第五章 八月その38 ※R-15要素あり

僕は食器を洗っていた水を止める。


辺りはファンと扇風機の回る音だけが響く。


わずかにリューリが身じろぎし、衣擦れの音がする。


リューリの腕が、より強く僕の胸からお腹に掛けて抱き締める。


そして彼女は自分の胸を、腰を、足を、惜し気もなく僕に押し付ける。


いつものシャンプーや石鹸の香りに混じって彼女の身体の香りもする。


おそらく汗の香りだろうけど。


全く不快ではなかった。




僕はどうしたの、とは聞かない。


彼女は背中で小刻みに震えていたから。


恐らく泣いているのだろう。


こういう時に掛ける言葉が僕には分からない。


気の効いた事も言える自信はない。


ただひたすらに、僕の汗の臭いは大丈夫だろうか、と現実的な事ばかり考えてしまう。




この八月。様々な事があった。


リューリから聞いたリョージさんとの関係。僕の告白。リョージさんとの決別。ショーコさんへの謝罪。


今朝だって二人で不安で不安で仕方なかった。


果たして許してもらえるのだろうか、と。


それら全てが彼女の中で抑えきれずに、溢れ出したのだろう。


「僕…汗臭いだろう?着替えてこようか」


「…気にしないわ」


「着替えてもう一度正面からやり直すのは、どう?」


「…あなたの癖ね。そういう照れ隠し。本当、女の子に慣れてないんだから」


「…キスしたのも、抱き付かれたのも、好きになったのも。全部君が初めてだから」


言ってから失言だったと気付く。


彼女の“初めて”はキス以上のことも含めて、全てが僕ではない。


「…違うんだ。僕は今の君が好きだから。そのまま受け入れるから」


「私、そんなに脆くはないわ。後悔する時間があるなら、先の事を考えるわ」


ぎゅっ、とまた抱き締める腕に力がこもる。


「…それに、正面から抱き付いたらあなた照れて逃げるでしょう?」


きっと今彼女は背中から恐ろしく綺麗に、僕を睨んでるだろう。


「…そんなことは…」


ない、と言い掛けて反論出来なくなってしまう。


「…今の私の顔も見られたくないの」


「…怒ったときよりも泣いている方が綺麗だよ…いてててて」


容赦なく胸をつねられる。


「…またあなたのペースになっちゃう。違うのよ。お礼を言いたかったの」


鼻をすする音がする。


…きっと僕の背中は彼女の涙やらなにやらですごい事になってるのだろう、と冷静に考えてしまう。


「ありがとう。側にいてくれて。私の背中を押してくれて」


「…僕は…僕は、嫉妬しただけ。結局それだけなんだ。たまたま結果が良かっただけで。綺麗な感情じゃない」


「ううん。それでも」


またしばらく沈黙する。


「ねぇ、やっぱりこっち向きなさい」


「正面から?勘弁してくれないかな。そういう青春あおはるまっしぐらな事、僕が苦手だってわかるでしょ」


「森島わへい、回れ~右!!」


リューリが突然顔を上げて、叫ぶ。


やれやれと思いながらも彼女の方を向く、


瞬間、彼女が僕の首もとに顔を埋める。


そのまま顔をぐりぐりと僕の服に押し付ける。


「…顔拭いたでしょ」


「涙拭いただけよ。どうせあなたはハンカチも持ってないでしょう?」


「…今度から持ち歩く事にするよ」


「ねぇ…」


リューリが急に顔を上げてこちらを見る。


目が腫れぼったい。


彼女が言わんとする事が分かる。


キスしろ、という事ではなかろうか。


それを分かった上で僕は照れ臭くて敢えて何もしない。


「あなたから、キス、しなさい」


「…」


やっぱり。


やむを得ず、僕は彼女の顔に自分の顔を近付ける。


「まずは手を私の背中に回しなさい?」


ちょっと呆れたようにリューリが言う。


言われた通りに彼女を抱きすくめるように、両腕を彼女の背中に回そうとする。


「私の脇の下から手を回して。私、両腕を束縛されるのは嫌なの」


…注文が細かい。


が、彼女の指示に従い彼女の両脇から背中に腕を回す。


「…お尻に触ってもいいわよ?」


「…冗談」


「本気」


彼女のお尻の上辺りで手を組む。


ぐっと彼女の顔が近付く。


鼻先が触れ合う。


「先に目を閉じて。私、目を瞑った姿見られたくないの」


「…注文が多いね」


「…私は面倒だと言ったでしょう?慣れて頂戴」


僕は覚悟を決め、目を閉じる。


彼女の唇目掛け、勘で顔を近付ける。


…唇に柔らかな感触。


キスってどれくらいの時間していたらいいんだろう?


とりあえずこれできちんと出来たかな?


僕は例によって冷静にそんなことを心配する。


そろそろいいかな、と思い唇を離す。


そっと目を開ける。


彼女の潤んだ瞳がすぐ近くにあった。


「そろそろコーヒー淹れ…ん」


「もっと…ん」


僕とリューリの言葉が重なる。


彼女から僕の唇に吸い付いてきた。


鳥が餌をついばむように、何度も軽い口付けを交わす。


その内、僕の上唇、下唇を彼女が甘噛みする。


僕は、なんというか面食らって後ろによろける。


しかし、リューリの腕がしっかりと僕の首後で組まれ、僕を逃がさない。


そうこうしている内に彼女の顔がさらに押し付けられ、舌が僕の口内へ侵入する。


そのまま僕の舌に絡み付く。


リューリとこの前にしたキスが初めてだった僕は、どうしていいか分からず、ただただ、なすがままになる。


くちゅ、くちゅ、と湿った粘着質の音だけが、響く。


彼女の唾液が僕の口内に入り込み、自然と嚥下する。


…それに媚薬でも含まれているのだろうか?


僕の身体が熱く火照る。


僕は息をするのも忘れていたのだろう。


窒息寸前まで追い詰められる。


そういえば、柔道をやっていた友人が意識をなくす寸前は気持ち良いと言っていたことを思い出す。


その快楽を感じ始めた直後、計っていたようにリューリの舌が引き抜かれる。


…僕の舌を唇で挟み込みながら。


ぬめぬめと光った、ピンク色の舌が、透明な糸を作りながら離れて行く様は、とても卑猥で扇情的だった。


しばらく貪るように呼吸をする、僕。


お互いに息が上がっていた。


「はぁはぁ、出来ればもう少し、その、ソフトに…ん」


言い掛けた僕の唇が再度塞がれる。


今度は先程までと異なり、リューリの舌がまるで、そう、男性器のように僕の口内に打ち込まれる。


…キスってこういうものだっけ?


映画などで目にする恋人同志のキスとは異なり、これではまるで。


そう、まるで、舌が生殖器と化した性行為セックス


ただし、男女の立場が完全に交代しているが。


リューリの舌が情熱的に僕の口内を弄ぶ。


その都度、僕の頭の中のブレーカーがばちん、ばちん、と音を立ててショートしていく。


そして、僕の股間に血が集まっていく。


…マズイ…。


リューリに悟られないように腰を引くが、彼女の片腕が僕の腰に当てられぐぃと引き寄せられる。


彼女の腰と僕の腰が密着する。


瞬間。


僕は僕自身から体液を迸らせ、その場にへなへなと座り込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る