第11話 このラブコメに、花束を
「ったく、こんな時間に呼び出して何かと思えば、人をタクシー代わりに使いやがって」
「すまんな道風。だが助かった。こんな時間まで仕事とは、やはり編集者はブラックだな」
「うるせぇぞ雨戌先生。着くまでに、新作書く言質くれねぇと振り落とすからな」
「わかってる。ちゃんと書くさ。全部終わったらな」
春の夜空の下、街灯もろくにない田舎の道を、一台のバイクが猛スピードで走っていた。俺の前でハンドルを握る男は、雨戌の編集者である道風だ。
終電が終わった時間では、田舎に足はない。涼華はナースとしての夜間勤務がある以上連れ出すわけにはいかない。まともな人付き合いがない俺には、頼れる人間はこいつくらいしかいなかったのだ。
ぽっかりした満月が、星の海に浮かんでいた。土手の桜は今が満開だ。以前に来た時は茶色一色だった世界が、たった数ヶ月で緑に溢れていた。
「そういや、お前初めて会った時に言ってたよな。俺に恋愛ものは無理だ、って。どうだ? 少しは人の心がどこにあるかわかったか?」
「……あぁ。まかせろ。次は『春暁』を超える、世界最高の恋愛小説を書いてやる」
下道を突っ走って三十分ほどで、俺たちは植物園についた。しばらくぶりなそこは、いつの間にか柵がカラフルな花で彩られている。
正面の入り口は、当然ゲートが閉まっていた。裏口に行こうにも、かなり広いここの裏までなんて行っている暇はない。
心の中で謝りつつ、閉まったゲートを乗り越えた。本来なら、今はライトアップ期間なんだろう。枝垂れ桜の並木やチューリップの花壇が、至る所に咲いていた。
リナリアがあるのは、あの千年桜の近くだ。痛いを通り越して、肺がうまく空気を吸ってくれなかった。体育なんてしたことがないから、きっと無様な走り方だっただろう。情けない顔をしていただろう。
そんな余計な考えの全ては、彼女を一目見て消え去った。
息を整える。乱れた髪を軽く治して、まずは遅れたことを謝るように。いや、違う。
恋愛契約第一条、挨拶は必ずする。
「待たせたな、奏。少し迷っていた」
天まで届くほどに巨大な千年桜、その蕾が全て咲いた姿は、他のものが目に入らないくらいに美しかった。
若葉色の入院着、肩より少し伸びた黒髪、笑うとできるえくぼ。彼女は、奏は変わらない姿でそこにいた。
「……めっちゃ遅刻です。春と言っても、夜は寒いですね。上着持ってくればよかった」
「そんなことだろうと思ったからな。ほれ、貸してやる。こう言うところが加点につながるからな」
羽織っていた上着を奏に渡す。どれだけ待っていたのか、彼女の頭に桜の花びらがいつくも乗っていた。
寒くなった背中に、奏が寄りかかる。
「……教えてくれてもよかったんじゃないか。まぁ、あんだけ買ってくれたのは作者として嬉しいが」
「しょうがないじゃないですか。読み終わったのつい最近なんです。それで、気付いてすぐ買いに行ったんですよ」
言葉がひっかかる。言いたい事は、伝えておきたい事は山ほどあるのに。
「……すみません、先輩。実は、もうかなり頭痛いんです。私が忘れてしまう前に、なにか思い出をください。もう絶対、私先輩のこと忘れません。信じてもらえないかもですけど」
回れ右をする。奏と目があった。本気になるのは、逃げ出したくなるほど恥ずかしい。拒まれるのが怖い。
この俺の言葉も、きっと明日には奏の記憶から消えてしまう。でも、だからなんだ。何度さよならを言われても、またおはようを言えばいい。
さよならと、おはよう。それを何度も繰り返して、俺たちは紡いでゆく。身体に、星空に、千年桜に記録する。
「百点だ。これで恋愛契約は未来永劫終了する。さて、それで、これからの俺たちの関係だが……」
「……もう、冬真先輩って呼べなくなっちゃうんですね。結構気に入ってたんですよ、この呼び方」
「別に呼び方は何でもいいだろう。それに、終わったこと覚えてられるのか、ポンコツ娘」
「うっわ、先輩その『娘』っていうのやめた方がいいですよ。そんなんだから友達が……」
「や、やかましいっ! ……というか、そんなことじゃなくてだな……」
奏の病室を出る前に、ポケットに突っ込んでおいた指輪を取り出す。
「左手を出せ。いいか? これは新しい契約だ。だが、今度のは簡単に更新できない。つまり、一度結んだら、記憶がなくなろうが何だろうが、ずっと結びっぱなしだ。それでいいか?」
「いやです」
「なっ……! なぜ?」
「だってまだ、先輩から聞いてませんから。誓いの言葉」
まったく、この小悪魔は、どこまで人をからかえば気が済むんだ。思えば、全部掌で転がされていた気がする。
口が甘い。白い髪をかきながら、小説の中でしか使わなかった言葉を言う。
「愛してる、奏。結婚してくれ」
「しょうがないですね。冬真くんについて行けるのは私くらいですから。……ウソです。私も大好きです。愛してます。お願いします」
暖かい風が吹く。言葉だけじゃ不安だった。
奏が目を閉じる。肩に手をかける。今日も、月が綺麗だ。
目を覚ますと、クリーム色の天井があった。妙に頭が冴えてるもんだから、寝坊でもしたかと思って時計を見る。
まだ朝だぞ。薄桃色のナース服を着た涼華さんが、目の前に携帯の画面を突き出してくれた。
起き上がった私は、なんだか、どこかに行かなきゃいけないような気がした。行ってきます。それだけ告げて、部屋を出た。
足が勝手に屋上に向かっていた。春の朝は陽気が気持ち良くて、潮風が目を覚ましてくれた。
屋上の真ん中に、ハンモックが吊り下げられている。そんな非常識なことをするのは、誰か決まっている。
バレないように背後から忍び寄って、本を読む彼の目を隠した。
恋愛契約、第一条。挨拶は必ずする。第二十一条。二人きりの時は先輩と呼ぶ。
何度忘れてしまっても、私はこの言葉を繰り返す。この先の人生、きっと何度でも。
「おはようございます、冬真先輩」
陽にかざした左手の指輪が、少し眩しかった。
このラブコメに花束を! 天地創造 @Amathihajime
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