オーシャン・コンサート

采岡志苑

オーシャン・コンサート

 海の波を掻き分けて、船は走っていた。エンジンと海の飛沫を上げる音がキャラベルの耳に深く聞こえてくる。


 空には雲ひとつない青空が広がっていて、眩しく光る太陽の日差しが海面に反射してキャラベルの視界を襲う。キャラベルは手で日差しを避けながら、船を未だ見えない陸へと走らせる。


 受けた日差しで体が熱をこもり、額から汗がこぼれ落ちてくる。キャラベルは首に巻いていたタオルで額の汗を拭う。汗を拭っていると、耳にはどこからか鳥の鳴き声も混じって聞こえてくる。すると、船の後ろから鳥が飛んできて簡単に船を追い越してしまう。


 キャラベルは操舵室で鳥の飛んでいく姿を眺めていた。


 もう何日船を走らせただろうか?未だに陸は僕の目の前に現れてこない。今となっては季節も分からないが、この暑さだ。今はきっと夏なのだろう。汗が出て体から水分が失われて喉が枯れていくのが分かる。最も僕の喉は何年か前から枯れたままだが。


 船をただ真っ直ぐに走らせるキャラベルの耳にいつも聞こえてくる音とは別に妙な雑音が途切れ途切れに聞こえてくる。気のせいだと思ったが、やがてそれはこの船とは違うエンジンの音だと気付く。


 キャラベルはエンジンの音と共に小さく人の声が聞こえてくるのが分かり、音のする方へ振り向く。キャラベルの視界に船が映る。キャラベルの船よりも大きい立派な船だ。


「おーい!!」


 デッキに誰かいるのが確認できた。手を大きくこっちに向けて振っている。声もそこから聞こえてくる。


 キャラベルはエンジンを止めて、船を停止させる。デッキで大きく手を振っていた船も近づいてきて、船を停止させる。キャラベルは操舵室から甲板に出て、相手の船を見つめる。


 船のデッキで手を振っていたのは小麦色に焼けた肌に坊主頭の男でサングラスをかけていて麦わら帽子を被っている。服装は酷い柄のアロハシャツに短パンといった南国にでもいるかのような格好だ。反対にキャラベルは黄ばんだシャツに、汚れたデニム。ひょろひょろとしていて皮が骨にへばり付きそうだった。キャラベルは自分の姿と男の格好を交互に見た後、ガラス越しに操舵室にもう一人誰かいるのが見えた。


「お前さん、どこから来た!?」


 坊主頭の男は大声でキャラベルに尋ねる。だがキャラベルは答えない。答えたくても答えられないのだ。キャラベルは汚れたズボンのポケットから丁寧に畳まれた一枚の紙を取り出しては広げて男に見せる。


 だが男からは紙は見えても何が書かれているのかは分からなかった。男はデッキにしゃがみ込んで、近くに置いてあった箱から双眼鏡を取り出す。男が双眼鏡でキャラベルが持つ紙を見るとそこには、“僕は喋れない”と書かれていた。


「お前さん、喋れないのか!?」


 キャラベルは頷く。男は続けて尋ねる。


「一つ聞かせてくれ!お前さんが来た方向から陸はあるか!?」


 キャラベルは首を横に振った。本当は何日か前に陸から出たのだが、方向が分からない以上あるとは言えなかった。


「そうか!ありがとよ!お互い頑張って生きようぜ!」


 キャラベルは少し間を置いて頷いた。男はそれを見ると操舵室に戻り、再びエンジンをかけて大きな船を動かした。やがて大きな船はキャラベルの船の後ろを通り過ぎていった。


 キャラベルは大きな船を見送って、操舵室に戻り、再び自分の船も走らせる。見渡す限り広大なこの青い海の上で、一つの白い線が浮かび上がっては消えていった。


✳︎


 キャラベルが生まれる前、この世界は陸が沢山あったとキャラベルはよく寝る前に父親から聞いていた。そこでは様々な人が暮らしていて、緑豊かな自然が広がっていたそうだ。だが今は違う。殆どの陸は海に沈み、この世界では青い面積の方が多くなっていた。キャラベルの生まれ故郷も次第に海に沈んでいき、やむなく海に飛び出したのだ。


