第29話 砂が零れ落ちるように

 宮田朱里は正式にホシトソラのメンバーとなった。10日後のイベントでサプライズ発表することも決定した。

 アイドルグループにとって「サプライズ発表」はプロモーションの一環で、ホシトソラのような駆け出しのグループでも新メンバーの加入はそれなりのインパクトを持ち、アイドルファンによってSNSなどで少なからず拡散される。ゆえにそれまでは他言無用で、公式サイトやTwitter、メンバーのブログには箝口令が敷かれた。オフショットを載せる際にも、うっかり映り込まないよう気を配った。


 宮田朱里は当日までのたった10日で、歌と振り付けを覚えなくてはならなかった。宮田はイベントの終盤に登場し、ラストの1曲のみパフォーマンスをする。その1曲だけを覚えればよかったが、ライブパフォーマンスが初めてで、レッスンに加わったばかりの宮田は上手に立ち回れなかった。

 ソロパートはなく、歌割りも少なかったが、振り付けは全員で揃えなくてはならない。宮田は何度も間違え、その都度レッスンがストップした。メンバーには歌い慣れた曲で、端に一人加わるだけだからフォーメーションの変更もわずかだったが、苛立ちを隠さず聞こえるように長嘆息を吐くメンバーもいた。自分も最初は上手にパフォーマンスできなかったはずだったが、そんなことは忘れていた。


 その中にあって、五十嵐愛は率先して手を差し伸べた。他のメンバーが帰った後も居残り練習に付き合ってあげた。同い年なのもあったが、これがいつか、紅白、そして武道館へと続く道だと自分に言い聞かせた。



 秋葉原のビルの最上階にあるイベントフロアは、正面のステージと客席、後方の機材の脇に僅かに物販スペースがあるだけのライブハウスを思わせる作りで、客席の照明が落ちるとそこが家電量販店であることを忘れさせる。150ほどのキャパに観客は5割程度と、ホシトソラにとっては平常の客入りだった。


「ここでホシトソラからみなさんに発表があります!」


 ラストの曲を前に、息を弾ませた小田が切り出した。

 客席から歓声が上がった。一際喜んでいるのが最前列を陣取る古参のファンで、飛び上がってガッツポーズする姿がメンバーの目に入った。ハイタッチするファンや、首にかけたタオルで目頭を拭うファンもみられた。自分達と同じ誤解をしている、予想していたことで、微かに罪悪感を抱いた。


「もしかしてCDデビューだと思ってる?それではないんだよねー」

 申し訳なさそうに松澤が切り出すと、歓声が一気に萎んだ。ため息がステージまで届いた。


「それはもう少し先」

 津久田の発言に歓声が戻る。


「違う違う。まだ何にも決まってないから」

 小田が慌ててフォローした。


「いまの言い方だと決まってるみたいにとれるで」


「ごめん、本当にまだ何も決まっていません。でもそれに負けないぐらいのニュースかも」

 津久田の弁明に、ファンはサプライズの中身を予想しあった。CDデビュー以外となると限られる。何人かのファンが、ステージに向けて正解予想を投げかけた。それを遮るように小田が声を張った。


「それでは発表します!ホシトソラに新メンバーが加わることになりましたー!どーぞー!」


 歓声の中メンバーと揃いの花柄のワンピースを着た宮田朱里が舞台袖から駆け出した。


「新メンバーの宮田朱里ちゃんでーす!イェーイ!」角川が紹介する。


 コンタクトレンズをして、いままでしたことのなかったメイクをし、衣装を着た宮田朱里は、見違えるほどキラキラなアイドルになっていた。その姿に客席から感嘆に似たどよめきが起こる。


「ちょーかわいいでしょ」


「目でっかくて羨ましい」


「今度一緒に遊びに行こうと思ってるんだよねー」

 津久田はそう言って腕を絡ませた。


「わたしたちホシトソラはこれからこの7人で突っ走っていくのでよろしくお願いします!」


 ホシトソラは7人での初パフォーマンスを披露した。緊張の初ライブをそつなくこなした宮田朱里は握手会にも初参加した。ぎこちない笑顔とたどたどしい受け答えは初々しく、大きな目に吸い込まれるように握手券を買い増してループするファンも目に付いた。


 初めてのツーショット撮影会は、メンバーで一番長い列ができた。貴重な新メンバーの初撮影に列ができるのはアイドルイベントではお馴染みの光景も、すぐに列の途絶えた松澤には面白くなかった。小田の目配せで我に返った松澤は、疲れたふりをして両掌で顔を拭った。険しい表情を見られたかもしれない客席の方を向けなかった。



 イベント終わりの日曜の宵の口の地下鉄は大抵空いている。まだ無名のホシトソラは電車移動が基本で、都内の実家に暮らす津久田咲良はメンバーと別れ、一人地下鉄に乗った。この日は、ユニホームを来た野球観戦帰りやTシャツ姿のライブ帰りで混雑することもなく、冷房が寒く感じるほど車内は空いていた。


 津久田はいつものように空いた座席の真ん中に座るとスマートフォンを開き、イベント後恒例のエゴサーチを始めた。いつも通り、自分の名前を検索して出てくるのは数件。イベントに来ていたファンが[#津久田咲良]のタグを付けて[今日は楽しかった]とか[会えて嬉しかった][可愛かった]と呟いている。夜にかけて2、3件は増えるだろうが寂しい数だ。


 次に検索したのは[ホシトソラ]。いつもの流れ作業が、今日は指先が心許なかったのは、ためらう気持ちがあったせいだ。画面に表示されたのは、予想通りもあまり嬉しくない的中だった。


[ホシトソラの新メンバーめっちゃ可愛い] [ミヤタちゃんマジヤバい] [あの子は推せる][推し変不可避] [ガチ恋しそう][久しぶりの逸材かも][宮田朱里しっかり覚えました]


 自分の何倍も、宮田朱里への好評価が並んでいた。しばらく眺めたものの、ネガティブな評価は流れてこない。CDデビュー前の新メンバー加入に抵抗を示すファンもいるはず、との予想は裏切られた。[来週もイベント行こ][ホシトソラ売れんじゃね?]といった呟きも、今は傷口に塗られた塩のようだった。

 一段と冷え込んだ電車の中で、津久田は一人だけどこかに取り残されてしまったような孤独感に襲われた。窓の外の灰色の壁面は行く手を塞いでいるようだった。

 以前にも似た想いを抱いた気がする。いつだったか、ずっと昔のような気もするけれど思い出せない。次の駅で停まると、ベビーカーを押した女性が乗車してきた。


―妹が生まれた時だ―


 ありったけの愛情を注いでくれたお母さんもお父さんもお祖父ちゃんもお祖母ちゃんも、妹が生まれ途端、背中しか見えなくなった。あの時の喪失感に似ていた。

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