第5話「幸せは小さな事でも充分だ」

それにしても、よくも今まで死なずに生きて来れたものだ。そんな私の半生をこれからは記していく。


ところで「愛」とは何だろう?

「夢」とは何だろう?


人それぞれで理想像が違うから答えは分からないが、私はその両方を充分に満喫し、今を充分に幸せに過ごせているような気がする。


特に深いこと考えずとも収入と家族があれば、大体の人は幸せを感じることだろう。


年末ジャンボで億を当てることを夢見ながらあくせく働くのと、ひょっとしたら出世頭になれるかもなどと思って人や人生そのものを年末ジャンボみたいに賭けてみるのとでは一体何が違うのか?また、喜びを欲張らなければ小さなことでも大きな幸せに感じるのでは無かろうか。


果たして社会とは、幸せとはどこからが境界線なのだろうか。それが曖昧になってしまった今の私には答えが無いので分からないが、五体満足に外を歩けてクリスマスにケーキが食べれること、年越しに蕎麦を食べれて正月に餅が食べれること、三食が食べれて菓子も食べれて配偶者がいること、ただそれだけでも充分な社会参加に思えて、幸せなことだと感じてしまう。


令和元年師走の朝。妻に付き添われて退院し久しぶりに外に出てみると、今まで心身に染み付いていた欲望がシュンっと落ち着いた。


そんな今では酒と煙草でさえ贅沢品に思え、禁酒禁煙にも成功してる。


これからは、妻と共にミニマムな生活を送っていくことになる。まずは「幸せの定義」を模索することからのスタートになるだろう。


それにしても、病気の離脱状況のためか暫くボーっとする生活が続いている。


そんな最近の趣味は嫁の家で猫を撮ったり、


近所の猫だらけの離島に出かけるくらい。










それにしてもついつい考え過ぎる癖がある。喜びも、一体どこからが境界なのだろうか。


そして喜びの先に一体何があるのだろうか?


かつて私は忍者装束を着て海外を渡り歩き、多少の知名度を遺した。しかし、その当時夢追い人だった私は、一体何を夢見て何のためにあのような戯けたことをしたのだろうか?


自分というモノが分かる日まで、私は旅の終わりが訪れることを考えたことも無かった。




果たして「幸せ」とは一体何なのだろうか。


周りの同世代には、まだまだ夢を追い求めていたり、美人と結婚したがったりする者が少なからず存在する。かたや多くの人達は、社会のレールから置いてけぼりにされないために体と脳を酷使して働きまくる。中には自分と誰かを比べてみて自分の幸福度を再認識する人まで存在する。そうやって私達は、普通という定義を築いていこうとするのだろう。


だが、はっきり言って人それぞれの幸福度などどうでもいい。全ては他人事なのだから。


ただ、私事としては、私は確かに様々な価値観を経験し、豊かな青春を満喫し、美人と結婚し、何も不自由が無い。しかし正直に思うこととしては、私自身の幸福の答えは未だに見つからないのだ。


あれほど憧れた結婚生活でさえ、それが日常生活になってしまうとドキドキしなくなる。


あれだけ興奮し楽しかった旅ですら、過去の色褪せた出来事のように思えてくる。 


そう思うと、お金をたくさん持っていても持っていなかったとしても、日々慣れていく日常生活にハリが感じられなくなり、何のための人生で余暇や趣味なのかがたまにわけ分からなくなる。かと言って不満があるわけでもないのだけど、ついつい考え過ぎてしまう。


アンパンマンの歌のように意味ばかり考えて生きていると、自分や家族や友達ですら何者なのかが分からなくなる。極論で言うのなら激しい修行を何年も積むお坊さんだったり、山奥でポツンと一軒家に暮らす人達も同じ人間なのかと思うと、人生とは何なのだろうかと不思議に思う。もっと言えばこの社会自体何なのだろうか?


例えば結婚を社会一般的な幸せだと定義したとしても、子育てが凄く大変なことで莫大なお金がかかるということは言わずもがな、その前段階であるハネムーンにしても、世の中には一緒に世界を一周した末に別れる夫婦さえ存在する(もちろん大多数の人達は世界一周旅行すること自体が出来ない)。たとえ豪華に式を挙げてハワイへ新婚旅行したとしても、別れる人はやっぱり別れてしまうのだろう。


詳しいことはよく分からないが、ドーパミンから来る刺激というのは一旦味を占めてしまうと薬物みたいになってしまいそうだ。もっともっとと求め続けてしまうと際限が無くなってしまいそうだし、私の場合は海外放浪がドラッグのようにキマり過ぎたのだ。


