第31話 疑心暗鬼

 五十嵐愛はライブでほとんどの曲でセンターポジションを務めた。それは同時にグループの顔であることを意味した。いつしかファンの間で定着したニックネーム『イガラブ』は本人もお気に入りで、ステージ上では「イガラブこと五十嵐愛です」と挨拶し、ファンは「イガラブー!」の合唱で応えた。


 五十嵐には『ガチ恋』と呼ばれる、「本気で恋愛感情を抱くファン」も多かった。握手会で「結婚しよう」と真顔で求婚するファンまでいた。そんな時は「アイドルだからできません」と笑顔でいなし、「彼氏いるの?」と訊かれれば「いま目の前にいるかもね」と囁いた。こういったアイドル力を試される場面での上手な受け返しは一層ファンを惹き付け、イベント後には[またイガラブにやられた][これ以上好きにさせないでくれ]と嘆きにも似たツイートがなされた。


 ただしガチ恋は熱心な分、裏切られた時は牙を剥く。


[これ五十嵐愛だろ?アイドルがなにやってんだよ]


 制服姿の男女がキスしているプリクラ画像がツイートされた。顔ははっきり確認できないが、女の方には『あい』と記名されている。「証拠」として添付されていたのは五十嵐の在学校とする制服カタログのような画像で、2つの制服のデザインは一致していた。ツイートしたのは、開設間もない宮田朱里推しのアカウントだった。


 顔が確認できず、まだファンも多くない現状では、炎上にまで発展する気配はなかったが、公式のツイッターには[あれは本人ですか][事務所からコメント出してください]というリプライがよせられ、ネット掲示板には口汚く罵る書き込みが並んだ。


[ブログ止めたのも男と遊ぶ時間ほしさかよ]

[男ができて売れないアイドルやってるよりセックスの方が楽しくなったんだろ]

[クソビッチが。アイドルやめちまえ]

[これで夢は武道館とか笑わせんな]

[さっさと脱退しろ]


 更新が止まったままのブログにも、最後の記事に同じようなコメントが寄せられた。承認しないから反映されないが、受信する五十嵐の目にははっきり映っていた。


 アイドルグループのファンは、全メンバーを応援しているとは限らない。メンバー間であるように、ファンにも好悪がある。好みじゃない、握手の対応が悪い、遊んでそう、なども理由の一つだが、推しメンの歌唱フォーメーションの序列が下がった、少しでもいいポジションに押し上げたい、など様々な思惑が働き、ファンであってもメンバーの足を引っ張ろうとする様子がみられる。ネガティブな話題ではガセと分かった上で誹謗中傷に利用することもあり得た。


 安易な反応は油を注ぐことになるし、五十嵐の在学校を特定することにもなるから、事務所サイドはひとまず静観した。翌日別のファンにより、当該プリクラは同じ学校に通う、同名の別人だと判明し炎上に至らずに鎮火した。


 しかし恋愛スキャンダルは、現役高校生でもある五十嵐にとって、ただのガセ、と割り切れるものではなかった。レッスン場に入室するなり、憤りを露にした。

「マジなんなのアレ。今までやって来たことが台無しにされた気分なんだけど。ふざけんなって」

 手にしていたタオルを床に投げつけた。力の加減が見られたものの、普段は冷静な五十嵐だけに、ストレスのほどが伺えた。


「ウソだってはっきりしたから大丈夫だよ。ファンも分かってくれてるって」

 小田がタオルを拾い上げ、五十嵐の手に握らせた。


「こういうことする子じゃないってみんな知ってるよ」

 中村はそっと肩に手を添えた。


「気にせんでええって」


「こんなの信じるの本当のファンじゃないから」


「センターの宿命みたいなもんじゃない?」


 メンバーは口々に声をかけた。


「でも、信じる人も絶対いるよね。別人って方が嘘だって」

 鏡の中に、自分で見ても覇気のない自分が写っていた。

 嘘だと知っても、ひと時であっても、芽生えた疑心の根は残る。意識しないよう意識して、ファンの見る目は容易く元には戻らないだろう。


「こういうのホント止めてほしい。なんかもう・・・」

 五十嵐はタオルで顔を覆ったきりしばらく動けなかった。


 レッスンにも身が入らなかった。CDデビューを目指す大事な時期なのに、一生懸命頑張っても、見えないところで足を引っ張る人がいる。水差しにこっそり穴を開けられるような。自分のことなのに自分ではどうにも出来ない理不尽さとファンが離れてしまう不安。五十嵐の胸の奥で、振り子が大きく揺れていた。止めようと手を伸ばしても掌で跳ねて不規則に揺らぐだけだ。

