二人の距離と鉛筆の道程
としやん
第1話
帰り道。俺は教室で自主勉強を終え、家への道を歩いていた。この時期はもう学校などもない。
「待ってー」
後ろから少し弱々しい声が聞こえてくる。その声の主は俺の隣で俺に歩幅を合わせると
「せっかくだからさ、一緒に帰らない?」
と誘ってきた。俺はうん、とだけ答える。
「受験勉強どう?」
彼女が俺に問いかけてきた。
「まぁまぁかな。相変わらず数学が苦手だから、そこをどうにかしたいけど」
「ああー私も数学苦手。本当どうしたらいいんだろうね」
「……まぁ幸いお互い模試の判定は悪くないから。よっぽどの間違いがない限りは大丈夫だとは思いたいけど」
「国語が得意だから大丈夫でしょ」
僕たちは受験生らしい話に花を咲かせる。
『お前のことが好きだ』
俺がずっと心にとどめている言葉。受験勉強という将来の分岐点に差し掛かる大事な時期に恋愛に現を抜かすべきなのではないかもしれないけど、好きなのだから仕方がない。どうしても彼女のことを考えてしまう。今何をやっているのかなとか、受験勉強捗っているかなとか、考えてしまう。できる事なら今のこの時間がずっと続いて、入試なんて来なければいいのにと思ってしまうほどだ。
冷たい風が僕を打つ。
『わかっている』
今はお互い受験勉強中だ。これからの将来にかかわってくる。だから、次の一歩は絶対に今は踏み出さない。彼女を困らせてしまうからだ。今は受験勉強に集中してもらいたい。
強い風が吹き、寒さが極まる刹那、彼女の方へ視線を向ける。彼女はマフラーを着用しているが、手が完全に無防備なため、手に息を吹きかけている。彼女の手は制服の下に来ているベージュ色のニットのせいで、手のひら辺りは隠れてしまっているが、それでも手先は寒さのせいで赤くなっていた。
肩くらいまである彼女の髪はマフラーのせいで少し膨らみができている。マフラーも同じくベージュのような色をしているが、縦のラインが入っている。うちの青色の制服と程よく調和しており、なんとなく彼女らしさというか、彼女の雰囲気を作り出している。それに下にニットを着用し、マフラーをつけているからか、全体的にもこもことしたようなシルエットになっている。
「かわいい」
「……えっ?」
彼女が聞き返す。俺はふと自分がその言葉を声に出しているという事を、彼女の反応で気づく。
「……ああ、確かにかわいかったよね、今の子犬」
「えっ?」
今度は俺が聞き返す番になってしまった。俺は後ろ側を向く。どうやら俺たちと反対方向に子犬を散歩させている人が通っていたようだった。
「えっ?子犬の事だよね……?」
「そ、そう! 子犬のこと!」
俺は慌てて彼女の言葉を肯定する。ばれてないよな……?
俺は視線を空に移す。空は少しだけどんよりとしていて、もう俺たちが帰っている時間でもだいぶ暗くなっていた。
『春雲は綿の如く、夏雲は岩の如く、秋雲は砂の如く、冬雲は鉛の如し』
正岡子規が遺した詩にある言葉だ。
思えば俺たちが過ごした受験生としての一年間もそんな感じだった気がする。春の頃はまだ一年あるじゃんと危機感なんてなかった。今隣にいる彼女との関係も、まだ春だから何とかなるって、ふわふわした気持ち包まれたままだった。
夏にはようやく周りも受験勉強を始めて、自分も勉強しなければと焦りだした。彼女は前から受験勉強を頑張っていたから、勉強は俺よりもずっとできる。俺は夏を通して、少しでも彼女に学力で追いつくと固く決意した。
秋には夏の努力が中々報われず、模試の結果も奮わなかった。あんなに頑張ったのにとあの時の悔しさは今でも忘れない。
どうやらそれは彼女も同じようだった。春から夏までずっと勉強してきたのに、結果が伴わなかった。その時の「大丈夫。次頑張るから」と頑張って作った笑顔を見ているのは、自分の模試の結果を見ているよりもつらかった。
――その笑顔は彼女が辛い思いをしている、泣きたい気持ちを抑えている時に見せる一種の癖のようなものだからだ。
夏にした決意は砂のようにさらさらと崩れ去っていったような気がした。でもいつまでも立ち止まってばっかじゃいられない。
そういって頑張り続けた冬。冬の寒さは頂点を極め、センター試験がやってくるという緊張感は最高潮のものとなっていた。学校で放課後に勉強を終えて帰るころには、外は暗くなっていた。夜の暗闇の世界に白い息が交わる。白い息は間もなく闇の中に消えてしまう。
「そういえば、お前は県外の大学に行くんだっけ?」
「うん、東京にある大学に行って、そこでしっかり勉強したいなって」
「すげえな。お前勉強できるもんな」
「ほめないでよ。国語はむしろ教えられてばっかりだったし」
「はは、まぁお互い頑張ろうぜ。きっと俺たちなら合格できるよ。この一年間めちゃくちゃ頑張ったんだから」
「ふふっそうだね」
そういって彼女は笑う。まだ彼女の笑顔はあの時の笑顔のままだ。不安に押しつぶされそうな表情。そして彼女は再びその冷たい手を口元にもっていき、息を吹きかけている。
手袋でも上げたらその手を温めることはできるのだろうか。俺にできることはないのか。そんな心配ばかりが俺を襲う。俺にだって余裕なんかないのに。
彼女の顔を見つめる。長いまつげ。さらさらとなびく黒髪とは対照的な彼女のきめ細かく白い肌。それはどこか儚く、今にも壊れてしまいそうで。鼻先は寒さで少しだけ赤くて、その瞳には―やはり不安の表情が伺える。俺と彼女の距離はもうほんの少しで触れ合ってしまいそうなほどに近い。
彼女との距離はもう一歩先――
「そういえばさ……」
「うん」
「お前って恋愛とかそういうのって興味あるの?」
「ふふっ今それ聞くの?」
「いや、何となく聞いてみたいなって思って」
だから――
「少なくとも受験が完全に終了するまでは恋人とかは作る気はないかな」
「受験が終わったら?」
「そしたら……まぁ……ね」
――すべてが終わったら
そういって彼女はうつむく。口元をマフラーで抑える。口元が動いている。もごもごと何かをしゃべっているのだろうか?
「ん?どうしたんだ?」
「いや……せっかくだし付き合うなら……同じ高校の人がいいなって……なんとなくそう思っただけ」
「そっか……」
――彼女にこのどうしようもなく溢れそうな気持ちを打ち明ける。
「それじゃね」
そうこう話している間に俺たちは家の前に到着した。彼女はそのかじかんだ手を俺に向けて手を振る。その不安げな笑顔に俺は心を痛める。でもそれも後ほんの少しの我慢だ。
「来週センター試験、頑張ろうね」
「ああ、絶対にな!」
センター試験まで後もうすぐで一週間。ラストスパートをかける。今までの自分を信じて。
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