第2話:Another Story

 彼の姿が見える。

 私は彼に声をかける。彼は振り向き、その少し不愛想な表情で私を見つめる。

「せっかくだからさ一緒に帰らない?」

 そういって私は彼の隣を歩く。相変わらず彼は背が高い。


「受験勉強どう?」

 私は彼に話題を振る。今はセンター試験一週間前だから、こういったいわゆる受験勉強の話をすることが多い。

「まぁまぁかな。相変わらず数学が苦手だから、そこをどうにかしたいけど」

「ああー私も数学苦手。本当どうしたらいいんだろうね」

「……まぁ幸いお互い模試の判定は悪くないから。よっぽどの間違いがない限りは大丈夫だとは思いたいけど」

「国語が得意だから大丈夫でしょ」

 私は彼を励まそうとする。


 彼は夏くらいから受験勉強に真剣に取り組み始めたような気がする。私は春に入る前くらいからだけど、成績は同じくらい。

 特に彼は国語の成績がすごくいい。センター試験の国語は私にとってすごく難しい。この受験勉強を通しても、中々現代文の点数を上げるのは難しかった。

 そういう点、彼はきっと頭がいい。小説の中でキャラクターの登場人物の心情を読み取るのに優れているし、評論の文章だって、文章に潜む論理関係を簡単につかんでしまう。

 ――なのに私の気持ちには気づいてくれない。私の起こす行動の因果には気づいてくれない。


 いや、今は気づいていないほうがいい。むしろありがたいとさえ思っている。そもそもひょっとしたら彼には私の気持ちなんてきっとバレバレなのかもしれない。そう思ったら、少しだけ恥ずかしくなったし、ちょっと怖い気持ちもある。『受験直前で、恋愛なんてしている場合か』って。


 私は向かい側を散歩している子犬を見つめる。その子犬は元気に歩いて、飼い主の方が少しだけ大変そうだ。私はペットを飼ったことがないから、あまりわからないけど、できたら将来は飼いたいな。


「かわいい」

 ふと隣で歩いている彼がそう呟いた。一瞬何のことを言っているのだろうと聞き返してしまったけど、すぐにその意味に気付いて、私は彼に同意した。

「……ああ、確かにかわいかったよね、今の子犬」

「えっ?」

 今度は彼が私に聞き返してきた。えっどういうこと?と私は狼狽する。

「かわいいって、子犬のことだよね?」

「そ、そう! 子犬のこと!」

 彼は少し慌てふためいた様子で私の言葉に同意する。なんか微妙に会話がかみ合ってなかったような気がする。

 そこで私はふとひらめく。ひょっとしたら私のただの勘違いかもだし、天文学的な確率かもしれないけど――

『もしかして……私のことを言ってくれた?』


 ふつふつと心の中に湧き上がるものがある。それは今まで抑えていたダムが決壊して、水があふれ出したような感覚。ただの妄想や憶測でここまでテンションを上げている私を知ったら、彼はどんな風に思うだろう。バカだなって思うかな?


「そういえば、お前は県外の大学に行くんだっけ?」

 彼が私に問いかけてきた。

「うん、東京にある大学に行って、そこでしっかり勉強したいなって」

 彼は地元の大学に進むようだった。だから卒業したら、離れ離れになってしまう。寂しいけど、だからといって大学や自分のやりたいことを変えるのは違うと思った。というかまだ付き合ってないし。

「すげえな。お前勉強できるもんな」

「ほめないでよ。国語はむしろ教えられてばっかりだったし」

 本当に褒めないでほしい。私は感情がすぐに顔に出ちゃうタイプだから、隠すのがいちいち大変だ。 

「はは、まぁお互い頑張ろうぜ。きっと俺たちなら合格できるよ。この一年間めちゃくちゃ頑張ったんだから」

「ふふっそうだね」

 私はそういって、彼に言葉を返す。


 私は口元に手を当て、はぁーと息を吹きかける。私の手はひどく冷えていた。それは受験への緊張なのか、単純に寒さが原因なのか。少しだけ手が震える。去年まで使ってた手袋、ボロボロだから早く新しいの買わないとなー。


 私は彼の手を見つめる。彼は紺色の手袋を着用している。あったかそう。

 手袋の上からでも彼の手の大きさがわかる。きっと私のそれとは違って、力強くて、たくましくて、ごつごつしている。彼に手を握ってもらいたい。

 私はその視線を今度は彼の顔に移す。私よりもひとまわりくらい背が高くて、少し上を見上げないと彼の顔を見ることはできない。

 一重の目。眉に少しかかるくらいの髪の毛。女の子の髪の毛のようにさらさらとした感じはなくて、男の子らしい髪をしている。鼻は高く、鼻筋は通っている。口元には少しだけ髭が伸びている。私の体とは全く違う。


 あっ


 声には出なかったけど、私は彼がマフラーを付けていないのに気づいた。寒くないのかな。手編みとかで、マフラー作ったりしたら、嫌かな。何か彼のためになることをしてあげたい。彼に喜んでもらいたい……けど彼女気取りで迷惑かな……


「そういえばさ……」

「うん」

「お前って恋愛とかそういうのって興味あるの?」

 私はひどく驚いた。まさかそんなことを聞いてくるなんて思いもしなくて。それにはなんだか笑いをこらえきれなくて。

「ふふっ今それ聞くの?」

「いや、何となく聞いてみたいなって思って」


『あるに決まってるだろー! 私が誰を好きかここで叫んでやろうか!』 

 と心の中で独り言つ。絶対に言わないけど。


「少なくとも受験が完全に終了するまでは恋人とかは作る気はないかな」

「受験が終わったら?」

「そしたら……まぁ……ね」

 私は恥ずかしさのあまり、口元をマフラーで抑える。彼には絶対聞こえないような声で呟く。

『そしたら……やっと君に好きだって言える』

「ん?どうしたんだ?」

 そして目の前の鈍感男は私に何を言ったか聞いてくる。せっかくだから、少し意地悪してみたくなった。

「いや……せっかくだし付き合うなら……一重の目で、国語がすごく得意で、でも時々正岡子規とか、難しい本読んでる人がいいなーって……なんとなくそう思っただけ」

「……そっか」



 私は彼の彼女じゃない。今仮のこの瞬間に彼に彼女が出来ても私は泣く事しかできない。でも目の前の受験に今はお互い頑張らなきゃいけない。


 だから――

 受験勉強が終わって、二人とも合格したら、私は彼にこの気持ちを伝えたい。だからこそ、これから一週間の受験勉強を精一杯悔いの残らないようにする。受験が終わったら、二人で「お疲れ!」って言い合えるように。数年後に二人で「受験勉強お互い頑張ったね」っていえるように。


 家の前につく。センター試験前最後の土日。精一杯頑張ろう。





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二人の距離と鉛筆の道程 としやん @Satoshi-haveagoodtime0506

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