10ー20 ソラヴィーノ その二

 オラはソラヴィーノ・ブラウンじゃ。

 苗字なんぞなかったんじゃが、ファンデンダルク侯爵領で与えられた苗字じゃ。


 別に貴族に取り立てられたわけではないんだぞい。

 人口が多くなると区別がつかなくなるのでつけることになったんじゃそうな。


 オラが住んでいた地域の周辺じゃぁ、ソラヴィーノっちゅう名前はなかったけんど、確かにソラヴィーノが四~五人も居れば、区別がつかんようになるかもしれんなぁ。

 何せ、オラが今いる海上都市ウィルマリティモも、隧道でつながっちょる隣のシタデレンスタッドにしてもすごい勢いで人口が増えておるという話じゃ。


 ジェスタ国内だけじゃなく、周辺国からも移民が来ておるらしいので、街中はたいそうな賑わいじゃぞ。

 ウィルマリティモの人口は役所に行くと前日の人口が掲示板に張られているからオラでもわかる。


 三日前で10万人を超えていたぞい。

 そんなもんで、ある時期から平民でも苗字をつけるようになったんだべさ。


 オラの苗字も文官様が選んでつけてくれたモンじゃから大事にせんといかんぞな。

 ウィルマリティモに到着して早1年余りが過ぎたが、毎日が驚きの連続じゃった。


 船乗りになるための教育機関であるウィルマリティモ海洋船操練所に入れられて、最初の三か月は基本となる学問を叩きこまれただ。

 オラは読み書きも満足にでけんかったが、この海洋船操練所で教えてもらっただ。


 難しい文書は読めんが、海洋船操練所内や役所で毎日掲示される回覧板は読んで内容もわかるようになっとる。

 オラはそんなに頭がエエ方じゃ無かった筈なんじゃが、何かよう分からん魔道具を頭につけていると覚えが速くなるらしい。


 ほじゃから、海洋操練所にいる間は寝るとき以外はずっとつけておったもんじゃ。

 借り物じゃて、海洋操練所を卒業した際には返さにゃならんかった。


 海洋操練所では、読み書き、地理(ファンデンダルク領は元よりジェスタ国及びその周辺国の地図及びその情報)、算学と呼ばれる加減乗除の方法、生活魔法を含む魔法学の基礎知識などを三か月で教えてもらい、その後分科して、オラは漁船科に入っただ。

 前に言ったかもしれんが、オラは切った張ったの争いは嫌いじゃで、軍人の船乗りは最初からなるつもりが無かっただ。


 残りは商船科と漁船科じゃで、迷ったのは迷ったんじゃが、商船科じゃと、ヒト(商人)との折衝がどうしても関わって来るらしい。

 親しい奴ならともかく、これまで会ったことも無い奴と交渉するなんざぁ俺にできるはずもねぇべさ。


 まぁ、下っ端の船乗りならそうした交渉事もせずに済むらしいんじゃが、先生に訊いてみると古手になるにつれて、どうしても交渉事に携わる必要はあるらしいのじゃ。

 オラは昔から口下手じゃし、どっちかっちゅうと人見知りする方じゃけ、オラには商船乗りは向かんと思ったぞい。


 じゃから、オラが選べるのは、最初っから漁船科しかなかったようなもんじゃ。

 漁船科を選んでから実習も兼ねて初めて海に乗り出した。


 最初に乗った実習船は30イードほどの長さの船で漁船科志望の者11名が一緒に研修を受けたダ。

 海は広かったぞい。


 それまでにも教習所のある桟橋から海を眺めたことは何度もあるんじゃが、ウィルマリティモの南西部にある海洋操練所から見える広い海は、その全ての奥に陸地の山並みが見えるんじゃ。

 オラが知っている瀬渡し船が動いている川幅は、精々100イードから120イードほどじゃったが、ウィルマリティモの海洋操練所から見える南西方向の対岸までの距離は、その二十倍を超える広さじゃ。


