜辺り来ると思ってたし」


『僕も今たける達とそこに向かってるから、現地で合流して』


 円陣の通信網から聞こえてきたのは、低めの女性の声。その声に莉桜は短く「了解」と答えた。


 通信が終わると円陣が消えた。円陣の展開を終えたハリネズミが正面を向く。それを確認して莉桜は腰に佩いた太刀の鯉口に手を掛けた。


「そんじゃ、行くよ、三日月」


 目的地のある地点を真っ直ぐに見つめ、莉桜は肩に乗る三日月に告げる。


 直後、莉桜は五階建ての建物の屋上の床を蹴って、夜の街へ跳びだした。 


 莉桜が跳びだした瞬間、肩に乗る三日月の体が銀色の光りを放った。光となった三日月は銀色の玉となって宙に浮き上がり、莉桜が握る太刀の刀身へ吸い込まれ、一度だけ大きく光りを放って、夜の闇に輝いた。


 三日月が宿った途端、太刀が熱を帯びるのを感じ、莉桜はふっと、口元を吊り上げて不敵に笑う。


 もう五年近くずっと、この熱を感じている。

 これがあってのこの仕事だ。


 再び太刀を強く握り、莉桜は目的地を目指し、建物から建物へ、駆けては跳びを繰り返して颯爽と夜の逢坂の街を走り抜けた。




 莉桜が通信を終えたのと時を同じくして、円陣の向こうでは莉桜に連絡を取っていた女が笑みを浮かべていた。

 藍色交じりの黒髪を無造作に結上げ、毛先を風に棚引かせて立っているのは莉桜と同じ年頃の人物。

 白のワイシャツと青い半ズボン。首元には黒いネクタイを締め、その上から藍染地に白百合の花の模様が施された振袖を纏う姿は、斬新ながら和洋折衷の調和を成している。


 独特な出で立ちの女-秋津川 雪那あきつがわゆきなは金色の瞳を細め、夜の闇を見つめていた。


「莉桜もこっち来るよ。猛、しぐれ、莉桜とこの先で合流後、予定の位置に就いて」


 女にしては少し低めの声で雪那は傍に控えていた二人の若者へ指示を出す。


「了解!僕は準備OKだよ」


 最初に応えたのは、ふわりとした癖のある栗色の髪にエメラルドの瞳を輝かせた十代半ばの少年。白いシャツに焦げ茶色のベストを纏い、白い素足を出した紺色の半ズボンを穿いた姿は、彼の愛らしい顔立ちを引き立てている。雪那より少し身長の低いその小さな背には、自身の身長に近い長さを有したボルトアクション式の長銃を背負っている。


 満面の笑みの東雲 雨しののめしぐれは乗馬ブーツの踵を鳴らして、これから向かう仕事への高揚感を全身で表した。


「雨、あまりはしゃぎ過ぎて油断するなよ」


 そんな雨を窘めるように声を掛けたのは、日本人にしては長身の肩幅のがっちりした体躯を白のティ―シャツと黒革のライダースジャケットに押し込み、同じく黒革のズボンを身に着けた二十代半ばの男。黒い髪をワックスでがっちりと固め、少し吊り目気味の青い瞳を雨に向け、魚住 猛うおずみ たけるは小さく溜息をついた。


