最終話 遺書。そしてその後

 どうしてそんなことを思いついたのか。今となっては解らないものだ。ただ、お前に負けたと思った瞬間から、何か思うところがあった。そういうことなのだろう。だからこそ、同じ場に留まるお前のことが許せなかった。もっと別の環境で、もっと高みを目指せるはずだ。それにはお前にここが相応しくないと示すのがいい。それが動機と言えば動機かもしれない。

 お前はどうしてそんなことを、と思っているだろう。負けているなんて、そんなことはないと否定するだろう。今の環境も悪くないと言うかもしれない。しかし、実力の差というのは当人だけが自覚できるものだ。他がとやかく言うことではない。そう承知してくれ。それに大学のごたごたでお前の研究が止まるのも許せなかった。

 当初の計画としては、事件によってこの大学の不正を明るみにし、お前に研究環境を変えるよう促す。そんな程度のものだった。それが実際にはお前が事件を解くという、予想だにしない状況となった。まさか積極的に関与し、あまつさえトリックを見抜き、犯人を指摘してしまうとは。やはり天才とは何かが違うのだな。

 これは愚かな考えを持った俺への天罰なのか。そんなことも考えたが、大まかな部分において計画を変更するつもりはなかった。俺に残された時間が少ないことは、医者ではなく自分がよく解っている。無理しなければという前提がついていることなど、無駄な前向きな言葉でよく解っていたからな。

 というわけで、俺は三つの事件を操作することとした。計画に変更があったとすれば二件目。あれを自らの研究室で起こしたこと。それとここでのみ化学物質を使わないようにしたことだ。事件に差異を作ることでより俺が関与していると、お前ならばすぐに気づくだろうという予測からだ。

丁度良く本棚が壊れたことも、この計画変更に躊躇わなかった理由となった。自分の死期が近いことを、あれが教えてくれたような気がしていた。片側が完全に見えなくなっていることを、俺はあの瞬間まで無自覚だったのだ。

 結果はお前が下した判断が示すところだ。俺としては、まさか海外に拠点を置くという決断になるかは不明だったが、やってよかったと思えるところに落ち着いた。お前には世界に出て、もっと多くの発見をしてもらいたい。そう願っている。

 これでもう、何があっても大丈夫だと、心からそう思っている。これをお前が読んでいる時点で、俺は死んでいる。だから不平不満を聴くことは無理だ。せめていい研究者になってくれ。

 あと、弟君にもいい先生を探してやってくれ。彼は見込みがある。いい研究者となることを期待していると伝えてくれ。




「以上だ」

 翼と一緒に見た、あの残されていたUSBにはそんな文章が残されていた。そのUSBには他に、盗聴した内容と指示した内容も含まれていたが、どちらも確認はしなかった。

 見たのは慶太郎の四十九日が過ぎた、九月の終わりである。そのあまりにさばさばした文章と思いに、昴は寂しさをより強くしていた。リビングに吹き込む風も、ひんやりとしてより寂しさを増す。深夜になってよく聴こえる虫の声も、世の中の無常を表しているかのようだった。

「何故を問うのは、無意味なんだよな」

「そうだ。人の行動は数式には表せない。よってどれが正しいという解は存在しない。それしか言えないな」

 寂しそうな顔をする翼の横顔から、何故を問いたいのだという気持ちが見える。それに気づくと、昴が引っ掻き回していい問題ではないと思った。そしてもう、その何故を問う相手はこの世にいない。

「俺は」

「素粒子に進むかどうするか。それを悩むことはないだろう。二宮は自分の意思を継げなんて言うタイプではない」

 あっさりと翼は問題をすり替えてくれる。進学しないという選択肢も、研究者にはならないという選択肢も用意してくれないのだ。相変わらずというか、さすがというか。

「そうだな。どうやらまだ、兄貴より凄い奴には出会えてないし」

「――」

 俺より凄い奴はいる。その言葉を、慶太郎が否定したようなものだ。それに気づいた翼はむすっとしてしまった。ちょっとは意趣返しになったか。

「まあ、海外には行かないけどな」

「そうか」

 国内で、教えてもらいたい先生がいる。それは他もでもない翼だ。大学からの嘆願もあって、翼の海外へと行く話は無くなっている。この手紙を読む前に決断したのが良かったのだろう。国内でもやれることは多いと、本人も思い直していた。

だから、昴にも自分だけ海外に行くという選択はなかった。それに倒すにはまず敵を知らなければならない。ということで、まずは素粒子の研究ではなく宇宙論へと変更だ。最近では宇宙論と素粒子理論は密接な関係があることだし、この変更には何の問題もない。

「試験問題は覚悟しておけ」

「――へい」

 しまった。出題するのも翼なんだと、昴は相手が准教授であることの有利さを思い出した。が、翼が不正をするタイプではない。ちゃんと勉強しておけば太刀打ちできるはずだ。しかし難しい問題を出すのも躊躇わないことだろう。何にせよ、勉強に励むのみだ。

「まったく」

 翼は困った奴だという顔をするが、内心では嬉しいらしい。口元が緩んでいることを、昴は見逃さなかった。

「ひょっとして、今まで海外を選択肢に入れていなかったのって」

 俺のせいだろうか。ふと昴は思ってしまった。翼が自分に甘いのは前々から気づいている。そしてそれが、慶太郎には許せなかった。あの大学に不正があることより、自分と同じ大学にいることが許せなかったとか――

「いや、ないない。気持ち悪い」

 自分の考えを自ら否定し、というかそうでないことを願い、昴は大学院への受験勉強へと励もう。そう決意するのだった。


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兄貴は天然准教授様 渋川宙 @sora-sibukawa

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