 この船には最初、キャラベル以外にも乗っていた人間がいた。だが航海の途中のアクシデントや、病で仲間は倒れていき、遂にキャラベルは一人になった。


 キャラベルは陸を渡り歩いて航海をしていた。理由は単純だ。よそ者を受け入れないか、沈んだかの二択だ。沈むのは仕方がないこと、だがキャラベルにとって辛かったのは受け入れられないことだった。これ以上この陸に人を上げるわけにはいかない。私たちが暮らすこの陸に勝手に上がり込むな。理由は様々だった。そして何よりも喋れない自分を陸の人は気味悪がった。近寄ろうともしなかった。そういう時は大人しく水や食糧、エンジンの燃料を集めてはまた航海に出る。その繰り返しだった。そうしてキャラベルは今生きている。


 キャラベルも航海で様々な体験をした。砂浜だけが浮かぶ陸に、ただ一つ果物が成っている木。キャラベルはその果物を取って食べた時、今まで食べたことがないくらいに甘くて美味しいかった体験や、船を停めて釣りをした時には初めてクジラを目撃したこともあった。クジラが海から姿を現した時、尾びれが海面に打ち付けられた衝撃で波が揺れて、キャラベルは船から振り落とされそうになった。そして夜の海は真っ暗で何も見えないこと。波の音だけが聞こえる中で、時々鳴き声が聞こえてくる時があり、キャラベルはこの瞬間が一番落ち着いた。


✳︎


 ある日、キャラベルがいつも通り船を走らせていると、エンジンの音が急に弱くなる。次第に音は薄れていって、やがて船は動きを止めた。キャラベルが船のメーターに目をやると、メーターの針は右一杯に振っていて、箱のマークを指していた。


 燃料切れだ、キャラベルは操舵室に置いてある燃料タンクの元へ歩いて、燃料タンクを担ぐ。その時、タンクが軽いことに気付く。不安に駆られたキャラベルはタンクのキャップを開けて中を覗き込む。中は空だった。赤い底しかキャラベルの目には映らなかった。


 キャラベルは焦って甲板に飛び出した。だが甲板には他の衣類や食糧しか入っていない箱だけが置いてあるだけだった。


 キャラベルは周りを見回す。周りには海が広がっているだけで、海から飛び出た大きな岩があるだけだった。キャラベルは落胆して他の船が通るのを仕方なく待つことにした。


✳︎


 それから何回目の夜だろうか、キャラベルは持っていた食糧と水をただ浪費していくだけだった。キャラベルが甲板から空を見上げると、今日の夜は満月が出ていた。キャラベルにはその満月がいつもとは違う輝きを放っている様に感じられる。


 キャラベルが操舵室に戻って寝ようとした時、どこからか歌声が聴こえてきた。キャラベルは気のせいだと思った。こんな海の中で歌声なんか聴こえるはずがない。だがキャラベルの考えを裏切るように歌声は次第に大きく聴こえてくる。高く透き通るような歌声。その歌声にキャラベルは心を揺さぶられた。湧き上がってくる不思議な気持ち、どこか懐かしさも帯びていた。


 キャラベルは歌声の源を探した。ふと岩の方を見ると、岩に誰かがいるのが見える。月の明かりで姿は暗く、ハッキリとは見えなかったが、確かにいた。キャラベルが岩の方に足を近づけようとすると、甲板に転がっていた果物にぶつかる。果物は海の方に飛び跳ねて、ポチャンと音を立てて海に沈む。


 岩の上にいた何かがその音に気付き、歌うのをやめて勢いよくこちらを振り向く。そしてそのまま海に飛び込んでしまった。


 キャラベルは甲板の縁に両手を掴み、飛び込んだもののを目で追おうとした。だが暗くて海の中は見えなかった。


 飛び込むときに見えた影がキャラベルの脳裏に焼き付いて離れない。上半身は人だった、だが下半身には確かに尾びれがあった。......人魚?