 そうして実習船で向かったウィルマリティモの北北西方向の湾口はかすんで見えんほど遠かった。

 ましてや湾口を出て外洋に出た途端、水平線っちゅうものをオラは始めてみたんじゃ。


 海原がどこまでも続いておって、はるか彼方に見えるまっすぐな直線が海と空とを分けておった。

 少なくともその方向に陸地は見えんかったぞい。


 オラが住んでおったオリゴッティでも高い山に登れば眼下に広がる山野の広さは理解できたが、海は別もんじゃぁ。

 果てが無いように見えるんじゃぞ。


 オラも一応習ってはいたで、船から陸岸が見える範囲は、およそで6ケールほどじゃと知っておる。

 まぁ、余程高い山はかすんでいてももっと遠くから見えることもあるがな。


 その見える範囲に陸地が全く無くってその間は海ばかりじゃっぞ。

 しかもその日は天気が良かったで、実習船はさらに遠出した。


 湾口から半時ほども船が北に走ると周囲に陸地が一切見えんようになる。

 これは本当にすごいぞ。


 周囲全てを見渡しても、自分の乗っている船のほかには、お日様と海と空と雲以外に見えるものは全く無いんじゃ。

 オラはそん時に世界の広さっちゅうモンを始めて知ったぞい。


 それからも一生懸命に研修と実習を繰り返し、ウィルマリティモに来てから約一年、卒業の時が来た。

 ここからも選択肢があったんじゃが、オラはクーレミンの一本釣り漁師になることを選んだだ。


 クーレミンは、ウィルマリティモのある湾内にも入って来ることのある大型回遊魚であり、こいつを釣り上げるのは正しく大魚との格闘なんじゃ。

 場合によっては一刻ほども頑張ってもバレる(釣り糸がきれるなどして逃げられる)ことさえあるんじゃが、釣り上げたときの達成感はえも言われんものがあるんじゃ。


 しかもこいつは金になる。

 1イードほどの長さのクーレミンは金貨5枚(≒100万円)を超える額になる。


 しかも冷凍用の魔道具が普及するに従って販路が徐々に広がっておって、値段は半年前の二倍になっておるんじゃ。

 クーレミンは煮ても焼いても美味いが、一番美味いのはやっぱり刺身じゃろう。


 赤みの肉で脂ののった奴は、ソヤサスと辛み大根のすりおろしで味わうと例えようがない美味さじゃで、上等な肉にも匹敵するとオラは思っている。

 ウィルマリティモの水産管理所では、漁師になろうとする者については、金を貸してくれるんじゃ。


 船の建造費用と当面の運用費用じゃな。

 但し、漁船は高い。


 オラが使おうと思っているクーレミンの一本釣り漁船の場合、建造費を含めた乗り出し費用は白輪金貨25枚(金貨250枚≒5000万円)にもなる。

 この費用を返すためにオラは稼がねばならんのじゃが、一月に一本のクーレミンを釣り上げることができれば年間で金貨80枚(≒1600万円)程度の収入は固い。


 生活費もあるでぇ、全額借金の返済には回せないんじゃが、最短で3年か4年あれば、借金は返せるはずなんじゃ。

 オラのなけなしの頭ではよう考えつかんかったで、先生に色々相談してみたら、借金の方法から返済の方法まで懇切丁寧に教えてくれたんじゃ。


 但し、万が一返済できんかった場合は、借金奴隷に落ちることになるんじゃが、その程度のリスクは負わにゃしょうがねぇじゃろう。

 安全な方法で言えば、出汁魚とも呼ばれるウチャールの一本釣り中型漁船の乗組員になって、金を貯めてから勝負に出るという方法もあるんじゃが・・・。


 ウチャール釣りの漁師の場合、当座は釣り子で乗って働くしかない。

 元手は身一つで金はかからんのじゃが、ウチャールとクーレミンは釣り方も違うから、それからクーレミンの一本釣りに転換するのは中々に難しいんじゃ。


 ウチャールの釣り子になった場合は、つぶしがあまり効かんでのぉ、将来的にウチャールの引き釣り漁船を使うぐらいしかなくなるんじゃ。

 こいつは中型漁船なんかに比べるとかなり収入も落ちる。


 そもそもが、ウチャールは一本当たり精々大銅貨5枚(≒千円)じゃぁ。

 仮に一日に20本釣っても、大銀貨1枚(≒2万円)にしかならん。


 休みなしで1か月働いて金貨3枚(≒60万円)。

 クーレミンの一匹金貨5枚(≒100万円)とは雲泥の差じゃろう。


 それに研修で過ごした1年分の生活費は実は借金になっとる。

 寮に宿泊して、飲み食いし、着るものまで支給されているんじゃから確かに全部がタダというわけにはいかんじゃろうな。


 まぁそれでも侯爵がその半分を面倒見てくれておるんで、オラたちはかかった経費の半分程度を返済するだけでいいんじゃ。

 男一匹、一月で銀貨8枚(≒16万円)もあれば何とか生活できるが、年間で言うと16か月で金貨13枚(≒260万円)の金額になる、その半分の金貨6~7枚ほどがオラたちの取り敢えずの借金じゃ。


 オラの場合は、さらに白輪金貨25枚(金貨250枚≒5000万円)の借金をこいて、クーレミンの一本釣り漁師になることにしておるわけじゃ。

 クーレミンの一本釣り漁師の場合、最初の三か月は、住むところも食い物も水産管理事務所が面倒を見てくれる。


 三か月が過ぎたら借金を返済しながら自前でやって行かねばならんのじゃ。

 そうして、今オラは順調に漁師生活を始めているところじゃ。


 取り敢えず、最初の三か月は黒字で乗り切り、このまま行けば三年かからずに借金は返せそうじゃ。

 多少の時化が有っても、毎月最低一本のクーレミンを釣り上げるのは何とかできそうなんじゃ。


 借金を返したら一人前の漁師と見られるから、そうなれば母ちゃんを見っけるつもりじゃ。

 実入りのいい漁師は結構良いいい母ちゃんを見っけられるらしい。


 これは既に独り立ちしている先輩から聞いた話じゃ。

 仮にウチャール釣りに走った場合で、最終的に中型一本釣り漁船を造るとなれば借金は白金貨20枚(白輪金貨200枚≒4億円)になるそうだ。


 おまけに乗り子に支払う給料も負担になるからかなり腕の良い漁師でないと経営が難しいと聞いている。

 現状は、侯爵からの補助金も有って何とか存続しているらしいが、当初20隻ほどいたウチャール中型一本釣り漁船の3隻は採算が取れずに廃業したらしい。


 侯爵からの補助も、今後の新造船については無いそうじゃ。

 流石に白金貨20枚(白輪金貨200枚≒4億円)の借金は無理じゃ。


 いずれにせよオラの漁師としての生活は始まったばかり、海はいでいるときもあるが時化も多い。

 命あっての物種じゃから、オラは無理をせずに稼いでゆくつもりじゃ。


 クーレミンとの格闘がオラの日々の仕事じゃい。



 ◆◇◆◇◆◇ 備考 ◇◆◇◆◇◆


 クーレミンはマグロ、ウチャールはカツオをイメージしています。

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