終章 十二月 その2

僕はサッとシャワーを済ませリューリの待つ食堂に戻る。


リューリは海鼠なまこの水槽の前で海鼠をじっと見ていた。


「どうしたの?」


「うん。見れば見るほど不思議な生き物だわ」


「ソイツも人間は不思議な生き物だなぁって思ってるよ」


「ふふ、本当にそうね」


「脳もない、目も耳もない…砂だけあれば生きていける生物だから…幸せなのかもしれないね」


「そうなのかも、しれないわね。…けど、私は、悩んだり、苦しんだり…そんな中で喜んだり。…今の自分が良いわ」


「ん、そうだね。そろそろ行くかい?」


「そうね。行きましょう。ママが帰ってくる時間だわ」


僕らは並んで家を出る。


するとハクセキレイの親方が玄関先で待っていた。


「親方、行ってくるよ」


親方は深く何度も頷いたように見えた。


そして尾羽をぴこぴこ上下させ、飛び去ってしまった。


「…頑張ってこいって」


「不思議、私も、そう聞こえたわ」


僕ら親方の飛び去った方角を見つめていた。




時間は夕方五時過ぎだが辺りは真っ暗だった。


僕はリューリと並んで暗い道を歩く。


リューリの手袋に包まれた左手が僕の右手にちょん、ちょんと感覚をあけて触れる。


まるでモールス信号のようだ。


もちろん僕は彼女の発した暗号の解読に成功し、その手を握る。


リューリは僕の指の間に自分の指を差しこみ握り返す。


「…我、暗号の解読に成功セリ」


「よく分かったわね」


「そりゃあわかりますとも」


「それじゃあ…」


リューリが握っている手をほどき、手袋を取る。


「あなたも手袋取りなさい」


僕も手袋を取る…と同時にリューリが直接僕の手を握る。


「手…冷たいよ」


「心配ないわ。あなたが温めてくれるのでしょう?」


「それは、もちろん。喜んで」


握った彼女の手をそのままコートのポケットに突っ込む。


しばらくポケットの中でにぎにぎと揉みほぐし温めてあげる。


「ありがとう。温まったわ。それじゃあこっちね」


右手を差し出す。


僕は彼女の右側に周り同じように彼女の手を温めた。


「私、冬って好きなの。あなたは?」


「僕は嫌いではないけど…越冬出来るか不安になるよ」


「ふふ、そうよね。まだ慣れていないものね。冬は、ね。寒いし、冷たいけど温かいものがより温かく感じるわ」


リューリの身体が僕に擦り寄る。


「人の身体ってね。とても温かいのよ。本当にびっくりするくらい。あなたにも…その事を教えてあげるわ。…残念ながら今日ではないけどね」


暗闇でなければ、彼女に僕の真っ赤になった顔が見えていただろう。


いや、勘の良い彼女は僕の顔色くらい、お見通しだろう。


僕はリューリの温もりを想像しながら、彼女の家まで歩き続けた。

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