✳︎


 翌日、キャラベルが目を覚ますと辺りには霧が広がっていた。日の光が見えず、急激な寒さがキャラベルに襲いかかり、たまらず船の甲板に置いてある備蓄箱に閉まっていた厚めのコートを取り出して羽織る。コートを着て操舵室に戻ろうとした時、霧の中からぼんやりと丸い明かりがキャラベルの視界に入る。


 明かりが徐々にハッキリと見えてくるのと同時にエンジンの音も聞こえてくる。キャラベルはその時、身の毛がよだつ感覚から興奮に変わっていった。船だ、間違いなく船だ。


 キャラベルは寒さも忘れるくらいに慌てて、操舵室のドアノブから勢いよく手を離して甲板まで戻る。


 やがて霧の中から出てきた船の姿を捉えると、キャラベルは大きく両手を振った。それに気付いたのか明かりを灯した船も、キャラベルの船のすぐそばまで近づいてエンジンを止める。


 キャラベルは船が止まるのを見て、ホッと一息つく。すると止まった船からも甲板に誰かが出てくる。


「お前!こんな所で何やってる!?」


 甲板に出てきたのは若い男だった。キャラベルよりも軽装な服装をしていて、髪は金色だった。


 キャラベルは男の子声に反応して、胸ポケットから例の紙を取り出して男に見せる。だが霧が深いせいで、紙に書かれている内容が分からなかったのか男はキャラベルの船に乗り込み、眉間に皺を寄せながら紙を目を凝らして読む。すると男は勢いよく顔を上げて、キャラベルを見つめる。


「お前......そうだったのか......紙とペンは持っているのか?」


 キャラベルは首を横に振った。紙とペンなど今のこの時代に手に入ることは滅多にない。男は自分の船に戻り、操舵室に入った。しばらくすると操舵室から出てきて、手には何かを持っている。またキャラベルの船に乗り込んで、持っていたものをキャラベルに差し出す。


「だいぶ前に他の陸で手に入れたものだ。まだ使えると思うが......お前にやる」


 差し出されたものは紙とペンだった。キャラベルは男からそれを受け取ると、深く頭を下げた。キャラベルにはとっては、これ以上ない程の会話手段だ。


「もう一度聞くぞ?こんな所で何をしている?」


 キャラベルは早速貰った紙とペンを使って、殴るように書き始めた。書き終わると、キャラベルは紙を皺一つなく広げて男に見せる。


「えっと......そうか、燃料が切れたのか」


 キャラベルが書いた文字は酷くいびつなものだった。だが男は何とか紙に書かれた文字を読み取り、解読する。キャラベルは男の言うことに頷いた。


「分けてやりたいが生憎、俺もあまり余裕がない」


 キャラベルは少し残念そうに顔を俯かせた。男はキャラベルの様子を見て、少し悩んだように頭を掻く。


「さっきすれ違った奴に、この先に陸があることを聞いた。お前、食糧と水に余裕はあるか?」


 キャラベルは顔を上げて、備蓄箱の方へ駆け寄り中を覗く。決して余裕がある訳ではなかったが、キャラベルは静かに頷いた。


「よし、なら陸に着いたら助けを呼んでやる。このまま見過ごして死なれると俺もいい気分じゃない」


 男はキャラベルに近寄って背中を叩いた。その衝撃はキャラベルに、涙をもたらした。キャラベルはもう一度男に深く頭を下げる。


「おいおい、気にすんなって。お前、名前は?俺はレイだ」


 キャラベルは耳を疑った。自分の名前を聞かれたのはいつ以来だろう。キャラベルは紙とペンを使い、自分の名前を書き始める。また自分の名前を書くことが出来るなんて。


 キャラベルは紙に書いた自分の名前を一杯に広げてレイに見せる。レイは広げられた紙を見る。だがそこに書かれていたのは、さっきよりも酷く汚くてとても読めたものではなかった。目を凝らして一文字ずつレイは解読しようとしたが、結局読めることはなく、諦めてしまう。


「とにかく、俺が戻ってくるまで絶対に死ぬなよ」


 キャラベルは何度も頷いた。それを見て、レイは少し笑いながら自分の船に戻っていった。そしてレイは船のエンジンをかけて、キャラベルの船を追い越していく。


 キャラベルはレイの船を、視線を一切逸らさずに見送った。そして、手に持っていた紙とペンを見つめて、ぐっと握りしめる。


✳︎


 二日は経っただろうか、キャラベルは船で助けが来るのをただ静かに待っていた。そして夜になり、また空には大きな満月が昇っている。波の音を甲板に座り込んで聞いていた時だった。


