第30話 穴の開いたポケットみたいに
翌週土曜日のイベントは、先週と同じ秋葉原の、同じ家電量販店系列の、違うビルのイベントフロアだった。ここも最上階だがライブ専用ではなく、グラビアアイドルのDVD発売イベントも開かれるフロアで、ライブ中も客席の照明は点いたまま。それで、先週より観客が5割ほど増しているのがメンバーの目にもはっきりと見えた。屋内ゆえ好天の影響ではなく、先週いたファンに、ライト層が加わったということ。ファンのツイートや、公式サイトやツイッターにアップされた新メンバー・宮田朱里に集客効果があったようだ。
宮田は今日はスタートから参加し、最初と最後の2曲に参加する。ステージに登場したメンバーに、客席から先週まではなかった「あかりーん!」の声援が飛んだ。歌い始めると、また「あかりーん!」。聞き慣れていないニックネームは、電車内の外国語のように明瞭に耳に届く。1曲目を歌い終えたMCで改めて加入の挨拶をした時もあちこちから歓声が飛んだ。お辞儀した宮田の背中越しに交差した松澤と津久田の不穏な視線は、すぐにあさっての方向へ逸らした。
ライブ終了後の握手会。
―咲良ごめん、俺あかりんに推し変するわ―
口元に笑みをたたえて言ったのは、ファン歴3ヶ月ほどの大学生だった。
渋谷のライブハウスで開かれたアイドルイベントのライブ後の握手会で、初めて観たんだけど今日から推します、と宣言されたのが最初で、それからはイベントの度に友だちを連れて最前列付近から名前をコールしてくれた。ライブ中の声援は人気のバロメーターの一つで、コールしてくれる固定ファンの存在は安心感をくれる。それが今日は、声援が宮田に向いていたのがステージからも見えていた。
歳も近いから、元気でノリのいい津久田相手にイジリ感覚なのだろう。津久田が頬を膨らませ、肩口にパンチをお見舞いすると、痛ッテェとおどけてみせた。
津久田がノリで返せたのは心の準備があったからだ。リアクションも予め用意していたもので、そうでなければ冷静に受け止められた自信はない。露骨に不快な表情を見せたはずだった。
―あなたのファンをやめます―
どうして面白半分に言えるんだろう。傷つかないわけがないのに、どうしてそんなことも分からないのだろう。
「今度はこっち」
隣でやり取りを見ていた五十嵐が、反対の腕にパンチを食らわせた。うぉ痛ッテェとまたおどけて自分を抱き締めるように両肩を抑えた彼に、五十嵐が握手の手を差し出す。
「ホシトソラが好きならメンバーみんな大切にしてよね。分かった?」
彼が出した手を両手で握り絞めた。それでもおどけた顔は変わらなかった。目一杯込めた力が伝わらないのが悔しかった。
ホシトソラは平日がレッスンで土日にイベント、イレギュラーで平日にもイベント、というスケジュールをこなしていた。6人は1年近い時間を家族や友だち以上に共有している。加入して2ヶ月、宮田朱里も濃密な時を過ごしていたが、それでもまだホシトソラの一員になれたとは言い難かった。
唯一の後輩。先輩たちが年齢関係なく呼び捨てタメ口の中、一人だけ敬語。レッスンの日は一番先にレッスン場に入らなければならない。
後から加入したというだけで目下とされ、ステージ裏ではそれが顕著で、弁当も飲み物も取るのは一番あと。椅子も最後に残ったのに座る。それ取って、と指図されればすぐに応じる。誰かが買ってきたお菓子に群がっている時も、一人だけ輪に加われない。といってスマートホンでもいじろうものならそれはそれで文句を言われる。学校の都合でイベントの楽屋入りが遅れた際は、事前連絡してあったにも関わらず、あからさまに不快な視線を向けられた。ライブ中、振りや歌詞を間違えれば、その場ではご愛敬とイジられても、楽屋に帰ればお説教が待っていた。すべてのメンバーがそうではなかったが、そんな時はただ頭を下げるしかなかった。
全員が等しく仲のいいアイドルグループなど、おそらく存在しない。大所帯なら派閥があるし、少人数でも好き嫌いや合う合わないはどうしても出てくる。学校でも会社でも、どこの世界にも当たり前のように存在して、序列があるなら尚更で、といって無理矢理仲良くも出来ないから、梅雨の湿気のように、そういうものとしてやり過ごすしかなかった。
ホシトソラはこれまで様々な曲をステージにかけてきた。同じ曲ばかりでは飽きられてしまい、アイドルのカバーであっても王道のアイドルソングからロック調のものやバラードまで多岐に渡った。週末のイベントでかける曲を平日のレッスンで覚える。月日を費やして増やしてきたレパートリーを宮田朱里は短期間で身に付けなければならない。
土曜日の秋葉原でのイベント終了後宮田は事務所のレッスン場に赴いた。明日に備えての自主練は、事務所に近い現場だったからこそ出来たことで、ファンにいいパフォーマンスを見せたいのもあるが、ミスをして先輩の小言を聞かされたくないのもあった。イベントで疲れた身体に鞭を打つのに、ただ一人付き合ってくれたのが五十嵐愛だった。
