第2話 総国民IT事業者政策

国民は、自分の意思で仕事を選べる。

大多数がサラリーマンであるが、お金を稼ぐ=個人収益があるという点で見れば、YoutuberやUbereatsだって立派なビジネスパーソンである。

直接会社で働く必要がない。働きたい時に働ける、より良い世界になった。

昔から働きたい時に働くスタイルはあったのだが、今になっても毛嫌いする人は数多いるのは事実である。ハード面での「働き方改革」は進んでいるが、ソフト面での「働き方改革」はおそらく数年、いや数十年単位で改善されないだろう。

なぜなら、「働き方改革」真っ只中にいる平成生まれですら会社通勤型ビジネスパーソンから抜け出せない。抜け出したくても「3年」の意味不明なしがらみが潜在的に存在する。

「3年は働かないと」、なぜ「3年」?

単純に、3年かけてスキルを身につけろやってことか?それとも、3年かけて仕事を見極めろってことか?

スキルを身につけるったって会社内のスキルを身につけてどうする、転職したらそのスキルはなかったことになる。ならば、同じ業界で働くことになるのか。いや、同じ業界を渡り鳥のように転職しても似たり寄ったりで学ぶことは限られてくるから成長しないだろう。むしろ転職するスキルが身についても仕方ない。

また、3年かけても仕事を見極められないのなら、もうどんな仕事もできるだろう。本人はどこでもいいやとしか思ってないから。その程度の仕事欲ならば、転職を考える必要もあるまい。3年も経たずにこの仕事は好き、嫌い、できる、できないを把握して、自分の意思を尊重して生きなければならない時代であろう。筆者が3年経たずに1社目を退職した際、知人に言われたことがある。「胃に穴をかけても3年は務めようとする妹の方が立派」、比較する必要あるのか。まずは妹の身体を大事にしろ。

会社員でなければ結婚しないと勝手に相手の制限をつけるのはやめようや。


いつかは ITリテラシーが子どもから高齢者まで身につける時がある。知らないじゃ済まされない。

農業だって ITで管理される時代になったなった。

スマホをタップするだけで植物に水を与える。

例えば、自動運転はおそらく最も早くから研究されていることだろう。自動運転自動車を全国民が所有し、使用すれば事故はなくなる。もちろん IT由来の事故はなくなるが、いずれは解消される。

アクセルとブレーキの踏み間違えや脇見運転なんてなくなる。交通事故での被害者は出なくなる。

こんなこと、ITを享受している者として、いずれなる未来として、考えなくてはならないはずではあるが未だ考えられない無想像脳があるのは事実。悲しい現場。

あなたは個人スマホを何に使ってますか?

消耗するだけに使っているのなら、今すぐ習慣を変えた方がいい。 ITは面倒くさがりの先人が考えついた自動化システムである。つまり、徹底した効率化を目指したツールに過ぎない。効率化を図るツールにあなたは消耗しているのだ。

理由があって消耗用として使うのなら賢い。他に生産できるツールが既に存在し、生産力を享受しているからだ。

一方、突然スマホを与えられ、生産としての、効率化としての、用途にせずただ消耗するためのツールとして使うのならば自制する力を持たねばならない。


スマホに起こされ、スマホに追い立てられ、スマホの指示に従い、そしてスマホにすくわれる。

スマホに依存、ではもうないのだ。そんなヤワなことじゃない。むしろ寄生されたのだ。もうシンギュラリティはやってきている。自制できない者は2045年を待たずにサイボーグになる。人は言う、新人類だと。

自分で考えもせず、スマホの指示を頭から真に受ける。もう乗っ取られている、と言っても過言じゃなかろう。


スマホを自分から引き剥がすには、自制の力と情報の取捨選択が必須である。取捨選択するには自分で考える必要があるからだ。まずは一つのことを調べよう。何が正しくて何が間違っているかあなたには区別できるのであろうか。

利用するもの、されるもの、「依存」はまだ利用する側にいられるが、もうそんなこと言えるだけの余裕はあるのだろうか。朝起きてから夜寝るまでスマホを一体どれくらい触らないと気が済まないのか。いや、スマホが自ら擦り寄られにきているのか。ならば、もう利用されていると言っても過言ではない。

無心でスマホゲーム、自分の世界に入り込んでいると思ってないか。自分の世界に入り込んでいるのではない。スマホが展開する世界に入り込んでいるのだ。いつでも非日常と触れ合える分、非日常の特別感が得られない。その上、非日常との区別ができないため新しいアクションをしても身にならない。人生がつまらないからと言って、新しいアクションを実行しただろうか。新しいアクションを起こして特別感を得られただろうか。本来、その事実こそが新たなストレスとなって自身の身に特別性をもたらすが、特別感を得られないのならそれはもう非日常ではない。スマホは非日常と日常の区別ができないものからは搾取しきった。あとは廃人になるまで絞ったらお役ごめんだ。廃人からは搾り取れない。


さて、情報過多の時代に自制できるか。他人の評価なくとも生きられるのか。既にサイボーグではないか。3点に意識して生きよう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

なんか宗教っぽいエッセイ たっくんスペシャル @taka11111

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