ただ、生きていく上では確かに金も娯楽も大切だろう。しかし、海外で見てきた外国人旅行者達が金と感情を貪るように生き、欲の限りを尽くしている有様を思い出した際、私は人間の底知れない快楽への渇望の不気味さを強く感じてしまう。恐らく、行き過ぎた快楽が幸せと錯覚した地獄への道標なのだろう。




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最初の入院の際の病気は、「寛解」という状態に至って落ち着いたかのように思われた。


ところが、ここから一念発起して皆んなでチームを作っていこうとした結果、突如として再発した。


その時の心境と来たら凄まじいもので、今まで自信を持てなかったことに急に自信を持ち出したり、途端に直感を信じだしたり、思い込みだけで恐怖に陥ったり、不思議と何かを閃いたりする始末。  




元々が自衛官だったこともあって、根が生真面目だった性格が災いした。一日中寝ないで過ごして食事も取らなくなり、自分がCIAやタリバン、暴力団に狙われるなどの謎の妄想を抱くようになった結果、とうとう2回目の入院を迎えることとなった。

 

それぞれの野望に満ち溢れた半年の行く末と、謎の事務所は一体どうなっていくのか?






今思うこと。幸せは、心に余裕が出来てから安心した時にある。 


元を辿れば物語は、R君のハワイ攻略計画案を基にしてスタートしたものだった。


R君は、アパート数個の家賃収入と高級スナック経営で生計を立てている母親を持つ御曹司で、おじさんが芸能事務所社長をやっている超大物だった。


最初の入院の後に再会した際、全身数百万円はするであろうブランド尽くしの姿で登場したR君は、固定資産税が数百万円もかかる超大豪邸に僕達夫婦を案内してくれた。


R君は、パニック障害とてんかんを抱えながらも頭の良さを生かして収入を得ており、得意の数学スキルと直観能力を駆使してFXや株で大金を荒稼ぎする、そんな若者。


最初の入院時、ハワイで不動産を展開すると高らかに宣言したR君の顔は自信に満ち溢れ、寛解中だった私には日本一の大物に映った。


そして退院後、様々な野望を抱く者達が集まり、そんなこんなで始まったのが、R君計画。


令和の幕開けと共にスタートしたこの作戦がために日本中・世界中の高学歴集団が集まった結果、事態は深い泥沼に陥ることとなる。



その過程に於いて、R君以上の最重要人物が存在した。その人物こそが、プロのハッカーと呼ばれるXである。


Xの計画がハワイ攻略だったのかどうなのかは今のところ分からない。



ただしXは、恐らくはR君と同様かそれ以上に株式投資・FXのプロだったと思われる。


そして、登場人物Sを含めてその他の登場人物も株式に拘った結果、ついに集団幻覚現象が発症した。


謎の事務所を残し、プレイヤーがそれぞれバラバラになったままのこの物語の行く末は、果たしてどうなるのだろうか?




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結局のところ、どれだけ大恋愛しようと、どれだけ大冒険しようと、どれだけ美味しい物を食べようと、慣れてしまえば全てにおいて事足りる。


理想像が大きければ大きいほど、達成後の消滅も劇的に早い。これを「慣れ」の一言で片付けるのなら、人と言う生き物の人生自体が壮大な暇つぶしかもしれないなとふと思う。


では、どうせ死ぬ身の一踊りなら、

暇つぶしの回想録に昔話を上げてみる。


When I was young

I'd listen to the radio

Waitin' for my favorite songs

When they played I'd sing along

It made me smile.


幼かった頃、

ラジオを聞いていた

大好きな曲を待ちながら

その曲が流れたら、一緒に歌って、

笑っていたの


Those were such happy times

And not so long ago

How I wondered where they'd gone

But they're back again

Just like a long lost friend

All the songs I loved so well.


とても幸せなときだった

遠い昔じゃないけど

どこに行ってしまったんだろうと思う

でも戻ってきた

古くからの友人のように

私の大好きな歌が


Every Sha-la-la-la

Every Wo-o-wo-o

Still shines

Every shing-a-ling-a-ling

That they're startin' to sing's

So fine.


どの「シャラララ」も

どの「ウォウウォウ」も

今も輝いてる

いつもの「シングアリング」も

歌い始めると

とても良いの


When they get to the part

Where he's breakin' her heart

It can really make me cry

Just like before

It's yesterday once more.


曲が流れて

彼が彼女に別れを告げるところになると

泣いてしまうの

昔と全く同じように

昨日をもう一度


Lookin' back on how it was

In years gone by

And the good times that I had

Makes today seem rather sad

So much has changed.


昔を振り返ったら

月日は流れていって

過去の楽しかった日々は

よりいっそう今の私を悲しくさせる

たくさんのことが変わっていってしまった


It was songs of love that

I would sing to then

And I'd memorize each word

Those old melodies

Still sound so good to me

As they melt the years away.