「大丈夫だよ。心配しなくても。今回も僕の仕事は猛さんと莉桜さんの援護だし。雪那さんの護衛だし」


 自分を気にかけてくれている猛へ雨はガッツポーズをして応える。


「お前の狙撃の腕を心配しているんじゃない。俺が言っているは、常に緊張感を持てという事で…」


「大丈夫だって。もう、猛さん心配し過ぎ」


 ぶうっと、頬を膨らませる雨に猛は更に小言を言おうと口を開く。

 が、それを遮ったのは雪那の楽しそうな含み笑いだった。


「猛、もうそれくらいにしてあげなよ。雨はちゃんと分かってるよ」


 雨を擁護する雪那の発言に猛は困惑する。


「そう言う雪那さん、貴方も無茶しないで下さいよ。結界を張り終えたら雨の傍を離れないように」


「僕も大丈夫だよ。何せ僕には、猛や雨、それから今はいないけど莉桜がついてるし。いざとなったら刹那せつなに変わるから」


 どこか妖艶で意味深な笑みを浮かべながら雪那は猛を諭すように話す。


 雪那の反応に猛は肩を竦めた。やれやれと溜息をついた猛は、スッと、表情を引き締め、革製のグローブを手に嵌め、ベルトから吊るした漆塗りの鞘に納まる一振りの打刀の柄を握った。


「雪那」


 隣のビルから、甲高い声に呼ばれて雪那は自分を呼ぶ声の主を探して視線を移動させた。


 黒髪と髪飾りをなびかせ、三メートルは離れた隣のビルから、雪那達がいるビルへ莉桜は軽々と跳躍し、見事に着地した。


「莉桜さん!」


「早かったね」


 雨が嬉しそうな声を上げる横で、雪那は柔らかな笑みを浮かべる。


「まぁね。そんなに遠くなかったし。それより、敵は?」


「この先、御堂筋の付近が恐らく発生場所。ちなみに、昨夜、民間人が四人喰われた」


「犠牲者が出とるの?」


 莉桜の疑問に、猛はジャケットの懐から分厚い手帳を取り出してページを捲った。


「昨夜、観光客が規律を破って七時以降に出歩いていたらしい。緊急通信を受けて憲兵が駆け付けた時には既に喰われた後だった。身元は、落ちていた登録証により判明した。という事です」


「四人か…不味いな。それ、早いとこ祓わんと、めんどいことになるよ」


 猛からの報告に莉桜は渋い顔をする。


「だから、今夜やるんだよ」


 腕時計を見やり、雪那は不敵に口許を緩める。

 夜にしては生暖かい風が、四人の間を擦り抜ける。


 直後、辺りに轟音が響き渡り、暗闇の中に更に黒い巨大な影が浮かび上がった。


「怪夷出現。そんじゃ皆さん。お仕事と参りますよ」


 両側の長い振袖の袖から雪那は、八枚の呪符を取出し、轟音と共に現れた海坊主のようなゆらゆらと揺らめく景に向かってそれを投げる。バチッと、紫電を弾きながら八枚の呪符が影を囲むように広がり、八芒星を展開した。


「行くよ、猛」


「はい」


 太刀の柄に手を掛けた莉桜は猛に声を掛け、ビルの床を蹴って駆けだす。

 その後に続く形で猛もビルから跳びだした。


 五メートルの高さを飛び下りた地上には、地面から浮かび上がるように現れた二十体程の黒い布を被ったような佇まいに、紅く光る怪しい目をぎらつかせた半透明の物体が揺らめき蠢いている。


