ひとくち胡麻せんべい at彼女の趣味2
「上原っち、今暇?」
食堂で買ったコッペパンと牛乳を胃に流し込み、残りの昼休みを特に何をするでもなくそのまま席に座っている所に渡辺さんが歩いてきた。
その手にはイヤホンの刺さったスマホを握っている。
「暇だけど、どうしたの?」
私がそう言うと、そのイヤホンの片方を私に差し出してきた。
タッタッと画面をタップする音がし、それを私にも見えるようにしてくる。
「ほら、この間あたしが言っていたやつってコレなんだけど・・・・・・。」
見るとそこには動画サイトが開かれており、ある動画が再生待ちの状態だった。
この間のって・・・・・・。
そのタイトルを見ると「耳音でせんべいを頬張る音」と表示されている。
と、その下についているハッシュタグにASMRとあった。
「あぁ、ASMR?」
そそ、と指で画面の再生ボタンをタップする。
動画では鼻から下の顔に黒いニットを着た女性が写っている。
口元にほくろが付いている。
『いつも閲覧ありがとうございます。』
その配信者の人が囁くようにそう言うと、傍に置いてあったのかな?パッケージに入ったままのせんべいを取り出した。
そのままの状態でその人が袋を振ると、イヤホンからカシュカシュと大きな音がした。
うわっ、と思わずイヤホンを耳から離す。
「こっからマジでスゴいから。耳にクるよ。」
そう口にすると、彼女は目を閉じて頬に手を添えた。
耳に意識を集中させているのかな。
クる・・・・・・のかぁ。
イヤホンを嵌めなおし画面を見る。
袋からせんべいを取り出し、その人がこちらにそれを表と裏とをくるくると回して見せてくる。
焦らす様にゆっくりとそれが口へ近づいていき、唇に挟まれる。そして
パリンッ
サクサクという咀嚼音が耳に響いてくる。
「あっ・・・・・・。」
妙に熱っぽい声が聞こえその声の方向を見ると、渡辺さんの口が半開きになっておりその肩が震えている。
「ンンッ・・・・・・。」
動画の人が二口目を口に頬張ったタイミングで再び彼女が悶える。
絶頂って、こういうことなのかな・・・・・・。
わ、私には分からないかもしれないなこの魅力。
テロテロテロリン。
「それじゃあ、今日は私の番だね。」
ゴチになるね、といつもの調子で私に笑いかけてくる。
この間はせんべいを食べたから今日は別の物というのもいいのかもしれない。
またチーズ系もいいし、肉っぽいのでもいいし、新ジャンルの菓子パンもいいなぁ・・・・・・。
ふと、今日見せられたあの動画を思い出す。
音はよくわからなかったけれども、美味しそうに食べていたなぁ。
そんな事を頭に浮かべているといつの間にかお菓子コーナー、しかもせんべいのところに足を運んでいた。
「影響されちゃった?」
渡辺さんが両耳を両手でヘッドホンみたいに押さえる。
私に場合は耳というより目で影響されたんだけどもね。
彼女に軽く頷くとそっかそっか、と嬉しそうに頷き陳列されているものを眺めている。
さて、何にしよう。
この間はエビだったからそれ以外の物にしようか。
げんこつ揚げや歌舞伎揚げもあるけれど、できればせんべいの形のを頬張りたい。
イカせんべいかぁ・・・・・・。エビではないけれど、海鮮からの海鮮はなんか違うかも。
シンプルなうす焼きに醤油に味噌せんべい、それらも捨てがたい・・・・・・けど、こうして悩んでしまうとちょっとシンプルな味付けは勿体なく思ってしまう。わがままになってしまう。
「おっ。」
ふと目と舌に留まり、それを手に取る。
「シブいねー上原っち。」
胡麻せんべい。
そして黒コショウが使われているらしく、香ばしいとパッケージに書いてある。
程よくわがままでどこか上品。
何より薄茶色に色づいてたせんべいとそれに付いている黒ゴマとがとても美味しそうに思えた。
これにするの?という問いに頷き、そのままレジへと持っていった。
OPENと黒い字で書いてあった切込みをピッと横へ一思いに切り取る。
その開け口に鼻を近づけて香りを嗅いでみる。
「わぁ・・・・・・。」
ゴマのいい香りがする。
そしてこれは・・・・・・醤油の匂い?
このせんべいの色って醤油の色だったんだ。
「そういえばさ、それって何枚入りだっけ?」
その言葉にハッとする。
裏面の内容量の欄を見てみると書いてあった。
「66・・・・・・グラムだって。」
グラムかー、と彼女がその頭を掻き苦笑いを浮かべる。
ビーフジャーキーの時をふと思いだし、その仕草に釣られて自身の頭を掻く。
「んま、何とかなるっしょ!」
と言うなり、彼女は開け口から一つせんべいを取り出す。
人差し指と中指、そして親指で摘まみ唇で挟む。
パリン、と挟まったそれが割れ、彼女の口がモグモグと動く。
その度に小さくサクサクと音が鳴っている。
私も同じように一つ取り出し、まず唇で挟んでみる。
この間のせんべいよりも厚く、デコボコとしていた。
そして唇とその下の歯、持った手に力を入れる。
バリッと割れ、それが口の中に滑って来て舌へとストンと乗っかる。
そして噛む。
醤油の味が舌に染みてくる。
じわっと舌の真ん中から端っこまでじん、という熱と共にゆっくりと醤油色に染められていく。
鼻からはゴマの繊細な風味が抜けてどことなくさわやかな気分になってくる。
そしてなんといっても厚さ。
とても噛み応えがある。
ボコッとなっているところを思いっきり奥歯で噛んでみるとそこの奥歯だけでなく、頬の筋肉と目の奥にも振動が伝わってピクピクと痙攣しそうになる。
次の一枚を取って口にそのまま入れる。
今度は敢えて噛まずに舌の上でしばらく泳がせてみる。
じわりじわりと醤油が舌の上を滑っていき、シュワシュワと舌の上でせんべいが溶けていく感覚。
そうして醤油の染みたであろう唾をゴクンと飲み込む。
ただ噛んで飲み込んだ時よりもより濃厚に醤油の味がした。
そして口の中でふやけたそれを噛み締める。
せんべいらしいパリパリとした食感は損なわれふにゃふにゃと柔らかくなってしまっていたが、代わりに醤油の風味が抜けた事により、ゴマの風味が増して口の中を駆け巡る。
ゴマ醤油、美味しい・・・・・・。
「お、残り一枚じゃん。」
ほら上原っち、と彼女の手がそれを摘まみ、私の口の前へと持ってくる。
「え、でも・・・・・・。」
言葉を続けようとしたこの唇にそれを強引に挟まれる。
「いいしいいしー、食べちゃいなよー。」
彼女がそう言い八重歯を見せてくる。
ここから戻すのも行儀が悪いと感じたので、そのまま流される形で唇を動かしてせんべいを口の中に取りこみ、特にじっくりと味わって何度も何度も咀嚼し、名残惜しいけれどもペースト状になったそれを喉を鳴らして飲み込む。
「「ごちそうさま。」」
その時、いつもの列車が来た。
「それじゃあ帰ろう、渡辺さん。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます