第28話 青天の霹靂

 ダンス練習中、唐突にドアが開き、レッスン場に現れたのはシエルプロの社長・浜岡満はまおかみつるだった。

 社長の視察は珍しくなかったが、普段は入室しても無言で手のひらを差し向けてダンスを続けるよう促し、邪魔にならないよう壁際に立って眺めている。それが今日はいつもの立ち位置を素通りし、鏡の方まで足を進めて、メンバーは困惑気味にダンスを止めた。


 浜岡の足もとは去年のクリスマスにメンバーがお金を出し合ってプレゼントしたスリッパ。レッスン前にみんなで行った伊勢丹で「これ社長っぽくない?」と松澤が面白半分に選んだヒョウ柄のもので、津久田が陰で『どんぐりゴリラ』と呼ぶ浜岡の風貌と妙にマッチし、本人もまんざらでもない様子で愛用してくれている。

 そのヒョウ柄のスリッパが擦れる音を掻き消すように「お疲れ様です」と頭を下げた小田にメンバーも続いた。


 浜岡は歩きながら挨拶を返すと壁一面の鏡を背にし、横一列に整列したメンバーと正対した。

 浜岡は開きかけた口を止め、一つ息を吐いた。何かを伝えんとしているのが分かり、メンバーたちの動悸が激しくなった。オーディションの合格発表から10ヶ月、ステージデビューから8ヶ月。


 ついに、CDデビュー決定。


 ずっとこの日を待ち望んでいた。幾度となく語り合った。どんな曲だろう、王道のアイドルソングか、衣装はどんなか、フォーメーションは、MV撮影はあるのか。

 夢へ向かって大きな一歩を踏み出せる。ようやく自分たちのオリジナルソングが歌える。発表された瞬間、喜びを爆発させよう。6人の想いは一つだった。


 しかし浜岡の口から発せられたのはそれではなかった。


―新メンバーの加入―


 浜岡の呼び掛けで、ドアを開けて入室したのは小柄で髪の短い、眼鏡を掛けた地味な女の子だった。宮田朱里と名乗った。


 想定していないわけではなかった。グループの先行きを描いた時、他グループであるように、ホシトソラにも増員は予想できた。多少の覚悟は持っていた。

 ただ、あるとしてももっと先、CDデビューした後のことで、今この時期は想定外だった。


 宮田朱里が挨拶と自己紹介を終えたレッスン場に、バトンパスが途切れたような空白が生まれた。小田が思い出したように拍手すると、ほかのメンバーも続き、感情のこもらない音がレッスン場に響いた。


「五十嵐愛です。私も高3だからタメだね。よろしく」


 五十嵐が一人歩み寄り、笑顔で手を差し出した。緊張で強張っていた頬を緩ませ宮田はその手を握り返した。


「これでホシトソラは7人、ラッキーセブンだからいいことあるかもね」


 振り返った五十嵐の目に、愛想笑いが1つ2つ映った。



 再開したダンスの練習を、宮田は部屋の片隅で社長と並んで見学した。学校帰りの制服姿の宮田は、カバンは床に置かず両手で提げたまま、じっとレッスンに見入っていた。

 その姿が鏡の隅に映り込み、嫌でも視界に入った。メンバーのダンスはいつになく散漫で、フォーメーションもバラバラだった。


 10分ほど見学し、宮田朱里は社長に連れられて帰って行った。

 二人が乗ったエレベーターが、6、5、4と階を降りて行くのを見届けると、叩きつけるようにレッスン場のドアを閉め、松澤が吐き捨てた。


「マジありえなくない?何でこのタイミングなの?」


 同じグループであっても、ファンというパイを奪い合う競争相手でもある新メンバーの加入を歓迎できるアイドルは少ない。グループの絆が太くなっていただけにショックは一入で、受け入れ方など知りたくもなかった。


「ほんと。今までやってきたのは何だったのって感じ。っていうかあの子オーディションしたの?してないでしょ。なんなの?コネ?うちらが受けたオーディションはなんだったの?」

 津久田は床に座り込み、両足を投げ出した。


「絶対CDデビューだと思ったし」


「ね。あの感じだとそう思うでしょ。それが、天国から地獄だよ」


「地獄は言い過ぎでしょ」

 小田が苦笑した。


「けど、実際それぐらいの落差あったし。クソどんぐりゴリラ。はぁー、あー、もー」

 髪型に煩い津久田が髪の毛をくしゃくしゃにかき回した。


「6等星って好きやったのに。6人じゃなくなんねんなぁ」

 角川は空の代わりに天井を仰いだ。


「別に6人って意味じゃないけどね」

 6等星の言い出しっぺの小田がなだめるように言った。


「でも6って数字なくなったら6等星の意味薄く感じられへん?」


「それはあるけど」


「CDデビュー目指してずっとレッスン続けてきたのに水差された。ってか、マジでなんなの?どこで拾ってきたんだろ。社長がスカウトしたのかな」

 乱れた髪を鏡の前で直しながら津久田が言った。


「『拾ってきた』って。でもスカウトとかではない気がする。なんか事情はあるのかもね」小田にも思うところはあるようだ。


「社長が前にいた事務所が関係してるとか?引き取ってって頼まれたとか」

 松澤は壁際に置いていたペットボトルを取り、温くなっていたスポーツドリンクで喉を潤してから、しゃがみこんだ。長い髪の後ろ姿が鏡に映っている。


「『オトナの事情』っていうヤツ?『芸能界』って感じやなぁ」


「でも、どっか事務所に所属してる子だったら、簡単に手放さないんじゃない?移籍って結構おおごとでしょ。むしろ社長から頼んで引き取ったのも」


「有望な子なら頼まれたって渡さないでしょ。前の事務所が所属させてはみたけど使い物にならないから押し付けたとか。もともとそこに入ったのもコネ。しょうがなく引き受けたけど、どうにもならなくてーって、ババ抜きみたいな」

 津久田は鏡に向かって、大げさに顔をしかめた。


「ありそう。大人しそうでトークとかも出来なさそうだったし。アイドルならなんとかなるって?舐めてるね」

 そう言って松澤はまたスポーツドリンクを流し込んだ。


「あくまでも想像だからね。真相みたいになってるけど。そうと決まったわけじゃないから。勝手に決めつけるのはよそうよ」

 小田はそう言って同意を求めるように中村を見た。中村は同調するように微笑を浮かべ頷いた。


 時折混じる沈黙は、社長がエレベーターで戻ってくるのを音で知るためだったが、いまのところその気配はない。


「ってか本当に入んの?決定?」


「そういう風に言ってたから、そういうことでしょ」


「マジやめて欲しい。なんかやる気なくなった。あーあ」

 ため息を吐き、津久田は床に寝転がった。


「うちらがゼロからスタートして、少しずつファン獲得して道切り開いてきたのに後から入ってくるって、割り込みされた気分なんだけど。あんたは平気なの?」

 松澤はしゃがんだまま五十嵐を見上げた。あの場面で握手をする心境は理解できなかった。


「全く嫌じゃないっていったら嘘になるけど。でも入るって決まったんなら受け入れるしかないんじゃない?」


「受け入れられんの?」


「られなかったらどうするの?考え直してくれって社長に頼むの?アイドルっていってもまだCDデビューもしてないし、何者でもない。新メンバーは嫌ってどのツラ下げて言うの?どうこう言える立場じゃないでしょ」

 五十嵐はステージ上ではアイドルスマイルを絶やさないが、時に大人の顔を見せ、言うべきことは主張した。


「それはたしかにそうかもね。私たちまだ何の実績もないし、そんなこと言える立場じゃないよね」

 最年長の小田も大人の顔を見せた。


「メンバーがギクシャクしてると、見てる人にも伝わると思う。絆が強いグループの方がファンも応援しようっていう気になるでしょ」


「他のグループみんな仲良くやってると思う?そんなにきれいなもんじゃないでしょアイドルって。夢って楽しいものばかり見れないの。あんたにもいずれ分かる時が来るよ」

 松澤は五十嵐を横目に、レッスン場を出て行った。長い髪が、ドアに挟まる寸前ですり抜けた。屋上への階段を上がる足音がメンバーの耳にも届いていた。

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