 15年前。江戸に幕府があった最後の日。突如として現れ、人々の命を吸い尽くした異形。


 この日ノ本を未曽有の恐怖と大混乱に陥れた元凶。妖と悪霊の間を彷徨うモノ。

『怪夷』と呼ばれるそれは、鋭い牙を剥き出して、上空から降りてきた莉桜と猛を威嚇した。


「ランクD多数発見。猛、雑魚は任せた」


「了解。莉桜さんも無茶はなしですよ」


 銀色に輝く太刀を抜き意気揚々と前に出る莉桜に猛は頷きながらもその身を案じる。


「分かってる。雨、これより怪夷討伐に入る。援護並びに雪那の護衛頼むよ」


 左耳についたピアスの通信機で莉桜はビルの上にいる雨に指示を出す。

 それに、ビルの上で雨は強く頷いた。


「了解。雪那さん、結界の展開お願いします。後、僕の傍を離れないでくださいね」


「皆過保護過ぎだよ」


 やれやれと肩を竦めた雪那は更に札を五枚出して自身と雨の周りを囲む結界を張る。


 それを確認して雨は担いでいた長銃を構えた。

 数発の銃弾が空を切り、地上に蠢く怪夷の群れに降り注ぐ。銃弾に撃たれた怪夷がよろめき、体制を崩す。


 それを合図に莉桜は抜き放った太刀を振りかざして、怪夷の群れへ飛び込んだ。


 莉桜に続き猛も打刀を抜き、地上に蔓延る怪夷を薙ぎ払う。猛が振るう刀が怪夷の体を切り裂く。刃の触れた場所から怪夷は、黒い塵となって霧散した。


 それとは対照的に、莉桜が持つ太刀に斬られた怪夷は水が蒸発するように一瞬にして塵すら残さずに消え去った。


(流石は怪夷殺しの名刀。怪夷祓いの聖剣『神刀三日月しんとうみかづき』…それを操る逢坂の執行人一の実力者だな)


 人の背丈程の怪夷をもろともせず、その先にいる巨大な怪夷目指して駆け抜けて行く莉桜の姿と、彼女が操る太刀を一瞥し、猛は不敵に笑う。


 猛に地上の怪夷を任せた莉桜は、暗闇の中から飛来する雨の援護射撃を受けながら御堂筋に2、3メートルの巨体を揺らす巨大な怪夷へ向かって、地面を蹴って跳躍した。


「ランクC、もらったぁ!」


 怪夷の頭上高くに飛び上り、莉桜は上段に太刀を構える。

 飛び下り様、刃の切っ先を振り下ろし、莉桜は神刀三日月を巨大な怪夷の脳天へと突き刺した。


 刃の突き立てられた場所から銀色の光りが溢れ、光りに溶ける雲のように怪夷は消滅した。


「ふう。まぁ、ランクCいうても所詮は図体がでかいだけ。この三日月と私の敵やないな」


 地上に身軽に着地し、残っていた怪夷を薙ぎ払い、莉桜は勝ち誇った笑みを口許に滲ませる。


 全ての怪夷の沈黙を確認して莉桜は太刀を鞘に納めた。


「お疲れ様です」


 怪夷を片付け終えた猛が莉桜に合流する。


「お疲れ様。援護ありがと」


「いえ」


 莉桜からの礼に猛は軍人の様に堅く応じる。

 その反応に莉桜は肩を竦めた。


「莉桜さーん、猛さーん」


 援護射撃を行っていたビルから雨は雪那と共に地上へと降り、二人の姿を見つけるなり大きく手を振った。


「雨、いい感じの援護やったよ。ありがと」


「こんなのお安いご用ですよ」


 ニコニコとまるで子犬のような雨の頭を莉桜は優しく撫でる。


「二人ともお疲れ様」


 雨の後から現れた雪那は莉桜と猛に労いの言葉を掛ける。


「あれくらい、私と三日月なら楽勝だよ」


 いつの間にか莉桜の肩に戻っていたハリネズミの喉を撫でながら莉桜は胸を張る。


「やれやれ。流石は逢坂の実力者。執行人のトップクラスだね」


 自信たっぷりの莉桜の発言に雪那は苦笑した。


 懐から呪符を取り出して、雪那は怪夷が消滅した場所にそれを放った。円陣を作るように呪符が結界を造る。円陣の中央部には三本の脚を持つ神の御使い『八咫烏やたがらす』の文様が浮かび上がった。


「よし。これでこの怪夷の現場は僕達が押さえた。報酬は明日貰いに行こう。という訳で諸君。今夜は帰ろうか」


「そうですね」


「はぁ。眠くなっちゃった」


 雪那の呼びかけに猛は応え、雨は大きく欠伸をした。

 自分達の帰る場所のある方角へ、雪那は足を向けて歩き出す。

 それに続くようにして猛と雨も歩き出す。


 雪那達の後ろをついて歩き出す直前、莉桜はチラッと、それまで怪夷がいた場所を振り返る。そこには先程までの喧騒はなく、静かな夜の暗闇が広がっていた。


 その闇を見つめてから莉桜は雪那達を追いかけて歩き出した。

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