第26話 ステージデビュー
オーディションの合格発表から2か月後、公式サイトが開設され『ホシトソラ』の結成が発表された。有名グループの妹分のような大々的なものではなかったが、アイドル専門サイトなどで取り上げられ、2週間後のイベントでお披露目されることも併せて発表されるとさっそくアイドルファンが反応し、同時に立ち上げた公式ツイッターは初日で300を超えるフォロワーを獲得した。
新人アイドルグループは、所属事務所の先輩アイドルのライブでお披露目されるのが定番も、それのいないホシトソラに用意されたのは、デビュー2年未満のアイドルだけが出演できる『フレッシュアイドルフェス』のステージだった。
3年前に初開催されたこのフェスは、先輩のいないグループには『アイドル始めの場』、コアなアイドルファンには『新人アイドルの見本市』として重宝されて半年おきの開催となり、5回目の今回は20組が出演。昼12時の開演から代わる代わるライブを披露する。
会場の都内の屋内型テーマパークのイベントホールは、オールスタンディングで700のキャパも新人ばかりのうえ再入場OKで目当てのアイドルだけ見るファンも多く、観客は常時4、50人ほど。少々物足りなくとも、新人アイドルには丁度良い塩梅だった。
この日に向けて2か月間ゼロからダンスとボーカルレッスンに励んできたホシトソラが披露するのは他のアイドルのカバー曲。これはこのフェス全体の傾向で、持ち歌がないのもあるが、知った曲の方が観客も『MIX』や『ガチ恋口上』といったお馴染みのアイドルコールを入れ易いため、会場が一体となって盛り上がる。「ただの新人アイドルカラオケ大会」と揶揄する声もあったが、『フレッシュアイドルフェス』はアイドルになった実感を得られ、ステージデビューには打って付けの場だった。
「ヤバイ、マジ吐きそう」
クルマ酔いして路肩に降りた時のように、津久田咲良は冴えない顔色で胸元を撫で回した。
ステージ裏にある、入り口に『C』と貼られた部屋がホシトソラに割り振られた楽屋だった。次のグループが控えているから出番が終わり次第速やかに退出しなければならないと分かっていても、重ねられた弁当に手をつける余裕は誰も持ち合わせていない。
普段はメンバーの様子に気を配っている小田も、今は周りのことなど目に入らない様子で、鏡の前で曲を口ずさみながら振り付けのチェックを繰り返している。ターンした拍子に手が当たって、ペットボトルがテーブルから落下した。幸い中身の少ないミネラルウォーターだったからあまり溢れずに済んだが、蓋も閉め忘れた、小田らしくないミスだった。
中村恵美に至っては、「晴れの日に、目を腫らしてる場合じゃないから絶対泣いちゃだめ」の忠告もむなしく今にも泣きだしそう。
初めての客前でのパフォーマンスに、緊張するなと言う方が無理な注文だった。
アイドルデビューを迎えるこの日、6人は揃いの衣装をまとっていた。白の長袖のブラウスに、ひざ上の黒のスカート、襟には黒のボウタイ。黒の革靴はつま先にリボンがついていたが、まだオリジナルの衣装をあつらえる余裕はなく、全て既製品だった。
事務所で袖を通した時、19歳の小田を筆頭に全員十代後半のメンバーには、いくらか幼く感じないでもなかったが、それでも悪い気はしなかった。6人並んで鏡に映った姿は本当に可愛く自然と顔がほころんだ。「なんかアイドルみたい」と言った津久田に「アイドルだから!」と一斉にツッコんで笑いあったものだった。
「50人ぐらい」
1組目のライブをこっそり覗いてきた五十嵐がおおよその客数を伝えた。ホシトソラの出番は3組目。
「50人」
津久田がオウム返しを呟いた。初ステージでは人数を言われても観客のイメージは沸かないが、さほど多くないことは理解できた。といって緊張が緩和されるわけではない。
「そん中にうちらのファンって一人もいないよね?」
