夏の匂い

甘夏スムージーmix at蒸し暑い電車内

 プシュー、と列車のドアが開き、降りる人がひとしきり降りたのを見てからそこへ乗り込む。


 駅員さんの少し癖のある声の注意喚起に従い、気持ち出入り口から少し離れる。


 「お、上原っち。」


 と、少し離れたところから聞きなれた声がした。


 人混みの中から頭一つ分飛び出た金髪が覗いている。


 2、3歩の距離だったのでスイマセン、と周りに聞こえるか聞こえないかの声で言いながらそこへと一歩ずつ近づいていった。


 「おはよう、渡辺さん。」


 「はよー。」


 「おはようございます、先輩。」


 「おはよう、佐久間さん。」


 見ると佐久間さんも一緒に居たようで、渡辺さんの奥からひょこ、と顔を見せた。


 「今日なんかさー、あっつくない?」


 ゴトンゴトン、と揺れる電車の中で、渡辺さんが襟元を緩める。


 「そうッスね。昨日は涼しいくらいだった筈ですよね。」


 そう言って佐久間さんは、つり革を掴んだままもう片方の手で鞄の口を開き、その中からスマホを取り出して何やら操作をしている。


 「うわっ、今日東京は30度あるみたいッス。」


 「うは、マジ?道理で暑いわけだし・・・・・・。」


 渡辺さんが長い溜息を吐き、制服のポケットから青と白のボーダーのハンカチを取り出し、額と首筋をゴシゴシと拭いた。


 「しかも、今日は夜まで気温下がんないみたいッスよ。」


 佐久間さんのその声にグイ、と佐久間さんの方に体を寄せ、彼女の手に持っているスマホを覗き込む。

 

 それをみた渡辺さんは、

 

 「マジじゃん。きっつ・・・・・・。」


 と、再び溜息を付いた。


 確かに昨日は暑い、なんて感じてはなかったから今日の気温は驚いてしまった。

 今日みたいな日はどんな靴下か、どんな靴か、普段よりも風通しのいい下着にしようか、とか色々と迷うから困ってしまう。

  

 いつもの列車内のこの人混みも、普段よりもむわん、とむせて額から汗が絞り出されていく。

 

 窓から外の景色を見ると、スーツを片腕に抱えて半袖のシャツの人が歩いていた。


 いいなぁ、涼しそう。


 もうそろそろ夏かぁ。


 

 ピロピロピロリン


 「それじゃあ、今日は私の番です・・・・・・ッスね。」


 佐久間さんがカゴを一つ手に取り、取っ手を手で掴んだ。


 「ん、ゴチになるねー。」


 「ありがとう。」


 彼女が内側にカールのかかった髪をふるふると揺らしながら、コツコツとゆっくり歩いていく。

 

 「にしても今日は本当に暑かったし・・・・・・。」


 ふぅ、と息を吐きながら渡辺さんが首筋を掻いている。

 その頬はいくらか赤く染まっていた。


 彼女の長い髪も今日は普段より元気がなさげで、サラサラとした質感は普段よりも無い。

  

 「うん、暑かったね。」


 「しかもさ、今日一限目から数学だったじゃん!ホントキツかったし・・・・・・。」


 「う、うん。そうだね。」


 渡辺さん、寝ていたけれどね。


 キツい、って寝るには、という意味かな。


 「私も今日は苦手な科目の日だったんで、その時はいつもより時間が長く感じました・・・・・・。」


 「ねー、今日に限って何なんだろうね、ホント。」


 佐久間さんと渡辺さんが、まるで打ち合わせでもしたかのようなタイミングで溜息をついた。


 やがて、佐久間さんの歩みが止まる。


 そこはひんやりとした冷蔵の商品棚で、そこからの風で体に溜まった熱が解けていって気持ちいい。


 「ん・・・・・・っと。」


 彼女が一番上段から指で一つ一つを指指していき小さく頷くと、そこにあるものを手に取った。


 「これ、どうでしょうッスか?」


 その手にはスムージーが握られていた。

 パッケージに描かれている断面のオレンジが眩しい。

 季節限定、という言葉が書かれている。


 スムージーかぁ。


 確か、アメリカが発祥で今から100年前・・・・・・1920年くらいに広まり始めたんだっけ。

 電化製品が広まり始めて、そこからジューサーやミキサーが広く広まった時期に、ミキサーを売るべく店頭販売でスムージーを作ったら主婦の人の心を掴んでそこから広まっていったのだとか。

