第五章 八月その25

唐突に僕は以前から聞きたかった質問を彼女にぶつける。


「何故…」


「?」


「どうして、さ」


「…ん」


「どうして、僕に話したの?」


勘の良いリューリはこういう時、“なんのこと?”とは聞き返さない。


僕が彼女のことで一番気にしていること。


それはもう、一つだけで。






勘も、頭の回転も速い彼女は、僕が彼女に惹かれていることも気付いているのかもしれない。




全て見透かされているような気分になる。


そして、もしそうであれば。


僕が彼女に好意を向けた場合の“断り方”も用意されているはずだった。




「彼に抱かれたとき」




ずきり。




彼女の口からはっきりと事実を言われ、胸に亀裂が入ったような痛みを覚える。


例えるなら(もちろん経験はないが)、分厚い剣を真っ直ぐ胸に突き立てられたようだった。


「思い浮かんだのは、あなたの顔だった」


「……」


「わへいに怒られるかなって。相談にのってもらったのに、結局しちゃったなって…」


「…」


「わへい」


「うん?」


「愛情とセックスって同じ言葉?」


「…」


「セックスは愛情表現?快楽?命を繋ぐため?」


「…僕は経験がないから…」


分からない、と答えようとする。


でも、それではリューリの気持ちに答えられていない。


そんなありきたりの答えが、この場で役に立つのだろうか?


「僕が…経験のない僕が言うのも違うかもしれないけど」


「うん。聞いてみたい」


「人それぞれの考えがあるだろうけど、僕はある種の契約じゃないかなと思う」


「契約…」


「うん。雄が自分の雌だって、言うための」


「私はリョージさんの雌?」


ずきり。


「今は、ね」


「私は…ね。何か、満たされると思ってた。愛してる、と思っていたの。彼を何か得られると思ったの。でも」


リューリは僕から目を反らしガラスの向こうを見る。


「欲望をぶつけられた…それだけだった、と思う」


ズキリ、ズキリ。


「なんでこんなに罰が悪いんだろう?すごく悪いことしたみたい…」


ズキ、ズキ、ズキリ。


「何度か抱かれたけど、全部、同じだった」


ガラスにリューリの端整な顔が映っているのが見えた。


「君は…お父さんの代わりが欲しかっただけだよ。きっと」


もう、何を言われてもどんなに嫌われても良いと思った。


「…君は酷いファザーコンプレックスなんだ」


リューリがこちらを見て恐ろしい程に美しく、睨み付ける。


「図星、だろ?」


「…あなたに、何がわかるのよ?」


「分かるさ。分かるさ…ずっとずっと見ていたから」


「ずっと?」


「父さんに連れられて初めてこのカーリング場に来たときから」


そう、三月に父とここに来たとき。


あの美しいフォーム。


あれは、リューリだったと、今になって言える。


なら僕はその頃から。


「ずっと君に心奪われていた」


胸にどんどん見えない剣が食い込んでいく。


そのうち、焼けつくような痛みで本当に意識を失ってしまいそうだった。


胸を焦がす恋心?


違う。


気が狂いそうな程の、嫉妬。


そんなどす黒い感情が血液の代わりに胸から噴き出す。


「僕は…君が」


“それ”が出きったとき、僕に何が残るんだろう?


でも、その前に言わなければ。


言えば、言えば僕はこの痛みから解放されるだろうか?


分からなかった。


ただ、ただ、プログラムされた機械のように。


どんな状況だろうと言おうと決めていた。


いや、様々な人達が決めさせてくれた。


それを無駄にしたくない。その一心で。


「僕は…君が好きだ」


言い終えて一緒に肺の中の空気を全て吐き出す。


すると、自然と呼吸が再開された。


「でも、僕は自分の気持ちに気付くのが遅かった」


一呼吸置く。


「リューリは…君はとても頭が良いはずなのに」


また一呼吸、置く。


「自分の気持ちは、分からなかったんだね」


彼女の断りを聞く勇気も体力も僕にはすでになく。


僕はふらふらと立ち上り、リューリを残してその場を去った。




結局、僕は逃げ出してしまったのだ。

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