 どこからか歌声が聞こえてくる。あの歌声だ。キャラベルは即座に気付き、船の周りを見回す。そして海から突き出た大きな岩に視線を移すと、またしてもそこにはあの人魚がいた。


 だがキャラベルは前回の事を思い出し、音を立てずに、そのまま歌声を聴くことにした。キャラベルは目を閉じて、耳に神経を集中させる。やがてキャラベルの耳には波の音は消えていき、歌声だけが彼の中でも響き渡る。細胞一つ一つに染み渡るほどに洗練されたその透き通った歌声に、キャラベルは魅了されていった。


 そして目を閉じて視界が暗くなったキャラベルの前に昔の光景が映し出される。懐かしい。今では忘れていたこの記憶。僕にもこんな時があった。あのステージに立ったのは幾つのときだったろうか。


 やがて歌は終わりを迎えて、辺りに残響が響くなか、キャラベルは余韻に浸っていた。そして目を開けると、また満月が光る海が広がっている。キャラベルが岩の上に佇む人魚を目で捉えると、視線に気付いたのか人魚がこちらを振り向いた。キャラベルに緊張が走り、慌てて紙をポケットから取り出す。あらかじめ書いておいたものを人魚に向けて見せる。


 だがもう既にそこには人魚の姿はなかった。キャラベルが周りを見回すが視界に入るのは黒い地平線だけだった。キャラベルは肩を落とし、重いため息をついた。


 暗い海の中で、海面から浮き出たものがあった。人魚が海面から頭だけを出して、キャラベルを見つめていた。彼が持っていた紙をじっと見つめていた。


 紙には“君の歌声は僕に素晴らしいものをくれた”と書かれていた


✳︎


 次の日の夜、キャラベルは甲板で身構えていた。あの人魚に今度こそ見てもらいたい、僕の気持ちを伝えたい、と思っていた。やがてその機会は訪れる。再びあの歌声が聞こえてきたのだ。キャラベルは紙を手に持って、岩の方へ振り向く。だがそこには何もいなかった。しかし歌声は聞こえてくる。キャラベルが自分の耳を疑い始めたとき、歌声は止んだ。


「ねぇ、あなた」


 キャラベルは腰を抜かすほど驚いた。その声はすぐそばで聞こえた。キャラベルが船尾の方に視線を向けると、そこには海から顔を出した人魚がいた。


「あなた、いつもここにいるわよね?なぜここにいるの?」


 人魚から話しかけられて、尋ねられたことにキャラベルは動揺を隠し切れず、うろたえる。


「ねぇ、どうして?」


 人魚からの一言にキャラベルは慌てて以前に書いた紙を向ける。不思議そうに紙を見つめた人魚は尋ねる。


「あなた......ひょっとして喋れないの?その上船が動かなくなったの?」


 キャラベルはゆっくり頷いた。それを見て人魚は意を決したように自分の鱗を一枚剥がして、それをキャラベルに差し出す。


 訳が分からないといった表情をしながら、鱗を指差してから、キャラベルは自分を指差した。


「あげるわ、人間はこれでどんな病気も治せるのでしょう?」


 キャラベルは戸惑いながらも鱗を人魚から受け取り、ごくりと唾を飲み込んでから鱗を口に入れて飲み込む。その時、キャラベルに痛みと熱が凄まじい速度で全身を駆け巡った。そして、喉が焼けるような感覚に襲われた。一面の海に囲まれているのに、マグマの海に囲まれてでもいるかのようにキャラベルの全身を熱が覆った。汗が噴き出して、とどまることなく、甲板の上に落ちていく。やがて痛みと熱が収まり、キャラベルの体に平穏が訪れる。



「喋ってごらん?」


 キャラベルは喉に不思議な感覚を覚えた。そして声を出してみる。


「あ」


 キャラベルに信じられないことが起きた。そしてもう一度声を出す。自分の耳に失くしていたものが届いて響く。そしてもう一度、更にもう一度、キャラベルは声を出し続けた。そして同時に涙が出て零れ落ちた。