松澤はさっきから忙しくペットボトルの蓋の開け閉めを繰り返しては乾いた喉をミネラルウォーターで潤していた。
「でしょうね」津久田が無機質に呟く。
「ホームページとかツイッターとかで興味持ってくれてる人はいると思うけど」
小田は振り付けのチェックを止め、鏡越しにメンバーを見た。
「だから今日一人でも多くファンを捕まえようって話でしょ。『今ならファン第1号になれます。早いもん勝ち』って」
五十嵐が顔の前に人差し指を立てた。
「限定商品みたいに、飛び付いてくれるかな」
中村の表情が少しだけ緩む。
「『オペレーターを増やしてお待ちしています』みたいに?」
津久田もつられて笑みを浮かべた。
「でもさぁ、振り付け間違えたら笑われたりしない?指差されたりして」
大きく息を吐いた松澤。
「そういう可能性もあるっちゃあるけど」
「今はそういうこと考えるのやめようよ。一生懸命やれば応援してくれるって、ね」
こういう時に場を和らげるのが小田の役目。小田はメンバー一人一人を回って背中をさすってあげた。さすられると、不思議と僅かに緊張が和らいだ。
「ってかなんでそんなに落ち着いていられんの?」
またミネラルウォーターで乾いた口を潤してから、松澤は椅子に座ってじっと歌詞カードに目を落としている角川の肩に手を置いた。
「そう見える?こう見えて実はめっちゃ緊張してんねん。こんな感じに」
手首を握った角川の手のひらは確かに冷たかった。
鏡台の上に置かれたモニターが明るくなった。2組目のグループがステージに登場し、照明がたかれた。
「もうすぐやん!」
発作みたいに角川が立ち上がったのと同時に、壁越しに曲が流れてきた。イントロに合わせて客がMIXを打っている。耳鳴りみたいで距離感が上手に掴めないが、次にその場に立つのが自分たちであることは緊張に支配された脳みそでも理解出来ている。心臓が高鳴るのが分かった。
「よし!」と声をあげて手を叩いたのは五十嵐だった。
「いよいよだよ。ステージに立った瞬間、私たちはアイドルになる。ここがスタート。初めの一歩。もう後戻りはできない。前に進むだけ。アイドルの役目はファンに夢と希望を贈ることだから、絶対に笑顔を絶やしたらダメ。辛くても悲しくても、いつでも笑顔でいるのが私たちの使命。無理やりにでも笑っていなきゃいけないの。顔いっぱいに、1周するぐらいに」
そう言うと、五十嵐は人差し指と親指で、自分の両方の目尻と口角をくっつけるようにつまんでみせた。その変顔に中村が思わず吹き出した。視線を逸らした松澤に、覗き込むようにその顔を近づけると、松澤も鼻から息を漏らした。
「ほらみんなもやって。笑顔になって」
顔をつまんだまま窮屈そうに口を開く五十嵐。
「こんな感じ?」
角川が真っ先に応じ、人差し指と親指で自分の顔をつまんだ。
「こんな感じか」
津久田も続く。
「これでいい?」
中村も同じ顔を作った。
「全員!」
最後に小田と松澤が、しかたないといった様子で続いた。
「そう!これがアイドルスマイルだから!」
「絶対違うでしょ!」
津久田がつっこんで、指でつまむ必要のない6つの笑顔が揃った。
「ってかあれもやろうよ。今でしょ」松澤が視線を送る。
「そうだよ。このために決めたんだから」五十嵐も声を弾ませた。
メンバーは円になって手を繋いだ。並び順はファミレスの時と同じ。そわそわした視線が交差した。
「それじゃあいい?いくよ」
メンバーが頷いたのを見て息を吸い込んだ小田の掛け声にメンバーが続く。
「いつか輝く」
「6等星!」
「夢に向かって」
「全力疾走!」
「ウィーアー」
「ホシトソラ!」
締めに、円の中心に向かって踏み出した右足で床をトンっと踏み鳴らした。はにかみ顔が並んだのは、青臭さがくすぐったかったからだった。
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