第五章 八月その39

僕は完全に腰が抜けてしまい、しゃがみこんだままになる。


それに下腹部にぬるりとした感触。


とても立てる状態じゃない。


…リューリには分かってしまっただろうか?


「…もしかして…イッてくれたの?」


リューリが自分の唇をちろり、と舐めながらしゃがみ込む。


普段からは想像も出来ないような、妖艶な顔。


上気した頬。


潤んだ瞳。


熱い吐息。


僕と彼女の唾液でコーティングされた、濡れた唇。


見つめられただけで頭から背中にかけて甘い電流が駆け抜ける。


僕はキスだけで射精してしまった恥ずかしさに目を逸らす。


「…嬉しい…」


「え、と、ごめん!ちょっと待ってて」


僕は慌ててキッチンを抜け出し、部屋に駆け込む。


下着を脱ぎ、ティッシュで最低限の処理をし、下着を替える。


まだ頭も身体も火照ったままだった。


なんとか呼吸を整える。


それでも心臓はばくばくと荒ぶったまま落ち着かない。


僕はもう一度深呼吸をして、呼吸を整える。


とりあえず下の階に行こう。




キッチンに行くと、リューリがカウンター席に座ったまま僕を待っていた。


…男であれば、射精後ある程度性的な興奮は落ち着くことが出来る。


女の子はどうなんだろう?


ましてや僕はリューリに何かしたわけでもなく。


僕は今、例えリューリが生理ではなくても彼女に何かするつもりはない。


付き合ってすぐそういう行為に及ぶのはどうなんだろと考えてしまう。


だが、リューリはどうなんだろう?


そういうことを、望んでいるのだろうか?


「…ごめん。今コーヒー淹れるから。夕飯は冷製パスタでいいかな?ツナとトマトとポン酢からめて…」


僕は何もなかったように振る舞う。


「…引いてしまったかしら」


リューリがカウンター越しに言う。


先程より少し落ち着いたようだった。


「恋人にああいうことをされて、喜ばない男はいないよ」


「一般論はいいわ。あなたは?」


「…僕は驚いたけど。嫌じゃないよ」


「…私、ね。さっきも話したけど身体が熱くなって、そういうことしたくて堪らなくなるときがあるの」


「…うん」


僕はパスタを茹でながら話を聞く。


「…でも、そういう時にあの人を思い出したくない。…あなたのこと、考えたい」


「…うん」


「…いつか、私が、我慢出来なくなったら…抱いてくれるかしら?」


僕はツナ缶を開ける手を止め、リューリに向き合う。


「僕は…さ」


すぐにYesともNoとも言わない僕に、リューリが少し不安そうな顔をする。


「君とリョージさんがその、あれ、している夢を見てずっと嫉妬してた」


「…うん」


「たけど、ね。その、それだけじゃないんだ。見ていた夢は」


「何を、見たの?」


勘の良い彼女のことだ。


どういう夢を見たか、想像がついていると思う。


でも敢えて聞いてきたのは、僕の口からはっきり言わせたいのだ。


それを分かっている僕は、自分の恥ずかしい感情を曝け出す。


「僕と、リューリがその…してるところ」


「…聞こえないわ」


「見ていたんだ。君とあれしてる夢」


「…あれ、じゃ分からないわ」


「君、サディストだろう」


「聞かせて欲しいの。あなたの口から」


はぁ、とため息をつき僕は続ける。


「僕は、君と、セックスしている夢を見ていた」


リューリが自分の肩を抱きぶるる、と身体を震わせる。


…それが性的な興奮なのか、僕には分からない。


「…だから。その時は覚悟を決めるよ。というか、僕が君に抱かれるんじゃないかな?僕は。…優しくしてよね」


「なら、そしたら抱いてあげるわ。優しく、ね」


リューリの顔がほころぶ。


「また、気付けばあなたのペース。でも、ありがとう」


僕が意図的に会話の方向を変えている事を、彼女も気付いているのだろう。


これがいつも良いことではないが。


今は、これで良いと思える。


茹でたパスタを冷水で締め、ツナ缶、湯剥きしたトマトとポン酢、少量のおろしニンニクと混ぜる。


「はい、超簡単手抜き冷製パスタの出来上がり」


「ホッとしたら、お腹空いちゃったわ。頂きます」


「はい、どうぞ」


「美味しい」


「…誉められた料理じゃないけどね」


僕らはしばらく夢中でパスタを食べ続けた。


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