第五章 八月その33

リューリと付き合うことになり、それで僕が浮かれていたかというと、事はそう簡単ではなかった。


リューリとリョージさんの仲はまだ切れてはいない。


リューリと僕は考えた末、リューリからリョージさんに別れのメッセージを入れ、着信とメッセージを拒否状態にした。


僕がもしリョージさんの立場だったら。


かなり酷い行いだということは分かる。


でも父が言っていたように、非情になってでも、関係は終わらせなければならないと思ったのだ。


それで本当に相手が諦めてくれるか?


それは分からない。


でもどんな形であれ、リューリと僕とで前に進むと決めた。


一人では行動出来なくても、二人ならどちらかが背中を押してくれる。


僕はリューリの絡まった糸をなんとかほどいてあげたかった。


そして、僕達で解決出来ないことは大人の力を借りよう。




町内大会のミックスダブルスの初試合を初勝利で飾った日。


僕とリューリは試合を終えてカーリングホールを出る。


すると、受付脇に一人の男性の姿。


…リョージさんだった。


「リューリ」


「…来ていたの」


「話をしないか」


「ここではちょっと。外で」


二人で外に出ようとする。


「…リューリ」


思わず呼び止める、僕。


「大丈夫」


微笑む彼女。


僕はカーリング場の中から二人の様子を見ていた。


辺りはすっかり暗くなっていて、駐車場にある外灯だけが二人を照らしている。


リョージさんが何か一生懸命に話しているのが分かる。


それに対してリューリが首を振り、一言二言話す。


それを何度か繰り返した。


僕は気が気ではない。


突然。


リョージさんがリューリの腕を掴む。


そのまま彼の白いSUVの方に


連れて行こうとする。


僕の脳裏にいつかの場面がフラッシュバックする。


そして何度も夢に見てしまった二人の情事。


あの時は自分の気持ちも中途半端で。


彼女を止めることも腕を掴むことも出来なかった。


だけど今は。


今、また彼女の腕を掴み損ねたら僕はまた人生で最大級の後悔をする。


一瞬で僕はそんな事を考えたと思う。


考えたというよりは閃いたのだろう。


僕はカーリング場を飛び出した。


飛び出したはいいがどうする?


こういう場合殴り掛かるべきか?


相手は大人。


力で敵うか?


僕の手にはカーリングブラシがある。


いざとなったら…。


僕は足の筋肉が千切れるほどに走り、二人に追い付く。


リョージさんの腕にしがみつく。


が、振りほどかれて突き飛ばされる。


アスファルトの上で思い切り転ぶ。


「わへい!?」


リューリの声。


どこか擦りむいたかな?


しかし気にしない。


やりたくはなかったが。


僕はカーリングブラシを正眼に構える。


「大人毛ないですよ。あなたは」


カーリングブラシの切先からリョージさんを睨み付ける。


靴は両方とも脱ぎ捨て。靴下になる。


右足を前に。


左足は軽く曲げ爪先立ち。


左手は鶏卵を握るように柔らかに。小指のみ巻き付けて柔らかく握る。


右手は軽く添えるのみ。


カーリングブラシでも、竹刀でもこんなことしたくなかったけど。


「今なら止めます。その手を離して下さい」


自分でも声に怒気が混ざっているのが分かる。


リョージさんはリューリの手を離さない。


「警告は、しましたよ」


右足を前に。摺り足。


左足は右足に付き添うように後に続く。


リョージさんはまだ距離があると思っているのだろう。


だけどすでに僕の射程距離。


ふうっ。


小手こぉぉぉてぇぇぇぇっっ!!」


ひゅうんっ!ぱしんっ!!


さすがにしなやかに、とはいかないが、カーリングブラシの先は寸分違わずリョージさんの右手首に命中する。


リョージさんは痛みよりも音にびっくりしたのだろう。


リューリの手を放す。


「当てただけです。次は面を…頭を狙いますよ?それとも胴の代わりに太ももに当てましょうか?骨折はしませんが物凄い痛いですよ」


「わへい、いいわ。もう止めてあげて」


リューリが間に入る。


「リョージさん。もう終わりにしましょう。これ以上私の好きだったあなたをみっともなくさせないで」


リョージさんに背を向けてこちらに向かってくるリューリ。


その左肩をリョージさんが掴む。


リューリがリョージさんに振り向きながら、遠心力で右手を大きく振りかぶり。


ばっっちんっっっ!!


振り向き様にリューリがリョージさんの頬を張る。


駐車場に響き渡る程の音が響く。


恐らくさっきの僕の小手などとは比べ物にならないくらい痛かっただろう。


思わず僕も首をすくめる。


「リョージさん、ありがとうは言わないわ。楽しかった。でも、最後は最低サイテーだったわ。それに…」


つかつかつかとリューリが僕に近付く。


そのまま僕の頬を両手で挟み。


「……!?!?!?」


…キスされた。


「こういうことなの」


それを見て、リョージさんは大きく息を吐く。


静かに目を閉じて。


唇は噛み締めたまま。


…自分の内側から溢れる感情を押し殺しているのだろうか。


やがて。


「分かったよ」


一言発した。


そして車からカメラを取り出す。


「これを」


リューリに何かを放った。


『SDカード?』


「君が本気で別れを望むなら。渡すつもりだった。君の写真だ。パソコンには落としてない。妻にバレてしまうからね。そっちの彼にあげてくれ。さようなら。リューリ」


リョージさんは車で去っていった。


人に執着するとはこういうことなのだろう。


もし、もしも。


僕がこの先リューリに別れを告げられたら。


僕は、大人しく身を引くことが出来るだろうか?


リューリと二人になった夜の駐車場で僕はそんなことをぼんやり考えた。




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