 子供の頃から思い描いてきた夢がすぐ側まで来ているのに、運命を司る手配師から不合格の烙印を押された気分だった。



 ホシトソラのファンは『星空組』と呼ばれる。アイドルに限らず多くのタレントやアーティストのファンには愛称がついている。ファンクラブの会員、といった明確な定義はないことが多く、自然発生的なもの、メンバーがつけたものなど多岐に渡る。星空組は、小田奈津美が名付けたもので、SNSのプロフィール欄に『星空組』と書いたり、ユーザーネームを因んだものにしたりすることがファンのアイデンティティになっていた。


「ファン第1号になってください」

 初ステージのフレッシュアイドルフェスでの五十嵐愛の呼び掛けに真っ先に応えたのが『ゴスカル』だった。アイドルオタク歴30年を超える彼は一推しのグループが解散したばかりで、フレッシュアイドルフェスで見かけたホシトソラに反応し、握手会の先頭に並んだ。ホシトソラの初めての握手の相手がゴスカルだったわけだ。彼のツイッターのプロフィールには[自称ホシトソラヲタ第1号・五十嵐愛推し]と明記されていた。


 遠方のイベントにも駆けつけて声援を送り、星空組からも一目おかれる彼は五十嵐愛に限らずメンバーのブログが更新されればコメントを付け、メンバーからも「ゴスカルさん」と呼ばれ親しまれていた。ホシトソラでは初めてとなる五十嵐愛の生誕祭で、生誕委員を務めたのも彼だった。


『生誕祭』とはイベントやライブで行われるアイドルの誕生日祝いで、多くはファンの提案に運営が許可を与える形で行われる。取り仕切る『生誕委員』と呼ばれる有志のファンにとっては年に一度の見せ場で、他メンバーの生誕委員に負けないよう、準備段階から気合いが入る。ゴスカルも、五十嵐の生誕祭のために2ヶ月も前から手配した。


 五十嵐のイラストが入った名刺大のメッセージカード、通称『メセカ』を制作し、イベント会場でファンにバースデーメッセージを書いてもらう。これをアルバムにファイリングして本人へのプレゼントとする。愛に因み、ハートを象ったピンクのバースデーケーキを特注する。『五十嵐愛さんお誕生日おめでとうございます ファン一同より』の立て札のついた祝い花を発注してイベント会場に飾り付ける。当日は来場者にサイリウムを配布し、指定の楽曲で一斉に点灯させるよう依頼してライブを盛り上げる。

 結成間もなく、ファン同士のつながりもまだ希薄だった当時、自腹で手配し、事務所と段取りをつけたのがゴスカルだった。


 そのゴスカルが夏のイベントシーズン本番を前に[私からのお知らせ]と題するツイートをした。添付された、スマートフォンのメモのスクリーンショット画像に心境が綴られていた。


[私ゴスカルはデビューイベント、フレッシュアイドルフェス以来ホシトソラを応援してきましたが、一旦距離をおくことにしました。私は某メンバーから武道館の夢を聞かされ、実現のため応援を続けてきました。いかなる協力も惜しまない覚悟でしたが、彼女は夢に向かって毎日続けていたブログの更新を止めてしまいました。彼女の決意はその程度のものだったのかと、私の誠意が踏みにじられた気がしました。私はこれを武道館断念の宣言と理解しました。そこへきて良からぬ噂が流れてきました。本当か嘘かは問題ではありません。簡単に夢を諦めてしまった報いだと思うのです。モチベーションの低下により、しばらくホシトソラから距離をおきます。復帰の予定はありませんが、可能性は残していますので、いつかまた会ったときは宜しくお願いします。]


 名指しこそしていないが、五十嵐愛に向けたものなのはファンの目には明らかだった。プロフィール欄の『自称ホシトソラのファン第一号・五十嵐愛推し』の文言は削除され、撮影会で写したツーショットだったアイコンも変更されていた。


―報いって何?嘘を流された被害者なのに。夢を諦めたって何で勝手に決めるの?こんな好き勝手に言われて、モチベーションが低下するのはこっちだから。なんなのマジで―


 五十嵐は悔しくて、悲しくて、やりきれない思いで、溢れた涙がスマートフォンの画面を伝って、零れ落ちた。


 他のファンからも反応があった。勝手なこと言うな、本人の気持ち考えろ、辛い時に支えるのがファンだろ、と五十嵐をフォローするものもあったが、ゴスカルの言う通り、ブログ面倒くさがるのは冷める、応援する気なくなった、というものも見られた。


 一連の出来事が五十嵐の新規ファン獲得に繋がることはなく、一部ファンは他へ流れた。同じグループのメンバーに。

 この件についてはメンバーも知っているはずだが誰も口にしなかった。


「センターの宿命みたいなもんじゃない?」

 プリクラの件で津久田に言われた一言が引っ掛かっていた。やっかみが含まれているように聞こえていた。ザマアミロ、いい気味、そう思っているのではないかと疑心暗鬼になっていた。

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