第38話 もう二度と会えない親友

 しかし、予定外のことは何時でも待ち受けているものだ。午後の予定どころか総ての予定を覆すことが待ち受けていた。それは大学に着くと、いきなり由基に捕まったことから始まる。そしてこれを見ろと、大学の掲示板まで連れて行かれた。

「マジで驚きだよ」

「一体何が?」

 多くの連絡事項はまだ掲示板で行われるとはいえ、何があったというのか。しかしそこに掲げられた内容に、昴は見事に固まってしまった。

「そ、んな」

 それはあまりに唐突な展開だった。昴は掲示板から目が離せなくなる。そこに記されていたのは、慶太郎が亡くなったという事実を知らせるものだった。そしてその下に葬儀についての報せが書かれている。

 これで完全に真相は闇の中となった。が、呆然としている場合ではないのだ。すでに翼は知っているはずだ。すぐに電話を掛けてみる。

「ああ、二宮のことか」

「そ、そう」

 すぐに繋がるのはいいが、用件を切り出すのが早い。それだけ翼も焦っているということか。これは翼も予想していなかった出来事なのだ。だから今朝も普通の調子で注意するだけだった。

「今からあいつも家に行くが、お前も行くか」

「あ、うん。それと川島さんにも」

「解った。連絡しておく。正門で待ち合わせよう」

 翼との電話を終え、由基に教えてくれた礼を言う。

「ああ、別にいいってことだ。それにしてもあれだな。尊敬していた先生が亡くなるなんて。二宮先生ってまだ三十代前半だろ。何があったんだろう」

「解らない。ともかく、兄貴と一緒に家に行くよ」

 そうだ。死因が解らない。掲示板にはそこまで書かれていないのだ。ただ急逝したとの連絡だけである。それと同時に、慶太郎が受け持っていた講義は、他の先生が代行して継続することが書かれているだけである。

「どうして」

 直感だが、自殺ではないはずだ。あれだけのことをやる理由が、大学の不名誉な数々だけに留まらなかったということである。ということは、持病を抱えていた。

「本棚に関して、自分で運ばなかったのは」

 病気のせいだった。それを翼はあの時に知っていたとすれば――

「くそっ」

 情報はまだ散逸している。昴はそのまま大学の正門へと駆けた。この展開まで予定に入っていたとすれば、慶太郎は何を望んでいたというのか。それを知るのは、やはり翼しかいないのだ。

「行くぞ」

 すでに正門にはタクシーが停まり、翼は待ち構えていた。タクシーの中には理志の姿もある。助手席に座り、あちこちに連絡している最中だった。総てが唐突だったことは、このメンツが誰も知らなかったことでも解る。

 昴と翼が後部座席に乗り込み、タクシーはすぐに走り出した。車内はそわそわとした空気と動揺が混じっている。

「二宮先生は」

「脳動脈瘤が原因だそうだ」

 淡々と翼が教えてくれる。が、顔は真っ青だった。おそらく何か病気を抱えていたのは気づいたが、そんな重大なものだとは思わなかったということだ。だからこそ、今まであの問題を突っ込んで訊くこともせず、いずれ話してくれるだろうと思っていたのだと言う。

 しかも、病状が急変したのは昨日の夜だという。大学の会議中、急に頭痛を訴えて救急車で運ばれた。そこから意識不明に陥り、朝には亡くなったのだという。あまりに急なことで、翼たちも大学に来るまで知らなかったのだ。

「どうして」

「俺もさっき聞いたんだが、手術が難しい位置だったらしい。それでも大きさからして、日常生活には問題ないだろうと、医者は判断していたそうだ。まだ若いこともあって、血栓を溶かす薬で対応できるだろうということだったようだが」

 理志がそう説明してくれるが、何だか現実味のないままだ。それに、その説明が正しいのかも判りようがない。

「視野が狭くなっていたのは気づいていたんだ」

 そこに、翼が溜め息とともに漏らした。視野が狭いことに気づく。それはどういうことか、昴は翼をじっと見てしまった。

「あの本棚が倒壊したというやつ。実はあれは片側に本を置きすぎたことが原因だ。つまり、視野が欠けているせいで、あの本棚の左側がよく見えず片側ばかりに入れてしまったんだ。それで壊れたというのが真相だ」

 だからあの時、何か病気であることには気づいていたのだ。しかしそれが何か解らなかった。そこにあの事件が起こったのだから、翼にはこれが慶太郎の計画したものだと疑うことが可能だったのだ。

 そしてそれは昴も気づけたことだと思い出す。妙に右側に詰め込まれた本。あれは、視野のせいだったのだ。左を確認できないからついつい本を右側に詰め込んでしまう。その結果、不自然に右に本が詰め込まれた状態となっていた。

