第九章 交易と情報収集

9ー1 交易船バンデラルド その一

 私はアムロ・エメリオス。

 ジェスタ王国の交易船バンデラルドの新任の船長見習いだ。

 

 八か月前までは、これでもランドフルトの黒揃え騎士団の騎士だった男だ。

 領主である伯爵様、いや、今ではファンデンダルク辺境伯様であったのだが、そのファンデンダルク卿から急に下命があって、魔境に創設した海上要塞都市ウィルマリティモに移動させられた。


 かねてからシタデレンスタッドやウィルマリティモの噂は聞いていたが、どちらもまさしく壮大な規模の城壁都市であった。

 この二つの都市の警備のために新たな騎士団が創設されており、私の所属していた黒揃え騎士団からも相当数の人員が移動していたから、私も噂の青揃え騎士団への配属替えかと思っていたのだが、・・・・。


 当てが全く外れていた。

 私が配属されたのは、海洋船操練所と言う馴染みのない名称の教育機関だった。


 そもそもが、私は船になんぞ乗ったこともないのだから、そんな私が船で警備員でもするのかと若干憤慨もしていた。

 そうして、また、「ランドフルトにある騎士養成学校を優秀な成績で卒業した私が今更、再教育などあり得るのか?」とそう思っていたのだが、そのすぐ後で後悔することになった。


 海洋船操練所に集められた人材は領内外の優秀な者ばかりだった。

 私と同じく軍人である騎士もいるが、商人、大工、鍛冶師、魔法師や錬金術師までそろった練習生達であった。


 海洋操練所で私が直面したのは、「船」という未知の知識集合体との戦いであり、未知の塊である「海」との戦いだった。

 実際に今までの陸での知識がほとんど役に立たない世界だった。


 しかも困ったことに教え導く側も良くわかっていないのである。

 領主であるファンデンダルク辺境伯が書き起こした十数冊の教本が教授陣の種本であり、筆頭教授のボリヴィアント殿がいみじくも開所式の冒頭にのたまった。


「我ら教授陣も海を走る船のことはほとんど知らぬ。

 唯一、教授の中ではサルバトーレ殿が川船の操船方法を知っている程度で、そのサルバトーレ教授にしても海の船については幼児同然の知識しか持ち合わせていないのだ。

 教授陣の中には練習船の建造に関わった鍛冶師や木工師もいるが、造った船の構造や材料は知っていても、何故その構造になったのか、あるいは何故そのような形状にならねばならなかったのかは、ほとんど知らない。

 我らの頼りは、辺境伯様が書き起こされた十数冊の教科書のみである。

 我ら教授陣も含めて、練習生諸君と一丸となって、海洋船の操練とは如何なるものなのかを読み解き、実践して参ろう。

 我らの後に、無数の後輩が続き、ジェスタ王国のウィルマリティモ海洋船操練所から出た船乗りたちが世界の海に君臨することを信じて頑張ろうではないか。」


 そのボリヴィアント教授が言った通り、我らは只管ひたすら教科書を信じ、手探りで一歩一歩を進めたのである。

 正直なところ苦難の連続だった。


 海と言う水の世界を知らない我々は、先ずは教科書に記載されている「海」とそこに包含される生き物の知識を頭に詰め込まねばならなかった。

 動物、植物、果ては海底を蠢く異形のスライムに似たモノや蜘蛛のごとき甲虫等々、覚えるべき知識はいくらでもあった。


 最初に困ったのは水泳なる武術? うん? いや、体術なのか?。

 水に飛び込んで泳げと言うのである。


 恥ずかしながら、池で水浴びをなしたことはあっても、河川湖沼で泳いだことなど一度もない。

 深さは精々胸のあたりまでの人工の池で30尋余りの距離をまず泳がされた。


 見よう見まねで泳いでは見たが足が立つ深さであるにもかかわらず、立とうとして身体が斜めになっていることに気づかず、足が底につかぬことに慌てて、息をする代わりに水を飲み、余計に慌てて溺れかけた。