 人魚はキャラベルを見てギョッとする。


「ちょっ......いきなり泣かないでよ!悪いことしたみたいじゃない!」

「......なことない、そんなことない......がとう......ありがとう......!!」


 涙を流して腰が抜けたようにうなだれるキャラベルは何度も何度もお礼を言った。人魚はキャラベルを見て、少し顔を俯かせた。


「......お礼を言うのはこっちの方よ......」


 人魚は少し笑みを浮かべて顔を上げる。


「......あなた、名前は?私はライラ」


 キャラベルは服の袖で涙を拭き、ライラを見る。


「......僕の名前は......キャラベル......!」


✳︎


 それからキャラベルとライラは毎晩会っては語り合った。お互いが体験してきたこと、好きなものと嫌いなもの、とにかく二人の間で会話が尽きることはなかった。何よりも二人の距離を縮めたのは歌だった。二人にとってこの時間が何よりも幸せなものだった。


「キャラベル、私ね、生まれて初めて自分の歌声を褒められたの。あなたよ、キャラベル。好きな歌でこんなにも自分の歌声を好きだと言ってくれる、今まで感じたことのないくらいに嬉しい気持ちが一杯なの」


「それは僕もだ。自分が歌っていたときのことを思い出したよ」

「本当に?ねぇキャラベル。あなたも歌ってよ」


 ライラの一言にキャラベルは歌おうと立ち上がる。そして大きく息を吸い込んで、歌おうとする。だがなぜか声が出てこなかった。もう一度歌おうとする。だがやはり歌えない。そのとき、キャラベルはふと思った。僕は今までどうやって歌っていた?映像は出てくるのに、音が聞こえない。


「どうしたの?」

「ごめん、ライラ。どうやら僕には歌うことが出来ないみたいだ」

「どうして!?だってあなた、声は出てるじゃない!?」

「うん......でもね、なぜか歌えないんだよ」


 キャラベルの耳にはまた波の音がまとわりつく。そこには混じるものが何一つないくらい、波の音だけが広がる。そして、あの日から体に感じていた違和感が強くなるのを感じた。


✳︎


 違和感は無視できないものになった。鱗を飲んだあの日からキャラベルの体は徐々に鉛のように重くなっていった。朝からキャラベルの体は思うように動かない。更に体の中から熱さが暴れまわっては、あちこちを貫かれたような感覚に陥る。苦しい、息が出来ないくらいに。キャラベルは体が締め付けられるようだった。


 そしてそこにいつものようにライラが船に姿を現す。ライラはキャラベルの違和感を感じとり、すぐさまキャラベルの側に向かう。


「キャラベル!どうしたの!?すごい熱よ!」

「......ライラ、どうやら僕はここまでみたいだ。もっと君とは話していたかった」

「だめよ......!そんなことを言っちゃ!もう私の、そうよ!私の歌声が聴けなくなるわよ!」



 ライラの声が震えている。キャラベルの顔はライラから何度も落ちてくる涙で濡れていた。ライラはキャラベルの手を力強く握りしめる。

 キャラベルは取り戻した声を絞り上げて、泣きじゃくるライラに言う。


「......ライラ、一つ頼みがあるんだ」

「......何?」

「もう一度......もう一度歌って欲しい......」


 ライラは涙を拭って、震わせながらも歌を歌った。今まで以上に大きな声で、遠い地平線の彼方まで聞こえるくらいに。


 歌声を聴くキャラベルは走馬灯のように昔を振り返った。その時、ふと思い出した。

 

 ああ、そうか。僕も歌う時はこんな風に誰かのために歌っていたっけ。ライラ、僕は初めて後悔というものが出来たよ。君と一度でもいいから一緒に歌いたかった。



✳︎



 海から突き出た岩の側に一隻の大きな船が近づいてくる。エンジンを止めて停まると、船から出てきたのはキャラベルを助けにきたレイとタンクトップ姿の大男だった。


「あれ、おかしいな?ここに船が止まってるはずなんだけど」


 タンクトップの大男は笑いながら言う。


「はっはっはっ!兄ちゃん!そりゃもしかしたら凄い体験をしたかも知れんぞ!」


 レイは首を傾げて大男に尋ねる。


「凄い体験?」

「ここに伝わる古い伝説みたいなものさ、満月の夜のとき、あの岩の上から時々泣きながら歌う人魚と、岩の近くに停まっている船から男が人魚と一緒になって歌うっていうものさ。その歌声に聞き惚れて船乗りたちは事故に遭うんだよ。実際見たやつは何人もいるし、ここで難破した船も多く見つかるんだよ」


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