「本当に病気だったんだ」

「まあ、悔やんでもどうしようもないよな」

 そこに理志がぼそりと言った。そうだ、死んでしまってはもう何もしようがない。病気に気づけたとしても、あの段階で慶太郎の行動を総て理解できたわけでもなかった。何もかも、慶太郎は語らずに逝ってしまった。その事実は変わらないのだ。

 慶太郎の家はマンションだった。すでに葬儀は別の会場で行うことを手配し、ここにはいないという。それは手伝いに来ていた親族の女性が教えてくれた。部屋から慶太郎の思い出の品と、遺影に使う写真を選んでいたのだという。

麻央はそのことにすでに気づいていたようで、先に葬儀会場に行っているとメールがあった。いや、麻央に連絡を入れたのは翼だから、先にそっちに向かっているように言ったということか。証拠が出てきても見ない。麻央なりの気遣いかもしれなかった。

「すみません。少し、部屋を見せてもらえますか。その、まだ気持ちが整理できていなくて」

「ええ、もちろん。私もなのよ」

 翼はわざとこちらを先にしたのだと、昴はその言葉で気づいた。翼がいくら非常識とはいえ、そのくらいは知っていそうなものだ。それなのにわざと自宅を訪れた。

 女性は慶太郎からすると叔母さんに当たる人なのだという。気丈にもニコニコと振舞う姿に、あまり長居しては悪いなと昴は思った。部屋の中は写真を探すためにいくらか散らかっていたものの、他は慶太郎が生活していたままだった。

「突然だと何かと大変だわ。それに若いでしょ。もう、どこから手を付けていいのか」

 叔母さんは散らかっているのは気にしないでねと笑う。このミスマッチな状況こそ、誰も慶太郎の死を予測していなかった証拠なのだと、昴は胸が詰まる思いがした。そしてまだ遺体と対面していないとはいえ、死んでしまったという事実を突き付けられる。

「あの、僕たちのことは気にせずに」

 理志も同じ思いのようで、そそくさと慶太郎が寝室としていた部屋に退散する。二DKに一人暮らし。それが慶太郎のプライベートだったようだ。寝室は片付いていて、部屋にあまり物はなかった。

「躓かないようにってことかな。視野の左側が欠けてない状態だったなら、寝起きとか注意していただろうし」

 あまりの殺風景な状況に、理志はそう分析する。研究室が本で溢れ返っていたのとは、あまりに対照的だ。そんな部屋で、翼は何故かベッドの下を覗き込んでいた。

「あった」

「へっ」

 ベッドの下から小さな箱を引っ張り出す。それは一辺が十センチほどの段ボール箱だった。翼はそれを躊躇いなく開ける。

「やっぱりな」

「これが、事件を予測できた理由ってことか」

 そこには様々なタイプの盗聴器があった。これをどこに仕掛けていたかは解らないが、事件に関する情報はこれで得ていたということらしい。

「おそらくトイレだろう。理系に偏った事件とはいえ、犯人は総て男だった。このことから、男子トイレでの会話を基に事件を察知した。トイレというのは油断しがちだ。不穏な発言を誰かにすることや愚痴を漏らすこともある。そして、トイレを利用したならば、事件について指示することも簡単だっただろう。音声データを聞かせ、そして何らかの助言を行った。そういうところだろうな」

 翼は言いつつ、その盗聴器を一度箱の外へと放り出した。そして段ボールの底を探る。

「ん?」

 箱の端に爪を引っ掛けると、底が持ち上がった。段ボールを一枚、底に被せてあったのだ。その段ボールを除けると、そこにはUSBメモリーが貼り付けられていた。

「これが遺書、になるんだろうな」

 それを丁寧に剥がし、翼はそれをポケットに仕舞いこんだ。そして盗聴器類に関して、始末するぞと理志と昴に言う。

「まあ、そうだな」

 詳しく事情を知らない理志だが、あっさりと同意してくれた。死んだ後に出てきた証拠。それを使って警察は、書類上は被疑者死亡として送検できる。それを、翼は阻止しようというのだ。あれほど慶太郎が罰せられないことに違和感があったというのに、昴も何も言わずにポケットに証拠を入れていた。

「さて、別れの挨拶をしないとな」

「そうだな」

 もう二度と会えない親友。翼も理志もようやくその事実に寂しさを覚えた。そして何かが終わったのだという実感が、昴の心の中を去来する。まだどうしてという部分は解らないままだが、それこそ総てが終わってからでいいものとなっていた。

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