 隣にいた同僚が気付いて助けてくれたからいいようなものの、危うく浅い池で溺死するところだった。


 サルバトーレ教授は水泳の達人でもあって、その教えで一月後には背の立たぬ海でも相当な距離を泳げるようになった。

 この時初めて海の水がしょっぱく飲めない水と知った。


 また、ロープさばきがいかに面倒なものかを初めて知った。

 細いロープならまだしも、船で使うロープは太く長いのだ。


 しかしながら、これを扱えねば船の係留すらもおぼつかないし、交易で大事な荷積み荷卸しができないのだ。

 ファンデンダルク辺境伯が作られた教科書には、精緻な絵図面が描かれており、実に百を超える結索方法が例示されているのだ。


 そのうち、よく使われるのは20種類ばかりなのだが、これを覚えるだけで実は半月ほどもかかってしまった。

 絵図面を見ながらの試行錯誤であって、皆が寄り集まってああでもないこうでもないと実践するしかないのである。


 サルバトーレ教授が知っていたのはわずかに三種類のみ、鍛冶師や商人見習いが荷づくりのために知っていたのが同じく三種類ほど。

 残りは生徒と教授が頭を振り絞って、絵図面の形に仕上げてみて、ようやく結索方法が分かったのだ。


 基本の20種類を覚えた後では、残りはその派生形か発展形であったので覚えるのは左程難しくはなかった。

 但し、教科書に書いてあったのは、闇夜でも手探りだけで必要な結索ができるようにせよと書かれてあり、実際にできるようになるまでは更に二十日ほども要したのである。


 当然のことながら、覚えなければいけないのはロープワークだけではない。

 高いマストに上り、見張りをしたり、洋上において他船との意思疎通を図るため、手旗による通信方法も覚えなければならなかった。


 苦労したのは、星やお日様を観測して船の位置を割り出す計算方式である。

 特殊な観測機器を使い、分厚い図表の数値を読み取りながら図る方式の天文航法が難解だった。


 それに比べると船に設備されているコンパスを利用して、沿岸の著名な物標との相対角度から自分の位置を図る沿岸航法(地文航法とも言う)は比較的手軽な方法なのだが船が移動している場合には、迅速にやらねば位置がずれてしまうのが問題で、正確な位置を迅速に割り出せるようになるには熟練を要した。

 おまけにどちらも海図が正確でなければ使えない代物であり、当面は実際に航海をしながら周辺の地形を確認しつつ海図のデーターを集積して行くしかない。


 因みに、誰が作成したのか不明なるもベルゼルト魔境湾内の海図についてはきわめて正確なものができているのだが、軍事的に機密事項であり外部に漏らしてはならないとされている。

 因みに漏らした者は重罪人として即座に縛り首になる。


 ベルゼルト魔境湾外の海図については極めて不正確な図面しかなく、まるで子供が造ったつぎはぎの色付き折り紙のような代物だ。

 因みにその海図では大枠の地形しかわからず、水深は不明、方位も極めて不正確と言う代物で、天文航法も地文航法もほとんど使えない。


 教科書に記載されていたのだが、このような地形には岬があるとか、岩礁があるとか、所謂目で見た状況から推測できる情報しか頼るものが無い。

 従って、早急に未知の部分の領域の位置及び地形を掌握して我ら自身が使える海図を作成する必要がある。


 練習船二隻の乗船実習の度に活動範囲が広がり、徐々に情報が貯えられより正確な海図が作成されていった。

 開所式から六か月後、我らは暗中模索ながら大型練習船ハルトと小型練習船デヤントの二隻をようやく乗りこなせるようになっていた。


 「海」はなぎの時もあれば時化しけの時もある。

 吹きすさぶ強風の嵐の中での航海は、波に翻弄され本当に死ぬかと思うほど船が激しく揺れ、きしんだ。


 間断なく波が左右から甲板や操舵室に襲い掛かり、室内に居なければ波で海中に投げ出され、室内にあっても柱や手すりに捕まっていなければ、己が身体が壁や床に叩きつけられてしまうような大嵐も経験した。