ラブソングだった

あのとき歌っていたのは

いまでもどの歌詞のフレーズも覚えてる

なつかしいメロディーは

今でも私に優しく響いて

過ぎ去った時間を溶かしていくの


Every Sha-la-la-la

Every Wo-o-wo-o

Still shines

Every shing-a-ling-a-ling

That they're startin' to sing's

So fine.


どの「シャラララ」も

どの「ウォウウォウ」も

今も輝いてる

いつもの「シングアリング」も

歌い始めると

とても良いの


All my best memories

Come back clearly to me

Some can even make me cry.

Just like before

It's yesterday once more.


全ての思い出たちが

はっきりと今私によみがえってくる

今でも私は泣いてしまうこともある

昔と全く同じように

昨日をもう一度


yesterday once moreを聴いてみる度に、そう遠い過去でも無いあの頃の日々を思い出す。


思い返せば幼少期の私は、虚弱ないじめられっ子だった。人と群れるより1人でいることを好み、空と雲を眺めながらカーペンターズを口ずさむような少年だった。


それとは対照的にヘビメタルを好み、小さい頃に男勝りでお天端だった嫁は、ハロプロ全盛期の1990年代後半当時、青春真っ盛りを謳歌していた。ただ、そんな嫁もカーペンターズを口ずさみ、空と雲を眺めて過ごしていた時もある。


私が生まれたのがバブル崩壊直後だったので、嫁との歳の差は決して小さくは無い。嫁が小中学生の頃、日本経済は空前絶後の景気絶頂期だった。


ちょうどそんな頃、私の両親は結婚し、まず兄が誕生した。そして、嫁宅もバブル経済の恩恵を受けた絶頂期。日本中の家庭に贅沢が溢れていた。


90年代後半生まれの親友R君はこの時代を好み、尚もバブルを体現してみようと夢を追い求めている。


R君は、バブル絶頂期に大当たりした資産家の御曹子として生まれた。そして私の父親は、その時より大手企業勤めで、嫁方の父親に至っても建設関係の仕事で成功を収めていた。


ただ、そんな大フィーバーも長いこと続いたわけでもなく、親友は幼少期に父親と離別。嫁は、小学生時代に父親と死別。失われた20年と呼ばれる平成時代を過ごした私達の過去が幸せだったかどうかは誰にも分からない。


それぞれ生まれた家も環境も違い過ぎるこの3人が交差したのも不思議な縁で、互いの元を辿れば互いの先祖の逸話も飛び抜けていた。


中国大陸の戦場から引き揚げ、のちに大手コンクリート会社の重役になった元日本兵の祖父と、荒波の日本海でイカを大量に取っていた祖父、父方と母方の濃い血を受け継いだ私はどこか荒っぽかったり破天荒だったりして、周囲からは謎の人物として扱われてきた。


しかし、私の方から見て謎の人物は、有名な芸術家になった実の兄である。比較的インドアだった弟とは対照的に、どこかアウトドアでおしゃべり気質だった兄とは雰囲気が共通していると、昔からよく言われてきた。その一方、自我を強く意識し、内に引き籠る弟の形質も兼ねた僕は、中途半端な存在となる。


R君宅も同様だったのか、内に引き籠る弟は自宅でギターを掻き鳴らし、社交的なR君とは別の側面を持っている。R君は、祖父が神風特攻隊に志願して戦死し、祖母の代より戦後復興に携わる名家の出自で、R君は祖母の代からバブル期にかけての歌謡曲を強く愛している。


嫁宅は、義母側の家系が旧満州で技術者をしていたため、義母は中国生まれである。さぞかし命からがら日本に帰国したことだろう。


それから成人した義母は、皇室に日本茶を献上する名家の旦那と結婚し、一代で登り詰めていった。そんな昭和から平成にかけてのバトンを渡された私達は、ビッグバンのような大爆発を起こして令和を迎えることになる。


このように特殊な家庭環境で育った私達3人はどこかで気が合って、今に至る。それはまるで、ジグソーパズルをくっ付けたかのような不思議な縁で、互いの境遇が全く違う私達はある日突然、磁石のように引き寄せられた。


再度強調するが、私達3人の境遇は全くバラバラであるが故に、その幸福度や家庭環境の充実度も全く異なる。人様々だからこそ誰もがそうであるように、ある時はあるだろうし、無かった時は無かったりもしただろう。


ただし、それが何を意味するかはあえて書かない。人間と言うのは不思議なもので、足りているように見えても足りていないように感じたり、足りているにも関わらず足りていないように感じてしまうもので、私達3人は何かを引き寄せ合う引力のように引き寄せられた。そして、それぞれが平等に朝を迎える。

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放浪忍者のミステリアスライフ 放浪忍者 @watawata0925

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