ライブではほとんどの曲で五十嵐がセンターポジションを務めた。アイドルグループのセンターは特別で、単にグループの顔にとどまらない。後列であれば、振りを忘れても前を真似てごまかせるが、センターは自分だけが頼り。歌割りも多く、その分歌詞を覚えなければならない。常にファンの正面でパフォーマンスするプレッシャーは、レースの先頭で風圧を受けるのに似ている。
「子供の頃からずっとアイドルに憧れてたから。毎晩布団の中で、テレビの中とか大きなステージとかで歌っている姿を想像した時いつも自分が真ん中だった。真ん中に立てるアイドルになるってずっと夢見てきたから。だから今が幸せ」
五十嵐は屈託のない笑顔で話した。
明日もイベントがあるのに、自主練が終わったのは10時を回っていた。付き合ってくれた理由を訊ねた宮田に五十嵐は「夢に近づくため」と答えた。
乗る電車の違う二人は事務所の前で別れた。街頭に照らされた五十嵐の背中は萎んで見えた。人に教えるのは負担がかかるうえ夏の暑さに体力を奪われた。もう少し早く切り上げれば良かった、好意に甘えてしまったと宮田は胸に後悔を浮かべていた。
翌朝、五十嵐は顔に差す朝日で目が覚めた。疲労からカーテンすら閉めず、洋服のまま寝転んだベッドで眠ってしまったようだ。点けっ放しの蛍光灯を浴びた霞む目で、とっさに枕元の目覚まし時計に目をやる。9時5分前。大丈夫。今日のイベントは午後から、時間に余裕はある。先にシャワーを浴びて、朝御飯を食べてと予定を組み立てていた頭に、にわかにシャッターが降りた。ひったくるようにポケットからスマートフォンを取り出す。充電は残り2%。問題はそこではなかった。
思い違いで、すでに昨日のうちに・・・淡い妄想も無惨に破られた。『愛のLOVEログ』は一昨日の日付のまま止まっていた。
開始以来一日たりとも欠かさなかった、続けることで武道館に近づけると信じていたブログが、途絶えてしまった。まるで並べかけのドミノが崩れ最後の一枚が足の甲に寄りかかっているように、しばらく動けなかった。
『あかりんと二人で自主トレ。イベントのお礼は明日まとめてします。ゴメンナサイ』
頭の中では出来上がっていて、ツーショット写真も撮影してあった。[お疲れさま。明日も楽しみにしてるよ][自主トレ頑張って][無理しすぎないで。体に気を付けて]ファンからのリアクションも予想出来ていた。あとは打ち込むだけ。それで安心したのか、電車の中では居眠りして、帰宅したらすぐに寝落ちしてしまった。
昨日のうちに更新したように日付を操作をすることもできなくはなかったが、それは自分の中で許容できなかったし、最後のブログに[今日どうしたの?更新しないの?][体調悪いの?]というファンのコメントが寄せられていた。
毎日の更新は負担で、止めたいとも減らそうとも何度も思ったが、嫌なことから逃げていては夢に辿り着けない気がした。
自分の意志で止めたなら解放感に似たものがあったかもしれないが、そうではなかった。池に落とした斧がただ深く沈んでいくような喪失感。宮田に付き合ったことへの後悔も頭をもたげていた。
その日のイベント、ライブ中のファンの視線が、身体を通過してその先を見ているような、どこか空虚に感じられた。気のせいと言い聞かせてやり過ごしたライブの、その後の握手会。
握手会の会話は旬のネタがあればそれ一辺倒になりがちだ。新しい曲をかければその印象を、髪型を変えたらそのことを、MCでメンバーとの仲を話せばそれを。訊く方は1回でも、訊かれる方は入れ替わり立ち替わり、5回、10回、20回と繰り返される。嬉しいことならまだしも、そうでなければ、まるで順番に針で突つかれているようで気が滅入ってくる。今は触れてほしくないブログも、話題を提供してきただけに滞ったこともまた話題にされた。
昨日どうしたの?ブログ止めたの?昨日更新しなかったね。体調悪いの?風邪?ケータイ壊れた?充電切れた?
「ごめん。昨日イベントのあと遅くまで自主連してて更新できなかった」
五十嵐は、せめて嘘はつかないよう正直に話した。
これからまた続ければいいよ。何かあったのかと思って心配したから安心した。頑張りすぎないで。好きな時に更新すればいいよ。身体に気を付けてね。
フォローしてくれるファンがいる一方で、説教を垂れるファンもいる。
続けることで武道館に近づけるんじゃなかったの?そんなんじゃ夢叶えられないよ。そんなに甘い世界じゃないでしょ。
100の誉め言葉も1つの悪口にかき消されてしまう。
たった1日更新しなかっただけで、ただ1度の失敗で、全てを否定されたようだった。今まで続けて来たのはなんだったんだろう?他のメンバーはこんなに更新していないけど?なんでずっと続けてき私だけ責められなきゃいけないの?
イベントの度に更新したブログも、再開する気にはなれなかった。次忘れたら何もかも失ってしまいそうだった。
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