 無論のことだが、そのような時化では自室のベッドに寝ていることさえできないのだから、休憩時間でありながら休むこともできず、食事の時間であっても食事そのものを作ることすらできなくなる。


 嵐が三日も続けば、乗っているものは憔悴しょうすいしてそのままぽっくりときそうにもなる。

 隣国の北方三国(フローゼンハイム、サングリッド公国、カトラザル)の大型商船が何隻も難破するような厳しい嵐にも遭遇しつつ、我らが乗った練習船ハルトは無事に北海を乗り切り、初めてエスメルとの交易を成し遂げたのだが、この時の達成感は、苦労しただけに何物に増して得難い経験であった。


 因みに小型練習船デヤントの方は、北方三国の内フローゼンハイムとサングリッド公国までの就航に限られているが、大型船ハルトはカトラザル王国、エスメル王国、オルデンシュタイン帝国の一部にのみ就航が可能とされている。

 辺境伯様の意向では、他にも交易をなしたい外国はあるようだが、現状の大きさの船ではそこまでが限界と判断されている模様だ。


 確かに無理をすればより遠方に行くことは可能なのだが、その分危険が増すことになる。

 エスメル王国までの乗船実習に際しては、それまで無かった海賊襲撃が二度ほどあった。


 こちらの乗船者の人数が多かったので左程の苦戦はせずに撃退したが、野盗以上に海賊と言うのは危険である。

 闇夜にこっそりと音もたてずに近づいてくるので始末に悪い。


 しかも特殊なかぎ爪のついたロープを使って、三尋近くある足掛かりの無い場所で小舟からロープ一本でよじ登ってくる屈強な奴らだ。

 予め教科書で注意書きをされていなければ絶対に見過ごしていたに違いない。


 島陰や湾内に沖がかりしていた時だったが、船に装備されている結界の魔道具が不審者の接近を教えてくれたので何とか対応ができたのだった。

 因みにこの魔道具は対外的には秘密にせよと教科書には記載されている。


 まぁ、少なくとも海洋船の知識については門外不出の秘密が多いのは確かである。

 その多くの秘密を教科書に解き明かした我らが領主であるファンデンダルク卿には改めて崇敬の念を抱いた私だった。


 ところで、ジェスタ王国のあるアルバンド大陸の東部沿岸、南部沿岸、更にはオルデンシュタイン帝国の西部沿岸域に乗り出すには大型船練習船ハルトの倍以上の大きさの船でないと難しいと判断されているようだ。

 将来的にはより大きな交易船で別の大陸(クルップ、ファランド北、ファランド南、ヴェザーレ)にも進出する計画があると聞いている。


 私は、7か月を海洋船操練所で過ごし、卒業して新造の交易船バンデラルドの船長見習いに任ぜられた。

 バンデラルドには船長見習いはいるが、船長は居ない。


 単純に言ってあくまで船長候補者であって、未だ船長ではないのだ。

 そうは言いながらも対外的には船長と名乗ってよいことになっている。


 更に,副長見習いが二人もいる。

 一人は商業専任、残り一人は護衛専任である。


 商業専任は交易地において商取引をする際の交渉役のトップである。

 単純に言って商取引で駆け引きのうまい奴がなっている。

 

 護衛専任は、海賊対策など船の警備全般を司っている。

 私の本音から言えば、船長見習いよりは護衛専任の副長見習いの方が気軽でよかったような気がするんだが、辺境伯様に見込まれて任命された以上は、甘んじて重責をになうしかない。


===============================


 1月26日、一部の字句修正を行いました。

   By @Sakura-shougen

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る