終章 十二月 その22

リューリと二人で僕の家に辿り着く。


リューリと繋いだ手はじっとりと汗ばんでいた。


鍵を取り出して開けようとするが、がちゃがちゃ音がするだけで、なかなか開かない。


リューリがそっと手を添えてくれた。


がちゃり、鍵が開く。


リューリがにっこりと微笑む。


「経験があるというのは、良いのかもしれないわね…。少なくとも、あなたよりは冷静でいられる」


リューリが寂しそうに呟いた。




「それじゃあ夕飯の準備するから。休んでいて。コートは僕の部屋に掛けておいていいから。荷物も僕の部屋に」


冷えきった食堂で薪ストーブに火を起こし、僕はキッチンへと向かう。


しばらくしてリューリが二階の僕の部屋から戻る。


ハーフコートの下はやはり紺色のVネックセーター。


細身な彼女にはジーンズ合わせてよく似合っている。


「私も手伝うわ。あなたも、私の家で手伝ってくれたでしょう?」


「そうだね。お客様扱いは止めておこうか。それじゃあ…レタスを洗ってちぎってくれるかな」


「お安い御用」


「…今度は君用のエプロンでも用意しておくよ。とりあえず僕の使っていて」


「借りるわね」


二人で並んでキッチンに立つ。


「レタス、冷蔵庫の一番下、野菜室に入ってるよ」


「これね」


リューリがレタスをちぎって洗う。


その光景を目にした時。


僕は前にもこんな事があったような…いわゆる既視感デジャ・ビュに襲われる。


ふ、とリューリを見ると彼女もこちらを見ている。


お互いに目を合わせる。


「不思議だ。前にもこんな事があったような気がした」


「…私は…この先もずっとこんな光景が続くような予感がしたわ」


二人でくすりと笑う。


既視感デジャ・ビュが起こると人生が順調な証拠だって、私は聞いた事があるわ。あなたの人生は大丈夫そうね」


「君の予感は当たりそうだからね。きっとこんな光景が続くよ」


また二人で笑い合う。


「ところで、今日は何を作るつもりかしら?」


「えっと…クリスマスに相応しいかは分からないのだけど、豆腐を使ったハンバーグ、サラダ、出来あいのローストチキンを…」


僕はちょっと恐縮しながら言う。


僕のレパートリーの中で失敗しにくく、さらに今日の雰囲気に合うものと精一杯考えた結果だった。


「楽しみ。でも、材料費、払うわ?結構掛かってるんじゃない?」


「ああ、それは、大丈夫。うちの母親からもらってるんだ」


「お母様から?」


「今日は僕の父親、母親の所に泊まりに行ってるんだ。僕らに気を遣ってくれて。つまり、君も…僕の家では公認という事」


「お父様にも今度きちんとご挨拶しようかしら?」


「…僕らまだ高校生だよ?そこまで気にしなくていいさ」


「そうかしら…?年明けにでも改めて来るわ」


そして僕らは料理に取り掛かる。




テーブルの上にささやかだが料理が並ぶ。


飲み物は海外の100%炭酸リンゴジュース。


こういう物が近所で手に入りやすいのが軽井沢という町だった。


そこに豆腐のハンバーグ、サラダ、ローストチキンと並ぶ。


料理を少なめにしているのはこの後にケーキを買ってあるからだった。


「それじゃあ、メリークリスマス?」


「なんで疑問系なのかしら?」


「いや、ちょっと早いから」


「良いんじゃないかしら?メリークリスマス。私達の記念すべき日に。乾杯」


「乾杯」


ジュースで乾杯をする。


「ふふ。美味しいわ。なんだろう、お母さんの味?」


「僕は君のお母さんかい?」


「家庭的って事よ」


食事が終わった後、僕は冷蔵庫からケーキを取り出す。


「今日のケーキはこちらです。冬限定のザッハトルテ。君がチョコレート大丈夫そうで良かった」


艶々としたチョコレートの輝き。


さすがに夏場は溶けてしまって食べられない代物だ。


「前にこのケーキ屋で見つけて。君と食べたいって思っていたんだ。最近、ね。何か見つけたり、食べたりすると、君に見せたいな、君と食べたいなって思うんだ。口に合うと良いけど」


「あなたが私の事を考えて用意してくれたんでしょう?ありがたく頂くわ」


二人でケーキを食べた後、プレゼントを交換する。


リューリからは手袋?


ラッピングされた袋に入っていたのは、滑り止めの付いた黒い手袋だった。


「カーリング用じゃなくて野球のバッター用だけど。滑り止めが付いてるから使えるわ。あなたの手袋、普通の防寒用でしょう?きちんとしたのはまた今度あげるから。使ってみて」


「ありがとう。使わせてもらうよ。それじゃ僕から」


「ありがとう。ネックウォーマーね?」


「そう。いつも寒そうだから。首もとだけでも暖めてみて」


「ありがとう。私も使わせてもらうわね」


どうにか気に入ってもらえたようだった。




食事が終わり二人で後片付けをする。


この頃には僕の心臓はもう、破裂寸前だった。


いよいよ片付けも終わってしまい、僕らはどちらからともなく部屋に向かう。


…これからどうしたら良いんだ?


えっ…と、いつものようにキスして…?


服を脱がす?


リューリがふふっと笑う。


「先にシャワーを浴びましょう」


「え!?一緒に」


「それも良いけど…今は別々で。女の子には色々準備もあるわ」


確かに僕の家なら男女でお風呂は分かれているから可能だ。




「それじゃあ、後で、ね」


お互いお風呂場に入っていく。


気分を落ち着かせようと熱いシャワーを頭から浴びる。


これからリューリの前で裸になるのか。


その瞬間を考えただけで…恥ずかしい。


いや、男より女の子はもっと恥ずかしいだろう。


でも、この歳でそもそも人前で服を脱ぐ事など、ない。


完全に一糸纏わぬ無防備な姿を晒すって…凄い勇気がいる事なんだ。


相手を信用して上で…自分を晒しても許してくれるって、変な事は言わないって…確固たる信頼がないと出来ない。


僕の身体は大丈夫だろうか?


僕は頭をぶんぶんと振る。


まるで初めて剣道場に、カーリング場に立った時のようだった。


ふわふわして、正に地に足がついていない。


周りが広く見える。


自分が少し高い位置から自分を見下ろしているような、奇妙な感覚。


僕は頭と身体をガシガシと洗うと、また熱いシャワーを浴びた。


リューリは隣でどんな事をしているのだろう?




自室に戻るとやはりリューリは戻っていなかった。


僕はベッドに腰掛け彼女を待つ。


そう言えば以前にもこんな時間があった。


その時はいつか、この時が来ると漠然と考えていた。


を迎えた僕は。


目眩を起こしそうな程緊張していた。


…天井が回っている気さえ、する。


この時間は一度きり。


そう考えるともっと楽しんでいたいような、早く終わらせたいような複雑な気分でリューリを待ち続けた。

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