 ちなみに、当時は甘くして飲むのが一般的で、健康食品というよりはシェイクみたいな感覚で好かれていたらしい。


 今のヘルシーなイメージになったのは、2000年に入ってからアメリカの主婦の人が葉野菜とかを沢山使ったグリーンスムージーを考えて、野菜不足を補って健康や美容なんかに役立つとヘルシーなイメージが広がっていったんだとか。


 「お、なんか涼しくなりそうだし。いいじゃんいいじゃん。」


 渡辺さんが棚から同じのを一つ取り、カゴに入れる。


 「うん、私もこれ飲んでみたいな。」


 と、私も同じようにそれを取り、カゴに入れた。


 「それじゃあ、レジいってきますッス。」


 そのまま彼女はレジの方へと歩いて行った。


 

 「「「いただきます。」」」


 ひんやりと冷たいそれを手に持ち、蓋に手を掛ける。


 紙パックなのにストローではなく、ペットボトルの様なキャップで蓋がしてあることに変な違和感があるかも。


 カシュカシュとそれを回し、開封する。


 あっ、良く振ってからお飲みください、って書いてある・・・・・・。


 危ない危ない。


 これストロータイプだったら大惨事になっていたかも。


 蓋を閉めて何度か振った後に再び蓋を開けた。


 ん、柑橘系の酸っぱい香りがする。


 見た目も眩しい黄色で、舌がレモンの味と錯覚したのか、じゅわっと唾液が出てきた。


 よし、いこうかな。


 「んく・・・・・・。」


 お、とろみ。

 噛めないのがもどかしく感じるくらいにトロトロとしている。

 

 酸っぱい風味が口に広がって、さっきまで冷たいところに置かれていたおかげもあってかひんやりとした口当たりとその酸っぱさが、ベタついた体に心地いい。


 果肉の様な粒のが無いのか心配になり、そのとろみのなかに舌を泳がせてみるけれどそれっぽいものはなかった。

 

 「ん・・・・・・。」


 飲み込むと、喉を通るときにさらにひんやりと体が冷えていき、内側から涼しさが広がっていく。

 鼻から抜ける酸味がかった息がさっきまでの暑さを遠くに遠ざけて、まだ舌に残る酸っぱさがもっと、と私の手を動かした。


 「んく・・・・・・。」


 よく味わってみると、酸っぱさの他にも小さく複雑が味があるような気がする。

 ほんのり・・・・・・これは苦い、のかな?


 少しずつ飲みながら、唾液で薄めていってみようかな。

  

 んー・・・・・・よく分からないかも。

 

 でもちょっと、鼻から抜ける香りが豊かになったかも・・・・・・しれない。


 美味しい。


 でも、この飲み方もいいけれど、一思いに冷たいまま飲むのがやっぱり一番いいかも。


 「んー、スッキリするし。」


 「そうッスね。酸っぱさが体が欲しがってたというか・・・・・・。」


 「だねー。あ、そういえば明日はまた気温下がるみたいだし。」


 「そうなんッスね。助かったッス・・・・・・。」


 「だねー、7月までは暑い日は来ないで欲しいし。」


 手に持つ紙パックから最後の一口であることを予想し、随分と軽くなったそれを傾け、最後の一口を味わう。


 スゥ、と口の中に広がっていく爽やかさをゴクン、と飲み込んだ。


 「「「ごちそうさま。」」」


 その時、いつもの列車のアナウンスが鳴った。


 「それじゃあ帰りましょう、先輩方。」

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